人生は極論すると相対性理論
「21歳を過ぎてからの20代はあっという間だよ」
大学一年の頃に、サークルの先輩にそう言われたことがあった。
その時、私は確か、大学を入学したての19歳だ。
20代はあっという間なのか……とぼんやりとイメージしていたと思う。
そして、あっという間に20歳の成人式が過ぎて、21歳になった。
21歳を過ぎてから、薄々と感づいていた。
時の流れ、早い……
自分の感覚的な部分もあるだろうが、20代は21歳を過ぎた途端、猛烈な勢いで、過ぎていくような気がする。
21歳になると、大学に行った人は就活を始めるようになり、ほとんどの人が社会人になっていく。
その頃になると、自分の可能性にも気付き始め、目の前に横たわる社会の荒波の中に飲み込まれていくことになる。
多くの人が社会の枠組みの中に、うまく染まっていくことになるだろう。
そして、フリーランスや自由を追い求めて、ノマドワーカーっぽい遊牧民になる人も出てくる。
私はと言うと、自分が選べる選択肢の狭さにうんざりして、身動きが取れなくなってしまった。
自分にはもっと何かすごい素質がある。
何かクリエイティブな才能があるはず。
自分は何者かになれるはずだ。
そう思い、就活という人生の選択肢の場面で動けなくなってしまった。
21歳にもなると、自分が選べる職業の選択肢も狭まってきてしまうものだ。
フィギアスケート選手やら宇宙飛行士やら、小学生の頃は自分の可能性や夢を道徳の授業で発表させられていた。
あの頃は目の前に横たわる未来に胸をときめかせていたと思う。
だけど、21歳にもなると、さすがにそこから野球選手になるのは厳しくなる。
文系に進んだ人は、理系の職業に就くのは難しくなる。
ちょっとずつ、自分の可能性を棚卸ししていった先に、就職という選択肢が横たわるのだ。
私は全く自分がやりたいことが何なのかわからなかった。
大学時代には自主映画を撮ったりしていた時期があったが、そういった映像の世界は厳しくて、飛び込んでいく勇気がなかったのだ。
何気なく歩んできた人生の選択肢の棚卸しを全くしてこなかった私は、21歳を過ぎてから全く身動きが取れなくなってしまったのだ。
どこに向かって歩けばいいんですか……
そう思い、悩み苦しんでいた。
そうこうしていくうちに、あっという間に24歳になった。
あと1日で25歳にもなる。
今となって、猛烈に大学時代に言われた先輩の声を思い出す。
「21歳を過ぎてからの20代はあっという間だよ」
本当にあっという間なのだ。
21歳を過ぎてから、猛烈に人生の体感時間が加速していった気がする。
よく考えらば、人生において20代はめちゃくちゃ重要だと思う。
自分のこれからの人生をどう歩んでいくか、20代の10年間でほぼ決定してしまう。
あるものはミュージシャンになりたくて、そういった世界に飛び込んでいく人もいるだろう。
あるものは就職をしてサラリーマンをやる人もいるだろう。
結婚などもほとんどの人が20代でしてしまう。
私は何の縁か一番やりたくなかったサラリーマンを今しているが、ずっと心の中でもやもやを抱えていた。
会社や仕事に不満があるわけではない。
だけど、このままでいいのか……
とどうしても考えてしまうのだ。
自分の人生の選択は良かったのか。
社会人になり、毎日の仕事に埋没していくと、どうしても自分が本来やりたかったことを見失ってしまうものだ。
月曜日から金曜日まで、仕事で忙しくしているとあっという間に時間が過ぎていく。
就職してから気がついたが、こんなにも社会人の体感時間は短いものだとは思わなかった。
本当にあっという間に時間が過ぎていく。
このままではあっという間に30歳になってしまうぞ……
そう思えてきて、仕方がない。
人生の体感時間の速さを猛烈に痛感し始めたこの頃になって、私はあることを思った。
人生をどれだけ楽しめるかは、自分が使った時間の濃さに比例するのではないのか?
人の体感時間にもアインシュタインが定義した相対性理論が当てはまると思う。
光速で移動する物体は、時間の進みが遅くなるということを定義した相対性理論によって、私たちの生活は支えられているという。
カーナビやスマホの電波を飛ばしている衛星は地球の周りをものすごい速さで回っているが、相対性理論によって時間のズレを計算できるのだ。
光速で移動するほど、時間の流れがゆっくりになる。
それは人にも当てはまると思うのだ。
光速と言わずとも、ものすごい速さで動き回り、自分が熱中していることに取りくんでいる人は、感じている時間も濃厚でゆっくりと流れていると思う。
私にも感じる節があった。
多くの人が大学時代はあっという間だというが、私にはとても長い時間だった。
私はその時、アホみたいに自主映画を作っていた。
大学に10リットルの血糊をばらまいてゾンビ映画を作ったりと、ヘロヘロになりながらも自分がやりたいことをやりたいだけ取り組んでいた。
その時に、感じる時間はとてもゆったりだった。
毎日、目の前の撮影に無我夢中になり、キャパオーバーしながらも、手探りでやっていったのだ。
人間は好きなことに熱中していると感じる時間もゆっくりになる。
どれだけ有限の時間をより濃く使えるかが大切な気がするのだ。
自分が使える時間には限りがある。
そのことを忘れてはいけないのだと思う。
私は社会人となって、いろんな挫折を味わう中で、今ライティングにはまっている。
わりと本気でプロのライターとして生きていきたい。
プロのクリエイターとしてやっていきたい。
そう思うようになり、この頃は毎日なんやかのものを書く習慣をつけていった。
本1冊をかけるスキルを身につけようと、5000字以上をかけるようになりたいと思っている。
書いている時は、目の前のことに無我夢中になって、時間が過ぎていくことも忘れてしまうのだ。
書くということだけが、今の私にできることだと思う。