ヒッチコックの映画「サイコ」を見て、人々を魅了するコンテンツの質イコール「リズム感」だと気づかされた
「どうやったら怖くなるか?」
私はその時、ゾンビ映画を作っていた。
大学時代には自主映画作りにはまっていた私であるが、どうしても自由が効く大学3年生のうちに作りたかった映画があったのだ。
それは子供の頃から好きで仕方がなかったパニックものの映画だった。
「ジュラシックパーク」や「ジョーズ」が死ぬほど好きで、子供の頃にはほぼ毎日見て、セリフも全てもシーンも頭に入っているくらい見まくっていた。
ラストシーンに向けて、緊張感が高まるサスペンスがいい感じに効いていて、今見ても楽しめる映画だと思う。
あの緊張感高まるサスペンスを自分でも作ってみたい。
そう思って、学生時代にはサスペンスの巨匠ヒッチコックのほぼすべての映画を見て、人を惹きつけるサスペンスというものを研究していった。
厚さが親指ほどもあり、総重量2キロぐらいのクソ重たい「定本ヒッチコック映画術」を読み、ヒッチコックが作り上げたサスペンスというものを考えていた。
大学の授業中などは、教授の話をスルーして、ずっとこの本を読んでいたのだ。
何度も何度もヒッチコックや、彼の影響を受けたスピルバーグの映画を見ているうちに、自分でもハラハラドキドキする展開があるサスペンス映画を作ってみたい思ったのだ。
殺人事件を題材にしたミステリーなら多くの学生映画で作られていた。
自分にしかできないものはないか?
そう考えているうちに
「そうだ! ゾンビ映画を作ろう」と思い立ったのだ。
学生映画でホラーを作るのは難しいと言われている。
まず、血糊をばら撒ける環境がない。
それに雰囲気を出すために、暗いシーンを撮らないといけないが、暗闇でも耐えられるレンズとなるとどうしても単焦点が必要になってくる。
お金がない学生にとっては、5万もする単焦点レンズを買うのはだいぶ厳しいことだった。
それでも私はなんとかして、ゾンビ映画を作りたいと思い、暗闇でも捉えることができるカメラを探して行った。
私が持っていたカメラはGH2という古いモデルのカメラだった。
普通の状態では、どうしても暗闇で撮ろうと思っても、画質が荒くなり、人間の動きを追うことができない。
しかし、とあるサイトからGH2をハッキングして、ピットレートを上げる方法があることを知った。
このピットレートなら暗闇でも高画質で撮ることができるかもしれない。
そう思い、私は早速、理系の友達に頼み込み、自分のGH2をハッキングしもらい、アップグレードを施してもらった。
約1時間ののち、アップグレードしたGH2を手にし、私は衝撃が走った。
めちゃくちゃ高画質になっていたのだ。
これなら暗闇でも映画を撮ることができる。
そう思った私は早速、ゾンビ映画の制作に着手することにした。
ハロウィーンのゾンビメイク特集のサイトを読み漁り、素人でもできるゾンビメイクの仕方を研究していった。
家の風呂場に一人で閉じこもり、100均一で買ったアイシャドウと、はちみつと食紅で作った血糊を使った、自分の頬に傷メイクを作っていった。
意外と傷メイクは500円ほどでできるものだ。
血糊とアイシャドウと二重のり、はちみつを使えば、案外簡単にゾンビメイクができあがった。
今見ても相当グロいと思う。
家の風呂場に夜な夜な閉じこもって、グロテスクなゾンビメイクのことを研究していると、母親からは「あんた一体何をしているの?」と何度も怒られてしまった。
このゾンビメイクならいける!
私はそう感じた。
このゾンビメイクなら学生映画とは呼ばせない質のゾンビ映画が作れるのでは?
と思ったのだ。
約40人以上の人に集まって、映画に携わってもらった。
夜な夜な大学に忍び込み、大量のゾンビを出現され、撮影をしていると
「夜に教室で、怪しい格好の男たちが変なことをやっている」
と噂が立ち、3回ほど事務室に呼び出されてしまったこともあった。
血糊をばら撒きながら、突貫工事のように怒涛の撮影を進めていると、サスペンスの難しさを身にしみて感じるようになっていた。
これって編集でつながるのか?
