コミュ障だった私が見つけた、喋りという名の防衛本能
「俺、実は全く勉強できないんだよね」
とある芸人がテレビ番組でそう言っていた。
私は驚いた。
え? 勉強できない? めっちゃテレビで知的そうなイメージあるんだけどな。
その芸人はアメトークの家電芸人などによく出演していて、知的で物知りのイメージが強かった。
「家族の中で一番勉強ができないんですよ。日本史なんて全くできません。アホですアホ」
よく考えたら、その芸人はイメージでは物知りだと思っていたが、クイズ番組などに出演しているところを見たことがない。
クイズが苦手だとわかってるから、あえて出演していないのかもしれない。
喋りというものは私が長年抱えていた問題だった。
私は全く喋れなかった。
どうも人とのコミュニケーションが苦手だったのだ。
私は幼稚園の頃、あるサッカーチームに所属していた。
幼稚園の頃は、チームメイトとよく会話をして、よく遊んだりもしていた。
友達の家に行って、ゲームで遊んだりもしていた。
活発な子供だったと思う。
しかし、幼稚園を卒業するタイミングでチームメイトとは別々の小学校に進むことになった。
「また、遊ぼうね」
「じゃあね」
そんなことを行って別れたと思う。
そうしているうち小学校の新生活が始まった。
私が通い始めた小学校では幼稚園からの知り合いがほとんどいなかった。
ほぼ誰も知り合いがいないクラスの中、それでも私はクラスに馴染んでいった。
小学校のクラスの雰囲気が好きだったのかもしれない。
新しい新生活に慣れ始めた頃、幼稚園から続けていたサッカーチームの練習が始まった。
久々に幼稚園の友達に会えるのだ。
私はウキウキだった。
私は自宅から自転車で練習場所の公園に向かっていった。
公園にはもうチームメイトが集合して、練習を始めていた。
「おはようございます」と挨拶するのがそのチームのしきたりのようなものだった。
私はこれまでと同様に挨拶しようと気持ちを一気に固めた。
「おはよう……」
私は自分の異変に気付いた。
声が出なかったのだ。
あれ、おかしい。
なぜ、声がハキハキと出ないんだ。
「もっと声を出せ」
とチームの先生に怒られた。
私はこれまで幼稚園の同級生とは何不自由なく会話ができていた。
しかし、幼稚園を卒業して、私だけが別の学校に進むことになった。
他のチームメイトのほとんどが同じ小学校に通っていて、そのまま親しいもの同士の
グループが出来上がっていた。
私はこれまで自然に話していてチームメイトとどこか距離を感じ、突然話せなくなってしまったのだ。
グループからつまはじきにされているような気がして話せなくなったのだ。
私は居心地の悪さを感じながらもそのサッカーチームを続けていた。
辞めますという自信がなかったのだ。
いてもいなくても変わらないのに、そのチームの練習には顔を出していた。
「早く練習終わらないかな」
そんなことを思いながら練習に向かっていた。
思い返すと私はそのサッカーチームで空気のように振舞っていたと思う。
いてもいなくても変わらない存在。もちろんスタメンではなかった。
同じ小学校に通う仲の良いチームメイトとは壁を猛烈に感じてしまい、コミュニケーションが取れなくなってしまったのだ。
自分で人との壁を作ってしまったのかもしれない。
小学生だった当時の私にはその出来事が猛烈にトラウマになっていた。
結局、私は小学5年生の終わりまで、そのサッカーチームを続けていた。
辞めますと言い出せなかったのだ。自分はいてもいなくても変わらない存在だとわかっていたのに、辞めると言い出せずにいた。
その経験が猛烈に影響を受けてか、大好きだった自分が通う小学校のクラスでも、うまく馴染めずに、クラスの隅っこにいるような生徒になってしまった。
どこか人との間に壁を感じる。
なぜか、突然喋れなくなってしまったのだ。
そして、小学6年生になり、中学にあがる段階になって私は喋るということを諦めてしまった。もう無理だ。人とのコミュニケーションは諦めようと思ったのだ。
それでもクラスの中心的な人たちに私は憧れていた。
しかし、自分はそんな存在にはなれないことがわかっていた。
喋れないからだ。
どうしても人との間に壁を作ってっしまう癖ができていて、私は喋れなくなってしまっていた。中学校では他人に悪口を言われても言い返せずに、ずっと腹の中に溜め込むような感じで3年間を過ごしていたと思う。
人とのコミュニケーションが苦手だ。自分の殻にこもっていた方がいい。
そんなことを思っていた。
ずっと殻にこもって生きてきたと思う。
しかし、喋りというものが猛烈に必要になる機会があった。
