逆上がりのコツと夢を追いかけること
「もう少しなんだけどね。9割は回れているよ」
小学生の頃、学校の先生にワンツーマンで逆上がりの練習をしている時、何度もそう言われながら練習をしたのを覚えている。
私はとにかく運動が苦手な子供だった。
小学校3年生にして逆上がりができなかったのだ。
今思い返せば、どこの小学校のクラス内にも発生するスクールカースト(小学校の間はだいぶ可愛いもの)の中で、ランキングされていくのは、この逆上がりができるか? できないか? 問題が大きく関わってくると思う。
クラスの中でもいつも中心的なメンバーは、みんな意気揚々と逆上がりができていた。
体育の授業も中心になって、クラスメイトを動かしていたと思う。
それに比べ、いつもクラスの隅っこでうずくまり、小学生の頃から何だかよくわからない映画を見ていた私のような陰キャラな生徒はどうなのか?
たいていは逆上がりができなかった。
体育の授業で逆上がりとなると、できる生徒とできない生徒で授業の質も変わってくる。
逆上がりがすんなりとできる生徒は、45分の授業中、ずっと自由行動みたいになって遊ぶことができていた。
私のように逆上がりができないグールプは、鬼の形相を持った先生からみっちり逆上がりの講習を受けることになるのだ。
「なんで最後の最後まで回転が持たないんだ……最初の地面を蹴り上げる力が足りてないんだよ」
私は(今でもそうだが)逆上がりの原理がさっぱりよくわからなかった。
地面を蹴り上げて、体を180度回転させ、ぐるっと回る際、どこに力を入れて回ればいいのかよくわからなかったのだ。
先生は「宙に向かって足を蹴り上げろ」とか言っていたが、原理がさっぱりわからない。
「お前は来週もみっちり練習だ」
鬼の形相を持った先生にそう言われ、私はだいぶ落ち込んだのを覚えている。
クラスメイトの9割以上が3週間の間で逆上がりができるようになっていたのだ。
私は今だ、逆上がりができなかった。
多分、その先生も小学生の間に、逆上がりだろうと挫折させてしまう経験をさせるのは良くないと思って、私をみっちり特訓させようとしてくれたのだろう。
その時は、先生の愛情も何も考えず、私はただ苦痛を感じながら体育の授業を受けていた。
「逆上がりができないんだけど、教えてくれない?」
休日に暇そうにしていた父親を連れて、私は夕方の公園でみっちり逆上がりの稽古をしてもらうことにした。
「何で9割は回れているのに、最後まで回転しないんだろう」
父親にも同じようなことを言われた。
50回以上練習していると、私の手に血豆ができてきた。
鉄棒をつかむ時の摩擦で皮膚が血でにじんできたのだ。
それでも痛みに耐えながらも私は逆上がりの練習を続けた。
続けてみると、徐々にだが逆上がりのコツというものがわかってきたのだ。
やはり最初の一歩、地面を蹴り上げる力がいかに大きいかというものが重要だと感覚的につかめてきたのだ。
そして、蹴り上げた時、頭をぐるっと地面の方に向け、頭の回転をも利用してぐるっと回る。そして、なるべく遠心力を最大限に活かすため、腕はしっかりと曲げていなければならない。
私は地面を蹴り上げる力が弱かったのではなく、自分の体重を支える腕力が弱かったのだ。
回転している間、腕で体重を支えきれなく、伸ばしてしまう癖があるため、失速し、いつも90パーセントぐらいの逆上がりになってしまうのだ。
私は1ヶ月ほどかけて、父親を連れて逆上がりの特訓をしていたと思う。
今思えば、どんだけ運動音痴だよ! と思う。
しかし、毎日のように逆上がりの練習を続けているとなんだかコツをつかめてきたのだ。
約1ヶ月後、体育の時間に先生に逆上がりの特訓の成果を見せる機会があった。
私は緊張しながらも思いっきり地面を蹴って、ぐるっと自分の体を回転させた。
腕は曲げるな!
