ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

あの日、私が見たのはエガちゃんの姿だった

 

あの日、東京が全停止した日。

 

私は公民館の自習室で勉強をしていた。

 

前日に国立大学試験の結果発表があり、思っていた通りに落ちていて、一年間の浪人生活が決定していた。

私の気分はどん底だった。

 

あ、やっぱり落ちた。

勉強へのモチベーションもほとんどなかった。

 

現役の頃、私は焦っていた。

将来、何がしたいのか全くわからなかったのだ。

特にやりたいこともないのに、何だかみんながちょっとでも偏差値が上の大学を目指して勉強しているから自分もひとまず勉強しているにすぎなかった。

 

高学歴になれば人生勝ち組だ。

どこの大学に入るかで人生変わってくる。

今思えばどこの誰がこんなこと言いだしたかわからないが、そんな感じの風潮があって、みんな必死こいえ少しでも偏差値の上の大学を目指して勉強していった。

 

私はといえば、先行きの見えない未来にモチベーションが上がらず、興味があった映画作りができるという理由だけで美大受験を考えていたほどだった。

ずっと、進路先があやふやでグラグラしていたのだ。

 

美大は一般大学よりも倍以上の学費がかかるため、親の都合もあって諦めることになったが、私は一般大学に向けて勉強をしていくモチベーションがなかった。

 

特に行きたい大学もないしな。

よくみんな行きたい大学もないのに勉強できるよな……

そんなことを思っていた。

 

案の定、高校3年生の終わりまで進路先で悩み、軸がグラグラだった私はセンター試験でもボロボロだった。

 

そのまま一年間の浪人生活を送ることが決定した矢先、あの出来事が起こったのだ。

 

今でも覚えている。

自習室で勉強していた時、異常なほどにビルが揺れたことを。

その場にいた全員がパニックになり、机の下に入っていった。

 

自分が体験した中では一番の揺れだった。

1分近く揺れが続いたと思う。

公民館のビルは大パニックだった。

 

「ひとまず、皆さん外に避難してください」

私は係員に連れられ、ビルの一階に向けて、非常階段を降りていった。

階段の途中で、壁に亀裂が入っている箇所を見た。

 

震度6はなかったか?」

「さっきニュース見たけど、東京は震度5だってよ。震源地は東北らしい」

そんな会話が聞こえてきた。

 

東京でもあんなに揺れたのに、震源地は東北なのか……

現地はどんだけ揺れたんだ。

 

私は公民館の地下に止めていた自転車に乗って、家に帰ることにした。

携帯電話には親戚中からメールが飛んできた。

「東京は大丈夫だった?」

「今どこにいるの?」

 

私はひとまず、返信するも電波がパンクしていてメールが送れなかった。

 

自転車で家に向かっている途中も余震にあった。

電信柱がグラグラ揺れていたのだ。

 

私はなんとかして家に帰ると、家の中の本棚や棚が倒れていて、家の中がぐしゃぐしゃになっていた。

何が起こったのか私は一瞬わからなかった。

 

ひとまず、テレビをつけてみると、東北でとにかく大きな地震があったことがわかった。

そして、海沿いの町中が津波に飲み込まれた姿を繰り返し放送していた。

 

こんなことが現実に起こるなんて……

私は呆然としながらテレビを見ていたと思う。

 

東京のほとんどの電車も全停止して、帰宅難民で溢れかえる中、私はテレビにかじりついて見ていたと思う。

 

近くにある甲州街道ぞいを見てみると、新宿から歩いてきたであろうサラリーマンでごったがえしていた。

 

私は悲しい出来事を繰り返し放送しているテレビに嫌気がさして、勉強をしていたと思う。

 

なんで日本は悲しい出来事があると、みんなで悲しみましょうという風潮があるのか……そういう時こそバラエティ番組が必要なのに、どこのテレビ局も批判を恐れて放送していたなかった。

 

私は特に目標の大学がなかったが、辛い現実から逃げるかのように勉強していった。

 

私はそんな風にして震災で日本中が大パニックに陥っている時に、浪人時代を経験した。

 

特にやりたいことはなかった。

行きたい大学は見つからなかった。

 

だけど、私は悲しみに溢れているテレビから目を背ける意味も込めて勉強に励んでいたと思う。

 

私の浪人時代の記憶は苦しんでいた記憶しかない。

ただでさえ、受験に失敗してへこんでいるのに、テレビをつけても常に悲しいニュースが流れているのだ。

 

そんな時だった。エガちゃんのニュースが流れたのが……

 

「何やらエガちゃんが東北までトラックで走り回って、避難物資を届けているらしい」

そんなニュースが流れた。

 

は? エガちゃんだって。

私は驚いた。

エガちゃんといえば、もちろん江頭2時50分さんだ。破天荒で無茶苦茶な芸人で知られている。

 

どうやら放射能の危険で騒がれている矢先、危険も顧みず、トラックいっぱいの避難物資を借金をしてまでも手に入れて、東北の被災地まで届けているらしいのだ。

 

現地でエガちゃんの姿を見た人が、ツイッターでつぶらいてあっという間にニュースになっていた。

自分の命の危険も顧みず、被災した人たちを助けに行った姿に多くの人が賞賛をあげていた。

私もなんかかっこいいと思ってしまった。

 

エガちゃんは昔から頑張っている人を見かけると、全力で応援したくなる癖があるらしい。オリンピックの時も、自腹で現地に飛び、全力で旗を振っている姿がカメラで抜かれて日本中に流れていた。

 

どうやら彼自身、悲惨な幼少期を過ごしていたらしく(テレビでは絶対言えないくらいの)その反動もあってあのエネルギーが生まれているという。

頑張っている人を見かけると何ふり構わず全力で応援したくなるのだ。

人のためになって全力で尽くすのだ。

 

彼のそんな人柄のためか、いくら下ネタを言って、バッシングを食らっても、彼はずっとテレビに必要とされるのだろう。

 

私はそんな風に人のために全力で尽くす姿を見て、自分が情けなくなってしまった。

 

所詮、自分は自分のことしか考えてなかったのだ。

行きたい大学が決まらなかったのも自分のことしか考えていないからかもしれない。

 

人間の記憶はうまいことできているので、辛い出来事があったらどんどん忘れていくようにできている。きっと、あの辛い出来事も風化していってしまうのかもしれない。

しかし、あの時、人のために全力で尽くした人の姿は、いつまでも人々の記憶に残るのだと思う。

 

私は震災の時、本当に精神的に滅入っていて、辛い出来事しか覚えてない。

しかし、なぜか東北で避難物資を届けて回ったエガちゃんのニュースだけは異常に頭にこびりついているのだ。

 

私もそんな風にして人のためを思って生きているのか?

人のためを思って文章を書けているのか?

 

そんなことをふと考えてしまった。