ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

少し前まで、〇〇にならなきゃいけないもんだと思っていた

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「少し映画のことから外れようか」

私の目の前に座っている就活アドバイザーの人にそう言われた。

その時、私は行き詰っていた就活に嫌気がさし、友人の紹介もあって、とある就活マネージメントをしている会社を訪れていた。

その会社はイケイケのベンチャー企業で、あたかも就活のエージェントって感じのバリバリの営業マンがいっぱいいた。

 

私は基本的にのほほんとしている性格なので、そう言ったバリバリの仕事人っていう感じの人はあまり得意ではない。

だけど、二進も三進もいかない就活を誰かに話して、自分のダメな部分を掘り起こさなきゃと思い、意を決して、就活エージェントと呼ばれる就活のプロの人を訪ねたのだ。

 

エージェントの人とは、30分以上面談していたと思う。

自分がこれまで何をしてきたのか。

これから自分が何をやりたいのか。

 

そう言ったことを事細かに話していった。

 

「ひとまず、映画から外れようか」

そうエージェントの人に言われてしまったのだ。

 

私は大学では自主映画を作ってきた。

これからもマスコミなどの会社に入って、ものづくりに携わりたい。

人と違った生き方をしたい。

そう言った内容のことを、映画を作りたいという軸を持ってエージェントの人に話していったのである。

 

 

その一方で、大学時代に経営やブランディングに興味を持っていた関係で、マーケティングを一から学べる会社のことを調べていたのだ。

 

 

自分の軸があやふやなことはわかっていた。

映画が大好きだが、本当に自分が何をやりたいのかはさっぱりわからなかったのである。

 

そんな軸があやふやな状態で、「自分はあれもやりたい、これもやりたい」と話していたので、エージェントの人も頭を抱えていたのだと思う。

 

「もっと自分の棚卸しをしていった方がいい」

その時はそんなことをアドバイスされた。

 

私はその後も、自分のやりたいことがよくわからないまま就活というゲームを続けていった。

自分は〇〇になりたい。

せっかくの人生だから、自分の好きなように生きよう。

 

そう思い、自分がやりたいことを必死に探して行ったのだ。

〇〇にならなきゃいけない。

人と違う生き方をしなければいけない。

そんな思いにかられて、身動きが取れなくなってしまった。

 

自分がやりたいことって一体何なんだ?

 

自分探しを続けても私は全く自分のやりたいことなんてさっぱりわからなかった。

映画を作りたいという思いは、ずっとあったが、その世界に飛び込んでいく勇気はなかった。

 

結局、就活では挫折し、社会に出てから数ヶ月間ニート生活というよくわからない期間を得て、晴れて私は4月からサラリーマンとして社会人の一歩を踏み出していった。

 

 

私はもともとサラリーマンという類の仕事が一番嫌いだった。

好きでもないのに仕事をしている。

いやいやオフィスに閉じこもって、なんだか誰のためになるのかわからない書類整備に追われている。

そんなイメージがあったのだ。

 

せっかくの人生だ。

社会の枠組みにはまる生き方なんてしたくない。

そう思っていた大学生の頃の私は、サラリーマンという人生を歩むことを躊躇していた。

 

で、実際にサラリーマンとして働くようになって、どう思ったのか。

 

 

 

 

仕事が案外、楽しいのである。

 

営業なんてしたくないと思っていたが、毎日のようにおびただしい書類整備や営業のデモをしていると、どんな些細な仕事でもきちんとこなしていくのは、どこか奥深いなと思えるのだ。

 

私の勤めている企業は、都内にある中小企業だが、社員数もそれほどなく、小さな会社であるため、案外、自分の裁量で仕事ができる面もある。

その一方で、一人当たりの負担が大きく、結構大変だったりするが……

 

自分なりに今の仕事に満足して、結構充実した毎日を送っているつもりだったが、

どうしても毎日のように仕事に追われているうちに、このままでいいのかと思ってしまう自分がまだいた。

 

自分が本来、やりたかったことはこれだったのか?

ほとんどの新卒の社会人が思うように、自分の仕事がこれでいいのか不安で仕方がない。

だけど、その一方で、くそ売りにくものを売る営業って奥深くて面白いじゃん。

と思ってしまう自分がいるのだ。

 

社会人をやるようになって楽しさとこんなサラリーマン人生でいいのか?

という不安で板挟みになっていた頃、私はふと思うようになった。

 

 

自分は〇〇になりたいという思いに雁字搦めになっていただけではなかろうか?

 

 

 

夢を追いかけている人はかっこいい。

そんな感情にかられて、叶えるつもりのない夢を追いかけて、雁字搦めになっていただけではなかろうか。

 

今の若い人には自己実現という呪いがはびこっているという。

ツイッターフェイスブックを使って、自分はこれだけいいライフスタイルを歩んでいる。〇〇な自分ってかっこいいと周囲に自慢したい人で溢れかえっている気がするのだ。

 

そういう自分も自己実現という名の呪いに雁字搦めになり、

「どうせ入った会社も3年以内でやめるし」とか調子いいこと言って、いつも自分の理想の仕事場を探し回っていた。

 

自己実現しなきゃいけない。

そんな思いに駆られていた私は、意味もなく〇〇にならなきゃいけないと思い込んで、空回りしていただけな気がするのだ。

 

〇〇な自分は周囲に伝えたい。

いい文章をかける自分を自慢したい。

小説家になりたい。

映画監督になりたい。

漫画家になりたい。

ミュージシャンになりたい。

俳優になりたい。

 

 

そう人は〇〇になりたいと夢を大きく語る。

夢を語るのは本当に美しいことだし、全然素晴らしいことだと思う。

だけど、叶えるつもりもないのに、〇〇な夢を追いかけている自分ってかっこいいと思っている人が案外大半だったりするのではなかろうか。

 

夢を追いかけるって本当に難しいなと思う。

10年の下積みに耐えて、俳優になった人と、俳優の道を諦めてラーメン屋になった人ではどっちが優れているのか。

 

やはり、10年の下積みを耐えてきた人の方がかっこいいのか。

私はどうしてもそうは思えない。

たとえ、どんなに過酷でも下積みを耐えてきている人が優秀だなんて思えないのだ。

 

自分の夢を叶えられること。

それは〇〇になりたいという感情以上に、どうしても好きで続けていってしまったものがその人にとって実りあるものになっただけな気がするのだ。

 

 

どうしても好きで続けてしまうこと。

それは小説でも漫画でも音楽でもなんでもいい。

〇〇になりたいという感情以上に、どうしても好きで続けていったものが、何10年か蓄積されていって、実りあるものになる気がするのだ。

 

〇〇にならなきゃいけない。

そう私は思っていたが、その〇〇というものよりも、どうしても自分が好きでこれまで続けてきたものを大切にしていけばいいのではないかと最近は思うようになってきた。

 

小説家になりたいと思って毎日苦しみながら小説を書いても、プロの世界に入ると苦しくなるだけだと思う。

どうしても自分はこれがしたいと続けていったものが、いつしかその人に小説家や俳優といった〇〇という職業を与えられるのだと思う。

 

 

自分がこれまで好きで続けてきたものはなんだろう。

25歳になっても今だに、その答えはわからない。

だけど、好きで続けているものってなんだろうと考えたら、真っ先に出てきた答えが、書くということだった。ものを作るということだった。

 

〇〇にならなきゃいけないと焦らなくても、少しずつ自分が好きでやっていることを大切にしていったら、いつか実りあるものになるのではないか。〇〇にならなきゃいけないもんだと思い、雁字搦めになっていた私は最近、ようやくそのことに気がつけたのである。