ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

ドラマ「カルテット」を見て、本当に面白いと思うと同時に、アメリカのドラマの凄さが改めてわかってしまった

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「なんだこの満島ひかりは……」

火曜日の夜、ふとつけたテレビ画面を見て、私は衝撃を受けた。

ドラマの最後のシーンだったのだろうか。

 

私は最後の方しか見ていないのにもかかわらず、そのドラマに出ていた役者陣全員の演技力に圧倒されてしまったのだ。

 

画面から見ても全力でぶつかってきているのがわかる。

 

「すごいドラマだ……」

火曜日の夜に放送されている「カルテット」を初めて見たときの感想だった。

ドラマ通を中心に話題になっているドラマだ。

 

私は普段、あまり日本のドラマを見ない人間だ。

(それには自分が抱えている問題がいろいろあるのだが……)

 

ドラマをあまり見ない私のような人間でも「カルテット」は面白いと思えた。

役者さんたちの白熱の演技が体感できるのだ。

そして、脚本のクオリティーの高さ……なんだあのセリフ回しは!

面白すぎるだろ!

 

満島ひかりが三角形の牛乳パックを飲んでいるだけで独特の雰囲気を醸し出している。

カルト的に人気になっていくのもすごくわかる。

 

私は「カルテット」の一話を見逃していたため、親が録画してあった先週の回から見ていくことにした。

 

途中から見ても独特の世界観に惹かれていった。

私は「カルテット」を見ていくうちに、なんでこんなにも面白いんだろうか?

と自分なりに考えていった。

 

そして、同時になんで自分は日本のドラマが苦手なんだろうと考えさせられた。

私は本当に日本のドラマや邦画を見ない。

というか、見れないのだ。

 

「逃げ恥」も一話分しか見れなかった。

いつもストーリーについていけず、挫折してしまうのだ。

アメリカ映画や海外ドラマは死ぬほど見ていたのだが(年間350本ほど)

日本の邦画は全くといって見れなかった。

 

なぜだろう?

自分の中でもずっと思っていた。

 

映画は好きだ。大好きだ。

しかし、日本のドラマや邦画は本当に苦手なのだ。

 

自分が抱えていたその理由が「カルテット」を見ていくうちにわかった。

満島ひかりの圧倒される演技力を見ていくうちに……

 

 

それは私が長年抱えていたコミュニケーションにおける問題が関わっていたのだ。

 

 

 

「何を言っているのかわからない……」

 

私が小学生の頃から人とコミュニケーションを取るのが苦手だった。

学校の先生の話を聞いていても、何を言っているのかわからず、いつも苦労していた。

 

読解力と話を聞く能力が著しく劣っている子供だったのだ。

今思うと、学習障害も少しあったのかもしれない。

母親曰く、しゃべるようになるのも周りの子供より少し遅かったらしい。

 

とにかく読んだり、話を聞いたり、しゃべることが大の苦手な子供だった。

 

学校の先生が九九を教えている時も、九九自体が何を意味しているのかわからなかった。「3かける3は9」っていうおまじないは何だ? と思っていたのだ。

 

当時の私は適当に授業を受けていたと思うのだが、九九は学校の必修科目だ。

そこで挫折したら一生算数ができなくなる。

先生も必死に子供たちに九九を教えていた。

 

週に一回、クラスの前で九九が最後まで言えるのか発表する場を設けられていた。

教室の前に立って、九九をスラスラ言っていく同級生を見て、私は焦っていた。

何を意味しているのかわからない「3かける3は9」というおまじないをみんなスラスラ答えていたのだ。

 

その頃の私は4の段すら言えなかった。

というかむしろ、九九が何を意味しているのかわからなかった。

 

さすがにやばいと思い、家に帰ってすぐ、母親に九九を教えてくれと頼んでみた。

その時、母親は当時流行っていた遊戯王カードを使って、九九を説明してくれた。

 

遊戯王カードが3枚あって、そこに3をかけると、カードが倍の9に増えるでしょ」

 

