ライティング・ハイ

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「鋼の錬金術師」を読むといつも私は……

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「ナンダコレハ」

小学生だった頃、初めてみた「鋼の錬金術師」アニメ放送のエンディングを見て、驚いたのを今でも驚いている。

兄弟たちが背負った罪が明かされた時、私は呆然としながらテレビを眺めていたと思う。

 

次の日、学校に行くと「鋼の錬金術師」の話題で持ちきりだった。

「なんかすごいアニメ始まってない?」

「誰か漫画持ってない?」

 

クラスの中の漫画オタクっぽい子が先生にバレないようにハガレン5巻分の単行本を持ってきていた。

彼の周りには人たがりができた。

「私にも見せてよ〜」

「なんかすげ〜漫画だな」

 

クラスメイトは興味津々だった。

アニメ放送が始まった時、確かハガレンは単行本5巻分しか発売されていなかった。

しかし、本屋では山積みにされ、巷ではハガレンの話題でいっぱいだった。

当時のアニメ好きの人たちの間で

「なんかすごい新人が出てきた」と話題になっていた。

 

私もそんなハガレンブームに乗って、単行本を読み始めた。

 

1巻目の初っ端から凄いのだ。

今思うと、子供が読む漫画にしては生命倫理を問う重たい内容だなとは思うが、とても深くて面白いのだ。

母親を蘇らせようとし、人の命を弄んだ罪を背負った兄弟の物語に多くの人が涙したと思う。

月刊連載漫画のため、すぐに単行本が出るわけではなかった。

半年に1巻発売されていくようなペースだった。

 

私は中学生の頃までずっとハガレンを単行本が発売されると同時に買い続けていた。

買い続けていたが、ある時苦しくなってしまった。

漫画で描かれている生命倫理の内容が自分に重なって見えてしまったのだ。

 

結局、ハガレンは10年近くの連載期間を経て、完結した。

最終巻を読んだ時、私は大学生だった。

また面白い漫画が終わってしまった……

そう思い寂しくもなった。

そして、ハガレンを読んでいる時に感じていた私自身が犯した罪の意識を思い出していた。

それは他人の目には大したことには見えないかもしれないが、自分にとってはトラウマ的な出来事だった。

 

 

 

私は小学生だった頃、二匹の亀を飼っていた。

親に頼んで亀を買ってもらったのだ。

二匹ともミドリガメで大きい方を亀太郎、小さい方を亀二郎と名付けていた。

 

買い始めた頃は二匹とも手のひらサイズでかわいらしい容姿だった。

私はその二匹の亀を可愛がって育てていたと思う。

 

しかし、ミドリガメを飼ったことのある人なら感じたことがあるかもしれないが、

亀はとてつもなく成長が早い。

あっという間に手のひらよりも大きくなってしまったのだ。

二匹の亀が飼っている水槽はスペースが足りなくなってしまった。

 

私は急いで大きな水槽に変えた。

そうしてもまた一年後には亀の体重は増加して、より大きな水槽を買う必要が出てきた。

その頃になると可愛らしい容姿が嘘みたいになり、頑丈な歯を使ってムシャムシャ餌を食べるようになっていた。

 

水槽が小さいため、二匹とも暴れるようになった。

ベランダからカタカタ音が聞こえてきて、私は頭を悩ませていた。

あんなにデカくなるとは思わなかったのだ。

 

二匹の小さい方の亀は水槽が小さいせいか、体が傷だらけになり、どんどん衰弱していった。餌を与えても食べなくなったのだ。

そして、数ヶ月後に死んでしまった。

 

一匹が死に、水槽にスペースが空いたため、大きい方の亀はより一層成長の度合いが増していった。

毎日のように大量の餌を食べ、大量の糞を出していった。

 

私は週に一回していた水槽の掃除もおろそかになっていった。

いくら掃除してもすぐに汚くなるのだ。

亀の甲羅についた雑菌を取り除こうと、亀を捕まえてゴシゴシ洗っても、すぐに汚くなる。

大きい図体のくせに、ものすごくすばしっこいのだ。

水槽の掃除をするのにも手がかかった。

 

昔は小さくて可愛かったのに……

 

私は大きくなったミドリガメに手を焼いていた。

 

そして、中学の2年が終わり、受験を意識し始めた頃、私は勉強に集中していった。

毎日のように塾に通い、夜遅くまで勉強していった。

いつしか、亀に餌を与えるのもおろそかになった。

週に一回やっていた水槽の掃除もやる時間がなくなってしまったのだ。

 

亀は水槽の中でカタカタ暴れ出していた。

もっと餌をくれと叫んでいたのだと思う。

 

その頃には両手で抱えるぐらいの大きさになっていたので、月の餌代もバカにならなかった。

ベランダでカタカタ音が聞こえるたびに、私は大量の餌を水槽の中に投げ込んで、亀を落ち着かせていった。

今は勉強に集中したいんだ。

我慢してくれ。

 

そして、受験の天王山と呼ばれる夏期講習が始まった。

私はよりいっそう、勉強に集中していった。

今は勉強しなければいけない。

そう思っていたのだ。

 

夏休みが中盤になり、家にこもって勉強していると外から悪臭がしてきた。

私はふと、なんだと思いベランダに出てみると、表面まで緑がかった亀の水槽が目に入ったのだ。

そこには衰弱した亀の姿があった。

 

しまった! 三日も餌をやるのを忘れていた。

私は急いで餌を用意し、水槽に投げ込んだ。

しかし、亀はびくりとも動かなかった。

 

あれ? どうしたんだ。いつも餌に飛びついていたのに……

 

亀は私の顔をじっと見つめていた。

何か恨みを込めたかのようにじっと私を見つめてきたのだ。

甲羅から顔を出し、恨みがこもった目を私に向けてきた。

 

私は言葉が出なかった。

亀が私に抱いていた憎悪を感じ取ったのだ。

 

結局、その亀は一週間後、動かなくなった。

真夏の暑い日に、力つきるかのように水槽で目を真っ赤にして死んでいた。

私はその死骸を近所の川の土手に持って行き、土を掘って埋めてあげた。

 

何か申し訳ない気持ちになった。

受験勉強に集中していることを言い訳に、命をおろそかにしてしまったのだ。

私はどこか罪の意識を感じながら、亀を埋めた墓に手を合わせていた。

 

それから10年以上経ったが、私は今でも亀を埋めた土手の近くを通るたびに、あの亀が最後に見せた憎悪を込めた目線を思い出す。

 

命を弄んだ代償に私は何かを失ったのか……

何か胸がチクっとする痛みを感じていた。

 

鋼の錬金術師もそんな命の尊さを教えてくれる漫画だったと思う。

ハガレンを読むたびに感じていた胸にくる痛みは、あの亀の姿を思い出していたのかもしれない。

命をおろそかにした自分の罪の意識を感じていたのだと思う。

 

ハガレンの作者は農家出身で、子供の頃から生命の生き死を間近で見ていたという。

だから、あれほどまでに深い生命倫理の問題を問う漫画を描けるのだと思う。

 

小学生に生き物と触れ合った経験は今思うとだいぶ貴重だ。

きっと私は生命をおそろかにしたこの罪の意識だけは忘れてはいけないのかもしれない。

忘れずに背負い続けることが、あの亀に対する唯一の罪滅ぼしのような気がするのだ。