自分の中のものさしが消えたとき
「君は一体何がしたいの?」
私はアルバイト先の先輩にそう言われていた。
そのとき、私はとあるWEB系の映像制作会社でアルバイトをしていた。
イラストレーターやアドビのソフトを使って簡単な動画を作り、加工する作業をする仕事だ。
毎朝10時に出勤で、夜の19時まで働き、時給1000円という映像業界においては割とホワイトでおいしいアルバイトだった。
その会社の中には、もともとテレビ関係の会社に勤めている人から、大学生のインターンなど、いろんな人がいた。
多くの人が切磋琢磨して、笑いながら映像を作る環境でとても居心地の良い環境だったと思う。
しかし、当時の私にはそのありがたみを気付くことができなかった。
そのとき、私は新卒で入った会社を辞め、ノイローゼ状態だったのだ。
テレビの世界で働いてみるも挫折し、世の中をさまよっているうちに、まだ心のそこで映像業界への憧れが残っていたので、WEB系の映像なら自分にもできるだろうと思ってアルバイト面接を受けていたのだ。
自分がやりたいことって一体なんなのだろう?
今思うと、自分がやりたいことはある程度わかっていた。
しかし、飛び込む勇気がなかったのだ。
ずっと叶えるつもりがない夢というものに翻弄され、私は普通に仕事をすることもできず、ずっとノイローゼの状態が続いていた。
仕事中にイラストレーターを使っても、手こずっている私を見て、先輩方は親切にアドバイスしてくれた。
しかし、私は心のそこで
「こいつらはCM業界から外れてここにたどり着いた人たちだ……自分と同じ負け犬なんだ」そんなことを思っていた。
自分はもっとレベルの高い人と付き合うべきだ。
自分はもっとクリエイティブな存在に決まっている。
そんな上から目線のことを思っていたのだ。
自分の中で作り上げたものさしに翻弄され、私は常に人を見下しているようなずるい奴だった。
WEB系の仕事も心のそこで、こんな子供向けの映像を作って何になるの?
と思っていた。こんな仕事面白くない。自分がやるべき仕事じゃない。
そんなことを思いながらアルバイトしていた。
ある時、私はアルバイト先の社長に呼び出されることがあった。
会社の近所のカフェに入り、二人で話をする。
何だろう?
早く帰りたいな。
私はただ、呆然としながら話を聞いていた。
「君は何がしたいの?」
どうやら会社内でも、常にネガティブオーラ全開で周囲を見下していた私は、他の社員さんからも忌むべき存在だったらしいのだ。
「他の社員からも不安の声が上がっている。社内の雰囲気を悪くするような人は困るんだよね。これからどうしたいの?」
どうしたいの? と言われても、わかるわけない……
私はただ、呆然としながら社長の話を聞いていた。
ここでも私は役立たずなのか。
何をやってもダメなのか……
私は結局アルバイト先を辞めることにした。
映像制作という憧れの仕事に就きたいという思いがあったが、私はどうしてもその世界で仕事をすることができなかったのだ。
クリエイティブな世界は面白いと同時に過酷だ。
納期が決まっているため、夜中の2時だろうが納期に間に合わせるために映像を作らなければならないのだ。
普通のサラリーマンのように9時出社〜19時退社という決まったルーティーンは存在しない。
時間帯はバラバラだ。
私は基本的にのんびりと仕事したいタイプなので、時間バラバラで納期前になるとバタバタするクリエイティブな職業に向いていなかったのかもしれない。
ずっと、私は叶えるつもりのない夢に翻弄されていたと思う。
自分にはクリエイティブな才能があるはずだ。
20代で何かで頭角を出さないと人生終わりだ。
そんな自分が作り上げたものさしを基準にして世界を見ていたと思う。
私は結局、映像の世界で生きていくことを諦めてしまった。
クリエイティブな世界は自分には向いてなかったのかもしれない。
ノイローゼ状態になりながらも私は転職活動をして、なんとか内定をもらえる会社と出会えた。
ストレートで大学を卒業していたら他の同級生は社会人歴3年目になる。
私は浪人するなり、新卒で入った会社を即行で辞めるなりして、世の中をさまよっているうちに、24歳になってしまった。
新しく入った会社の先輩の中でも、同じく92年生まれで社会人歴3年目の人も多くいる。
そんな人を見ていると、私と同い年でもこんなに差がついてしまったのかと後ろめたくなる気がしてきた。
ほとんど社会人歴がない私はワードをいじるのにも、パニック状態だ。
電話対応もエクセルもきちんとこなす社会人歴3年目の同い年の人を見ると、自分は一体今まで何をしてきたんだと思ってしまう時もあった。
私が新しく入社した会社はBtoB企業で、ある製品を作っている会社だ。
営業として先輩についていろんなところを走り回っているうちに、私はあることに気がついた。
世の中ってこんなにも仕事で溢れているんだ……
そう思ったのだ。
椅子一つ作るのにも、ネジやパイプ、座るところのクッションなど5社以上の会社が携わって一つの椅子が作られているのだ。
いろんな人の仕事があって、自分の身の回りのものが生まれてくることを感じたのだ。
パソコン一つ作るのにも半導体やら液晶画面など、何100社という仕事が携わって製品が生まれてくるのだ。
私は目の前の仕事に取り組み、忙しい毎日を送っているうちに、自分の中で作り上げたものさしも消えていっていることに気がついた。
ずっと社会の歯車になって働きたくないと思っていた。
自分の好きなクリエイティブな仕事をやって、生きていきたいと思っていたのだと思う。もっと自分はレベルの高い人と仕事できるはずだ。
そんなことを思っていたのだ。
しかし、世の中に出て、いろんな挫折を味わい、自分が作り上げたものさしが薄らいでいくと、なんだか世の中の美しさに気がつけた気がする。
仕事一つとっても、楽しんで働いている人はどこか美しい。
書類をパッとまとめて、テキパキと仕事をしている人はどこか毎日を楽しんで生きている。
何事も自分の意識次第なのかもしれない。
目の前のことにきちんと向き合っている人は、どこかイキイキと生きている気がするのだ。
もっと上に行かなきゃ。自分が好きなことをやらなきゃというものさしが消えた途端、なんだか生きるのが楽になった。
今でもどこか自分は何者かになれるという思いがあるかもしれない。
クリエイティブなものを持っていると思っているかもしれない。
しかし、ひとまず目の前のことに真剣に向き合っていれば、いつかどこかにたどり着けるような気がするのだ。
自分が作り上げたものさしに翻弄され、就活も失敗した私は、ようやく自分の人生を歩み始めた。
そんなことを思いながら、私は今日も満員電車の中に飛び込んでいく。