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ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

書くことに悩んでいた私がクリント・イーストウッド監督の映画「ハドソン川の奇跡」を見て、毎日ブログ日記を始めた理由

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「書けない……」

それは今年に入ってからの最大の悩みだった。

去年の末からライティングの魅力に気づき、書くということにきちんと向き合い始めた私だが、どうしても毎日書いているとネタがなくなってくる。

 

家のパソコンの前で唸りながら、今週の締め切りの記事はどうしようかと考える毎日だ。

学生時代からインタビュー記事や書評は書いたことがあった。

しかし、その道で食べているプロ級のライターさんに混じって記事を書いていくのは、とてもハードな作業だった。

 

本当にプロレベルの記事が自分のフェイスブックのタイムラインに溢れているのだ。

クオリティが高すぎるのだ。

面白すぎる。

 

他人の文章を見ていくうちに、自分の記事のクオリティの低さを痛感し、私は書くことに自信を持てなくなってしまっていた。

 

自分のような空っぽな人間には書く才能がない。

書いても重みのないスカスカの文章だ……

 

そんな風な自己暗示にかかり、書くことがつらくなった時期もあった。

 

私はもともと本をまったく読めない子供だった。

親曰く、言葉を発するようになるのも遅かったらしい。

小学校の漢字の読み書きも覚えるのが遅かった。

 

明らかにプロ級のライターさんに比べたら、私は読解力も劣っていて、読書量も足りてなかった。

 

ほとんどの人は、好きな小説や本をきっかけに書くことに興味を持った方が多いと思う。

 

私の場合は違っていた。

映画をきっかけにして書くことに興味を持ったのだ。

 

 

「脚本なんて書けるわけがない」

 

高校生の時、私はそう思っていた。

その頃、帰宅部で暇な時間を持て余していた私は、ひたすら映画を見る毎日を過ごしていた。自分が入った高校は、現役東大生がクラスから10数人出てくるような進学校だった。

私は周囲のレベルについていけず、完全に落ちこぼれていたのだ。

 

「こいつらには勉強では勝てない」

 

そのことを早いうちから悟ったのだ。

東大や一橋に入り、社会のエリートコースを歩む人たちは高校の段階からすでに頭角を出している人が多かった。

自分のような凡人には、そんな天才肌の人たちに何をやっても勝てない。

どんなに努力しても、クラスにいた天才肌の人たちには勝てなかった。

彼らはテスト直前にちょろっと勉強するだけで、90点以上の点数を取れてしまうのだ。

私はというと一週間前から勉強しても60点しか取れなかった。

これは生まれつきのIQの問題もあるかもしれない。

本当にIQが高い人はいるのだ。宇宙人のような人間がいるのだ。

そんな人に対し、私のような凡人が立ち向かう術がなかった。

 

「勉強以外でこいつらに勝てるものを見つけなければ……」

私はそう直感的に思った。

そうしなければ劣等感を抱えていた自分のアイデンティティーを保てそうになかったのだ。

 

結局、私が選んだもの……

それは映画だった。

 

 

映画は子供の頃から大好きだった。

私が生まれ育った東京の調布市という環境は、ひと昔は「東洋のハリウッド」と呼ばれ、黒澤明などをはじめとした世界的な有名監督が撮影した、映画撮影所が密集している地帯だった。

自分の家の自転車で通える範囲内に4大撮影所のうち3つが集中していたのだ。

 

小学校の時には、撮影所の周りを見学し、私は映画の世界に思いを馳せていた。

そんな環境で生まれ育ったため、自然と映画に興味を持つようになったのだ。

 

それに私は文字の読み書きが極端に遅い子供だった。

本が全く読めなかったのだ。活字というものが苦手で、文字を追っていくと文章に酔ってきてしまうのだ。

映画なら映像だけで物事を表現してくれるので、頭の中に内容がす〜と入ってきた。

私は本を読めない代わりに映画の世界に夢中になったのだ。

 

「映画だけは誰にも負けないようにしよう」

そう思い、高校生の頃から私は浴びるように映画を見ていった。

大学生になると自主映画制作も始めた。

映画を作るためのインプットとしても映画を見るようになっていった。

 

アルフレッド・ヒッチコックスティーブン・スピルバーグジョン・フォード

デヴィッド・リーンなど巨匠が作った映画を見ては映画のことを研究していった。

 

映画は好きだったが苦手意識を持っていたものもあった。

 

それは脚本だ。

 

私は読み書きが苦手な子供だった。

だから脚本も書けるわけがないと思っていたのだ。

大学受験のセンター試験も国語の偏差値は40も行ってなかった気がする。

ほとんど数学などの理数系科目でカバーしたようなものだ。

 

ああだこうだ言っても脚本が書けないと自分の映画も作れないので、

私は図書館にこもって脚本関連の本を読み漁っていった。

 

歴代の朝ドラや宮藤官九郎の脚本を読み、自分なりの書き方を研究していった。

その時読んだ本には衝撃を受けた。

「SAVE THE CATの法則」という本だ。

ハリウッドの第一線で活躍しているプロのシナリオライターがまとめたヒット映画の

法則は私には衝撃的な内容だったのだ。

 

なぜ「タイタニック」に人々は涙するのか?

ダイ・ハード」がなぜあれだけヒットしたのか?

