「四月は君の嘘」を読んで、その道のプロとアマチュアとの歴然とした差がわかった
「何かに熱中したい」
その感覚が常にあった。
よく考えられば、中学や高校のときは、特に先のことも考えずに目の前のことだけに真剣に取り組んで熱中していた時期もあった気がする。
あの頃は、未来のことなど何も考えていなかった。
「青春時代は可能性が開かれた状態だ」
そう、どこかの文化人がテレビで喋っていた気がする。
確かにそれは一理ある。
私も中学生だった頃、自分が将来どうなるのか?
考えたらワクワクしていたものだ。
自分はどんな道を歩んでいくんだろう?
何百通りとある選択肢の中から、自分はどんな道を選んでいくのか?
その限りなく沢山ある選択肢を前にして、私はただ、自分の可能性に胸をときめかせていたのかもしれない。
しかし、高校や大学、社会人となるにつれて、自分の可能性は現実味を帯びてくる。
一個、一個、人生のステップを上がるにつれて、自分がつける職業も限られたものになってくるのだ。
大学を卒業してしまうと、文系出身の人は理系の研究職の仕事に就くことは困難になる。
20歳過ぎてからプロ野球選手になろうと努力を始めても現実的には厳しいのだ。
10代の頃か、有り余る選択肢の中から自分が進む道を決めていけた。
しかし、20代、30代と過ぎていくと、どうしても自分の可能性の幅の限界がわかり、何かに熱中することもなくなってくる。
自分が将来なれるものの限界を一番初めに痛感したのは就活の時だった。
何万社とある会社から、自分の運命の会社を選び出す就活……
私は苦労した覚えしかなかった。
自分は何がしたいのかよくわからなかったのだ。
そして、自分が就活情報サイトの中の選択肢から、自分の道を選ばなければならないことに嫌気がさしていた。
歳をとるにつれて、どうしても自分の可能性が減ってくる。
しかし、いつの時も、心のどこかで目の前のことに無我夢中になって熱中できるものがしたいと思っていた。
何か目の前のことに熱中したい。
大学時代はアホみたいに映画を撮りまくって、大学に10リットルの血糊をばら撒き、いろんな人に怒られたりしたが、あの時、私は目の前のことに熱中していたのだ。
誰かに評価されたいという気持ちよりも、ただ目の前にあるゾンビ映画作りに熱中したい。
その思いだけが私を突き動かしていた。
大人になっていき、自分の選択肢の幅を痛感し始めると、どうしても本来自分が望んでいるものが何なのかわからなくなってくる。
何か命をかけるほどに熱中できるものが自分にはあるのか?
そんなことを思ってしまうのだ。
その時、私はこの漫画と出会った。
あの天才漫画家尾田栄一郎先生が読んだ瞬間「嫉妬した!」とコメントするほど、多くの天才クリエイターに影響を与えている漫画だ。
どうやら尾田先生曰く、読んだ瞬間、漫画なのに「音」が聞こえてきたという。
全身から鳥肌が立つほど、漫画が最も苦手とする「音」の描写がうまいらしいのだ。
なんだ? この尾田先生ですら「嫉妬した!」と言わしめた漫画は……?
私はずっとこの漫画のことが気になっていたが、どうも手に取る機会がなかったのだ。
いつか読もうと思っていても先延ばしにしてしまっていた。
そんな時、ふとTSUTAYAのコミックコーナーでこの漫画を見かけた。
ずっと読もうと思っていた漫画だ。
この機会にちょっと手に取ってみるかと思った。
読み始めた瞬間止まらなくなった。
何なんだこの漫画は!
圧倒的な描写力と、絵からくる臨場感に私は度肝抜かれてしまった。
本当に漫画なのに紙の上から「音」が聞こえてくるのだ。
まるで、目の前にヴァイオリニストがいるかのように「音」が耳に入ってくるのだ。
私はその漫画の世界観に圧倒されてしまい、レンタルするはずが、思わずその場でAmazonのコミック全巻セットを買ってしまった。
あまりにも面白すぎて、無意識のうちに速攻で買ってしまったのだ。
家に届いた瞬間、無我夢中になって私はその漫画を読み漁った。
すごい……
何なんだろうこの世界観は。
全11巻あるコミックでも、あまりにも面白すぎて一晩で読んでしまった。
残り2巻となるあたりから、
この世界から抜け出したくない……
もっとこの漫画の世界の中にいたい……と思ってしまった。
11巻のラストページを読んだ瞬間、あまりにも美しすぎる結末に、私はそれから3日間はこの漫画の世界観に酔い浸ってしまっていたと思う。
それはあるものに熱中する中学生達の物語だった。
何か目の前にあるものに熱中していく人はいつも輝いているものだ。
私も目の前のものにがむしゃらになって熱中していた時期もあったのだろう……
しかし、時が過ぎ、大人になっていくにつれて、その感覚は無くなってきてしまうものだ。
何かに熱中すること。
その感覚が再び私の心の中に湧き上がっていたのだ。
この漫画を読んでいてふと思ったことがあった。
それは大人になってからも熱中できる人は、何かのプロになっているということだった。
プロとアマチュアの差は小さいようで、大きい気がする。
その道で食べていく人と、副業や趣味でやっている人では覚悟の差が大きいのだ。
たぶん、村上春樹より面白い小説を書ける人なんて、世の中にはいっぱいいる。
最年少で直木賞を取った朝井リョウよりも文才がある人も世の中にはいっぱいいるかもしれない。
しかし、朝井リョウや村上春樹はプロの小説家で、ほとんどの人がアマチュアの小説家なのだ。
プロとアマチュアの差は一体何なのか?
何でめちゃくちゃ面白い小説を書ける人でもプロになれる人となれない人がいるのか?
ただの運と偶然に過ぎないのか?
そんなことをずっと疑問に思っていた。
この漫画を読んで少し、その疑問の答えが少しわかった気がする。
プロになれる人はみんな、どんな暗闇の中に入っても、目の前のことに無我夢中に熱中できるのだ。
プロの小説家や漫画家の人でも、多くの人が長い長い下積み期間を経験しているという。
誰にも評価されることなく、ただひたすら机の前で、白い紙の上で書きまくっていたのだ。
誰にも見られることがないかもしれない。
しかし、いつか誰かの目に届くと信じて書き続けていたのだ。
人は本当に変わろうと思った時、大きな不幸な出来事が必要になるという。
誰かが亡くなったり、借金を背負ったり、何か不幸な出来事があってはじめて人は大きく変わろうとするのだ。
しかし、ほとんどの人にはそんな不幸を擬似的に起こすのは無理だ。
何か本気でなりたいものがある時、その本人が無我夢中になって目の前のことに熱中していくしかないのだ。
誰かに評価されるかわからない。
誰に見られるわけでもないかもしれない。
それでもひたすら書き続けていく人が10年、20年かかっても何らかの形で世に出てくるのかもしれない。
自分にはこんな風になれる可能性がある。
そうわかっていないと人はどうしてもやる気が起きないものだ。
しかし、プロになる人は暗闇の中でもひたすら自分の可能性を信じて書き続けているのだ。
その一個一個、熱中して書いてきたものが、点と点を繋ぐように実りあるものへと生まれ変わっていくのだと思う。
後先のことを考えずに、目の前のことに熱中していくこと。
その大切さを「四月は君の嘘」から学んだ気がする。
何かに熱中したい。
そう思う人には、ガソリンのように全身からエネルギーが脇立つ漫画なのだと思う。