ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

「やりたいこと」がわからずに、もやもやしていた自分が、巨匠「黒澤明」から学んだこと

 

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「趣味を仕事にしたら、つらくなる」

銀行に内定した大学時代の知り合いが言っていた言葉だ。

彼はカメラが大好きで、そっちの世界で食っていくと私は思っていた。

しかし、大学4年生の時に、彼は銀行に入ることにした。

 

「趣味は趣味、仕事は仕事というバランスが自分には丁度いい」

そう彼は言っていた。

 

私はというと「趣味を仕事」にしようと思っていた。

 

大学時代には年間350本もの映画を見ていた。

子供の頃から映画が大好きだった。

就活はほとんど落ちたがテレビや映像関係のところばかり受けていた。

結局、数打ち当たればあたるもので、とあるテレビ制作会社に就職することになった。

 

映画が作りたいという気持ちはあった。

しかし、本当にやりたいことが何なのか……もやもやを抱える自分もいた。

自分の好きなものに向き合っている人がカッコよく見えたのだ。

仕事を好きでいる人の方が人生を謳歌しているように見えた。

だから、好きを仕事にしようと思ったのかもしれない。

 

 

結局、好きな趣味を仕事にしようと考えた私は、銀行に内定した友人を心のそこで

上から目線で見ていたと思う。

「あいつは逃げたんだ。好きなものを仕事にしなかったんだ」と思っていた。

 

大学を卒業して、テレビ制作の世界で働くようになり、1日24時間労働のなか、

私は耐えていた。

 

映像制作の会社はブラックなイメージが強いと思うが、まさにその通りで、

どこの会社もハードな労働環境だ。

3ヶ月以上、休みが1日もないこともよくある。

下っ端のADが死に物狂いで働いてくれるおかげで、日本では24時間テレビが放映できるのだ。

 

会社の同期は次々と辞めていった。

私も1日30分しか寝れない環境で、頭がおかしくなっていた。

こんなはずじゃなかった……

趣味を仕事にすれば、仕事は楽しいはずだと思っていた。

 

実際、趣味を仕事にしても、仕事は大変なのだ。

楽な仕事など、この世にはないのだ。

 

結局、私は短期間でテレビの会社を辞めてしまった。

 

その後、自分が一体何をしたいのかわからなくなってしまった。

転職の時は本当に苦労した。

日本社会は、一度ドロップアウトした人間には、とても厳しい目で見られるのだ。

どこの会社を受けても

「なぜ、一社目を短期で辞めたのですか?」

と繰り返し聞かれる。

 

そして、案の定、落ちる。

その頃の私は何が何だかわからなくなっていた。

 

アルバイトで入った映像制作の会社でも

「お前は一体何がしたいのかわからない?」

と社長に言われた。

 

自分も何がしたいのかわからなかった。

一体、どこを向いて歩いていけばいいのかわからなかった。

 

そんな時にふと、本屋に置いてあった黒澤明の人生を綴った自伝を見かけた。

私はもちろんのこと黒澤明監督の映画が大好きだった。

あんなに人間の深い部分を描ける映画監督は「世界の黒澤」以外にいないと思う。

 

60年以上前の映画だが「七人の侍」や「羅生門」は今見ても面白い。

今の映画監督ではとても太刀打ちできる存在ではないかもしれない。

 

そんな巨匠「黒澤明」の自伝を見かけて、私は金もなかったのに、ついつい買ってしまった。

なぜか、その時は黒澤明が作った映画よりも、黒澤明自身の人生の妙に心惹かれたのだ。

 

私は本を読んでいった。

 

驚いた。

え? そうだったの……

という映画だけではわからない黒澤明の人生がそこには書かれてあったのだ。

 

黒澤明は24歳の頃まで画家を目指していたという。

学校を卒業した後に、親の反対を押し切って画家を目指したのだ。

しかし、絵だけでは食っていけなかった。

彼は親に頼ることもできず、東京の下町で半ばホームレスのような暮らしをしていた。

 

20代前半の時には、絵への情熱をなくなっていったという。

やりたいことが全くわからずに、のたまっていたのだ。

 

そんな時に、ふと当時の東宝が募集した助監督募集のチラシを見つけたらしい。

それが黒澤明の人生を変えることになった。

 

 

私はその自伝を読んでいる時に

「あの巨匠も24歳まで自分が何をやりたいのかわからなかったんだ」……と思った。

世の中をさまよい歩き、24歳の時にようやく映画と出会ったのだ。

 

奇しくも今、私は24歳だ。

やりたいことが何なのか正直、まだわからない。

わからないけど、好きと思えることはたぶんある。

 

それはものを書くことだった。

大学で自主映画を作っていた時も脚本を書いている時間が一番好きだった。

テレビ制作会社でADをやっていた時も、1日30分しか寝れない中、友人に頼まれた本の書評を書いていた。

電車で寝ながら本を読んで、寝る前の貴重の5分を使ってちょっとずつ書いていった。

当時はよくそんな生活ができたなと思うが、書くことは私にとって苦でもなんでもなかったのだ。

 

もしかして、書くことが自分が好きなことだったのかもしれない。

最近、そう思い始めていた。

 

私はまだまだ「何がしたいの?」と聞かれたら、

「これをしたい」「あれをしたい」と情熱を持って言えるものがないと思う。

しかし、書くことは好きだから、こうしてものを書いたりしている。

 

 

「自分にとって本当に大切なものを見つけるといい……見つかったら、その大切なもののために、努力しなさい。君たちは、努力したい何かを持っている筈だから」

 

 

これは黒澤明の遺作「まあだだよ」で主役の内田百間が子供達に言い聞かせていた言葉だ。

 

ここに黒澤明のメッセージがあるのかもしれない。

彼が24歳の時に映画と出会って、大切なものときちんと向き合ってくれたおかげで、

七人の侍」「羅生門」「隠し砦の三悪人」などの傑作が生まれていった。

 

それらの映画からジョージ・ルーカスはインスピレーションを受けて

壮大な「スター・ウォーズ」の物語を作っていったという。

 

もし、黒澤明が好きなものと向き合ってくれてなかったら、

スター・ウォーズ」はこの世に生まれなかったのかもしれない。

 

私はたぶん、書くということは好きだと思う。

書くことを仕事にせず、趣味のままにした方がいいかもしれない。

好きだからこそ、きちんと向き合うのが怖かったりもする。

 

私にとって、自分が何をやりたいのかまだまだはっきりとはわからない。

しかし、自分にとって本当に大切にしたいものは見つかったと思う。

書くことを大切にして、もっと努力しなさい! 

と天国の黒澤明に言われている気がするのだ。