「ゴッドファーザーpart3」を見て、思い込みに縛られていた自分の世界の見方が変わりました
「ゴッドファーザーはpart2までが傑作!」
私はそう思っていました。
どんな映画好きの人に聞いても
「part3はないわ〜」
「ゴッドファーザーpart1とpart2は完璧! その次は微妙」
と言っていたのです。
ネット上の評価を見ても、part3だけは異常に評判が悪いのです。
あの松本人志もラジオで
「最近、ゴッドファーザーを見直したんだけど……part2までは完璧やな。
part3はないわ〜」と言っていました。
特定の年代層で映画通の方なら、まず間違いなく、子供の頃に「ゴッドファーザー」シリーズに心惹かれた人が多いかと思います。
私は大学の頃に「ゴッドファーザー」「地獄の黙示録」を見て衝撃を受けた一人です。
総合芸術である映画で、あれほどの人間ドラマに満ちた映画はないと思いました。
フランシス・フォード・コッポラ監督の才能の凄さにしびれました。
しかし、そんな中でも「ゴッドファーザーpart3」だけは見てなかったのです。
それだけは見る気がしませんでした。
なぜ、見てなかったかというと……
周囲の評判がすこぶる悪いからです。
前作がこけてしまい、しぶしぶ金のためにコッポラ監督がpart3を撮ったなどという
憶測が飛び交い、映画ファンからの評判は明らかにpart3は悪い。
私はpart3は見なくてもいいやと思っていました。
part3を見ても、あまりいいことはないと思って、躊躇していました。
ゴッドファーザーシリーズを見てから3年の月日が経った今……
とあるきっかけで「ゴッドファーザー」を全作品見直してみることにしたのです。
それはとある本屋に行った時です。
プロのライターでもある本屋の店主さんが「ゴッドファーザー」がすこぶる大好きで、一本の本を書き終えたら、エネルギーをチャージするかのごとく、ゴッドファーザー三部作を全部見直すそうなのです。
「寝るよりもゴッドファーザーを全部見直す方がいい!」
そう言っていました。
ゴッドファーザー好きの人の多くが、年に何回か三部作全てを見直すそうなのです。
「ゴッドファーザーはビジネス書でもあり、人生の啓蒙書である」
そんな声を私は多く聞きました。
公開されて40年以上経った今でも、多くの人を魅了し続けるゴッドファーザーとは
何なんだ? と思い、私は三部作全て見てみることにしたのです。
まだ見ていないpart3まで全てレンタルして一気に見てみることにしました。
一本3時間半くらいの長編が三本あるので、土日の休みの日を使って、見ることにしました。長編映画なので一本見ると1日つぶれてしまいます。
それでも私は見なきゃと思ったのです。
自称映画オタクでもある自分がゴッドファーザーを全作品見ていないというのはどうかと思ったのです。
part1とpart2は文句なしの名作です。
特に無邪気な青年だったマイケルが初めて殺人を犯すシーンなど、映画史に残る名場面だと思います。
イタリアマフィアを通じて、深い深い人間愛を描いた作品でもあるのです。
私は約3年ぶりにゴッドファーザーの世界観に酔いつぶれて、その世界に浸っていると、問題のpart3にたどり着きました。
「つまらない……」と評判のpart3です。
たぶん寝るかもしれない。3時間無駄にするかもしれない。
そう思い、私は途中でブルーレイの再生を止める覚悟もしていました。
眠気が襲ってきたら、途中でも見るのをやめてしまおうと思っていたのです。
私はデッキにpart3のブルーレイを入れ、再生を始めました。
オープニングではあの有名なテーマソングが流れてきます。
「TheGodfather」というタイトルバックとともに映画が始まりました。
私はこのタイトルバックが好きでした。
傀儡の紐で引っ張られたタイトルの文字が浮かび上がってきて、社会を裏で動かしている人たちを暗示させています。
ゴッドファーザーシリーズは実話をもとに脚本が作られたと言われているので、怖いけどニューヨークのリトルイタリーの裏側ではこんな人間ドラマが毎日繰り返されているのでしょうか。
映画は毎度おなじみのパーティーの場面になりました。
コッポラ監督曰く、黒澤明の「悪い奴ほどよく眠る」を参考にしていったと言います。
華やかなパーティーを通じて、登場人物の姿を全て説明していく表現は毎度のことお見事です。
改めて世界の黒澤明の影響力の凄さを身に染みて感じるとともに、この映画も社会を裏であらつる悪い奴の話だな〜と思っていると、物語はどんどん展開していきました。
私はあることに気づきました。
あることに……
3年近く気づくことなかった、あることに気づいたのです。
それは自分は「ゴッドファーザーpart3」を一番面白がって見ていることでした。
