ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

少し前まで、仕事の楽しさは「やりがい」で決まるものだと思っていた

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「仕事をする上でのやりがいは何ですか?」

多くの就活生は、面接の際にそう質問する。

 

「仕事のやりがいですかね? 自分が作った商品を手にとって、喜んでくださるお客様の姿を見た時ですかね……」

などと面接官は人事の人から言われていたカンペを読むようにして、就活生にそう語る。

 

 

私は就活をしている時に、ずっとこんなことを疑問に思っていた。

 

仕事のやりがいって一体なんだ?

 

 

 

自分らしく生きよう。

ありのままの自分でいよう。

 

そんな風潮の中で育っていた自分のようなゆとり世代は、社会に出る時にやたらと仕事にやりがいを求める人が多い気がする。

そういう自分も仕事にやりがいを追い求めていた一人だった。

平凡なサラリーマン家庭に生まれ育ち、上司に文句言われながらも仕事をしていた父親を見ているうちに……

自分は好きなことを仕事にしよう。

やりがいがある仕事に就こうと無意識のうちに思っていたのだ。

 

就活の時には、やりがいがある仕事に就こうと、興味を持っていたマスコミ関連の会社ばかりを受けていた。

 

せっかくの人生だ。

やりがいがある仕事に就かなきゃ損だ!

そう思っていたのだ。

 

仕事にやりがいを求めていたのは私だけでなく他の就活生も同じだった。

「仕事上のやりがいは何ですか?」

「どんな部分が仕事をしていく上で楽しいですか?」

そんな声を多く聞こえたのだ。

 

私は結局、仕事にやりがいを追い求め、自分が好きだった映像制作の道に進み、挫折してしまった。

毎晩、明け方の4時まで続く残業に精神的に追い込まれていき、体調を崩してしまったのだ。

今思えば、もっと続けとけば……とは思う。

しかし、その当時は本当に生きるか死ぬかの瀬戸際だったため、ノイローゼのまま私は会社を辞める決断をした。

 

 

仕事をしている時以上に辞めてからが本当に大変だった。

一度、社会のレールを外れてしまうとこうも世の中は厳しいものなのか……

こんなに社会が厳しいものだとは思わなかったのだ。

 

 

新卒の時は、なんだかんだ言って、企業から青田買いされていくが、

第二新卒となると本当に受からないのだ。書類選考すら通らないのだ。

 

運良く書類選考を通過しても、面接の場において、鋭い質問が飛んでくる。

「なんであなたは前職を辞めたんですか?」

「なんでもっと頑張ろうと思わなかったんですか?」

 

私は面接の度に息苦しさを感じていた。

面接官は自分の苦しみなんてわかっていないんだ。

毎晩、4時まで仕事する苦しさをわからないんだ。

そんなことを思っていた。

 

朝4時まで仕事し、私は一度、強烈なめまいから人身事故を起こしかけたことがある。

その時は本当にびっくりした。

無意識にうちに電車の中に吸い込まれそうになったのだ。

 

自分の苦しさを理解してもらおうにも、社会の中では自分の声を聞いてもらえる人はいなかった。

人身事故を起こしかけるくらい疲労でぶっ倒れていても、書類上は「会社を数ヶ月で辞めた奴」というレッテルが貼られてしまうのだ。

 

自分でその会社を選んだのだから仕方ないと言う人もいるだろう。

確かにその通りだと思う。

だけど、一度選択をミスると、こうも社会は手厳しいものなのかと正直、思った。

 

 

私は、自分が好きなことならいつまでも続けられる。

自分はわがままだから、興味があることしかできない。

だから、自分が好きなことを仕事にしよう。

やりがいがある仕事に就こう。

そんなことを思っていた。

 

しかし、結局、仕事にやりがいを求めた結果、私は挫折してしまう。

 

仕事の楽しさって一体何なのだろうか?

自分の仕事って一体何なのだろうか?

 

新卒で入った会社を辞め、アルバイトですら働くことが怖くなった私は、もがき苦しみながらも何とか第二新卒としてもう一度雇ってもらえる会社を見つけられ、かろうじて社会に復帰することはできた。

 

ライティングの楽しさも知り、こうして書く楽しさを知るようになった。

あの時、もし一歩でも道を踏み外していたら……

今の会社と出会うことがなかったら……

自分はどうなっていたのだろうか?

そのことを思うと、たまにぞっとする自分がいるのだ。

 

やりがいを追い求めて就職して、挫折した自分はもう一度社会に出て仕事をし始めるとあることに気づき始めた。

 

もしかしたら、仕事上のストレスって、何の仕事をやっているかよりも、

自分の裁量で進められるかに依存しているんじゃないか?

 

 

仕事上の楽しさって、どれもこれも自由さによって決まるのではないか?

そんなことを思うようになったのだ。

 

あいにく今、私が勤めている企業は中小企業で、社員数が少ないせいか、仕事も自分で決めていかなければならないことが多い。

基本的に自分勝手で、自分のやりたいようにやらなきゃ気がすまない自分にとって、わりと心地いい環境なのだ。

 

仕事上のストレスはどれだけ自分の裁量で仕事ができるのかに依存する。

どれだけ自由に仕事ができるのか? がストレスに直結している気がするのだ。

 

残業が多いとかあまり関係がない気がするのだ。

いくら残業が多くても自分の裁量で、自分が好きなように進めれる環境にある時、人は自然と仕事に楽しさを感じるようなものだと思う。

 

 

自分の判断でどれだけ仕事を進められるかが仕事の楽しさに直結しているのだ。

 

 

「働き方改革」「脱ブラック企業」など、やたらと今、働き方を考えようという風潮が世間にはあると思う。

残業40時間を超えたらブラック企業

プレミアムフライデーと称して、金曜は3時に帰る運動が推進されていたりするが、どうもブラック企業の定義がおかしい気がするのだ。

 

残業が多いから仕事が辛いのではなく、人は自分の裁量で仕事ができない時、最も人は辛さを味合うのだと思う。

 

某広告代理店の働き方が問題になったりしていたが、残業が多くて仕事が辛い以上に、社内に上司のクリエイティブな人が残っていたら、部下も社内にいなければいけないという暗黙のルールが一番精神的にくるのだと思う。

 

特にいる必要もないのに、新入社員は夜の会議にも出なければいけない。

上司が朝まで飲んでいたら、一緒に付き合わなければいけない。

 

社員が7000人以上もいる大企業だったら、自分の思い通りに仕事を進めていくことも不可能だろう。

 

自分の裁量で仕事ができない時に一番の苦痛を味わう気がするのだ。

 

 

 

仕事にやりがいを追い求めている人がいたら、ちょっと立ち止まった方がいいのかもしれない。

その人が本当に心のそこで欲望していることは、やりがいではなく、案外、自由さなのかもしれない。

 

私は一度、社会に出ていろんな挫折を味わう中でそう感じるようになった。

 

仕事をする上でのストレスは、自分がどれだけ自由に仕事を進めれれるかによって決まる。

 

ちょっとでも自分の仕事に悩む人にとって参考になる文章であったらと思う。