その一瞬一瞬を大切にしていった先にあるもの
「フィルムカメラを始めれば人生変わるよ」
私が東南アジア放浪の旅をしていた時に、ラオスの山奥でとある旅人にこう言われたことがある。
その人はやたらとカメラにこだわっており、観光地などに行っても決して闇雲に写真を撮ったりすることなかった。
絶景と言われる場所に立っても決して写真を撮らないのだ。
それじゃカメラを持ってきている意味がないではないか?
私はそう思っていたが、その人なりのポリシーがあったのだ。
「自分はこれだと思った時だけにシャッターを切るようにしている。ただ、観光地だからといってその景色がいいわけではないんだ」
よく考えたら自分を始め、多くの旅人は観光地に着くと、やたらとスマホで写メを取りまくる癖がある気がする。
「ひとまず来たから写真を撮ろう」
そうやってみんな写真を撮るのだ。
その写真を自分の国に帰って見直すことがあるのかと言われたら、多分ないだろう。
よくてInstagramに写真をアップするぐらいだ。
そんな写真を撮りまくっても記憶に残らないじゃん!
私は旅をしている間、やたらと写真を撮りまくってはしゃいでいる旅人を見るたびにそう思っていた。
そのためかフィルムカメラを常に持ち歩いているその旅人がいった言葉がとても印象に残ったのかもしれない。
「フィルムカメラを始めれば人生が変わる」
フィルムカメラは現像するまで、どんな写真が撮れているのか確認できないという。
だから、その旅人は毎回、写真を撮る時は、全力で、一期一会の出会いを大切にするかのように写真を撮っていた。
ただ闇雲に観光地だからといって写真を撮るのではなく、自分が見たい光景、ただ路上に座っている老人でも、笑顔が素敵で自分が撮りたいと思っていた絵ならシャッターを切っていたのだ。
今の時代に撮って現像がめんどくさく、その場で画像を確認できないフィルムカメラは時代遅れかもしれない。
しかし、私はその旅人のフィルムカメラ愛からいろんなことを考えさせられてしまった。
デジタルが普及した現代では、旅の形も大きく変わってきているという。
みんなスマホ片手に宿を決め、いく先々を決めていくのだ。
宿も事前にスマホで予約していった方が安く済ませられるため、予約してから現地入りするのが当たり前である。
simフリーのスマホを使えば、世界中どこでもスマホを使えるようになるのだ。
私は旅をしている間、スマホをいじりながら世界を一周している人たちを見て、なんだかやるせない気持ちになっていた。
便利だけど、これって旅のか……
私は元来、機会が嫌いなタイプで、海外でスマホを使うと、データ通信量がバカにならないことを懸念して、常に電源を切っている状態だった。
宿なども「地球の歩き方」片手に探していたし、安宿は現地の人に聞いて、探していた。行き先ざき、現地の人にいい場所を聞いて、決めていた。
旅先で知り合った旅人たちとフェイスブック交換などもしたことがある。
SNSで繋がれることはいいが、なんだか違和感をずっと抱えていたのだ。
なんでもかんでも便利で、人と簡単に繋がれるが、旅先で出会う人たちは一期一会のような感じがいいのではないか?
たとて、フェイスブックで繋がれたとしても、旅先であった人ともう一度会う確率は、ほぼ0パーセントなのだ。
さすがにベトナムで大変お世話になった人でも、もう一度会うようなことはまずないと思う。
だけど、みんなフェイスブックをしているから、ついつい友達申請してしまう。
私はどうもこの旅先で出会った人たちとフェイスブックを通じて輪ができていくことが苦手だった。
フィルムカメラのように一瞬一瞬の出会いを大切にしていった方がいいのではないか?
旅先で知り合った人たちは一期一会の出会いで、その先で会うこともないくらいが丁度いいのではないか?
そんなことを思っていた。
やたらと簡単に人と繋がれるようになった時代だからこそ、人とのコミュニケーションが簡単に済ませられてしまい、ものすごい勢いでコミュニケーションが希薄化している気がするのだ。
連絡取れるだろうし、また今度でいいや。
そうやって一生の一度の出会いをおろそかにしている気がしてならない。
「やたら滅多ら写真を撮っても、いい写真とはなかなか出会えない。フィルムカメラがいいところは、撮った写真をすぐ確認できないところだ。だから、自分は出会った人や光景を毎回大切にしている」
そうラオスで出会った旅人は言っていた。
その旅人は、特別な光景や世界遺産の景色を撮るだけでなく、ありふれた日常の風景も大切に切り取って、シャッターを切っていた。
「フィルムカメラを始めるとありふれた日常が愛おしくなる。だから人生が変わって見えるんだ」そう何度も言っていた。
私は日本に帰ってきてから、その旅人に言われたよういフィルムカメラを始めようかと思っていたが、結局、初期費用などを懸念して未だに始められずにいる。
しかし、フィルムカメラの代わりに始めたものがあった。
それは、ライティングだ。
ライティングはフィルムカメラを撮ることに似ているかもしれない。
ありふれた日常を切り取り、コンテンツにしていく。
そのありふれた日常から、日々自分が見つめている世界を見直し、人に伝えていく作業。
その作業を繰り返していくうちに、自分の身の回りの景色が愛おしく思えてくる。
「ただ闇雲に写真を撮るのではなく、一瞬一瞬の出会いを大切にしていった方がいい」
そう語っていた旅人は、今カメラで何を撮っているのだろうか?
私は結局、フィルムカメラを始めなかったが、その代わりライティングを使って日常を切り取ることを始めた。
私もその旅人のように一瞬一瞬の出会いを大切にしながら、ありふれた日常を切り取っていけたらなと思う。
「一瞬一瞬の出会いを大切に」
その言葉が今でも私の記憶に残っている。