読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

書くことも「数こそ質なり」

f:id:kiku9:20170329070425j:plain

 

「書けない……」

それは最近の私の悩みだった。

とあるライティング教室と出会い、書くことを一から学んでいったが、どうしても書ける時と書けない時のバラつきがある。

 

 

私は元々書くことは好きだった。

大学時代もいつも、脚本ばかり書いていた。

しかし、一介の映画人になったふりをして、自分の殻に閉じこもりながら書いていたのだろう。

どんなに努力しても映画祭などで私の映画が評価されることはなかった。

 

書くことにおいても、人一倍努力はしてきたつもりだった。

しかし、プロ級のすごい濃厚で、面白い記事を書くライターさんには勝てなかった。

 

なんでこんなに面白い記事が書けるんだろう……

なぜ、これほどバズを起こせるのだろう……

 

私はフェイスブックに流れてくる面白い記事を見るたびにそう思っていた。

私の文章といえば、どんなに頑張っても1万pvもいかなかった。

 

どんなに努力しても無駄なんじゃないか?

そんなことも思った時期もあった。

 

努力は量か? 質か?

私は中学の頃からそのことを悩んでいたのかもしれない。

 

努力というものは難しいものだと思う。

努力するのはもちろん大切なことだが、努力しているだけだと、

「これだけ頑張ったんだから自分は大丈夫だろう」

という安心材料にもなりうるのだ。

 

努力をきちんと正確にやっているライターさんは、量以上に質を大切にしているんじゃないか?

才能のある人は週に一回だけども、きちんと時間を作って、質の高い記事を書いている。

自分みたいに毎日ダラダラと量をこなしているわけではない。

そう思っていた。

 

 

努力だけでは才能のある人には勝てない……

努力というものの難しさを最初に痛感したのは、私が中学の頃だったと思う。

 

 

中学2年まで私は一切勉強というものをしてこなかった。

子供の頃から文字の読み書きが苦手で、本を年間1冊も読んでこなかったのだ。

読みたくても読めないのだ。

文章を読んでいると、文字に酔ってきて、気持ち悪くなってしまう。

 

自分は読み書きが苦手なバカなんだから仕方ない。

そう投げやりになっていた私は小学校から中学2年まで、ほとんどペンを持ったことがなかった。

 

そんな時、ふと同級生の友達に「塾の体験授業に出ないか?」

と誘われた。

 

塾? 

ま、もうそろそろ部活も引退で暇になるから、塾でも覗いてみるか。

そんな風に始めは気楽に考えながら、ひとまず私は塾の体験授業に参加することにしたと思う。

 

体験授業が始まり、目がギラッとしたいかにも怖そうな講師が現れた。

その講師が発した言葉に私の人生観は変えられたのかもしれない。

 

「知らないということは恥なんです。漢字でもなんでも、わからないでいるのは恥ずかしいことだと思う。勉強できる時期には、きちんと勉強しろ!」

 

私はポカンとなっていた。

知らないということは恥なんだ。

これまで私は小学生レベルの漢字が読めず、クラス中の人から変な目で見られても、

自分はバカだから仕方ないと思っていた。

 

だけど、知らないということは恥ずべきことなのか。

情けないことだったんだ。

そう思った私はそれから一気に勉強をするようになった。

 

勉強を始めても小学生レベルの算数もほとんどわかってないレベルだった。

私は小学生用の漢字ドリルから全てやり直すことにした。

英単語もほとんど覚えてこなかったので、毎朝時間を作って暗記することにした。

 

一日何時間勉強していたのだろうか?

多分多い時には10時間以上勉強していたと思う。

受かりたい高校があったというわけではなかった。

ただ、勉強が面白いことに気づけたのだ。

これまで文字の読み書きが苦手だと言って、逃げていたが、きちんと勉強すると学問の世界はこんなにも奥深いんだなということに気づき、私は勉強にのめり込んでいった。

 

塾には午前中から通い、朝から何時間もかけて英単語を暗記していった。

私の成績は伸びていった。

しかし、ある程度限界までくると横ばいになっていった。

 

なんでこれ以上伸びないのか?

私はそう悩んでいた。

友人は「無駄な勉強をしすぎなんじゃない?」と言っていた。

 

私はとにかく圧倒的な量が大切だと思い、物覚えが悪い私は、何をやるにも人の倍の時間がかかるため、英単語の学習も3時間以上費やして、暗記していった。

量をこなして安心していたのかもしれない。

 

それでも私は量をこなしていった。

自分にはこの努力で、頭のいい人に打ち勝つしかない。

そう思っていたのだ。

 

頭のいい人達は中学3年の夏休みまで、部活に専念し、忙しい部活動の合間でも集中して、質の高い勉強をしていた。

私はといえば、部活のスタメンに入れなかったこともあり、春には引退していたのだ。

時間だけはあった。

頭のいい人よりも時間をかけて努力しているつもりだった。

 

しかし、私は第一志望の公立高校には落ちた。

なんとか私立の学校に受かったはしたものの、努力だけでは頭のいい天才肌の人には勝てなかった。

 

努力するだけじゃダメなんだ……量をこなすだけでは天才肌には勝てない。

そんな諦めの精神を感じてしまったのかもしれない。

 

数年後、ライティングの魅力に気づいてこうして文章を書くようになってもその考えは私につきまとっていた。

量をこなすだけではダメなんだ。才能のある人には勝てないんだ。

そう思っていた。

 

そんな時、この本と出会った。

タイトルを見た瞬間ビビッときた。

これだ。

最近、私が思い悩んでいた答えがここにある。

そう直感的に思った。

 

タイトル名は「数こそ質なり」

人の10倍以上の手術数をこなす心臓外科医のプロフェッショナルがまとめた努力の仕方がそこにはあった。

 

心臓外科医は職人だと言われている。

繊細な心臓にメスを入れるということは、何よりも経験値が必要なのだ。

その経験値を身につけるには質以上に量が大切だという。

 

「数は知識を凌駕する。天才でない限り数をこなすのは必須」

 

職人の技術が必要な心臓外科医で、同期の中でも差が出てくるのは数をこなせたかどうかなのだ。

手術の質よりも数が大切なのだ。

著者の新浪先生は、日本の心臓外科のレベルの低さを痛感し、あえて量をこなせる環境を追い求めて、心臓外科手術の数が多い、オーストラリアの病院に勤務する道を選んでいった。

そこで、職人技を身につけるには質以上に量が大切だと痛感したという。

 

「数こそ質なり」

この本の中では何度もそれが登場する。

 

私はライティングにおいても、努力以上に質が大切だと思っていた。

しかし、数こそが質なのかもしれない。

人一倍書いて書きまくって、実戦経験を積んで数をこなすのが、才能のある人に勝つ唯一の方法なのだと思う。

 

それはどんなことにも言えるのかもしれない。

中学の頃に、私が受験に失敗したのも、質も大切だったが、過去問を解く量が足りてなかったのだ。

実戦での経験値が足りなかったのだ。

営業やエンジニア、どんな仕事に就くにしても、実際に手と足を動かして、実践的に仕事を学んでいくことが何よりも大切なのだと思う。

 

 

練習よりも何よりも実践。

数が知識を凌駕する。

本当にそうなのだ。

 

ライティングにおいても、質以上に量だったのだ。

そう思った私は、今日もライティングに励むことにしている。