ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

書くことに悩んでいる人がいた私は、美味しいラーメン屋から書くヒントを得た

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私は昔から浮足立っていた。

毎日のように満員電車に乗って、学校に通い、往復する毎日だ。

東京の満員電車は大変だ。

電車の中に詰め込まれ、身動きが取れないまま、ひたすら黙って耐えるしかない。

ウォークマンを聞いたり、本を読んだり、大半の人はスマホをいじって過ごしている。

 

満員電車に乗っている人はどこか暗い顔したおじさんが多かった。

高校生だった私は、将来自分もこうなるのか……と憂いてばかりいた。

 

先日とあるイベントで、ある人はこう言っていた。

「自分は田舎出身だけど、東京育ちの人は他者からの承認でしか生きている実感を得られてないから可哀想だと思う時がある」

私はその言葉を聞いた途端ハッとした。

 

確かにその通りなのだ。

私は東京生まれ東京育ちの一人だ。

幼い頃から毎日人身事故が起きている中央線を見て、殺伐としたコンクリートジャングルの中で生まれ育ち、なんだか常に浮足立っていて、生きている実感が得られなかった。

 

イベントでその人はこうも言っていた。

「親が自営業で、畑をやっていたから、人間大地に立って野菜を食っていけばなんとかなると言う精神が幼い頃から身についていたのかもしれない。東京に出てきて就職して、上司に怒鳴られたりしても、心のそこで大地の野菜だけ食べていけば生きていけると言う自信があるから仕事も耐えられる」

 

私は田舎から上京してきた人にずっと憧れを抱いていた。

田舎で生まれ育った人は、みんな大地にどっしりと立って、きちんと生きている感じがするのだ。

私はと言うと、常に周りの目線を気にしては常に浮足立って生きている心地がしなかった。

 

なんで自分はこうも空っぽなのだろう。

そう思えて仕方がなかったのだ。

 

去年の末からライティングを始め、こうして毎日記事を書く習慣をつけて行ったが、書くときも空っぽな自分を痛感していた。

書くということはその人の人生観や生き方が反映されてくるものだ。

今日見た景色や、今までに得た経験などから記事のネタが生まれてくることが多い。

 

書いては書くほど、空っぽな自分に嫌気がさしてきたしまったのだ。

 

やはり、面白くてバズるような記事を書く人は、人生経験も豊富だ。

いろんな挫折や窮地を乗り越えてきた人が書いた文章は重みがあって、多くの人の心に届く。

大地にしっかりと立ち、毎日を必死に生きている人が書いた文章はやはり面白いのだ。

 

私はそんな面白い記事を書いているライターさんを見ては、自分の文章の浅はかさを痛感し、劣等感を感じるようになった。

なんで自分は空っぽな人間なのだろうか。

 

昔から浮足立って周囲に流されて生きてきた私が書いた文章など面白いはずがない。

そう思えて仕方がなかった。

 

私が書くことに悩んでいた時、仕事終わりにとあるラーメン屋さんに立ち寄ることがあった。

そのラーメン屋さんとは最近出会い、お金に余裕があったらよく訪れていた。

 

「はい、いらっしゃいませ」

笑顔で店員さんは迎えてくれた。

 

私は券売機でいつものように中華そばを注文し、席に着いた。

5分くらい待ってからラーメンがやってきた。

湯気が立ち、麺とスープが絡み合った濃厚な味わいだ。

私はいつものように麺をすすりながらラーメンを食べていった。

そして、ふとあることに気づいた。

 

なんでこのラーメン屋さんの店主は毎回、美味しいラーメンというコンテンツを提供できるのか?

どんな時に来ても100発100中で美味しいのだ。

それって当たり前であるようで凄いことなのでは? と思ったのだ。

 

私のようにライティング習いたての人が記事を書くと、どうしても記事自体にクロリティの差が出てきてしまうものだ。

ある時は強烈にバズって評判が良くても、ある時は全く面白くない文章を書いてしまう時があったのだ。

その時は面白いはずだと思って書いていても、後から見返すとスカスカで内容がない文章なことに気づかされるのだ。

 

このラーメン屋さんの店主のように、毎回濃厚で美味しいコンテンツを提供できるのは凄いことだと私は思った。

 

ある程度ラーメンのレシピというものはある。

しかし、そのレシピがあるにしても、なんでこうも毎回美味しいラーメンというコンテンツを提供できるのか?

そう思って私はラーメンを茹でている店主の顔をじっと見つめた。

とても真剣な目つきが店主はラーメンを茹でていた。

 

聞いた話によるとプロ中のプロのラーメン屋さんは、ちょっとした湿度や気温の変化に合わせてラーメンを茹でる温度を調整しているらしい。

そうしないと麺の茹で加減にアラが出てきて、時によって硬かったり柔らかかったりするのだ。

私の行きつけだったそのラーメン屋さんは麺の茹で加減に全くアラがなかった。

どんな時に来ても、毎回同じ茹で加減で、ビシッとした麺が濃厚なスープに絡み合っているのだ。

 

私は真剣な眼差しでラーメンを茹でている店主を見て、やはり熟練の技はすごいなと思った。何年も修行したのだろう。

 

私の目の前のお客さんが席を立った。

「ありがとうございました」

それはそれはとびっきりの笑顔で店主はお客さんを見送っていた。

 

その時、私は思った。

たぶん、この店主さんは目の前の人をどう楽しませるか? しか考えてないのだ。

 

真剣な眼差しで麺を茹でているのも、待っているお客さんに美味しいラーメンを提供したいという一心なのだ。

ただ単に目の前にいるお客さんを楽しませたいのだ。

 

その店主の思いが濃厚なスープににじみ出ているのだと思う。

料理もその作り手の心が反映されてくるのかもしれない。

 

私は自分のプライドに突き動かされ書いていた節もあったと思う。

しかし、一番大切なことだったのは、いかにして目の前の人を楽しませるか?

ということだったのだ。

 

毎日をポジティブに生き、どんなに辛いことがあっても乗り切り、目の前の人を楽しませようというその人の心が、記事にも反映されてくるのだ。

 

私は無駄なプライドに突き動かされて記事を書くのではなく、

一番大切だったのは目の前の人をどう楽しませるかということだったのだ。

 

どうやって楽しませようか? 

こんなネタは面白いかな? などと目の前の人をいかに楽しませるかという視点を考えながら記事を書くようになると、不思議とネタも増えてきて、書くことが楽になったのだ。

 

私はまだまだ未熟だと思う。

だけども、美味しいラーメン屋さんのように、毎回濃厚なコンテンツを提供できるようになりたい。

そう思いながら私は今日もライティングに励んでいる。