人脈作りに勤しんでいる人がいたら……石田三成を見習ってみてもいいかもしれない
「〇〇大学の〇〇と言います」
とある就活生は全力で大手企業の人に名刺を配っていた。
私はそんな風景を横目で見ながら、名刺配っても意味があるのか?
と思っていた。
その時、私は就活というものをしていた。
大学入学当時は「就活なんてしないで自分の道を生きて行く」と腹高々に言っていたが、気がつけば大学4年生になり、周囲が黒いスーツに身を引き締め始めると、私も流されるかのようにして就活というゲームに飲み込まれていった。
就活は今でもトラウマだ。
同じ大学を出ていても企業採用担当者が「この人は使える」と思えば、内定が出て、
喋り方や風貌を見てなんとなく「この人は社風に合わないな」と思えば、不採用となる。
全てがなんとなくで決まっていくゲームだ。
私はこれまで、高学歴の大学を出れば他と差をつけられると思っていたが、実際に社会に出るという段階ではそんなことはある程度のものでしかなく、体から発せられる雰囲気などで、なんとなくその人が割り振れられていく就活に憤りをとても感じていた。
なんだこの就活というゲームは!
そんなことを思いながらも、フリーランスなどになる勇気も持てずに、ズルズルと就活という荒波に飲み込まれていった。
ひとまず、就活サイトだけ見ていても始まらない。
イベントなどにも参加しようと思い、マスコミ関係の会社が集まっているイベントなどに積極的に参加するようにしていった。
そのイベントでは電通マンや株式上場しているベンチャー企業といったクリエイティブでエリートというなんだかかっこいい人たちが集まっていた。
やはり高収入の人たちはイキイキと働いているものだ。
多くの人が伸び伸びと自分たちの仕事や会社のことを語っていた。
就活生はそんな憧れのクリエイティブで華やかな世界にいる人たちを間近で見て、興奮を隠せなかった。
飲み会の席になると、近くに行って仕事内容や生きがいについて質問攻めにしているのだ。そんな中、私はやたらと名刺を配りまくっている人がとても気になった。
たいてい、都内の就活イベントでは同じような職種を目指す人が集まってくるため、以前に面接で一緒だった人や、同じ大学の人を見かけることがよくある。
マスコミ関係の華やかな就活イベントに行くと、やたらと名刺を配りまくっている人が多々いるのだ。
憧れの電通やサイバーエージェントの社員さんを前にして、選考が始まる前に自分を売り込まねばという勢いで、彼らは名刺を配りまくっていた。
確かに就活や人生の岐路に立つ瞬間は人脈というものが大きな価値になるのかもしれない。
世の中で活躍している誰かが「この人はいいよ」といえば、無名の人でもテレビに出たりできるものだ。
会社でも上司に「こいつは使える」と思われれば、一気に昇進したりするものだ。
世の中勝ち上がっていく人は皆、人脈作りというものを大切にしているのだと思う。
就活でもその人脈というものがキーになることが多い気がする。
ベンチャーの先輩が、「このラグビー部の後輩うちの会社にぴったりだと思うから、
ひとまず気にかけてくれ」と人事部にお願いしていたら、集団面接の場でもその人だけ合格が約束されているかのようなものだ。
就活生はみんなある程度、就活の理不尽さをわかっている。
こんなよくわかんない面接というもので、人生が決められていくことに憤りを隠せない人も多いと思う。
そんな理不尽なゲームでも勝ち上がっていかなければならないのだ。
そして、何が何でも夢のマスコミ業界などで働きたい人たちはとにかくOB訪問やイベントで名刺を配りまくり、人脈作りに勤しむようになる。
私もそんな就活生の一人だった。
人脈が全てだと思っていた。
社会で勝ち上がっていくためには人脈というものが欠かせない。
大学生のうちに人脈を作っておこうと思い、いろんなイベントなどに足を運んだりした。
結局、何にもならなかった。
私は就活時、30社以上落ちた。
なんで自分は選ばれないのだろう。
そんなことで悩んだ時期もあった。
飲み会の席でも目立ち、人脈作りが得意な同級生はあっという間に大手企業に受かっていった。
やはりコミュニケーション能力が高い人は、人脈作りも得意で出世していくのだろう。
私のように人としゃべるのがとにかく苦手で、いつも下ばかり向いている人間には人脈など作れないのではと思えてしまっていた。
そんな時、ネットかどこかで石田三成の「三献の茶」の話を聞いた。
石田三成の出世秘話がとにかく面白い。
有名な話だが、歴史に疎い私はそれまで石田三成の「三献の茶」の話を知らなかったのだ。
関ヶ原で天下分け目の戦いをすることになる石田三成も、元はと言えばただの小姓だった。
彼が多くの人間に影響を与えるようになる武将にまで上り詰められるきっかけになったのは、豊臣秀吉にお茶を入れたことから始まったという。
城下町に視察に来ていた秀吉は、休憩がてらいっぱいのお茶を飲むことにした。
そのお茶を入れることになった若きに日の三成は一杯めは疲れているだろうから、ぬるい大きなお椀に入れた茶を、二杯めは中くらいの茶を、三杯めは小さめで温かいお茶を入れたのだ。
気の利いたことをする小姓がいると思った秀吉は、幼い三成を城まで連れ帰ったという。
それが石田三成の出世の始まりだったのだ。
この「三献の茶」の物語に人脈作りの全てが詰まっているような気がした。
人脈作りに勤しんでいる人でなく、目の前の仕事にきちんと向き合い、己を磨いている人に自然と人脈は渦を巻くようにして、近づいてくるのではなかろうか。
人脈を作ろうといろんなセミナーやイベントで名刺を配っている人でなく、目の前のことに死ぬ気で努力している人に人脈が生まれてくるのだと思う。
尊敬するとあるライターさんも同じようなことを言っていた。
「努力している人には自然と人が集まってくる」
本当にそうなのかもしれない。
下手に外に人脈を作ろうと名刺を配る前に、目の前のことに対し、努力をすること。
それが人脈作りなのだと思う。陰で努力していても見ている人は見ているものなのだ。
よく考えれば、今年になってから毎日書くということをし始めたら、私の周りにもよくわからない人脈が増えていったような気がする。
自分なりに真剣に努力していると自然と人が集まってくるのかもしれない。
そんなことを思いながら、今日もライティングに励んでいる。