「あ!!!!!」

言葉だけでは全く理解できなかったが、目で見える形にしてみてやっと私は九九の構造が理解できたのだ。

 

その時の衝撃は今でも覚えている。

「3かける3は9だ!」

と家で一人叫んでいた。

 

私は言葉から物事を理解することが本当に苦手な子供だった。

きっと、それもあって映像だけで物事を説明してくれる映画の世界にのめり込んでいったのだと思う。

 

スターウォーズ」や「ジュラシックパーク」を子供の頃は、テレビ画面に吸い付くようにして真剣に見ていた。

タイタニック」も3時間30分近くの長編にもかかわらず、二回連続で見ていた。

 

そんな映画バカな子供だったのだ。

 

本や絵本の読み聞かせは耐えられなかった。

言葉から物事を理解するのが難しく、いつも挫折してしまっていた。

小学生の頃は年間1冊の本を読んだか、読んでないかくらいだった。

 

しかし、映画の世界はいつまでも見ていることができた。

映像を使って物事を説明してくれるからだ。

特にスティーブン・スピルバーグの映画が大好きだった。

ジョーズ」とか「E.T」は子供の頃からよく見ていた。

今でもたまに見返すくらいだ。

 

今思うと監督のスピルバーグ自身も学習障害を抱えていたため、映像だけで物事を説明してくれる彼の映画に心底惚れていたのかもしれない。

 

スピルバーグ自身、公で言語障害のことを告白している。

今でも本を読むのは普通の人の倍は時間がかかるという。

その影響もあって、あれだけのヒットメーカーなのにもかかわらず、脚本を書いた作品はほとんどない。

脚本を書かないのではなく書けないのだ。

文字の読み書きが今でも苦手らしい。

 

自身の言語障害の影響もあってか、スピルバーグの映画はやたらと映像だけで物事を説明してくれるシーンがいっぱいある。

 

彼がプロデュースした「SUPER8」のオープニングが一番わかりやすい例だ。

 

工場のショットが映り、無事故記録の看板がペリッとめくるところから、この映画は始まる。次のショットでは葬式のシーンになり、たった20秒足らずの映像で

「この工場で事故があり、誰かが死んだ」ということがわかってしまうのだ。

 

監督は違うが、このシーンだけはスピルバーグの指示によるものだと言われている。

 

私は読み書きが本当に苦手な子供だった。

正直今でも人の会話の流れを掴むのに苦労する。

 

そんな私だったこともあり、映像だけで物事を説明してくれるスピルバーグ映画の世界にハマっていったのだ。

 

大学では自主映画制作にのめり込んだ。

私は年間350本も映画を見ていた。

自分がやりたいことはこれだ! と思えたのだ。

ずっとクラスの隅っこにいるような子供だったが、映画だけは大切にしたいと思ったのだ。

 

長年抱えていたモヤモヤが大学に入ったら爆発してしまっていたらしい。

浴びるように映画を見て、アホみたいに映画を撮り続けていた。

 

多くの人と関わりながら約70分くらいの映画を作ったりもしてみた。

撮影自体にも3ヶ月以上かけていた。編集も1ヶ月以上かかった。

 

上映会で自分の映画を上映した時には驚いた。

あれだけ頑張って作ったのに、誰も見てくれなかったのだ。

というか、見るにたえない映画を私は作ってしまったことに気づいた。

 

つまらない映画を70分も見なければならない状況ほど、過酷なものはないのかもしれない。

映画がつまらないと観客側としては娯楽でなく、ただの苦痛になるのだ。

 

私は自分の世界に入り込みすぎて

「私が作る映画だから面白いに決まっている」と思い込んでいたのだ。

素人のくせに一介の映画監督になったふりをしていたのだ。

 

そんな誇大妄想にふけったやつが70分くらいの長編映画を作っても面白いものになるわけがない。

 

私は自分が作った映画が上映されている会場の中で恥ずかしくなってしまった。

自分のことを呪った。

 

