ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

「普通」であることがコンプレックスだった自分が気づいた半径5メートル以内にあった「希望」

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「普通の名前だね」

私は大学の同級生にこう言われたことがある。

昔から私は「普通だ」と言われることがよくあった。

 

「普通の顔」

「普通の成績」……

 

「普通」ということが私のコンプレックスだった。

人と同じように「普通の人間」と思われるのが嫌だったのだ。

 

私は「普通の人間」かもしれない。

普通の学校を出て、普通に就活をした。

そんな「普通」である私だが、がむしゃらに「普通ではない人間」になろうともがいていた気がする。

 

 

「とにかく好きなことをやろう」

大学に入学する際、私はそう誓った。

 

私が通っていた高校は都内でもそこそこ有名な進学校だった。

周囲には自分以上に勉強ができる生徒がいて、私は完全に落ちこぼれていた。

いま思うと、本当に天才肌が集まっているような環境だったと思う。

クラスから現役東大生が10くらい出ていた。

 

本当に頭がいい人は、勉強もでき、スポーツもできるものだ。

私はそんな優秀な人たちを見て

「こいつらには勝てない」

そう痛感していた。

 

私が公立中学に通っていた頃は、ちょっと勉強すれば学年でもそこそこの成績が出せていた。

しかし、進学校となるとそう簡単にはいかない。

小学校からきちんと英才教育を受けてきた人たちが多くいて、私は完全に浮いていたのだ。

直前に軽く教科書を見ただけで、満点近くの成績を出す生徒がゴロゴロいたのだ。

 

努力しても勝てない存在に気づいた瞬間でもあったと思う。

いま思うと、人生のわりと早い時期にこのような天才肌の人たちと触れ合えた経験は

貴重だったと思う。

たぶん、彼らは何かの分野で頭角を出していくのだろう。

(実際、今すでに同級生の中から世に名前が出てきてる人もいる)

世に頭角を出していく人は高校生の頃から何か人と違ったものを持っているのだ。

明らかに何かで突出しているのだ。

 

私はそんな何か人と違ったものを持つ人たちを見て、劣等感を抱いていたのかもしれない。

自分は何も持っていない……

そう思えて仕方がなかった。

 

浪人の末、大学に入学した。

私は大学では好きなことをやろうと誓った。

高校時代に抱いた劣等感をもう感じたくなかったのだ。

「普通の人間」であることがもう嫌だったのだ。

 

私は自分が好きだった映画の世界にのめり込んでいった。

子供の頃から映画が大好きで、いつか映画を撮ってみたいと思っていたのだ。

私は大学に入学してすぐ、自主映画作りにのめり込んでいった。

 

図書館にこもっては脚本を書き、映画関連の本を読み漁って一介の映画人になったかのような気がしていた。

 

20人以上の人に協力してもらい70分の長編映画も撮ってみた。

 

自主映画と言っても撮影はハードだった。

どれも制作に4ヶ月以上かかった。

しかし、多くの人と関わりながら映画を作るのは楽しかったのだ。

映画を撮っている時だけが、「普通」であることから脱却できているように感じていた。

 

人と違うことがしたい!

そう思って10リットルの血糊を用意して、40分近くのゾンビ映画も作ってみた。

とにかく私は「普通」であることを忘れたかったのだ。

自分には何か光っているものがあると信じたかったのだ。

 

「普通」であることが嫌で外ばかりに刺激を求めていたのかもしれない。

人と違うことをすれば、いつか何かの分野で頭角を出せると思っていたのだ。

 

しかし、世の中そうあまくない。

「就活なんてしない」と私は思っていたが、いつの間にか就活の時期が来て、

私も周囲に流されるかのように就活をしていった。

フリーランスノマドワーカーなど自分らしく仕事をすることが良しとされていたが、社会経験がない私はフリーランスになる勇気もなかった。

 

いつの間にか私はスーツを着て、社会の荒波に飲まれるかのように就活をしていたのだ。

私は「普通」であることに何よりもコンプレックスを抱いていた。

「普通」であることが何よりも嫌だった。

それなのに「普通」に就活をして、「普通」に成り下がってしまったのだ。

 

