学校一の落ちこぼれだった少年が、世界一の映画監督になれた理由
昔、アメリカのオハイオ州に一人の小柄な少年がいた。
子供の頃から身長が低く、いつもクラスの隅っこにいるような生徒だったという。
彼はよくいじめっ子の標的にされていた。
「お前の家変わってんな!」
「ここはお前の来る場所じゃない」
自分のロッカーに置いていた教科書にいたずら書きをされることなど日常茶判事だった。
彼の家は厳格なユダヤ教徒の家だ。
物心ついた時から薄々気がついていたが、自分の家は少し他と違うということに彼はいつも頭を悩まされていた。
「なんでうちだけ、クリスマスを祝わないの?」
彼は一度、母親にそう尋ねたこともあった。
学校のクラスメイトはみんな、クリスマスが来るのを心待ちにしていた。
しかし、厳格なユダヤ教徒であった両親は、決してクリスマスを華やかにお祝いするようなことはしなかった。
ユダヤ教徒ということもあり、近所から浮いた存在で、彼は学校ではいつもいじめられてばかりいた。
それに彼は全く勉強ができない子供だった。
文字の読み書きができないのだ。
本を読むにも普通の人の倍の時間がかかってしまい、学校の先生が言っていることを理解することができなかったのだ。
テストのたびにいつも彼は落ち込んでいた。
自分は何をやってもダメなんだ。
今ならディスレクシアという学習障害が知られるようになっているが、その当時はそんな障害のことは誰にも知られていなかった。
ただ単に勉強ができない生徒としか思われなかったのだ。
文字の読み書きができないため勉強もできず、ユダヤ人というだけでクラスではいじめられ、彼には居場所がなかった。
彼が唯一心を許せたのは映画館だった。
父親に連れられてみた「地上最大のショー」を見て、衝撃が走り、毎週のように映画館に通っていた。
映画を見ているうちに自分でも映画を作りたくなってきた。
「ね? 8ミリカメラを買ってくれない」
父親に何度もねだり、ようやく13歳の時、彼は8ミリカメラを手に入れる。
そこから毎週のように撮影の日々が始まった。
父親を連れて飛行場で戦争映画を作ってみたりした。
銃で撃たれるシーンは、地面に隠していある、まな板を踏むことで土ほこりを立たせ、スナイパーに打たれてるように見せかけたりと、子供ながらに奇想天外な発想で映画作りを楽しんでいた。
空から未知の円盤がやってきて、宇宙人と交流する映画も作ってみた。
その短編として作られた映画を、街の市民会館で上映してみたりもしてみた。
チケットは3ドルほどだ。
利益はほとんどなかったが、13歳の段階で彼はもう商業映画を作っていたのだ。
映画作りにのめり込む彼だったが、とある転機を迎える。
両親が離婚してしまったのだ。
父親に連れられ、毎週のように一緒に撮影した日々……
そんな日々がもろくも崩れてしまったのだ。
母親との口論が絶えなくなり、彼は幼い妹を抱えて、耳をふさぎながらじっと耐えていた。
結局、両親は離婚することになり、父親は家を出て行くことになる。
あの優しかった父親が家を出て行ってしまったことは相当ショックだったらしい。
両親の離婚というものが彼の心に長年深い傷を作ることになる。
父親が出て行き、彼はオハイオからアリゾナへと引っ越すことになった。
学校の授業にもついていけず、両親は離婚してしまい、どん底の時期を過ごしていた彼にとって、もはや生きる意味なんてなかった。
毎日、暗い表情で通学する毎日だ。
そんな時、母親の勧めでユニバーサルのスタジオツアーに参加することになった。
広大な撮影所を回る、スタジオツアーだ。
彼はスクリーンの中で見ては憧れていた夢の工場に興奮していた。
あまりにも興奮してスタジオを走り回るので、ツアーをほっぽり出して、一人でスタジオ内をウロウロしてしまった。
