ライティング・ハイ

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映画「フォレスト・ガンプ」を見て、周囲に人が集まってくるカリスマ性の正体がわかった

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「何でこの人の周りにはいつも人が集まってくるのだろう?」

私はカリスマ性ある人と会った時、いつもそう思っていた。

学生時代に私は、インタビュー記事を書いてはwebサイトにアップするアルバイトをしたことがあり、何度か世の中で活躍している著名な方と会ったことがあった。

そういった人は大抵、カリスマ性がある。

ツイッターフェイスブックなど、1000人以上フォロワーがいるのが当たり前だ。

テレビなどに出ていて、名前が知られているということもあるが、それにしてもなぜ、その人の周りにはいつも人が集まってくるのだろうか?

私はずっと疑問に思っていた。

 

世の中に名前を出すような人は、実際会ってみると99パーセントいい人が多い。

いつも柔かで、ポジティブ思考なのだ。

しかし、前向きで明るい人なら世の中にはたくさんいる。

その中でも、人を惹きつけるカリスマ性がある人は普通の人と何が違うのか?

 

そして、何よりもそういったカリスマ性ある人と直接会ってみると、案外普通な人が多かったのが意外だった。

おしゃべり上手でいつも周囲の人を笑わせてくれるということもあったが、何か特別なオーラを身にまとっているようには見えなかったのだ。

 

とあるカリスマ性溢れる作家の方はこう言っていた。

「昔から書いていることは一緒だけど、勝手に周りの目が変わっただけだ」

売れてない時も書いている内容は全く変わってないというのだ。

気づいたら、周囲の目線が変わっていて、賞を受賞したりしていたらしいのだ。

 

何だろう、このカリスマ性って?

私は昔、世の中に頭角を出してくるカリスマ性が溢れる人と一般の人とは一体何が違うのか? 真剣に考えたことがあった。

 

昔、撮影所でアルバイトをしていたことがあり、撮影時間中に暇を持て余している有名人の方を何度か見かけたことがあったのだ。

映像の撮影はとにかく待ち時間が長い。

照明のセッティングなどをしていたら、役者の人は普通に1時間待ちになったりすることがよくある。

役者の人は外に出て、タバコを吸ったり、待合室で待機していたりして暇を持て余しているのだが、撮影所の照明スタッフとして最下層だった私は何度か有名人の方にお茶くみをしたことがあった。

 

私はワクワクしながらお茶を持って行ったものだ。

あのテレビに出ていた〇〇っていう人はどんな感じの人なんだろうか?

やはり有名人と会う時は、ワクワクなのだ。

どんな雰囲気の人なんだろうと思いながら私はドアを開けていった。

 

部屋の中にいたのは、テレビの印象と打って変わって、とても温厚で普通の方がそこにいた。

 

正直、あれっ? と思った。

もっと、どしんとしていて、オーラ溢れる人だと勝手に想像していたのだ。

 

テレビに出てくるようなタレントさんを直接見てみても、案外普通の人だったなという印象が多かったのだ。

 

テレビは顔をクローズアップに映し、横に引き伸ばして画面に映すため、とても威厳溢れる人と勝手に私が想像していったのだろう。

実際会ってみると普通の人が多かったのだ。

 

世の中に頭角を出す人と普通の人を引き裂く境界線は一体なんなのか?

私はずっと疑問だった。

映画「フォレスト・ガンプ」を見直した時、その疑問が少し解けた気がした。

 

フォレスト・ガンプ」は名作と呼ばれる映画だ。

私も高校生の時に見て感動したのを覚えていた。

 

しかし、6年以上前に見た映画なので内容がほとんどうる覚え状態だった。

去年、いろいろ精神的に病んで、フリーターのプー太郎をしていた頃(要するにニート)、私はひょんな拍子で映画「フォレスト・ガンプ」を見直してみることにした。

 

映画を見ていて私は不思議なカタルシスに陥った。

あれ? こんな映画だったけ?

私は気がついたらあるシーンを見ている時に、涙してしまっていた。

高校生の頃は何も感じなかったとあるシーンを見て、とても心動かされてしまったのだ。

それは主人公のフォレストがアメリカ大陸を一人で走って横断するシーンだった。

愛しの人にもフラれ、億万長者になっても幸せを手にすることができなかったフォレストはある日走ることを思いつく。

昔からフォレストは走ることだけは好きだった。

特に取り柄があるわけでもなかったが、いつも走っていたのだ。

 

アメリカ大陸の西海岸まで走ったら回れ右、東海岸まで走ったら回れ右。

彼は人すら走り続ける。何年もかけてひたすら走った。

 

走り続けるフォレストを周囲は面白がり、テレビで特集が組まれるようになっていき、気がついたら彼の後ろには多くの人がついてくるようになっていた。

 

誰もが何らかの意味を持ってフォレストは走っていると思っていた。

しかし、ある日突然フォレストは「あ、俺家に帰るわ」と言って走るのをやめてしまう。

 

そこに人生の集積が詰まっているように思えた。

フォレストは特に取り柄もなく、何か才能あふれるものを持っているわけではない。

しかし、ただ好きだった走ることをやっていたら、自然と彼の周りに人が集まってきたのだ。

特に走り続ける意味なんかなかった。

ただ、好きで走っていたのだ。

 

よく考えたら私がこれまで会ってきたカリスマ性溢れる人たちは、ただ単に好きなことにトコトン向き合っている人達だらけだったと思う。

自分が腹の底から大切にしたいことに全身を傾けて、情熱をかけて好きなことに取り組んでいるのだ。

 

私はこれまで何らかの才能をもって生まれた人だけが選ばれ、社会の中で頭角を出していくと思っていた。

しかし、才能とかは後についてくるのかしれない。

 

ひとまず、やるということが一番大切なのだと思う。

好きなことにトコトン向き合っていたら自然と才能やお金が後からついてくるのだろう。

映画「フォレスト・ガンプ」を見ているうちになんだか勇気をもらえてきた。

 

私が好きなことはきっと、ものを作ること。

ものを書くことだ。

 

トコトン向き合っていたらいつか実りあるものになるのか……

そんな淡い期待を抱きながら、私は今日もライティングに励むのだった。