新卒で入った会社は、度重なる残業と極度の睡眠不足で結局、数ヶ月で辞めてしまった。社会のレールから外れた人には異常に冷たい日本社会に嫌気がさし、海外を放浪したりもした。

私はまだ外に刺激を求めていたのだ。

結局「普通」であることが嫌で、外に刺激を求めていた。

 

どこに向かっていいのかわからなかったのだ。

何をしたらいいのかわからなかった。

 

タイや東南アジアをさまよっているうちに多くの旅人と出会った。

ほとんどの人が30歳手前で脱サラして、フィリピンで語学留学をしたのちに海外の旅に出るという人が多かった。

世界一周をしている人にも出会った。

海外を2年間放浪している人にも出会った。

 

いろんな刺激的な人と出会ったが、私は常に妙な違和感を感じていた。

私は彼らを見て

「逃げているだけじゃん」と心のそこで思っていたのだ。

 

その時、私も逃げていただけにもかかわらず、旅人を上から見下していた。

そんな自分が一番カッコ悪いと思った。情けないと思った。

 

海外を放浪している人には面白い人もいる。

しかし、外に刺激を求めているだけで、その人自身の中身はどうなっているか? と言われると空っぽなケースが多いのだ。

 

自分と同じように外に刺激を求めている人だらけなのだ。

旅の途中で出会った武勇伝を語るため、普通の日常では体感できない刺激を求めて海外を旅している日本人が多すぎる気がしていた。

私もそんな日本人の一人だった。

 

ベトナムからラオスの秘境まで旅していった。

ラオスの山奥まで行っても自分の居場所は見つけられなかった。

 

どこまで逃げても一緒なんだなと思った。

外に刺激を求めてばかりいたらダメなんだ。

自分の内側を変えなきゃならない……

そう感じるようになったのだ。

 

私は日本に帰ってきたのち、ひょんなことがきっかけでライティングと出会った。

プロのライターさんや忙しい仕事の合間にものを書くことに夢中になっている人やいろんな人と出会った。

 

私はそんな人たちが輝いているように見えた。

本当に好きなことに夢中になっている人は輝いて見えるのだ。

自分の内側としっかりと向き合い、自分の好きなことに真剣に取り組んでいるのだ。

 

記事のネタを書き始めた頃は、どうしても自分の外側の出来事ばかりを気にしてしまっていた。しかし、外側の刺激ばかり書いていてもすぐにネタが尽きてくる。

 

そうなってから私は自分の内側としっかりと向き合うようになったのかもしれない。

 

面白い文章を書く人は自分のこともよく知っていると思う。

こういうことに劣等感を感じ、こういったことに悩んできたなど、

自分を築いてきたものをしっかりと把握しているのだ。

自分の内側をしっかりと文章に落とし込む。そんな記事が多くの人の心に届くのかもしれない。

私のような外に刺激を求めてばかりいた人間が書いた文章は、どこか重みがなく、

中身がスカスカなのだ。

自分の内側をもっと見つめなければならない。

多くの人の文章を読んで、そのことに私は気づき始めた。

プロのライターさんは、自分の周りにある出来事をコンテンツに変えることがうまいのだ。プロの人は身の回りの半径5メートル以内にあるものからささっと調理して、記事を書き上げていく。

 

答えは自分の周り半径5メートル以内に眠っているのだ。

 

私は「普通」であることがコンプレックスで、外に新しい刺激を求めてばかりだった気がする。しかし、人の心に届くようなものは、自分の周りの半径5メートル以内に眠っているのかもしれない。

 

社会に出て、いろんな挫折を経験した今、「何者」かになりたい……

「普通じゃない人」になりたい……などと考えるようなことはなくなった。

しかし、今は自分の半径5メートル以内にある出来事がどこかの誰かの心を動かしていたらと思って、こうしてものを書いている。

 

外に刺激を求めてばかりではダメなのだ。

答えはきっと自分の身近なところにある。

 

「普通」ということがコンプレックスで、カオがない「カオナシ」のようなアイデンティーが欠如した存在だった私が見つけた答えがそれだった。