ライティング・ハイ

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映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を見て、昔を懐かしむ人がいたら、東南アジアに飛んでみてと言いたい

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「昔は良かった……」

そんな声を私はよく聞いた。

 

「昔は飲み会の時も翌朝まで飲んだものだ。今の若い者はすぐ家に帰るからな」

「俺たちの頃はスマホなんてなかった。今はググればなんでも出てくるから若い連中は頭を使わない」

 

よく職場の上司にそう注意されては「昔のアナログの時代は良かった」という話を聞かされていた。

よく考えたら平成生まれの自分には、携帯がなかった時代に、待ち合わせをする際、どうやってお互い会っていたのかさっぱりわからない。

人でごった返している渋谷駅で待ち合わせなど神業のように思える。

 

スマホがなかった時代、多くの人は頭を使いながら仕事をしていたのだと思う。

今は、メールを送って一発で待ち合わせ完了だ。

 

小学生の後半に携帯が普及し始め、当たり前のようにスマホやLINEを使ってきた世代には、スマホがない時代のことを想像するのが難しいと思う。

私もスマホがない生活が想像できないのだ。

 

何か仕事上でわからないことがあってもスマホでググればすぐに見つかる。

待ち合わせ場所もLINEで決める。

知らない場所を行くのにもグーグルマップがあれば、地球の裏側でも自分の位置を確認できる。

 

こんなに便利なものがあると、人間は機械に頼りっきりになって、頭を使わなくなるというのもなんだかわかる気がする。

よく上司の人は言っていた。

「頭を使え! 自分の頭で考えろ」

 

確かにそれには一理ある。

どこか心のそこで昭和の世代の人たちを羨ましく思う部分もあるのだ。

スマホが普及していなかった時代。

人々は自宅の電話しかコンタクトを取れるものがなかったため、人とのコミュニケーションが今よりも密接だったと思う。

 

銭湯などに集まって、おじいさんから子供まで、意気揚々と日々の営みを過ごしていた気がするのだ。

どこか「昔は良かった」と嘆く大人がいるのもわかる気がする。

 

スマホが普及しすぎた現代は、人々のコミュニケーションは明らかに希薄化している。

LINEでなんでもコンタクトが取れてしまうため、お互いに面と向かって話す機会も減ってきた。

 

もはや電話すらしなくなった世代だ。

みんなLINEでコミュニケーションをするため、電話がかかってくることに慣れていないため、電話に出れないのだ。

 

この人とのコミュニケーションが無機質なものになった時代に生まれた私は、どこか心のそこで、昔は良かっただろうなという思いがずっとあった。

92年生まれの私は、生まれた頃から日本が不景気だったため、好景気だった時代を全く知らないのだ。

 

高度経済成長を遂げ、世界第2位の経済大国だった頃の日本はどんな風だったのだろうか?

きっと人々の目もキラキラしていて、活気立っていたのだろう。

そんなことを思っていた。

どこか昭和の時代に憧れを持っていた私は映画「ALWAYS 三丁目の夕日」をなんども見て、昭和の姿を仮想イメージしていった。

 

きっと映画の世界観のように頑固オヤジがいて、子供達が意気揚々と駆け回り、人々の営みが東京でも繰り広げられていたのだと思う。

 

もはや今の日本では見られない原風景だ。

平成の不景気の世代でなく、経済成長に心踊り、みんなで明るい未来を描いていた世代に生まれたかったという思いが心の中にあった。

 

昔の日本の姿を見てみたい。

そんな思いに駆られていた。

 

ある時、友人にこんなことを言われた。

「日本より西に行けば、日本の過去の姿が見られるよ」

 

彼は世界中を飛び回るバックパッカーだった。

タイを訪れた時、日本の昔の姿を見られたと言っていた。

 

東南アジアは今、高度経済成長の真っ最中だ。

60年代の東京オリンピックで脇立つ日本の原風景の姿がそこにはあったという。

 

「日本より西の東南アジアに向かえば過去に戻ることができる。逆に東のアメリカに向かえば日本の未来の姿がみれる」

そんなことを言っていた。

 

確かにと思った。

経済成長が行き詰まり、不景気になったアメリカの姿は、日本の10年後の姿なのかもしれない。

 

私は経済成長真っ最中の東南アジアに非常に興味を持った。

一体、今の東南アジアでは何が起こっているのだろうか?

人々はどんな生活をしているのだろうか?

 

私はその時、ほぼフリーターの無職状態だったため、時間だけはあった。

今行くしかない。そう思い立ち、私はバックパックを背負って、タイのスワンナプール国際空港に降り立った。

 

 

空港から出た瞬間、蒸し暑いと思った。

なんだこのジメジメした気候は。

 

東南アジアはスコールが多いという。

常にジメジメした気候なため、洗濯物もキチンと乾かないらしい。

私はひとまず安宿が集まるカオサン・ロードに向かうことにした。

 

そこには世界中から集まってきたバックパッカーが連日お祭り騒ぎをしていた。

夜中まで続くパレード状態に私の耳はうんざりしながらも、私はタイの旅を楽しんでいた。

数日滞在したのちに、バスを使ってタイの中心街に出てみることにした。

 

すると、私は驚いた。

 

日本よりめちゃくちゃ栄えているのだ。

サイアム・スクエアという大型ショッピングモールは、明らか日本のお台場よりも華やかな場所だった。

世界中から観光客が集まり、サイアム・スクエアでショッピングを楽しんでいるのだ。

 

今の東南アジアはこんなに栄えているんだ……

これじゃ日本なんてすぐに抜かれる。

 

そんなことを思いながら、私はサイアム・スクエアを探索した。

ビルの上階には映画館があるのが見えた。

 

そういえば、タイの映画館ってどんなんだろう?

そんな風に思った私は、時間が合う映画を一本みることにした。

 

映画館の中に入り、上映が始まった。

私は周囲が騒がしいなと思っていると、みんな映画を見ながら大興奮しているのだ。

 

私が見たのはとあるハリウッドのホラー映画だったが、みんな恐怖の瞬間に大絶叫して、映画館内でパニック状態だった。

リアクションしすぎだろ……

と正直、思ってしまったが、こんなに映画館内で大興奮しながら映画を見るという習慣は日本じゃ考えられなかった。

日本ではみんなキチンと椅子に座って映画を見るだけだ。

タイの映画館ではみんなで大興奮しながら一本の映画を全力で楽しみながら見ているのだ。

 

そのことが私にとって大きなカルチャーショックだった。

よく考えれば日本の昔の映画館もこんな風景だったのだろうと思う。

角川映画の「セーラー服と機関銃」などが流行っていた頃は、女子高生から大人まで映画館に駆け込んで、薬師丸ひろ子主演の映画をみんなで楽しみながら見ていたのだと思う。

 

私はタイの映画館の中で、懐かしい日本の風景を見た気がした。

 

「日本より西の東南アジアに向かえば、過去に戻ることができる」

友人はそう言っていたが、確かにその通りなのかもしれない。

 

「昔は良かった」

そう嘆く大人がいたら、一度東南アジアを訪れてみるのもいいかもしれない。

きっと日本の原風景がそこには広がっている。

 

経済が行き詰まった日本はこれからどこに向かうのだろう?

 

そんな不安を抱きながら私は日本に帰っていったのだと思う。