ライティング・ハイ

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「生きる」力にあふれた強烈なインド体験を忘れないためにも、私はこの本を読み返す

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「マズい……」

インドで初めてカレーを食べた時の感想だった。

 

マズい、マズい!

なんでこんなに油っこいんだ!

なんでこんなに辛いんだ!

 

インドの本場カレーは日本人には合わないとは聞いていたが、

世界中の人の口にも合わないだろ! これ!

 

大学4年の頃、私はインドに一人旅をしていた。

何が何だかわからないまま就活を終えて、よくわからないが進路を決め、

周りが遊んでいる中、私は強烈にインドに憧れを抱いていた。

 

それはある本がきっかけだったと思う。

インドについて書かれたある日記が。

 

実際にインドのガンジー国際空港に降り立った時、私は激しく後悔した。

「もっと先進国に行けばよかった……」

 

インドに行ったことのある人なら誰もが思うことだが、空港から降りた時の第一声はこうなるはずだ

 

「この国くさすぎる!!!!!」

 

 

なぜか、国全体が生ゴミが腐ったような臭いがするのだ。

生卵が腐ったような臭いが充満しているのだ。

 

道を歩いていても、そこら中ゴミだらけだ。

みんな道を歩きながらペットボトルをそこら中に捨てていくのだ。

 

ガイドのインド人に

「なんでこの国の人はゴミをそこら中に捨てるの?」

と聞いたら、

「この国全体がゴミ箱みたいなもんさ!」

と答えて、ペットボトルをタクシーの窓から豪快に捨てていた。

 

発想が大胆すぎる……

今思い返せば、インドの国全体がゴミで溢れているのはカースト制度が原因だとわかる。

 

長い間、インドを覆っているカースト制度。

全てのインド人が生まれた瞬間に身分が決定され、身分ごとに将来につける職種が決まってしまう。

 

未だに結婚できるのは、同じ身分のものだけだ。

 

この制度が最も悪いのは、名前だけでその人の階級がわかってしまうことだ。

名前だけで、こいつは俺よりも下だとわかるので、迫害が多発している。

カーストの最も低い、不可触民になると、道で車にひかれても放置されるという。

 

そんなカースト制度で覆われているので、中流階級から上流階級の人は、皆ゴミをそこら中に投げ捨てる。

自分より身分が低い人間が拾うのが、あたり前という発想なのだ。

 

タクシーから見るデリーの街並みも強烈だった。

東南アジアやアメリカの比じゃないほどの物乞いの数なのだ。

どこに行っても物乞いの子供達が付いてくる。

 

この子供達にとって、ちゃんとした仕事につくよりも物乞いをしていた方が時給がいいのだ。

 

インドでカルチャーショックを受けながら、私は約5時間も遅延している列車に乗ってバラナシに着いた。

 

ヒンズー教徒の聖地バラナシは世界中からバックパッカーが集まってくる。

聖なるガンジスを前にして祈りを捧げている人々の姿には美しいものがあった。

 

私はバラナシにいる間、何か感慨深いものを見た気がする。

カースト制度で身分が決定されている人たちはガンジスに祈るしかないのだ。

つらい現実を目の前にして、神に祈るしかないのだ。

 

川沿いのガート(火葬場)の近くを歩いていると、目を覆うような光景が広がっていた。

 

足がない子供たちが地面に這いつくばりながら、物乞いしているのだ。

たぶん、この子は一生で一度も地面から起き上がったことがないだろう。

ずっと地面に這いつくばりながら、慈悲を求めている。

 

障害を持って生まれた子供を抱きかかえながら、悲しい形相で物乞いをしているお母さんもいた。

 

そんな人たちを目の前にしても、私はお金を渡すことができなかった。

哀れむ目で見ている自分が嫌だったのかもしれない。

お金を渡すことが正解とは思えなかったのかもしれない。

 

今でも、あの物乞いたちにお金を渡すべきだったかはわからない。

正解なんてあるのかわからない……

 

私はブッダが悟りを開いたと言われるサルナートに行ってみることにした。

リキシャーをとっ捕まえ、バラナシから少し離れたサルナートへ向かった。

 

リキシャーのおっちゃんは汚いTシャツを着て、汗だくになりながらペダルを漕いでいる。

約2時間ほどでサルナートに到着した。

そのおっちゃんは「帰りも待ている! 300ルピーでいい」

と言い始め、勝手に待つと主張した。

 

私は他のリキシャーを探すからいいと答えても、

「絶対に俺のリキシャーの方がいい!」と言って、いうことを聞かない。

 

たぶん、帰りの客を見つけるのが難しいから、私から金をぶん取ろうとしてるのだろう。押しに負けて私はオーケーと言ってしまった。

 

サルナートで寺院を回り、1時間ほどぶらぶら観光してからリキシャーのところに戻ってきた。

 

「遅いぞ!」

と怒られた。

 

お前が勝手に残ると決めたんだろ! 

