毎日、繰り返される満員電車の中での死闘を辞めた時……
「暑い、苦しい……」
毎朝、満員電車に乗って、いつも思うことだ。
何で、こんなにぎゅうぎゅう詰めにされながら、電車に乗ってんだろう……
ホームでは駅員が、あまりにもパンパンでドアからはみ出している乗客を無理やり押し込んで、電車の中に詰め込んでいる。
車内はもう、ぎゅうぎゅう詰めの缶詰状態だ。
多くのサラリーマンはスマホをいじりながら、駅はまだか……まだか……
とただ、耐え凌ぐ毎日だ。
雨の日などは、とんでもないことになる。
バスや車、徒歩で通勤していた人が電車に乗り込むことになるので、いつも以上にパンパンの状態で電車に乗ることになるのだ。
多くの人が手に傘を持っているので、その分の面積も加えて、もう車内はぎゅうぎゅう詰めのパンパンで、蒸し風呂状態だ。
もう、満員電車嫌だ……
私はそう何度も思った。
なんで東京の通勤ラッシュはこうもひどいんだろう……
日本の全人口の大半が、小さな面積しかない東京に集中しているという。
地方にも中小企業は数多くあるが、企業の本社は東京にあるケースが多い。
そのためか、地方出身の人でも、就職の段階で東京に出てくる人が多いと聞く。
「東京は華やかでいいところだような」
そんな声をたまに聞くが、私は東京に憧れる人を見るたびに、
東京で暮らすとあの地獄の通勤ラッシュに耐えて会社に行く羽目になることをどうしても伝えてしまう。
私はこの通勤時間を使って、いつも本を読んでいた。
ぎゅうぎゅう詰めで、身体中が痛かった。
蒸し暑かった。
その苦しさを紛らわすためにも、本を読んで時間を忘れるように努めていたのだ。
多くの人は手を手すりにかけて電車に乗っている。
私はというと、いつも本を読むために、片手で本を支え、手すりを持ち、電車の揺れを周りの人の体を借りて、防いでいた。
何度か急ブレーキがかかり、前のめりに倒れそうになった時があった。
なんとか耐え凌がねば。
毎日、満員電車に乗るたびにそう感じていた。
東京の朝のラッシュは7時30分から8時30分の間だ。
どうしても朝礼が8時30分から9時にある会社が多いので、その時間帯に人が集中してしまうのだ。
私は何度か、電車に乗る時間帯をずらしてみた。
30分、早めに家を出ても、やはりどうしても通勤ラッシュと被ってしまう。
急行だろうが各駅だろうが、人でごった返しているのだ。
もう嫌だ! 満員電車なんて乗りたくない。
そう何度思った事か……
毎日繰り広げられるサラリーマンたちの死闘に飽き飽きしてきた頃、ゴールデンウィークがやってきた。
ちょっとリラックスしよう……
そう思った私は、京都にぶらっと訪問することにした。
京都は中学と高校の修学旅行で行ったことはあるが、きちんと見たことはなかった。
学生の頃の私は、歴史などに興味がなく、寺院を見学しても、ただぶらっと眺めるだけだった。
大学時代に海外をちょっと放浪した際、何度も外国人に日本のことについて質問された。
「桜の写真は持っているか?」
「日本の漫画は面白いよな」
「舞妓さんってどんな人たちなんだ」
海外に行って、日本ってこんなにも注目されている国だと知り、驚いてしまった。
それと同時に、答えに窮屈している自分から、私は海外のことばかりに目を向けていて、日本のことを知らない自分に気がついたのだ。
「一度、日本のことをきちんと知ろう」
そう思った私は、連休中を利用して京都にぶらっとたびに出ることにした。
前から一度は行きたいと思っていた、竜安寺や仁和寺に行ってみた。
日本庭園は海外でも注目されていると聞いたことがある。
どの寺院に行っても外国人ばかりで、日本文化の注目され具合に私は驚いてしまった。
本当にどこに行っても外国人ばかりなのだ。
私は、ふと仁和寺に入って、綺麗な庭園に入っていった。
そこには目を見張るような美しい景色が広がっていた。
壁を遮るように広大に広がる森の景色……左右対称に作られた池……
真っ白い砂……
そこにはどこまでも広がる広大な庭園があったのだ。
私はあまりにも美しい景色から、仁和寺にある縁側でゆっくりと腰を下ろし、小一時間ぐらいボ〜としてしまった。
特に何かを考えることもなかった。
ただぼ〜として、仁和寺の庭園を眺めていたのだ。
ゆっくりと流れる時間に身を任せているうちに、私はふと思った。
私は普段、あまり物事を見ていなかったんだ。
毎日、満員電車にぎゅうぎゅう詰めのパック詰めにされ、忙しい毎日を理由に、世界をきちんと眺めたことがなかったのだ。
仁和寺の縁側で小一時間も座るように、ゆっくりと時間に身を任せ、周囲を見回してみると世の中には新しい発見があるかもしれない。
仁和寺の縁側に座っている時に、あまり普段、物事をきちんと見ていない自分に気がついたのだ。
東京に帰ってから、私は電車に乗るたびに、なるべく車窓側を取るようにしてみた。
そこから見る景色を眺めているうちに、朝の東京で繰り広がれらる人々の営みが身にしみて感じるようになった。
ある人はスマホで恋人と連絡を取り合っているのかもしれない。
ある人は、仕事に苦しみながらも家族のために会社に向かっているのかもしれない。
毎日、繰り返されている満員電車の死闘も、人々の営みがきちんとそこにはあるのだ。
一歩、立ち止まれば、普段見えなかったことまでもだんだん見えてくるようになってきた。
もしかしたら、これはライティングに似ているのかもしれない。
世の中に常にアンテナを貼って、書くためのコンテンツになる情報を選び取っていると、普段、見ていなかった物事にも気づくようになり、ありふれた日常が愛しく思えてくるのだ。
一歩立ち止まれば、見えないこともきちんと見えてくる。
私が仁和寺で学んだことはそれだったような気がする。
毎日、満員電車に乗るのは正直、きつい。
しかし、見方を変えればいろいろな発見がそこには眠っているのかもしれない。
そんなことを思いながら、今日も私はぎゅうぎゅう詰めのパック詰めになっている東京の満員電車の中に飛び込んでいく。