私は悔しくて、図書館にこもり、映画の資料を読みあさった。

スピルバーグの映画を見て原点に帰ったりした。

 

そんな時にふと「ジュラシックパーク」を音無で見てみることにした。

スピルバーグがインタビューで

「映画の構図を理解したいと思ったら、音無で見てみるといい。監督の意図がわかるようになる」と言っていたのだ。

 

本当なのかな? と思ったが映画の神様であるスピルバーグがそう言うのならそうに違いないと思い、私は音無で彼の映画を見てみることにした。

 

すると、驚いた。

映画の内容が音声なしでも伝わってくるのだ。

映像だけできちんとシーンの意味が的確に表現されているため、会話がなくても登場人物たちの物語が伝わるのだ。

 

他の映画監督の作品も音無で見てみることにした。

デビッド・フィンチャーの傑作「ゴーン・ガール

ヒッチコックの「裏窓」

スイルバーグの「激突!」や「ジョーズ

全て音声なしで見てみても、ストーリーが観客に伝わるようにできていたのだ。

登場人物たちが置かれている状況を説明する際も、映像だけで表現できているので、

す〜と内容が頭の中に入ってくるのだ。

 

私が作った自主映画が見るにたえないものになってしまった理由がそこにあったのだと思う。

私は登場人物が置かれている状況説明をセリフを使って長々と説明してしまっていたのだ。

 

「この人はこういった悩みを持っていて〜」

「この場面はこういう意図があって〜」

などを全て登場人物たちのセリフで表現していたのだ。

 

会話を使って長々と説明されると観客には相当なストレスになってくる。

特に興味もない話の長いおばさんの会話をずっと聞いているかのようなものだ。

 

会話やセリフだけで物事を理解するのには、集中力の限界がある。

世界で活躍する映像作家は映像だけで物事を説明するのがピカイチでうまいのだ。

アメリカの映画やドラマで活躍するトップクリエイターたちはそのことをきちんとわかっているのだと思う。

 

日本の映画やドラマはどうなのか?

有名な邦画を音無で見てみても、全く物語の内容を理解することができないと思う。

ほとんどの邦画や日本のドラマは、主人公が置かれている状況の説明をセリフだけで説明されている。

(世界で活躍する是枝監督の映画だけは違っていると思う。本当にすごい方だ)

 

今の時代、スマホでドラマを見る人が多い。

電車の中などでサクッと観れるものの方が受け入れやすかったりする。

半沢直樹」がヒットしたのもそこにあると思う。

主人公の半沢はめちゃくちゃ行動するのだ。行動で物語を表現している。

だから、さっと見ているだけで物語の内容がす〜と頭の中に入ってくる。

 

海外ドラマの「ウォーキング・デッド」もゾンビがたくさん出てきて、日本の倍以上の予算がかけられていることも面白さの要因にあるかとは思うが、

あのドラマも物語のほとんどが登場人物たちの行動によって示されているのだ。

セリフをつかって状況を説明されることがほとんど無い。

脚本家の人たちは意図的に長いセリフをカットしているのだろう。

 

医療ドラマの傑作「E.R」も、長い医療用語が連発することが度々あるが、

登場人物たちは常に行動していて、物語の根幹部分は全てセリフではなく映像だけで表現されているのだ。

 

 

私は日本のドラマ「カルテット」を見ているうちに日本のドラマと海外のドラマのクオリティーの差の原因を見てしまったような気がした。

 

「カルテット」は本当に面白い。

独特のセリフ回しで、物語が進んでいくのだ。

しかし、今の時代、多くの人がスマホやPCで映画やドラマを見ている。

テレビの前でじっと真剣にみてくれないのだ。

 

サクッと映像だけで物語が説明されていくドラマの方が受け入れやすいのではないか?

そう私は思ってしまったのだ。

 

それでも私は満島ひかりの演技力と役者陣が繰り広げる独特な世界観が好きだから

火曜ドラマ「カルテット」はこれからも楽しみにして見ていくのだろう。