「こら、何やってんだ!」
警備員の一人に怒られてしまう。
彼は自分は映画が好きで、スタジオツアーだけじゃ物足りない。
もっと映画のことを知りたいという趣旨を警備員に伝えた。
すると、「それならこれをあげるよ」
と通行証をくれた。
彼は大はしゃぎだった。
スタジオツアーを抜け出し、その通行証を使って、3日間も出入りしているうちに、スタジオ内の人と顔見知りになり、いつしか顔パスで中に入れるようになっていた。
「あの小僧何やってんだ?」
スタジオのスタッフ内で彼はそこそこ知られた存在になった。
彼は顔パスで撮影所内に入ると同時にありとあらゆる映画監督の撮影現場を見学することになる。
ヒッチコックの撮影現場も見た。
ジョン・フォードの撮影現場を見た。
家にも学校にも居場所がなかった彼にとって、ユニバーサルの撮影現場はまるで夢のような場所だったのだ。
いつしか、彼は撮影所に居ついてしまい、空いている倉庫を使って、勝手に自分のオフィスを作ってしまった。
そこで自分に出資してくれる人を探しては、自主的に映画を作ったりしていた。
スタジオに潜り込むようになってから数年後、彼の映画がとあるプロデューサーの目にとまることになる。
「この自主映画を作った人間は誰だ?」
そんなことがささやかれ、倉庫に居候していた小柄なユダヤ系の青年に注目が集まったのだ。
彼はもう大学生になっていた。
勉強ができなかったため、上位の大学には入れなかったものの、毎日のように映画を作っては、映画のことばかり考えている日々を過ごしていた。
彼の家に電話がかかってきて、ユニバーサルの重役にこう言われた。
「うちで働いてみないか?」
彼は有頂天だった。
夢にまで見た映画作りの現場だ。
しかし、彼は思い悩んでいた。
大学生も後半になり、目の前に就職が控えていたのだ。
「大学を卒業するまで待ってくれないか?」
彼は素直にその重役に伝えた。
すると……
「君は何になりたいんだね? 映画監督になりたいんじゃないのか」
そう言われてしまう。
結局、彼は大学を辞め、映画の世界に飛び込むことにした。
その時は、大学を辞めてしまうことは怖かった。
しかし、数年後、それが最良の判断だったと思うことになる。
21歳の最年少の監督である。
撮影現場ではめちゃくちゃいじめられていた。
「カメラ好きな変なガキ」という評判が立ち、ドラマの現場では、自分より年上のスタッフは言うことを聞いてくれなかった。
彼のストレスは限界に来ていた。
自分は何をやってもダメだ……
しかし、彼にはもう映画を作るしかなかった。
家にも居場所がなく、学校では常にいじめられていた彼にとって映画が唯一の救いだった。
彼はめげずに撮影の現場を指揮していった。
24歳の時に撮った、とあるテレビ映画がヒットし、業界では徐々に名の知れた存在にはなってきていた。
それは殺人トラックに平凡なサラリーマンが執拗に追いかけられ、命を狙われるというサスペンス映画だった。
スタジオ側から「10日が撮れ!」と言われ、少しオーバーしたが、12日間でこのテレビ映画を撮り終えたのだ。
クタクタに疲れ、自分のオフィスに帰ってきた彼は、重役の人に呼び出された。
殺人トラックを見事に演出した彼の腕を見て、とある映画の監督に抜擢されたのだ。
「殺人トラックを演出できたんだから、人喰いザメも描けるだろう」
重役が手に持っていた台本は「ジョーズ」というタイトルだった。
小柄でいつも落ちおこぼれだった少年の名前はスティーブン・スピルバーグという。
「映画が好きだ」という理由だけで、撮影所に潜り込むという大胆な行動を取った少年は、のちにユニバーサルに何100億円という利益をもたらす世界一のヒットメーカーになっていった。
「好きこそ物の上手なれ」とは、こういうことを言うのかもしれない。