ニュージーランドのど田舎生まれの青年が、アカデミー賞を11部門も受賞した約10時間の長編映画を作れた理由
「また、ピーターが変なことやっているよ」
彼は村中の笑いものだった。
「また、あの子か」
「今度は何をしたんだ」
彼は太った容姿で、森の中で怪しい小道具を広げて、ミニチュアを作っていた。
ピーターが作っていたのは、ミニチュア撮影による自主映画だった。
5歳の時に見た映画「キングコング」に衝撃を受け、こんなもの作ってみたいと思ったピーター少年は、粘土でミニチュア模型を作り、父親から借りたカメラでコマ取り撮影を行っていたのだ。
ミニチュア模型を作っては、血糊を使った戦闘シーンなどを撮っていたのだ。
「また、あの子変わったことやっているのね」
毎日学校が終わると同時に、家の近所の庭でミニチュア模型の撮影に明け暮れているピーター少年は、主に牧畜が盛んなニュージーランドの田舎では変わった人間に見えたのだ。
村には映画館が一つしかなかった。
見渡すかぎら緑豊かな大地が広がっていた。
学校でも、変わった子供だったピーター少年は相当虐められたという。
太った容姿の上、いつもフィギュアばかりいじっていた物静かな少年は、クラスメイトたちの格好の餌食だったのだ。
ボロボロになった服で家に帰ると、両親に呼び出されこう言われたという。
「誰に何と言われようとも好きなことを続けなさい」
そう両親に言われ育ったピーター少年はいつしか高校生になっていた。
高校を卒業する段階で彼は新聞社に勤めることになった。
特にやりたいことも見つからず、空いていた求人広告を見て、応募しただけだった。
19歳の時、都心部に向かう長距離列車の中、暇つぶしに本でも読もうと思い、とある本を駅の購買で買って読んでみることにした。
その本が彼の運命を変えることになる。
彼は涙しながらその本を読んでいた。
何だこの物語は……
それは10巻にも及ぶ長編の物語だった。
とある作家が約11年の歳月をかけて完成させた物語だったのだ。
この本を読んだ瞬間、彼の中で忘れていた思いがよみがえった。
自分は「キングコング」のような映画が作りたかったんだ……
ピーター青年は新聞記者として働く間際、休日は自宅にこもってミニチュア模型製作を再び始めることにした。
金を貯め、8ミリカメラを買い、友人を集めて映画作りを始めたのだ。
彼が作っていたのは宇宙人に侵略された村で戦う中年オヤジの映画だった。
宇宙人と戦う場面では、思いっきり首を飛び跳ねる描写などを描き、血糊を森にばらまいたりしていた。
「また、ピーターが変なことやっている!」
再び、彼は村で笑い者にされていった。
しかし、両親だけは彼のことを応援していた。
「好きなことを続けなさい」
その言葉を信じて、彼は4年以上かけて一本の自主映画を作っていった。
映画を作っているうちに、ニュージランドの映画オタクたちが彼の家に集まってきた。
やはり、ど田舎なので映画関係の職に就こうとも、そんな仕事はどこにもなかったのだ。
暇を持て余していた映画オタクたちは彼が作るミニチュアの世界に魅了されていったのだ。
4年の歳月をかけて完成させたグロテスクな宇宙人侵略モノの映画を、カンヌ国際映画祭に応募したところ、特別賞をもらえた。
ピーターは初めて、誰かに認められた気がして嬉しかったのだ。
そのまま彼は新聞社を辞め、自身の映画会社を立ち上げることになる。
映画会社を立ち上げたはいいが、ニュージーランドのど田舎で映画の仕事など存在しなかった。
ならば一から作ればいい。
そう思った彼は、誰が見るかもわからないオカルト映画をいっぱい作り始めた。
ゾンビがいっぱい出てきて、首が吹っ飛びまくる映画を作っては、映画館で公開していった。
客は全く入らなかった。
しかし、いつしか彼の名前はカルト映画監督として徐々にハリウッドでも知れ渡るようになっていった。
彼が得意だったのは特撮技術だ。
その当時、普及し始めていたコンピューターを借金をしてでも買い、自分でいじっていく中で、CG技術を独学で学んでいった。
ストーリーも破綻したグロテスクなスプラッター映画だったが、最新鋭のコンピューター技術を使った描写がいたるところでされ、技術的には工夫された映画を作っていたのだ。
そして、彼はいつしか「キングコング」をリメイクしたいと思うようになっていた。
映画作りを通じて知りあった奥さんに脚本を書いてもらい、ハリウッドに売り込みを始めていった。
なんだかんだ業界でカルト的人気を誇っていたピーターだったが、大金を使う「キングコング」のリメイクにゴーサインを出してくれる会社はなかなか現れなかった。
どうすればいいんだ……
彼はどこに行っても否定的な答えが返ってくるため、新聞社で勤めていた頃に読んだ、あの長編物語の実写化の話を試しに映画会社にしてみた。
すると一社から好意的な反応があったのだ。
それは、ずっと彼がいつか実写映画化をしたい思っていた物語だった。
その実写化のために15年近くの歳月をかけて、一歩づつ特撮技術を研究し、誰が見るかもわからないゾンビ映画の中でも、どうやったら小人たちの描写を描けるか?
