趣味を仕事にしている人にあこがれを持っていたけども……
「趣味を仕事にするのはしんどい」
大学の同級生はそう言っていた。
彼はカメラや映像が大好きな人だった。
学生時代に何十万もするカメラを買って、パシャパシャ撮りまくっていた。
私は、きっと彼はカメラマンになるんだろうなと思っていた。
しかし、彼が選んだ道は銀行員だった。
「趣味を仕事にしたら、趣味が嫌いになりそうだと思ったんだよね。好きなことを仕事にするのは辛いよ」
彼はそう言って安泰な銀行員という道を進んでいった。
私はというと好きを仕事にしようと考えていた。
就活では好きだった映像の職に就きたいと思い、マスコミや制作会社を片っ端から受けていた。
幅広く受けることが大切だとキャリアセンターの人に言われたこともあり、ベンチャー企業なども調べて受けていた。
しかし、受けようにも世の中には何10万社と会社があるため、どこを受けていいかわからない。
私は仕方なく就活エージェントと呼ばれる人たちに頼ることにした。
就活エージェントは数ある選択肢の中から就活生が受けるべきオススメの企業を紹介してくれるサービスである。
エージェント会社も企業からお金をもらっているため、怪しい会社をオススメされる危険性もあるが、自分の力で何10万社という会社を一個一個探るより手っ取り早くて負担が少ないので、今就活生の間でオススメされているサービスである。
私は就活エージェントに面談を申し込んだ。
その時はもう6月だった。3月に解禁され、4月にはエントリーシートが締め切られていた。
6月の時点で私は内定ゼロだったのだ。
私は焦っていた。周囲の学生はどんどん内定をもらい、就活という名のゲームから外れていった。
私は3月解禁の時に、よくわかんないまま就活情報サイトに載っている面白そうな企業を片っ端からクリックして、エントリーをしていた。
エントリーシートを書いては書類選考で落とされ、面接をしては落とされていった。
そして、気がついたらもう残された企業はほとんどなかったのだ。
どうすればいいんだ……
私は途方に暮れていた。
そして、就活中に出会った人から就活エージェントの存在を知り、私はエージェントに頼ることにしたのだ。
もっと早くにその存在を知っていれば……
就活エージェントの方は真摯に私の進路先を相談してくれた。
「映画が作りたい! 脚本が書きたい! これがしたい、あれがしたい!」
私は今までに自分がやってきたことやこれからやりたいことを語りまくっていた。
エージェントさんは頭を抱えていたと思う。
今ならわかる。
私は就活で落ちまくった理由が……
それは自分の中の軸を全く持っていなかったからだ。
自分は何か人と違うものを持っているはずだ。
何かクリエイティブな才能があるはずだ。
そんな無意味なプライドに翻弄されて、電通やら民放キー局などの超高倍率の企業ばかり受けていたのだ。
特にやりたいことなどはっきりしていなかった。
それでも自分は人に自慢できるような会社名を求めて、華やかでカッコ良さそうな企業ばかりを受けていたのだ。
「一旦、映画が作りたいという気持ちを置いといて、君が一番何をやりたいか考えてみないか?」
困惑している就活エージェントの人はそう言った。
自分がやりたいことっていったい何なのだろうか?
私はやりたいことはあった。
映画が作りたかった。
しかし、その夢に飛び込んでいく勇気がなかったのだ。
叶えるつもりのない夢を持っていたことがネックになって私の就活はうまくいかなかったのかもしれない。
企業の選考を受けても、腹の中では映画の仕事がやりたいと思っているため、心の底からこの会社に入りたいと思えなかったのだ。
ベンチャー企業などを受けてみると、上のいいなりにならずにやりたいことをトコトンやっている人がたくさんいた。
好きを仕事にしないともったいない。
そんなことを思っている就活生は多いと思う。
私もそんな就活生の一人だった。
好きなことや趣味を仕事にしないと人生もったいないと思っていたのだ。
しかし、私は好きなことを仕事にする勇気を持てず、ウジウジしたまま7月が過ぎていった。
私は結局、とある制作会社に勤めることになるが、尋常じゃないストレスと寝不足が続き、すぐに辞めてしまった。
先輩に辞めると言った記憶がないほど、ノイローゼ状態になっていたのだ。
趣味を仕事にするのはしんどいと言っていた同級生の言葉の意味がわかった。
好きだからこそ、自分の理想とのギャップを見て、つらくなるのだ。
私は転職をして、なんとか第二の社会人をやるようになったが、今でも好きを仕事にすることの難しさを考えることがある。
映像制作で頑張っている人のほとんどが好きを仕事にした人たちだ。
私は結局、普通のサラリーマンをやることになったが、趣味を仕事にした人たちとどっちの方が幸せなのだろうか?
そんなことを考えている時、とあるライターさんと出会った。
その人は小説家になろうと思い、20代の大半を小説家になるために過ごしたという。
フリーターを続けながら1日1万6字の文章を書いていたのだ。
尋常じゃない量だ……
結局、その人は小説家になることはできなかった。
しかし、30歳を過ぎた時、自分が心から挑戦したいことを見つけ、毎日を楽しそうに過ごし全国を走り回っている。
1日1万6字は原稿用紙40枚分だ。尋常じゃない量を書いていたことになる。
それも10年間、毎日書き続けていたのだ。
誰かに見せることでもなく、ただひたすら書いていたのだ。
ものを書くことで食えているわけではなかった。
しかし、それでも毎日書き続けたのだという。そして、30歳過ぎた頃に自分の本当にやりたいことを見つけ、今トコトンやりたかったことと向き合っている。
私はそんな芯が強い人を見ていると羨ましく思える。
なんでこんなに生きる力があるのだろうか。
好きなもので食べていけるわけではないのに、なんで好きなことと向き合えるのだろうか?
そして、私は好きなことを仕事にしている人に憧れていた理由がわかった。
趣味や好きを仕事にしていることに憧れていたのではなく……
私は力強く生きている人に猛烈に憧れていたのだと思う。
たとえ将来、その道で食べていくわけでもなく、好きなことをトコトンやって、
力強く生きている人に憧れていたのだ。
好きを仕事にしなきゃいけないと思っていたが、そんなことはなかった。
好きでないことでも、目の前のことにがむしゃらになり、毎日を力強く生きている人はどこか輝いて見える。
私もそんな風に力強く生きる人になりたいと思って、こうして毎朝5時に起きて、記事を書くことにしたが、まだまだ未熟なのかもしれない。
猛烈に目の前のことに夢中になって力強く生きている人はやはり人を惹きつけるものだ。
私もそんな風に力強く生きて、熱を感じたい。
そんなことを思いながら、今日もライティングに励むのだった。