就職という椅子取りゲームの果てにあるものとは?
私は毎朝、とある戦いを目にしている。
いつも上司のいいなりになっていサラリーマンたちが、その時だけは真剣な目つきで取り組み、他を蹴散らす勢いで戦っている。
その勢いを社内の仕事でも使えよと思うが、人間は不思議と組織のためよりも、自分自身に利益になることなら全力で取り組めるようなのだ。
私が毎朝目にしている光景……
それは満員電車内で繰り広がられる椅子の取り合いだ。
サラリーマンたちは毎朝、目的地にまでゆっくり休めるか? ということをかけた真剣勝負を繰り広げられているのだ。
人でごった返す電車内に入る時も、あえてすぐに降りそうな人の近くによって、
その人が電車を降りるのを今か今かと待ちわびるのだ。
みんな目つきが真剣だ。
どの席が空くのか?
どの人が立ち上がるのか?
電車の中ではサラリーマンたちの心理戦が繰り広げられている。
私はというと優柔不断なところがあるため、目の前の人が立ち上がっても、自分が座っていいものか? と甘い考えが浮かんでしまい、いつも隣のおっさんたちに席を取られしまう。
椅子の取り合いになると一瞬で見せた優しさが命取りになるのだ。
毎朝、真剣勝負の椅子取りゲームをやっていると、どうしてもあの出来事を思い出してしまう。
就活という名の椅子取りゲームをやっていたあの頃を……
「御社に入社を希望した理由は」
私はその頃、必死になって就活をしていた。
3月解禁に移行され、8月から面接開始となり、私が就活をした代から短期決戦型に変わっていった。
3月1日に情報が解禁されると同時に私はパニクっていた。
どこの会社を受けたらいいのかさっぱりわからなかったのだ。
大量に飛んでくる就活メールに混乱する中、私は昔から憧れていたテレビ局などのマスコミを受けていくことにした。
とりあえずキャリアセンターでじっとしているだけでは意味がない。
大学に保管されている卒業生名簿を見て、私はOB訪問をすることにした。
どこの会社の人に話を聞こうかな?
名簿をペラペラ見つめていると、自分のような平凡大学出身でも、高倍率をくぐり抜けてテレビ局や電通、博報堂に入っている人が何名かいた。
お、この人すごい。
会ってみよう!
私は早速、メールを飛ばしてコンタクトを取ることにした。
やはり社会人は忙しいので、返信が来る人もいれば返ってこない人もいた。
とあるテレビ局に勤めている人とコンタクトを取れ、私はOB訪問のアポを入れることに成功したのだった。
憧れのテレビ局で働く人だ。
一体どんな人なんだろうと私はワクワクした。
数日後、私は待ち合わせ場所を訪れてみた。
そこにいたのは、ぱっと見て、普通のサラリーマンだった。
私は某民放キー局で勤めている人だからもっと華やかで、明らか何か人と違うオーラを持っている人かと思っていたが、案外テレビ局員も普通の人が多いんだなと思った。
OBの方と就活での悩みなどを相談していった。
「君のエントリーシート、こう変えていった方がいいよ。テレビ局員はいつも面白いネタを求めている人たちだ。だから、相手を笑わせることができれば勝ちではあるよ」
OBの方は私の拙いエントリーシートを見て、真剣に訂正ポイントを教えてくれた。
「自分は面接の時、こんな自己PRを喋ってたな」
倍率1000倍を超えるテレビ局就活を勝ち上がった人の自己PRは、とても貴重な情報源だ。
私はその自己PRをしっかりと聞き取り、自分の面接に役立てることにした。
真剣に話を聞いていたら、いつしか1時間近く経っていた。
さすがにこれ以上、OBの方を拘束するのは申し訳ない。
私は話を切り上げて帰りの支度を始めた。
最後にOBの方は私にこう尋ねた。
「それで、結局君は何がやりたいの?」
私は何か弱点を突っつかれた気分になった。
自分は一体何がやりたいのだろうか……
そのことは私自身もよくわかっていなかった。
いつの間にか就活の時期が来たので、周りと同じように就活をしているだけだった。
自分が一体何になりたいかなんて真剣に考えたことがなかったのだ。
「今の反応を見る限り、この質問が飛ばされてきたら、君はきっと落ちるな。とっさに思いついたことでもいい。しっかりと自分がやりたいと思うことを面接官に伝えるんだよ」
OBの方は最後にそう言って、去っていった。
自分がやりたいことっていったい何なのだろうか?
