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ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

「自己表現しなきゃという思いで苦しむのは、砂漠で塩水を飲むようなものだからです」と村上春樹は言った

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「今、世界の人がどうしてこんなに苦しむかというと、自己表現しなきゃという強迫観念に覆われているからです。それはある種の呪いです。そう簡単にできるものじゃありません。砂漠で塩水を飲むように、飲めば飲むほど喉が渇きます」

 

作家の村上春樹が言っていた言葉だ。

私はこの言葉に妙に打たれてしまった。

なぜなら私も自己表現しなきゃという思いで苦しんできた人だからである。

 

今、ツイッターフェイスブックなどのSNSが世界を覆っている。

多くの人がツイッターに投稿するために、あえておしゃれなカフェに行ったり、友達と飲みに行ったりする人も多い気がする。

自分はこんなでリア充な生活をしているとアピールしなきゃという強迫観念に近いものがあるのかもしれない。

 

私自身、ツイッターをやっていた頃、そんな強迫観念に突き動かされていた。

もっと自分を表現しなきゃ。

もっと私を見てくれ。

 

そんな強迫観念に踊らされていたのだ。

何も持っていない空っぽの自分が耐えられなかった。

自分は何か持っているはずだ。だから行動しなきゃ。

もっと自分を表現しなきゃという思いに駆られていたのだと思う。

 

しかし、村上春樹が言ったように自己表現はそんなにうまくできるものではない。

ツイッターに投稿するために、旅に出たり、変わった出来事を追い求めていくと……

空っぽな自分に嫌気がさしてくるものだ。

自己を表現すればするほど空っぽな自分に気づいてくるのだ。

中身がスカスカになってくる。

 

「書く」という行為もそんなところがあるのかもしれない。

私は今、毎日ブログ記事などを書くようにしているが、どうしても書くのがつらいと感じる時がある。

書けば書くほど、アイデアがスカスカになって、掘っても掘っても湧き出てこないのだ。

まるで砂漠で塩水を飲むように、すればするほど喉が乾く。

プロのブロガーさんは本当にすごいなと思う。

 

村上春樹は「書く」という行為は思った以上に体力が必要なため、毎日走っているという。

書くために走る。走るために書くという生活を30年近く続けている。

 

私は本当にそんな作家さんを尊敬している。

何10年も走り続けるかのごとく、書き続けるのはたとえ売れなくても、とんでもなく

凄いことだと思う。

 

私は大学生の頃から自己表現しなきゃという思いに苦しんできた。

自主映画を撮ったり、こうして記事を書いたり、何かものを作ることが好きなのは確かだが、つらくなることがあるのも事実だ。

 

なぜ、村上春樹はずっと書き続けることができるのか?

自己表現という呪いに苦しんできた私は常々そう疑問に思っていた。

 

 

「次の駅は千駄ヶ谷千駄ヶ谷

私はとある晴れた日に、千駄ヶ谷駅に降り立っていた。

新宿からわずか2駅の大都会の片隅にある街だが、思っていた以上にのほほんとしている。

近くに明治神宮があるためか、樹木に覆われた緑豊かな通りが続いている。

私は目的の場所まで歩いて行くことにした。

通りを歩いて行くと、若き日の村上春樹がジャズバーを経営していた場所が見えた。

今はもう別の店になっているが、20代の村上春樹はこの土地で暮らしていたのかと思うと、なんだか感慨深くなった。

その時、私は村上春樹ファンおなじみのとある神社を目指していた。

 

 

私が村上春樹に興味を持ったのは就活を終えた時期だった。

 

人に認められたい。

もっと自分は大きな会社に行けるはずだ。

自分はクリエイティブな何かを持っているという自己暗示にかられ、大手企業ばかり受けては、落とされていった。

テレビ局や大手広告代理店など、マスコミ中心に受けて行ったが、ほぼ全て落とされた。

なぜだ? なんで自分は受からないんだ!