どうすれば大群が城を攻め落とすシーンを取れるのか?
それを一つ一つ自分の自主映画で試していったのだ。
全てはこの長編映画を作るために、やってきたことだった。
誰が見るかもわからないグロテスクなグチョグチョのカルト映画の中でも、いつか自分がこの物語を実写化するんだという夢を持って映画を作ってきたピーターは、ここで自分の人生をかけた勝負に出ることにする。
どうしてもこの長編物語を実写映画化したい!
シナリオライターとしても活躍する奥さんに脚本を書いてもらい、映画会社に売り込みを始めていった。
何十社も断られたが、カルト映画を作っていたニューラインシネマという会社だけはいい反応が持てた。
どう考えても4時間以上の長編映画になる。
しかし、ニューラインシネマの上役は、ピーターの情熱に心を打たれ、実写映画化にあたり、大金を出す決意をしたのだ。
ピーターはニュージーランドに戻ってから、まず、映画撮影所を作ることから始めた。
ニュージーランドの市議会員などを説得し、撮影所を作るにあたっての土地をもらったのだ。
彼には特に実績などなかった。
しかし、情熱だけは異常だった。
15年以上かけて、この映画の実写化のために自分の人生をかけてきたのだ。
いつしか、彼がいるニュージーランドには世界中からその物語の実写化を望む優秀なクリエイターが集まってきた。
ピーターには特に誇れるものがなかった。
ヒット作を作っていたわけでもない。
しかし、彼の異常な情熱に心動かされたクリエイターたちが、ニュージーランドのど田舎に集まってきたのだ。
彼が始めたとある一本の長編映画はいつしか、国を挙げての映画作りになっていた。
エキストラの数は3000人を超えていた。
戦闘シーンとなるとニュージーランドの軍隊に頼み込んで、本物の軍隊を用意してもらったりしていた。
「ピーターのいうことだから仕方ない」
そう言ってみんな、ピーターの夢に協力していったのだ。
気がついたら、全3部作の長編映画になっていた。
全て合わせると10時間にも及ぶ長編映画だ。
映画会社はストップをかけるのが普通だが、彼の情熱やニュージーランド中の期待を集めて作られたその長編映画に文句を言う人はいなかった。
全三部作を公開し、収益を上げようとなると相当な賭けになる。
映画会社も経営が傾くおそれがある。
しかし、ニューラインシネマの上役も、ピーターやニュージーランド中の人たちの思い尊重し、彼の映画作りを支援することにした。
280億円以上の制作費がかかった。
出来上がった映画が公開されると世界中の人が度肝抜かれた。
あまりにも完璧な映画だったのだ。
なんだこの超大作は!
ニュージーランドのど田舎で、こんな完璧な映画が撮影されていたのか!
あまりのも完璧で3部作の完結編ではアカデミー賞を11部門も受賞した。
「タイタニック」の並ぶ最多の受賞だった。
ピーター青年が19歳の頃、思い描いた物語が全て現実となった瞬間だった。
彼が新聞社で働いていた頃、「指輪物語」を読むことがなかったら、この偉業を達成することはなかったのだろう。
映画監督ピーター・ジャクソンが作り上げたWETAデジタルは今でもハリウッドの映像美を支えている会社へと成長していった。
ハリウッドの3大特撮スタジオのうち、実は一社はニュージーランドのど田舎にあるのだ。
ニュージーランドのど田舎で生まれ育ち、自分が好きだった特撮を無我夢中になって取り組んでピーター青年は30年後、自分の夢を実現することになった。
「好きなことを続けなさい」
そう両親に言われたことが彼を支えたのかもしれない。
彼がニュージーランドの国を挙げて作り上げた「ロード・オブ・ザリング」3部作は、今でも伝説的な映画となっている。