そうずっと疑問に思ってしまい、怖くなってきたのだ。
何10人という人を巻き込んでいるので、「できませんでした」ということはできない。
私は撮影をしていないときでも片っ端からサスペンスやホラー映画を見まくっては研究し、どうしたら怖くなるのか? ということを考えていった。
怒涛の撮影も中盤になり、後半戦に入る前に、これまでに溜まっていた映像データを集め、編集していくことにした。
編集作業でカットの撮り忘れなどがわかれば、後半の撮影で補うことができるので、私はいつも撮影が半ばまで終わると同時に、編集作業もはじめて行っていた。
編集をしていくうちに、私は途方に暮れていた。
全く怖くないのだ。
壁のきしむ音が響き渡ると、主人公が恐怖を感じ、身動きが取れなくなるというシーンがあったが、全くサスペンス感がなく、平凡なシーンになっていたのだ。
こんなに恐怖演出が難しいなんて……
なんだかんだ小説もアニメも同じだと思うが、
見る人に恐怖やサスペンスなどを植え付けるのは途方もなく難しいことなのだ。
恋愛映画や青春ドラマに比べても、圧倒的にホラー演出が難しいと思う。
実際に作ってみて、ホラー映画の難しさを嫌という程痛感した。
東野圭吾さんのあのサスペンス小説の凄さ……
読者の好奇心をくすぐる展開……全て計算尽くしていないとできない職人技だと思う。
私は編集をするたびにどうしたら怖くなるかということを必死に考えていった。
どうしたらスリルあるサスペンスを作れるのか?
私が一番悩んでいた場面は、登場人物がゾンビに喰われる場面だった。
ゾンビの効果音をつけても、平凡な男が登場人物にのしかかっているようにしか見えず、全く恐怖を感じさせないのだ。
こうなったら先人たちに聞くしかない。
そう思った私はもう一度、サスペンスの巨匠ヒッチコックの映画を見直して、人をハラハラドキドキさせるサスペンスというものを考えていった。
ヒッチコックの映画で一番好きだったのは「サイコ」だった。
あの有名なシャワーシーンは映画史に残る名場面になっていると思う。
私は何度も「サイコ」を見て、どうしたらサスペンスを生み出せるのかを研究していった。
何度も「キャー」と女性が泣き叫び、シャワーで虐殺されてしまうあの有名な場面をDVDで再生させ、サスペンスを考えていったのだ。
そんな私の姿を見かけた母親は「この子はついに気が狂ってしまった」と思ったらしい……
私は何度もヒッチコック映画のDVDをレンタルし、見直していった。
すると特典映像の中に、頭にこびりつくコメントがあったのだ。
古典的映画として有名なヒッチコックは、サスペンスの元祖として多くの映画でオマージュされている。
かの有名なスピルバーグ監督も相当ヒッチコックの影響を受けているようで、「ジュラシックパーク」などを見ると、どこかしらヒッチコックの「鳥」と似たような場面が散らばっていた。
特典映像の中でもスピルバーグやらブライアン・デパルマやら、いろんな人がヒッチコック映画への思いをインタビューでまとめられてあったが、妙に頭にこびりついたのは、マーティン・スコセッシ監督のコメントだった。
マーティン・スコセッシ監督は日本では「沈黙」が公開されて知った人も多いかもしれない。
「タクシードライバー」など人間ドラマを扱う映画を得意とする監督だ。
マーティン・スコセッシ監督の作風ならヒッチコックのサスペンスの影響受けてる気がしないけどな……
私は人間ドラマを描く彼の作品に、殺人事件のサスペンスを扱うヒッチコックの影響を見ることができなかったのだ。
一体何に影響を受けたのだ。
特典映像の中でマーティン・スコセッシ監督は映画「サイコ」への思いを熱く語っていた。映画的な技法で相当参考にしていった映画らしい。
彼は何度もあの有名なサワーシーンを見直したと語っていた。
そして、彼の有名な映画であのシャワーシーンを再現したらしいのだ。
その映画とは「レイジングブル」だ。
え? 「レイジングブル」でサイコ」のシャワーシーンを彷彿されるような場面あったけ?
私はそう思った。
「レイジングブル」とは伝説的なボクサーの半生を描いたボクシング映画である。
「サイコ」のような殺陣シーンはどこにも描かれていない。
一体、どこにヒッチコックの「サイコ」の影響を受けたんだ?