それは就職活動だ。
就活は学歴がある人の方が有利なのはもちろんだが、何よりも喋りがうまく、面接官に好印象を与えられる人が圧倒的に有利だった。
グループディスカッションなど、テーマをきちんとまとめ上げることができるリーダー的な存在の人はもはや就活で無双していた。
どこの企業を受けても内定をもらえていた。
私は喋りやコミュニケーションというものが大の苦手だった。
しかし、就活でいい企業に入るためにはどうしてもこの喋りというものを克服しなければならない。
私は就活関連の本やコミュニケーションの本を読んで、人を惹きつける喋りについて勉強していった。
滑舌が昔から悪かったので、滑舌の本も読んだ。
模擬面接などを受けて、面接官に好印象を持たれる喋りを必死になって考えた。
しかし、無理だった。
どうしても小学校から続く人との間に壁を作ってしまう癖が抜け出せずにいて、面接官との間に距離を感じてしまうのだ。
私は結局、ほとんどの企業で内定をもらえなかった。
思うに、世の中喋りが上手い人が勝つのだと思う。
芸術の世界もそうで、映画監督として名を馳せる人はセンスのいい映像を撮れるというよりかは、人を惹きつける喋りができる人間が世の中に出てくる。
映像のカット割りなどはカメラマンに任せとけばいいのだ。
監督はスタッフや映画会社のお偉いさんをまとめあげて、指揮をとれる人間の器があるかどうかが一番の肝になってくる。
アニメ評論家の岡田斗司夫も同じようなことを言っていた。
「庵野秀明がすごいのはアニメーターとしての腕はもちろんだけど、何よりもあいつは飲み会で目立つんだ。大学の同級生との飲み会でもいつも中心にいるのはあいつだった。とにかく人をまとめていくのが上手いんだ」
喋りが苦手な私はどうしたらいいかずっと悩んでいた。
就活の時も喋れない自分に悩んでいた。
世の中喋れる人間が勝つのなら、喋れない私のような人間はどう戦えばいいのだ。
そんなことを思って、無駄にコミュニケーションなどのハウツー本を読んでは喋りについて研究していた。
そんな時にこんな本と出会った。
「松本紳助」
それは伝説のお笑い番組を本にまとめたものだった。
松本人志と島田紳助が二人でしゃべり尽くすこの番組はリアルタイムでは見たことなかったが、YOUTUBEなどにアップされていて、私はたまに古い回を見たりしていた。
独特な喋りをする松本人志と猛烈なカーブを投げ込んで笑いを取っていく島田紳助のコンビでしゃべり尽くすこの番組は今でも多くのファンがいるという。
私もYOUTUBEにアップされている二人の会話を聞いていて面白いなと思っていた。
そんな番組の内容を本にまとめあげたものを本屋で見かけ、私は早速読んでみることにした。
さすが天下の松本人志と島田紳助だから、人生観や考え方が普通の人と違って面白い。
私はのめり込むようにして二人の会話をまとめた本を読んでいった。
そして、ある一行が気になった。
それは喋りについてまとめた箇所だった。
二人は喋りというものを商売にしている。
そんな喋りのプロは喋るということをいったいどんな風にして考えているのだろうかと思っていた。
二人はこう語っていた。
「喋りは防衛本能。全てを学ばなくていい。阪神タイガースの選手の名前を答える時も、メジャーじゃないマニアックな選手をあえて熱く語っていれば、自然と相手は阪神に詳しい人だなと思ってくれる。そうやって勉強ができない自分を喋りという防衛本能でごまかせる」
喋れる人は頭の回転が速いわけでも、ものを多く知っているわけでもない。
喋りの引き出しのトピックの持ち出し方がうまいのだ。
外側の難しい話を一個知っているだけで、内側のことまで全部知っていると勝手に判断されるのだ。
私はずっと多くの外側の知識を詰め込まないと喋れるようにはならないと思っていた。
何か特別なコミュニケーションのツールがあると思っていた。
しかし、そんなものはなくて、あえてマニアックなものを喋るだけで、自然と相手はこのことに詳しい人だなと判断してくれるのだ。
全てを学ぶ必要はない。肝心なことを知らないでも世の中渡っていける。
そんなことを二人は語っていた。
喋りはただの防衛手段なんだなと思ったら、コミュニケーションにコンプレックスを抱いていた私は少し気持ちが楽になった。
全てをうまく喋ろうとするのでなく、特定のマニアックなものだけをトピックに持っていく防衛手段を使いこなせさえすればいい。
それが世渡り上手の人の秘訣なのかもしれない。
私も喋りという防衛本能を使いこなせるようになりたい。
そんなことを最近は思うのだった。