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ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

自分と同じく滑舌が悪いのに、なぜビートたけしの話は面白いのか?

「え? 何言ってんの」

また、しかめ面な顔をされた。

アルバイト先でも、学校でも、昔からいつも私に付きまとっていた問題……

それは滑舌の悪さだった。

アルバイト先での後輩指導も、

「え? 何ですか」と言われ、滑舌の悪さが気になって、周囲とうまくコミュニケーションが取れなかった。

 

私の言葉はどうやら聞き取りづらいようなのだ。

伝える意志がないのではない。

ただ単に滑舌が悪いのだ。

伝えたいことがあっても呂律が回らなく、コミュニケーションに困ったことが度々あった。

小学校から私が根暗だったのは、実は滑舌の悪さが原因なのでは? と最近は思うようになった。

特に就職活動の時は、自分の滑舌の悪さが大問題になった。

話のトーンが低いだけで、面接官に悪い印象を与えてしまうのだ。

自分でもわかっている。

わかっているが、滑舌の悪さを治すことができなかった。

面接官に自分の意志をきちんと伝えることができなかったのだ。

就活の結果はボロボロだった。

7月まで内定がゼロだったので、このままではマズイと思い、 「滑舌が良くなる」という本を買って、滑舌の悪さを治そうと試みてみた。

本に書かれていた通り、舌を出して、顔の周りの筋肉を鍛える訓練を家でひっそりしていた。

隠れながら滑舌トレーニングをやっていたが、一度妹に見られてだいぶ怪しがられたこともあった。

苦労の末、これで滑舌も良くなったと思い、再び就職試験に挑んだ。

だが、本番で頭の中が真っ白になってしまい、面接官に上手く思いを伝えることができなかった。

 

 

へこんだ。

 

滑舌やしゃべり方が悪いだけで、こんなに人生において不利に働くなんて……

就職試験も学歴や個人の能力が必要にはなってくるが、最終的に勝つ人は、 口が上手い人間だ。

世の中、口が上手い人間が勝つのだ。

私は自分の滑舌の悪さを呪った。

ちくしょう。 滑舌が悪いだけなのに……それなのにどこの企業にも受からない。

そんな風にして、自分のコミュニケーション能力に悩んでいる時に、 ふと、ビートたけしが出演している番組が気になった。

 

 

私は以前からビートたけしの大ファンだ。

世界のたけしと言われる理由もわかる。

彼の映画はほとんど見た。

どれも傑作だ。

私はビートたけしが好きすぎて、YOUTUBEで、デビュー当時のツービートの漫才を見ていたりもした。

とにかく面白いのだ。

30年以上前の漫才でも笑えるのだ。

ネタも古くない。面白いのだ。

相変わらず昔から毒を吐きまくっているが、どれもこれも面白い。

いつ見ても笑える。 たぶん今から30年後の人が見ても面白いと言うだろう。

 

ビートたけしのトークをよく聞いてみると、とにかく滑舌が悪い。

ほとんどの人も彼は滑舌が悪いと感じると思う。 彼の話はあまり聞き取れない言葉も多い。 何を言っているのかわからない時もある。

だけど、面白いのだ。

とんでもなく笑えるのだ。

なぜだろう? と思った。

 

何で滑舌が悪いのにビートたけしの話は人を惹きつけるのだろうか?

大御所のビートたけしが話すなら面白いに決まっている! という先入観もあるだろう。

しかし、師匠である立川談志もそうであったように、滑舌が悪くても人を巻き込み、笑いを取れるのだ。

 

いや、むしろ滑舌の悪さを利用している節もあるかもしれない。

 

明石家さんまが自身の番組でお笑い哲学を論じていた時だ。

ビートたけしタモリと並ぶトップ3の明石家さんまは後輩の芸人に向かってこう言っていた。

 

 

「笑いとは間や!」

 

最初に聞いた時はどう意味なのかわからなかった。

「間ってなんだ?」 しかし、今ならわかる。

 

ビートたけし明石家さんまのトークには独特なテンポがある。 リズムがあるのだ。

呼吸のあいだに絶妙な間があるのだ。 間があることで、オチも決まり、面白いと感じるのだ。 たぶん、ビートたけしの独特の間は、師匠の立川談志の影響が強いと思う。

 

毒を吐きながら人の本質的な部分もいう。

 

そして、体に刻みこまれた独特の間とリズムで聞く人を巻き込んでいく。

 

やはり、笑いにとって間とは重要なのかもしれない。

私も友達に笑い話をするときに、何度か感じたことがあった。

 

同じネタでも、話し方や間のリズムでだいぶ反応が変わってくるのだ。

間があることでしっかりとオチが決まるのだ。

このリズム感覚があるかないかで、話が上手いか下手くそか決まってくるのだと思う。 ビートたけしのツービートの漫才も、ビートきよしとの独特なツッコミで成立していた面もあった。リズム感が最高にぴったりなのだ。

 

ビートたけし明石家さんまも、体の中にある独特な間を使って、笑いを取っているのだ。 滑舌の問題ではない。

間の問題なのだ。

私はビートたけしの漫才を見ているうちに、滑舌が悪くて悩んでいた自分が少し楽になった気がした。

滑舌が悪いのはもう仕方ないことだ。

解決しようにも長年に続く癖だから、なかなか変えられない。

もはや私の個性の一つだと思えばいいのだ。

滑舌の悪さを治そうとするよりも、人とのコミュニケーションにおいて、間というものを注意してみようと思う。

相手を巻き込むような爽快なトークスキルは、テンポと間の関係が大きく作用しているのだ。 今度から間に注目して、ビートたけしの番組を見てみよう。 毒を吐きながら、痛烈に観客を巻き込む、ビートたけしの笑いは本当に奥が深い。

間に注目して、今日も私はたけしのテレビタックルを見ている。