と思ったが、リキシャーのおっちゃんの言う通り、荷台に乗ってバラナシのゲストハウスに向かうことにした。

 

帰り道は大混雑だった。

どこを見ても人混みで溢れかえっている。クラクションが鳴り響いている。

 

通りを見てみると、他のリキシャーの運転手たちが休憩していた。

アルミだけでできた小屋みたいなところで寝泊まりしているのだ。

 

私が乗っているリキシャーの運転手もこんなところで寝泊まりしているのか……

そう思うと、重たい体の私を乗せたまま全力で漕いでいるおっちゃんに申し訳ない気持ちになった。

 

バラナシのガートに着くと、

「ここで降りる」と言っても

「もっと向こうのほうがいい」と言って、ガートの奥まで連れてかれた。

 

何かやばいかも……

そう思った。

 

変なところに連れてかれるのではないか……

連れてかれたのは、ガート付近の十字路だった。

そこには同じリキシャー仲間が集まっていた。

 

仲間が私の周りを囲い始めた。

 

「800ルピーだ」

そうおっちゃんは言った。

 

「お前、往復300ルピーだと言っていたろ!」

と答えても、

「知らん! 金を払え!」

と激怒して仲間を呼び始めた。

 

数人のリキシャー集団に取り囲まれて、私はひたすら金を要求される。

 

「800ルピーだ!」

と激怒され、仕方なく私は400ルピーだけ払うことにした。

 

「足りないぞ!」とキレられたが私は走って逃げた。

 

私は走った。

とにかく遠くまで走った。

 

 

日本に帰ってからもインドの強烈な体験がしばらくの間、私の体に染み込まれていた。

あのバラナシにいた物乞いたちは今何をしているのだろうか?

 

しかし、数ヶ月も経つとインドの記憶が薄れてくる。

どんどん記憶が薄れてくるのだ。

 

帰国した時は、強烈な悪臭も覚えていたのに、もはやあの臭いを思い出すこともできない。

あの強烈な体験は何だったんだろうか?

 

そう思うとき、私は女優の中谷美紀さんが書いた「インド旅行記」を読み返す。

 

嫌われ松子の一生」という映画で精神的にも肉体的にも限界に来ていた中谷美紀さんは救いを求めるかのように、一人インドを旅したという。

その旅の出来事がまとめられたのがこの本だった。

 

最後のページにはこう書かれてある。

 

ベランダの鉢に植え付けた紅葉を食い尽くしているカミキリムシを見つけた時、

中谷さんはいつものようにつぶしてしまったという。

その後こう綴っていた。

 

「紅葉が枝葉を伸ばして精一杯生きているのと同じように、カミキリムシだってその儚い人生を限りなく生きている。命の尊さを秤にかけることなど敵うものか」

 

 

私はインドで一番体感したのは人々の「生きる力」だった。

あの金をぼったくろうとしてきたリキシャーのおっちゃんも「生きる」ためにやっていたのだ。

 

生まれつき足がない体で生まれても「生きる」ために、毎日地面に這いつくばりながら物乞いをしている人もいた。

 

ガンジス川沿いで暮らす人々の「生きる力」を私は見てきたのだ。

 

日本は豊かな国だ。

先進国の中でもトップクラスに綺麗な国だ。

食べ物に困ることは、まずない。

しかし、満員電車に揺られながら通勤している人々に、バラナシにいるインド人のように強烈なまでに「生きる力」があるのだろうか?

 

毎日繰り返される日常の中で私たちは「生きている」と言えるのだろうか?

 

私はインドで体感した「生きる」人々のことを忘れないためにも、定期的にこの本を読み返す。

 

私にとって、インドの旅行は、体の一部分になるくらい強烈に印象に残った体験だった。