自分の不甲斐なさに苦しむと同時に、私は雁字搦めになっていた。

そんな時にふと「ノルウェイの森」を読んだのだ。

 

なぜか家にずっと置いてあった「ノルウェイの森」。

赤と緑の装飾になっていてアンティークのような本だ。

私はこれまで何度もトライしてみたが「ノルウェイの森」が読めなかった。

中学や高校の時も試してみたが、独特の文体に酔ってきて、字を追うのが難しいのだ。

いつか読んでみようとは思っていたが、これまでずっと最後まで読み通すことができなかった。

 

しかし、不思議なことに就活を終えた段階になると、村上春樹独特の文体が心に染み渡るようになり、す〜と読めるようになったのだ。

 

自分が成長したせいなのか、なぜか読めるようになったのだ。

私はそれから村上文学にはまっていった。

「1Q84」「海辺のカフカ」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

初期の作品もほとんど読んだ。

 

就活で失敗し、社会というものの残酷さを知った時、私は村上春樹の小説が心に染み渡ったのだ。自己表現しなきゃと雁字搦めになっていた自分にとっては救いになるような小説だった。

 

 

私は村上春樹ファンおなじみの、千駄ヶ谷にある、とある神社にたどり着いた。

最近、人間関係や書くということに苦しむことがある時に、よくこの神社を訪れる。

神社の境内の中には平日の昼過ぎにもかかわらず、多くの人がいた。

 

仕事の合間の休憩に来ているサラリーマン。

子供を連れたお母さん。

家族で神社を訪れる人など、いろんな人がこの神社を訪れていた。

境内の近くにある公園で子供達が遊んでいた。

どこかしら子供達の遊び声が響き渡っている。

 

地域と密着したとても親しみの持てる神社なのだ。

私はこの神社に来るといつもほっこりとした気持ちになる。

中央にある大木を見ていると、なんだか心が落ち着いてくるのだ。

 

「僕の文学は千駄ヶ谷から始まった」

村上春樹はどこかの本で書いていた。

昔から千駄ヶ谷に残っているこの大木を眺めながら、何か感じることがあったのだろうか。

よくこの大木について本に書いてあった。

 

この神社に惚れ込んだ作家は他にもいた。

新海誠だ。

昔、千駄ヶ谷の近くに住んでいたらしく、よくこの神社を訪れていたという。

(映画「君の名は。」の滝くんが暮らしていたのも、千駄ヶ谷周辺だ)

 

会社勤めしながら、忙しい合間を縫って、深夜遅くまで一人アニメーションを作っていたという新海監督も、この大木を見て何か感じることがあったのだろうか。

 

この神社はありとあらゆるクリエイターを吸い寄せる不思議な魅力があるのかもしれない。人を惹きつけるパワースポットなのだ。

 

私はこの神社の境内に佇んでいると、心が洗われていくようで、すっきりとした心持ちになってくる。

地域と密着した、とても親しみの持てる場所なのだ。

まったく気取ってないのだ。

 

村上春樹の小説もこの神社のように、無理に気取ってなく、とても親しみの持てる小説のように感じる。

無理に自己表現しなきゃという思いにかられてない。

す〜と心に染み渡ってくるのだ。

 

気取らなくていい。

そんなことをこの神社は教えてくれる。

 

私は「書く」ということに悩んだら、最近よくこの神社を訪れるようになった。

自己表現しなきゃと思っていた自分を救ってくれた神社でもあるのだ。

 

確かに砂漠で塩水を飲むように、やればやるほどつらくなることもあるかもしれない。しかし、私はこの神社のように、親しみの持てる文章を書けるようになりたいと思う。

 

思い返せば、今日は村上春樹の新刊が発売になる日だ。

この千駄ヶ谷の神社に魅了された彼が書き上げた最新作は一体どんな小説なのか?

きっと、この神社のようにどこか親しみの持てる小説なのだろう。

 

今日の夜にでも買ってみるとするか。