ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

自分の仕事がわからなかった私が、富士そば社長から学んだこと

 

「何で昼ご飯を食うのに立って食べなきゃならんのだ」

はじめて立ち食いそば屋を見ていた時、私はそう感じていた。

 

働き方改革と叫ばれている今日……

日本人の働き方を問題する風潮が多いという。

 

基本的に欧米に比べ、圧倒的に残業が多い日本の働き方を見直す流れが今あると思う。

 

私も社会人をやるようになって、とにかく平日は時間がないということを嫌でも痛感するようになった。

 

飯を食う時間すらゆっくり持てないのだ。

学生の頃から、定期的に駅前の立ち食いそば屋などを利用していたが、何でサラリーマンの人たちはみんな飯を食うのも3分とか5分で済ませているのだろうか?

ご飯ぐらいゆっくり食べればいいのにと思っていた。

 

 

しかし、実際に働き出すようになって、立ち食いそば屋で急いで食べているサラリーマンの気持ちが痛いほどよくわかるようになってきた。

 

とにかく時間がないのだ。

 

自分の仕事が遅いというのも理由の一つだが、とにかく平日は飯を食う時間すらもったいなく感じてしまう。

 

特に営業職となると、スケジュールが先方の時間帯に合わせて行動するため、帰社が夜20時過ぎになることも平気で起こる。

そうなると必然的に晩御飯を食べるのも21時過ぎとなる。

 

次の日も朝9時前から会議などがある人がほとんどなので、できるだけ早めに家で寝たい。

そのためには晩御飯をできるだけ早く済ませたいと思うのだ。

そうなるとごく当たり前のようにサラリーマンの人は、立ち食いそば屋やファーストフード店で適当に済ませ、翌日を迎えることになる。

 

私もそんな働くサラリーマンの一人だ。

 

子供の頃は、ごく平凡な会社で働き、嫌いや仕事をして毎週休日が来るのを楽しみにしていた親を見て育ったため、サラリーマンだけは絶対なりたくないと思っていた。

 

しかし、時が来て、いつしか24歳という人生に言い訳ができない年になってしまった。

 

お給料がもらえるのは本当にありがたいことだが、このままでいいのかと言う焦りもあった。

フリーランスで働く自信もなければ、ノマドワーカーとかいう自由な働き方で食っていける自信もない。

そうなると自然と会社に入って働くということになる。

 

 

子供の頃に思い描いていた大人に今なっているのか?

目を輝かせながら働く自分と同い年の人を見るたびに私はそう感じていた。

 

私はというと結構回り道をしてきた方だった。

大学に入るのも一浪した。

一年間、浪人生活を行ってきた。

私が浪人したのは2011年の震災の年だった。

 

3月10日に国立入試の結果が発表され、浪人が決定し、落ち込んでいると、その翌日に大震災が起こったのだ。

 

ただでさえ受験勉強で精神的に追い込まれている上に、テレビをつけたら放射能とかのニュースが流れているのだ。

計画停電とかいうよく分からないものもあり、真っ暗闇の中過ごした時期もあった。

 

それでも勉強しなきゃと思い、あの頃は自分なりに必死に勉強していたと思う。

 

 

なんとか私立の大学に入学はできた。

 

一年間回り道した分、無我夢中に死ぬほど自分が好きなことに取り組んできたと思う。

私が好きだったのは映画作りだった。

アホみたいに映画を撮って、アホみたいに映画を見ていた。

いつしか撮影所にも出入りするようになり、映像制作の現場で働くようにもなっていた。

 

就活の時期が来て、ごく当たり前のように、映像の世界に入っていった。

しかし、結局そこで躓いてしまった。

 

好きだからこそ、自分が選んだ仕事がつらくて仕方がなかった。

 

「好きでその道を選んだんでしょ」

と多くの人は言うが、実際好きを仕事にすると、現実と理想のギャップを知って、めちゃくちゃ辛い思いをすることがある。

 

好きだからこそ、辛いのだ。

私は連日夜中まで続く仕事に疲れ果て、いつしか会社を辞めてしまった。

 

転職する際は本当苦労した。

会社を数ヶ月で辞めた人間を雇ってくれる場所はほとんどなかった。

 

サラリーマンだけにはなりたくない。

その一心で自分が好きと思えた世界に入ったが、結局私は挫折してしまった。

そして、なんとか雇ってくれる会社を見つけ、一からやり直すことにした。

 

ちょっとずつ仕事を覚えていくも、心のそこではこのままでいいのか? 

と言う思いを抱えていた。

 

サラリーマンだけはなりたくなかった。

そんなことを思ってしまうのだ。

 

その時、この本と出会った。

富士そば社長が書いた自伝「らせん階段一代記」だ。

どこかの番組でマツコデラックスが絶賛しているのを見て、富士そば社長の自伝に興味を持ったのだ。

 

読んでいるうちに、驚きが連発した。

今では富士そばの社長といったら日本を代表する億万長者だが、若い時は炭鉱で働いていたのだ。

夢を追い求め、4回も上京し、なんとか立ち食いそば屋で成功をおさめた富士そば社長の人生は波乱万丈なものだった。

 

 

中学卒業とともに上京し、東京の上野駅で電車を乗り間違え、誤って福島行きの電車に乗り、たどり着いた場所は炭鉱だったという。

 

普通だったら東京に戻るところだが、まぁいいかと思って、そのまま炭鉱で2年も働いてしまったのだ。

 

そこで富士そば社長は生きる術を身につけていくことになる。

汗水垂らして働き、いつしか勉強がしたいと思うようになり、高校にも通い出す。

 

私は電車を乗り間違え、福島の炭鉱で働くようになった富士そば社長の物語を読んでいるうちに心を動かされている自分がいた。

 

何がしたいかよりも、たどり着いた場所でどう生きるか?

 

そのことを富士そば社長に言われた気がしたのだ。

私はどこの職場に行っても、もっと自分にあった環境があるのではないかと思って、いつも理想の環境を追い求めていたと思う。

しかし、そんな性格な人間はどこに行っても環境のせいにして逃げるだけで何も変わらないのだ。

 

どんな場所にたどり着いても、ひとまずやってみよう! と思える心構えが重要なのだと思う。

 

私は今でも富士そばを食べる時、社長の姿を思い浮かべてしまう。

 

電車を乗り間違え、たどりついた炭鉱でも、必死に生きてきた青年は将来、大きな偉業を成し遂げて行った。

 

私もひとまず、たどりついた今いる環境で自分なりにもがいてみようと思うのだった。