東京育ちの私が、生涯を鳥取砂丘で過ごしたある写真家に心底憧れを抱く理由
「なんだこの写真は」
私はその写真家の写真を始めて見た時に、衝撃を受けたことを今でも覚えている。
何もない平坦な砂が続く鳥取砂丘に立つ、4人の少女の姿を見て、私は何かを感じてしまった。
被写体の構図から、カメラワークまでがあまりにも洗練としていて、完璧なのだ。
私は写真に関してはあまり詳しくはない。
そんな素人の私でさえ、その写真家が撮る一枚の写真からありとあらゆるものを直感的に感じ取ることができた。
こんな素晴らしい写真を撮る人が鳥取にいたなんて。
私が衝撃を受けた写真家は植田正治という写真家だった。
生涯を鳥取砂丘で過ごし、砂丘を中心とした写真を撮り続けた世界的に知られる写真家だ。
私は彼の写真を見ているとどこか懐かしい気持ちになる。
あの福山雅治も植田正治の写真に魅了され、自身のアルバムのジャケット撮影を頼んだほどであった。
パリにも出店され、世界を魅了した植田正治という写真家に、大学生だった私は猛烈な憧れを抱いていた。
一度、植田正治が生涯を過ごした鳥取砂丘をしっかりと見てみたいと思っていた。
大学3年生のとある時、私は鳥取へ一人旅に出た。
お金がなかったので、夜行バスで鳥取まで行った。
夜行バスはつらかった。
一番後列の座席に当たってしまったため、揺れが激しく気持ち悪くなった。
約9時間の運行の末、早朝の鳥取駅にたどり着いた。
鳥取駅を見た瞬間の感想は、
何もねぇ……だった。
本当に何もなかった。
駅前にミスタードーナッツがあるくらいだ。
私は早朝のミスタードーナッツで朝食を済まし、友人の家に荷物を置かせてもらったのちに、鳥取にある植田正治の美術館に向かうことにした。
電車で2時間ほどかかるという。
私は一休みついたのちに、10時頃の電車に乗ろうと思って、友人の家を出た。
鳥取駅についた瞬間驚いた。
本数が少なすぎるのだ。
電車が1時間に一本しかないのだ。
え? こんなに少ないのと思った。
東京生まれ東京育ちの私には電車やバスは10分間隔でくるというのが当たり前だった。こんなに本数が少ないとは思わなかった。
約45分ほど待っていると電車が来た。
ゆらゆら揺れながら電車は鳥取市内を走る。
車窓から見ている風景はどこか懐かしいものを見ている気がしていた。
どこまでも続く日本海。
そこを点々としてある鳥取砂丘を見ているうちに、生涯をこの地で過ごした植田正治の心境も少しはわかった気がした。
私は常に浮足立っていた。
東京に蔓延る雑音に頭を悩まされ、身動きが取れなくなっていたのだ。
大都会で生まれ育ち、常にビルに囲まれた空間にいるため、自分の足はしっかりと地面についていないような気がしていた。
常に生きている心地がしなかった。
どこか田舎から上京していき人に猛烈な憧れを抱いていたのかもしれない。
しっかりと大地に立ち、自然の恵みに囲まれて育ってきた人に憧れているのだ。
大都会で生まれ育つと他者からの承認でしか生きている実感を得られない。
鳥取の人たちはどこか大地に根をはる大根のように、しっかりと地面に足をつけて立っていた。
この土地を愛した植田正治の気持ちも少しはわかった気がした。
植田正治をはじめとしたクリエイターの人たちは、常に創作の場を大切にしていると思う。心のふるさとを軸にして、創作に打ち込むのだ。
小説家などに旅好きが多いのはそのためなのだと思う。
しっかりと自分の足で立ち、小説に迎える場を常に探して、世界を旅しているのだ。
世界的な小説家の村上春樹ですら、東京に嫌気がさして、静かなギリシャの島で「ノルウェイの森」の執筆を始めたという。
しっかりと地に足をつけて立てる場が創作にも影響するのだと思う。
私はこの鳥取という場を使って、生涯写真を撮り続けた植田正治からどこかクリエイティブな分野で大切なものを学んだのかもしれない。
浮足立って、さまよっていた私には、鳥取の大地にしっかりと立ち、砂丘を見つめ続けた彼の姿が新鮮に思えたのだ。
電車は約40分の遅延の末、目的の駅にたどり着いた。
携帯を使って地図を調べてみると、駅からタクシーで20分と書かれてあった。
写真館に向かうのに、タクシーが必要なのか……
本当に交通手段がタクシーしかないほど、駅の周りは何もなかった。
タクシーを呼んで私は丘の上にある植田正治写真美術館に向かった。
ひたすら坂道を駆け上がっていった。
丘の上にその美術館はあった。
洗練とされたアーチ型の建物の向こうにはそびえ立つ山が見えた。
この山の麓で植田正治は生涯、写真を撮り続けたという。
私は彼が撮った写真と同じ構図で、その山を見ていると、どこか感慨深い気持ちになった。
彼はこの地を愛し、この地で生涯を過ごしたのか。
写真館の中も洗練とされ、彼の写真ひとつひとつに人を惹きつける何かがあった。
心のふるさと……
それは多くのものをクリエイターにとっては欠かせないものだと思う。
人間、しっかりと地に足をついて立っていられる場所が必要なのだ。
私が彼の写真に猛烈な憧れを抱いた理由もきっとそこなのだと思う。
鳥取を愛し、生涯のほとんどを鳥取で過ごした彼の写真には世の中にはびこる邪気が取り除かれたかのような洗練としたものが宿っていた。
私も植田正治のような、人の心を惹きつける何かを作りたい。
そんなことを大学生だった私は感じ取ったのだ。
ものを作る際は、創作に集中し体と心との距離を一旦おける空間が必要なのだと思う。
常に都会の雑音に阻まれ、浮足立っていた私はつい最近、トキワ荘のようなクリエイターが集まってくる空間を見つけた。
きっと、そこが自分にとっても創作の中心であり、心のふるさとになるかもしれない。
そう思うのだ。