そんなモヤモヤを抱えたまま、私は帰路についていた。
私は結局、その後面接で惨敗していった。
30社以上受けてもどこにも受からなかったのだ。
就活がスタートする前から情報を集めて、OB訪問もきちんとしたのに、なぜなんだ?
何で自分は受からないんだ!
そう思っては自暴自棄になっていた。
就活を終えた今ならわかる。
私はただ就活という名の椅子取りゲームに参戦し、椅子に座ることだけに必死になっていただけなのだ。
ちゃんと就活で結果を出す人は、どの椅子に座るか決めてから動くものだ。
私は目の前の椅子に座ることが必死で、周囲を見渡せなかった。
30社以上落ち、何とかとある会社に就職することはできても私は不安が残っていた。
いちよ、自分に与えられた椅子に座ることができたが、このままでいいのか?
この椅子に座り続けることが正解なのか?
そんなことを思ってしまうのだ。
このままでいいのかな?
と仕事に悩んでいる時に、ふと満員電車で私が愛読書にしている本を読んでみることにした。
悩みがある時はいつもこの本を読むことにしていたのだ。
「傷口からの人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった」
初めて読んだ時は、衝撃的だった。
著者は就活中にパニック障害になり、就活をやめてしまい、無内定もまま大学を卒業していった。その著者が抱えていた就活の悩みや生き方が自分と重なって見えたのだ。
私はやっと就職という椅子に座れたのに、今だに心にモヤモヤを抱えている自分が嫌で、この本をふと読み返してみようと思ったのだ。
働きながら本を読もうと思ったら、毎朝の通勤の時にしかない。
人でごった返す電車内で私は本を開いていった。
その日だけはイス取り合戦に参戦することなく、私は出口付近で本を読み始めた。
やはりこの本は、何度読んでも新しい感じ方があるものだ。
はじめは就活で失敗し、自分の弱さに憂いていた時に涙を流しながら読んでいたが、自分が座るべき椅子を手に入れ、就職した今読み返しても新たな発見があるのだ。
私は10回は読み返しているんじゃないか? というくらいこの本を愛読しているのだが、就職した今読み返してみると、今まで何も感じなかった一行が強烈に印象に残った。
それは著者が自分探しの旅に出て、スペインの巡礼旅に出た時のエピソードだった。
就活をドロップアウトし、社会のレールの上を歩けなかった著者は、旅に出ている途中で、ある宿の管理人のおばさんに
「今までの人生で一度も誰かに与えたいなんて思ったことないの。そんな自分でも社会に出て働けると思う?」と悩みを相談したという。
おばさんはしっかりと著者を見つめながら答えてくれた。
おばさんは52年間カリフォルニアから外に出たことがなかったが、子供を育て上げ、やっと自分の時間が持てるようになった時、この巡礼の道と出会ったという。道を歩いているうちに、自分と同じ巡礼者たちに自分が受け取った人生の恩恵を返すことがやるべきことだと気付いたらしい。
「使命感とか言う大げさなものじゃないけど、バスケットボールのパスが飛んでくるように自分の役回りが飛んできたの。人に何かを与える方法はたくさんあると思うわ。だけど、その人にしかできない与え方があるのよ。たとえ今は与えられるだけだとしても、いつか必ず、それに気づいてアクションを起こす時が来るのよ。それが大学を卒業する前の、たった一年の間に起きるなんて、一体誰が決めたの」
この文章を読み返した時、心の中のモヤモヤが取れていくかのように感じた。
私は今でも自分が何をやりたいのかはっきりとわからない。
何とか自分の目の前に転がってきた椅子に座ることができたが、社会に出ても自分が何をするべきで何がしたいのかわからないのだ。
しかし、そんな自分でもいいのかもしれないと思えた。
いつかバスケットの試合のように、自分のところにパスが飛んでくるのだ。
たかが24年生きただけで、そのパスに飛んでくるとは限らないのだ。
自分が人に何を与えられるかなんてわからない。
目の前の椅子取りゲームに必死になって、自分が何をしたいかなんて考える余裕がなかった。
だけど、いつか自分しかできない与え方に気づいて行動を起こす時が来るのかもしれない……
そう思えたらなんだか気分が楽になったのだ。
今日もまた、東京都内の電車は人でごった返し、サラリーマンたちの椅子取りゲームが繰り広げられているだろう。
それでも飛び込んでいくしかない。
そう思いながら、私は満員電車の中に飛び込んでいった。