吉祥寺で見かけたインド・バラナシの光景
「あ!」
それは突然だった。
私が吉祥寺に買い物に出た帰りに、自転車で道路を走っていると、道路の隅っこに猫が転がっているのを見かけたのだ。
交通量が多い道路だ。
たぶん、猫は道路に飛び出してしまい、車にひかれたのだろう。
運転手も猫をひいたことに気づいていないのかもしれない。
交通量が多い道路のため、次から次に来る車は猫の死骸を避けるようにして走っていた。
道路の隅っこに死んでいる猫を見て見ぬ振りをして、それでも日常が進んで行く。
そんな光景に私は憤りを感じてしまった。
なんでみんな猫を見て見ぬ振りできるのだろう。
たぶん、警察に通報すると色々手続き等があって、面倒なことに巻き込まれるのが嫌なのだろう。
だけど、明らかに30分以上猫の死骸が道の真ん中で放置されているのだ。
私は人々の無関心さに腹が立ったが、自分はどうなのかと思ってしまった。
自分も面倒に巻き込まれるのが嫌だからという理由で、つい猫の姿を見て見ぬ振りしそうになったのだ。
身近に潜む死に対し、自分も無関心を装っていたのだ。
私はそんな自分を感じるとともに、道路の真ん中で死があるのに、その周辺では当たり前のように日常が進んで行く光景を見て、あの強烈な体験を思い出していた。
自分の血肉となっているあの光景を……
「なんだこの国は」
私はその時、インドに降りたっていた。
周囲から発せられる異常な熱気と暑さに滅入ってしまい、私は空港から出た瞬間こう思った。
「なんでこんなところに来てしまったのだろう?」
一人でポツンとデリーの空港で立っていると客引きが声をかけてくる。
「俺のタクシーに乗っていけ」
「お前ジャパニーズか? 俺はジャパニーズが大好きなんだよ!」
私はデリーの空港からタクシーに乗ると、大変な目にあうと聞いていたので、すべての客引きを無視して、手配したツアー会社の人についていった。
空港から出た瞬間、生卵が腐ったような臭いに私は鼻を塞いでしまった。
なんだこの国は?
どうなってんだ?
真っ暗闇の通路を進んで行くとあたりには野良犬が所々で寝ていて、つい踏みそうになってしまった。
明らかに狂犬病を持っている野良犬だ。
よくもこんな環境で暮らしていけるな……
正直、そう思ってしまった。
タクシーに乗って、デリーの中心街へ向かっていると、再び強烈な光景を見てしまう。
信号待ちのたびに、ボロボロの服を着た物乞いたちがやってきてのだ。
物乞いも数も一人や二人じゃない。
すべての信号で待機しているくらいの物乞いの数なのだ。
そこにはボロボロの服を着ながら、懸命に慈悲を求める少女と子供達の姿があった。
ここまで貧富の差があるのか……
と私は呆然としてしまった。
私のように空港からタクシーに乗って、都市部に向かう人たちは豊かな先進国から来た旅行者がほとんどだった。
そんな旅行者は皆、物乞いを見て見ぬ振りをしていた。
私はどこかこの子達を上から目線で哀れんでいる自分を感じた。
たまたま私は先進国で生まれ育ち、たまたま子供達はインドの貧しい家庭で生まれ育ったのだ。
先進国から旅行目的で来た私は、インドの営みを見てとても罪悪感を感じてしまった。
上から目線で彼らを見ていることに後ろめたさを感じたのだ。
私がインドに行こうと思った理由。
それは就活をしている時だった。
私が就活をしていて痛感したことは、物事はある程度なるようにしかならない……ということだった。
同じ大学を出ていても、あっという間に大手から内定をもらえる人もいれば、何度受けても内定をもらえない人がいる。
面接官がこの人は何となく使えそうだな。
この人は何となくうちの社風にあっているなど……
ほとんど何となくで決まっていく。
私はその頃、マスコミに受かりたく死に物狂いで就活をしていたのだが、結果は惨敗。
内定が出るあの人達と、自分の違いは一体何なのかと思って苦しんでいた。
そんな時ふと、
物事はある程度なるようにしかならないんだなと思ったのだ。
諦めということではないが、努力したら全員が売れっ子ミュージシャンになれるわけではないし、全員が小説家になれる訳ではない。
今まで義務教育という社会に敷かれたレールの上を歩いてき、皆と同じように過ごしていた私には衝撃的な体験だった。
大手企業に入って年収が1000万を超える人と中小企業で年収が300万の人とに分かれていく光景を見て、私は身動きが取れなくなってしまっていたのだ。
就活は私にとって、なるようにしかならない物事もこの世にはあるんだなと痛感した出来事でもあった。
そんな時、ふとインドの人たちは何を感じ生きているのか気になったのだ。
カーストという厳重な身分差別が浸透しているインドでは今だに貧富の差がある。
そんなどうにもならない現実を目の前にして、ガンジス川沿いの人たちは何を思って生きているのか? と気になったのだ。
私はデリーとアグーラーで数日滞在したのちに、ヒンズー教の聖地バラナシに向かうことにした。
バラナシで数泊し、最終日にガンジス川沿いで毎晩行われているプージャーと言われる礼拝を見てみようと思ったのだ。
暗くなってからガンジス川沿いのガートに行くと、そこには観光客と物乞いでひしめき合っていた。
ガンジス川に祈りを捧げるプージャーが終わると、どっと観光客がホテルに帰りだした。
それと同時に物乞いがガート沿いに一気に駆け込んできた。
「マネー! マネー! マネー!」
どこに行っても掛け声が聞こえて来る。
そこには両足がないまま生まれ、一生地面に這いつくばって生きているおじいさんや明らかに発達障害がある子供を抱きかかえながら慈悲を求めるボロボロの母親などが私に声をかけてきた。
皆ただ生きることに必死なのだと思う。
私はインドの人たちが抱えている身近にある死というのを感じた。
輪廻転生を信じる人々は、死そのものにあまり恐怖を感じていないという。
死と生きることが内包している感じだ。
しかし、それでも死が身近に迫っている人たちを見て、私はどうしても無関心ではいられなくなってしまった。
どうにもならない現実を目の前にして、日々懸命に生きている彼らの姿を見て、哀れんだ目で見ることができなかった。
そんなインドで見た光景を、遠く日本の道路でうずくまっている猫の死骸を見ながら思い出した。
周囲は身近に起こった猫の死というものに無関心を装っている。
ごく当たり前のように日常が進んでいっている。
私も無関心を装って、そのまま通り過ぎようかと思った。
しかし、インドで見たあの光景が脳裏に焼き付いていて、身近にある死というものに対し、無関心ではいられなかった。
死んだ猫を無関心でいる日本の人々もどうなのか?
私はどうしても無関心を装って、通り過ぎることができなかった。
どうにもならない現実を目の前にしても、日々懸命に生きている人たちがいる。
物事はある程度なるようにしかならないこともある。
しかし、もがくのが大切なのではないか?
そんなことをインドでは感じたのだ。
きっとあの猫ももがきながら、東京という無機質なコンクリートジャングルの中で生きてきたのだろう。
私は精一杯生きた猫を葬るために、近くにあった交番に駆け込んで、警察の方に対応を頼むことにした。
どうしても見て見ぬ振りをして、通り過ぎることができなかったのだ。