 

「バック・トゥザ・フューチャー」のヒットの法則など、目からウロコのような内容が書かれていたのだ。

私は夢中になってその本を読んでいった。

面白い。

面白すぎるのだ。

 

私は本に書かれてあった売れる脚本構造をもとにして、自分の映画を作っていった。

プロットをまとめ、友達に見せていく中で反応が良かったものを脚本としてまとめていったのだ。

 

実際に何時間もかけて脚本を書いているうちに自分はふと、あることに気づいた。

 

脚本が書けるのだ。

スラスラ書けるのだ。

 

ずっと脚本に苦手意識を持っていた。

読書が大っ嫌いで、作文もほとんど書けなかった。

そんな私だったが、脚本を書いているうちに、書くことが好きな自分を知ったのだ。

頭の中にあるイメージを紙の上にまとめていくのが好きだったのだ。

自分だけの物語が形になって現れてくる様がたまらなく好きだった。

 

私はそれから脚本を大量に書いては、自主映画作りにのめり込むようになっていった。

ゾンビ映画からヒーローの特撮映画まで撮った。

 

脚本を書いては撮って、また書いては撮るという生活を3年ほど続けた。

 

するとおかしなことに気づいた。

苦手だった本もスラスラ読めるようになっていたのだ。

脚本を書いて、自分の中のイメージを吐き出しているうちに、読解力が身についたのか

活字に抵抗がなくなったのだ。

 

私は書くことから多くのことを学んだと思う。

書くことを通じて、自分の身の回りの世界観が変わっていった。

 

大学を卒業して、就職に失敗し、転職活動などを経て、私には少し時間的な余裕ができた。

今のうちに書くということにきちんと向き合ってみよう。

そう思って私はとあるライティング講座に通ってみることにしたのだ。

 

通っているうちに私は打ちひしがれてしまった。

プロ級のライターさんが書いた記事があまりにも面白すぎて、自信をなくしてしまったのだ。

その講座にはありとあやゆる職業の方が集まっていた。

ナースから普通の会社員まで、多くの人が集まり、切磋琢磨してライティングに励んでいた。まるで現代によみがえったトキワ荘のような空間だった。

 

私は書くということに夢中になると同時に、恐くもなってしまった。

自分の才能のなさに気づくのが恐くなったのだ。

 

書けば書くほど、他人の目線が気になって身動きが取れなくなってしまった。

 

そんな時にふとクリント・イーストウッド監督の「ハドソン川の奇跡」を見た。

2009年に起きたUSエアウェイズの不時着水事故は多くの人も知っていると思う。

 

離陸した直後にバードアタックをくらい、両エンジンが止まった飛行機は、機長の的確な判断によって、ハドソン川に無事着水できたのだ。

 

着水はとてつもなく危険な行為らしい。ほとんどの飛行機は着水に失敗し、多くの犠牲者を出していた。緊急の時しか認められないのだ。

 

USエアウェイズの不時着水事故では、乗客と乗組員全員が無事だったのだ。

機内にいた全員が無事生還したのだ。

人々はその出来事を「ハドソン川の奇跡」と呼んでいた。

 

私はその映画を見ていくうちにある言葉が気になっていた。

 

ある言葉とは。

 

「ヒューマンファクター」だ。

 

日本語にすると「人的要因」と訳される。

組織やシステムを安全に保つために人間側の要因も考えなければならないという意味で使われる言葉だ。

 

シミュレーションの結果、ハドソン川に不時着水しなくても、近辺にあった飛行場まで飛べたということが判明し、機長と副操縦士は裁判にかけられることになる。

 

その時にトム・ハンクス演じた機長が事故調査員に語ったのが

「ヒューマンファクター」という言葉だった。

 

バードアタックから着水までわずか200秒足らずだった。

一歩間違えれば、マンハッタンのビルの中に飛行機が突っ込むことになっていたのだ。

機長と副操縦士は近辺にある2つの飛行場に向かうことなく、独断でハドソン川に着水することを決断した。

 

決断までにかかった時間はわずか30秒。

事故調査員のシミュレーションでは、この30秒という「人的要因」が抜けていたのだ。

 

離陸直後の低い高度での、両エンジン停止という状態は想定されてなく訓練も受けていない。

想定外の事態に直面した時、機長は長年の勘と判断で、わずか30秒足らずでハドソン川に向かうことを決断をしたのだ。

 

(もしあの時、ハドソン川に向かず、近辺の飛行場に向かっていたら、マンハッタン島の真ん中で墜落していたことが後の調査ではわかってきた)

 

機長の何100回というフライト経験と長年の勘から出たとっさの判断だった。

職人技なのだ。

 

この映画を監督したクリント・イーストウッドもこの機長の職人技に惚れ込んで映画を監督したのかもしれない。

 

クリント・イーストウッド監督は「ハリウッド1の早撮り」と称されている。

撮影するスピードがとてつもなく早い。

1カット撮ったらすぐに次のシーンに行くため、ほとんど無駄がない。

 

それは現在86歳のクリント・イーストウッドだから成せる技だと言われている。

その道で60年以上現役で活躍しているため、照明やカメラの位置など全て把握できているのだ。まるで職人のよう映画を撮っていく。

 

長年の経験が積み重なり、どんなシーンが来ても素早くカメラ位置を固定し、撮影することができるのだ。

 

何回も失敗し、何度も挫折しそうになった長年の経験があって、やっと職人技の領域に達することができるのだ。

 

それはライティングにおいても通じることだと思った。

才能がある人は確かにいる。

特に努力してなくても、あっという間に小説家デビューし、プロの物書きになれる人もいる。

 

自分のような才能がない人間には到底かなわないことかもしれない。

しかし、ハドソン川への不時着を成功させた機長のように、何度も練習し、何度も挫折する中で蓄積された経験から、プロとしての職人の技が身につけられるのだと思う。

 

私はこれから書くということにきちんと向き合いたいと思う。

 

それなら書くしかないのだ。

書いて、書いて、書きまくるうちにその道のプロにきっとなれるのだと思う。