そう自分に言い聞かせながら、ぐるっと回った。
「できたじゃないか!」
ニコッと微笑みながら先生は私にそう語りかけた。
私は逆上がりができた自分を信じられなく、呆然と立ちすくしていたと思う。
できたんだ。
逆上がりができたんだ!
クラスメイトのほとんどは逆上がりなど屁でもないかもしれないが、自分にとっては大きな一歩だった気がする。
逆上がりができたということは、私にとって大きな出来事だったのだ。
たまに家の近所の公園を通りかかる時、今でも私はあの逆上がりの特訓に明け暮れた日々のことを思い出す。
あの時、私は何かに夢中になっていたのか……
どこか感慨にふけってしまうのだ。
最近、ライターや小説家を目指しているいろんな人と出会う機会があったが、夢に向かってがむしゃらに努力している人を見ると、どうしても逆上がりのことを考えてしまう自分がいる。
もしかしたら、夢を追いかけることは逆上がりに似ているのかもしれない。
私は一度、夢を追いかけて制作会社に飛び込んだ。
そして、失敗した。
「これは何かの縁だ。自分の夢に向かって飛び込むしかない」
その頃、私は本気で映画監督になりたいと思い、映像の世界に飛び込んで行ったのだ。
テレビの世界というとブラックでハードなイメージがあると思うが、本当にそのままだ。
私は連日朝4時まで続く、徹夜の作業にノイローゼ状態になり、結局会社を辞めてしまう。
夢に向かって飛び出す勇気はあった。
就職で内定を獲得した制作会社に、他の選考を蹴って、飛び出していくことはできた。
その時、私は世間知らずということもあったが、夢に向かって飛び出したのだ。
しかし、失敗したのだ。
それは逆上がりと一緒で、ぐるっと地面を蹴り上げた後、自分の体重を支えらるだけの腕力となるメンタル力がなかったからだと思う。
自分の好きなことをしようとすると、必ずと言っていいほど、困難に直面すると思う。
会社の上司に怒られたり、理不尽な要求に答えなけらばならない機会も多い。
自分のような才能のない人間が言うのも恐縮だが、小説家の場合だって、自分の子供のように大切に書き上げた小説を、編集者やいろんな方にボロくそに言われることになるのだ。
出版社の方もビジネスで本を出している。
だから、作家性などは二の次で、一番大切なことは売れる本かどうかだ。
夢に向かって、その道に進むと、確実にいばらの道を突き進むことになる。
いろんな人に馬鹿にされ、怒鳴られながらも自分の夢を追いかけていくことになるのだと思う。どんな困難に直面しても、自分の体重を支えるだけの腕力とメンタル力を持ってないといけないのだ。
私はその自分の体と心を支えるだけの腕力となるメンタルがなかったのだ。
途中で失速し、結局逃げ出してしまった私は、自分の夢を追いかけて、がむしゃらに小説などを書いている人を見ると、どうしても昔の自分を思い出してしまう。
思いっきり地面を蹴り上げ、自分の体重を支えるだけのメンタル力が、あのころの自分にはなかった……
現状を打破し、飛び出すこと自体も相当、勇気がいることだ。
だけど、その先にはもっと過酷なものが横たわっている。
一度、私は身に染みて体感し、そして挫折した。
だけど、私はやはり、物を作る人でありたいのだと思う。
普通に仕事していても頭の中で言葉や映像が鳴り止まなくなり、どこかで感情を吐き出さないといけない体質らしいのだ。
夢を追いかけている人を見ると私はどうしても馬鹿にすることはできない。
「どうせなれるわけがない。好きなことで食っていけない」
そんな風に言うのは、自分にはできない。
何かなりたい自分がいるのに、社会や人の目線が気になって一歩踏み出せないのは自分も同じだ。
しかし、私はどうしてももう一度、夢に向かって挑戦してみたいと思う。
だから、書き続けるしかないのだろう。
東京でオリンピックが開かれるまでに、今度こそ、ぐるっと逆上がりを決められるようになりたい。