そう思った私は映像特典を最後の方まで見ていった。
マーティン・スコセッシ監督はこう言っていた。
「血に染められたボクシングシーンはサイコのシャワーシーンを参考にして撮ったんだ。グローブを、ナイフに見立てて、シャワーで虐殺される時と同じリズムで、主人公が相手にボコボコにされていくリズムを作ったんだ。なぜかはわからないが、ヒッチコックが生み出したリズムを使うと、画面に緊張感が伝わり、強烈なシーンになるんだ」
ボクシングのファイトシーンは、実は「サイコ」のシャワーシーンを参考にして、編集されたものだったのだ。
「サイコ」ではモーテルにたどり着いた主人公は、ある人物にナイフで刻み込まれ、虐殺されてしまう。その時に、あの有名なテーマソングが流れてくる。
その時に、ナイフで切り刻まれるリズムが「トントン ッタ トン」と独特な三拍子のリズムになっていて、緊張感が煽られるのだ。
どうやらそのリズムをマーティン・スコセッシ監督は自身のボクシング映画「レイジングブル」で、緊迫したファイトシーンを捉えるために編集で使ったらしいのだ。
まさかナイフをボクシンググローブに置き換えて考えているとは……
私はこのヒッチコックが編み出した独特なリズムを自分が作っていたゾンビ映画でも使ってみることにした。
「トントン ッタ トン」
という独特なリズムを編集で細かく加工し、実際に怖くなるのか試したのだ。
すると、面白いことに怖くなるのだ。
不思議なことに強烈なシーンに変わるのだ。
ゾンビが主人公に襲いかかる普通のシーンだったが、ヒッチコックのリズムを取り入れることで怖くなったのだ。
なんだこのリズムは……
なぜか体の中にまでそのリズムが叩き込まれるように、そのリズムを聞くと緊張感が倍増するのだ。
ヒッチコック凄すぎる……
私はそのヒッチコックのリズムを随所にゾンビ映画の中に取り入れていき、なんとか映画を完成させることができた。
出来上がった映画を妹に見せて、一度反応をうかがってみることにした。
すると、「キャー」
私が意図していた場面で怖がってくれたのだ。
ヒッチコックのリズムを使った場面で最高に怖がっていたのだ。
やはり、サスペンスはリズムなんだ……
私はそう感じた。
あらゆる芸術的な表現は、根底にリズムがあるんだ。
小説家も文章を書く上でリズム感というものをとても大切にしているという。
村上春樹は自身が大好きなジャズの音楽を参考にしながら小説を書いているらしいのだ。
去年メガヒットした「君の名は。」の新海誠監督も相当リズム感を大切にする人だ。
インタビューで神木隆之介くんが何度も答えていたことなのだが、監督のリズムに合わせて声を取り直したらしい。
「あの日、星が降った日。それはまるで、夢の景色のように、ただひたすらに美しい眺めだった」
とオープニングで古今和歌集を彷彿させる独特なリズム感で登場人物の滝くんと三葉のセリフが読み上げられるが、それも監督が体の中に持っているリズム感が画面に現れているのだと思う。
独特なリズム感があるので、あの美しい世界感が生まれているのだ。
よく考えたら何千年も長く伝わる物語には、物語自体のどこかしら独特なリズム感があると思う。
新海誠監督に影響を与えた、古今和歌集など、小野小町が作り上げた鮮やかで独特な文体やリズム感があるからこそ、1000年以上多くの人に語り継がれる物語になっているのだと思う。
キリスト教の聖書も、文体から滲み出ている独特なリズム感があるからこそ、世界中の人に今も読み継がれているのだと思う。
総合芸術と言われる映画でも、人を引き付けるのは監督自身が奏でる独特なリズムなのだと思う。
シーンとシーンをつなぐ、カットから滲み出ているリズム感が人の意識に入り込み、脳内に刺激を与えるのかもしれない。
映画を見ていても、所詮セリフなどは見終わったらすぐに忘れてしまう。
しかし、監督が奏でる独特なカット割りのリズム感はずっと頭の中にこびりつく。
まるで、交響曲を奏でるモーツァルトのように、優秀な映画監督ほど、独特なリズム感が体の中に備わっていて、そのリズムが映画本編にも滲み出ているのだ。
人を魅了するコンテンツの根底にあるのは、その人自身が奏でられるリズム感を持っているか持っていないかの違いなのかもしれない。
人を魅了する物語の根底にあるのは、究極のところ音楽なのだと思う。
その独特なリズム感を見極められるかどうかが、人を惹きつけるクリエイターになれるかどうかの境目なような気がするのだ。
サスペンスの巨匠ヒッチコックはその独特なリズム感に気づき、映画を撮っていたのだと思う。
だからこそ、今でも彼が作り上げたサスペンスという定義は、ありとあらゆるクリエイターたちに影響を与え続けているのかもしれない。