正直に言うと……全三部作見た中でpart3が一番面白いと感じました。
自分の感性が間違っているのかもしれません。
しかし、私はpart3の登場人物たちが一番魅力的に思えたのです。
世界を動かすまでの力を手に入れたマイケルは、金や権力で世の中を動かしていきます。
頂点までたどり着いた彼は、結局のところ……悲劇な結末が待っているのです。
トップに立とうが、底辺で暮らそうが、その人自身の価値観の問題なんだなと思いました。
社会は目に見えない階級で区切られていると思います。
年収が1000万を超える仕事についている人もいれば、そうでない人もいます。
肩書きという名の予防線を求めて、学生はみんな高学歴な大学を目指します。
早稲田や慶応を出た方が、年収1000万を超えるような仕事につける可能性が高いからです。
偏差値が高い大学ほど、豊かな人生を送れる。
人の上に立って、エリートの道を歩める。
そう私も思っていました。
しかし、社会に出ていろんな挫折を味わい、多くの経験を積んでいく中で、私は思いました。
「人生を楽しんでいる人ほど、肩書きに縛られていない」と。
就活を終えた学生のほとんどが、
「あいつ出版社受かったから仲良くしたほうがいい」
「テレビ局受かった人見かけたよ。学生のうちから仲良くなっておこう」
と言って、突然、内定が出た会社名で人を判断し、接するようになっていきます。
今まで、普通に接していた人でも、会社名という肩書きで人を見るようになるのです。
「あいつ博報堂受かったから、今のうちから仲良くしたほうがいい」
と今まで、特に親しくなかった人でも、突然話しかけるようになるのです。
私はそんな就活を終えた学生に一言言ってみたい。
「そんなことをしても意味がない」と。
民放キー局に受かろうが、どんな大手企業に受かろうが20代で会社を動かすような仕事をできるようになることはまずありえないと思います。
その中で働くようになったら、大学の中ではスーパーエリートでも、会社の中でも優秀な人とは限りません。
受かった会社名のブランドに惹かれて、今から人脈を作ろうと無理に仲良くする時間があったら、旅に出るなり自分の好きなことをした方がいいと思います。
楽しく生き、人の上に立つような人間は、肩書きなどで人を見たりしないのです。
自分のやりたいことをやっているだけなのです。
私自身、周囲の情報に踊らされて、肩書きを追い求めて生きていました。
大学受験では自分の偏差値を低さを無視して、早稲田や慶応など有名大学ばかり受けていました。
就活試験でも、大手企業ばかり受けて、肩書きを追い求めていました。
「あいつ、あの企業に入ったんだよ」
「やっぱり、すげーな」
と大学の同級生から言われたかっただけだと思います。
肩書きという名の鎧の下には何があるのでしょうか?
私は周囲の情報に踊らされて、肩書きを追い求めていた自分を
「ゴッドファーザーpart3」を見ているうちに思い出しました。
トップに立とうが、どんな生き方をしようが、自分自身の問題なのかもしれません。
肩書きに縛られ、エリートの道を進むのが幸せだという人もいれば、
田舎で農業をやることが幸せだという人もいます。
世界を動かすまでの頂点に立ったマイケルは、最後悲惨な結末を迎えます。
私は肩書きに縛られて生きてきた可哀想な人間の最後を表現しているように思いました。
周囲の情報に踊らされた思い込みがこの世界にどれだけあるのでしょうか?
肩書きに守られている間は安心だという思い込みが日本の社会を覆っているような気がしています。
現実は高度経済成長が止まった今、肩書きに縛られていても会社は守ってくれません。
大手企業でも経営が赤字になったらどうなるかわかりません。
私は常に周囲の情報に踊らされて生きてきました。
思い込みだけで世界を見ていたのです。
「ゴッドファーザーpart3」ではそんな人間の哀れさなどを表現していたと思います。
頂点に立った人間でも、最後は哀れな結末を迎えます。
世界を動かすまでの権力を握ったマイケルも、所詮ただの一人の人間だったのです。
ゴッドファーザーという肩書きの下には、ただの哀れな人がいただけなのです。
「ゴッドファーザー」三部作は映画史に残る名作であるのは確かだと思います。
私は周囲の情報に惑わされた思い込みから、part3はつまらないと思っていました。
しかし、実際のところはそんなことないと思います。
もちろん人によって感じ方も違ってくると思いますが、自分は三作品の中でpart3が
一番好きでした。
思い込みで判断するのではなく、自分の価値観で物事をみようと思ったのです。
人生においても思い込みからくる肩書きなど忘れて、自分の価値観で人をみようと思いました。
自分にとって「ゴッドファーザーpart3」は、肩書きで物事を判断していた自分を戒める映画でもあったと思います。