ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

魂の速度は人それぞれ    

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「あ、もうこんな時間だ」

忙しない毎日の中、朝の時間は貴重である。

会社に向かって家を出る前に、朝ごはんを食べて、スーツを着て、最寄りの駅までに向かうまでの時間。

 

東京の満員電車はどこもかしこも、ぎゅうぎゅうづめ状態で、どうしても満員電車というものが苦手な私は、時間に少し余裕を持って、家を出るようにしている。

いつも、なんだかんだ朝は大忙しである。

 

毎朝、同じ時間に家を出て、同じ時間の電車に乗る。

その間にきっと、いろんな光景を出くわす。

 

毎朝、同じ時間に出ていても、家から伸びる影や、太陽の光の位置は変わっているはずだ。

私は普段、どこにいくにもカメラを持ち歩いている。

そのため、ちょっとした毎日の変化や人の動きが気になってしまい、気になる光景を目にするたびにシャッターを切るようにしていた。

 

「世の中ってこんなにも色鮮やかなのか」

そんなことを思ったりしていた。

 

だけど、最近はどうなのか。

あまりにも仕事が忙しすぎて、気がついたら毎日見る光景に嫌気が指してきてしまった。

 

満員電車の中で揺られながら会社に向かっていても、目の前に映る忙しない風景に翻弄されてしまい、何か感じる心が削ぎ落とされていく感じ。

 

明らかに昔は持っていた感受性というセンサーが曇っている感じがしていた。

 

何でだろう。

自分の中でなにか折り合いをつけられる時間を持てないからかな。

土日のたびになると、何か写真を撮ろうと思い、街なかに出てみることにした。

 

しかし、写真が撮れないのだ。

何も感じないのだ。

 

どんどん自分の中から感受性というものが消え始めていっていることが身にしみて感じていた。

 

毎朝、時間に追われているために、歩く時間も短縮され、身の回りの風景を見る余裕がなくなっていったのか。

 

何か自分の中から大切な部分が消えていく感触がずっとあった。

旅に出なければいけない。

どこか無理やりまだ見たところもない風景を見に行って、写真を撮らなければならない。

 

しかし、旅に出てみても、旅先で新鮮な光景を切り取ることが出来なかった。

毎朝の満員電車って相当、自分の心にも影響を与えているようで、何か感じる部分が明らかに消えていっている。

そんなことを感じ始めた時、あるツイッターのタイムラインで流れてくる文章に目をやった。

 

村上春樹の遠い太鼓で描かれていた距離感、それにインスピレーションを受けて旅先の写真を撮っている」

その方はどこか旅先で出会う人々と自分と間にあいまいな距離感で写真を撮っているプロのカメラマンの方だった。

 

自分がその土地に溶け込んでいく感じ。

 

どこか自分の目線は持っているはずなのに、現地の人々の中に溶け込んでいく感触がそのカメラマンの目線にはあった。

濱田英明というSNSで活躍するプロカメラマンの方だ。

 

最近、なぜかこの方の写真が好きで、よく眺めてしまう。

どっちつかずな距離感というか、染まり過ぎもせず、離れ過ぎもしない、あいまいな距離感。

愛おしく、世の中を見つめている視線に憧れを抱いていた。

 

こんな写真を撮りたいなと思っていた。

 

そんなときにふとツイッターでインスピレーションを受けたという本について書かれてあったのだ。

 

「遠い太鼓」

世界的なベストセラー作家の村上春樹氏が1986年〜1989年まで、

ギリシャやイタリア、ヨーロッパ各地を旅しながら、走り、当時感じたことをエッセイとしてまとめた本だった。

 

私はとくに村上春樹ファンというわけではないと思っているけども、ほぼすべての本は読破していた。

 

「世界の終わりのハードボイルド・ワンダーランド」

ノルウェイの森

「IQ84」

 

その他、もろもろ、ほぼすべての本は読んでいる。

ま、自分では思っていないけど、世の中的にはだいぶ村上春樹ファンである。

 

旅をまとめたエッセイを書かれてあったのは知っていた。

だけど、ブックオフで見かけた時にものすごい分厚い単行本で読む気が起きななったのだ。

 

ま、これも何かの縁だと思って読んでみるか。

早速、ブックオフに向かい、分厚い単行本を買って、読み始めてみることにした。

 

読んでみると、著者の文体に吸い込まれていった。

どこか優しい口調、読んでみると脳の中でリズムが刻まれていく感覚。

この本の著者がもともと体内で持っているある種の言葉のリズム感がこのエッセイの中にどこかしら滲みこまれていた。

 

それが読んでいて心地いいのだ。

 

 

なんでこんなに心地よい文章を書けるのか。

そんなことを感じながら、少しずつ読み進めていった。

 

それはファンにはたまらない内容の本だった。

名作「ノルウェイの森」の制作秘話や執筆中の創作背景、

毎日徒然なるままにスケッチを取っていく過程で、この本の著者が日々感じている些細な出来事をどれも美しい光景に切り取っていく姿勢が感じられるのだ。

 

 

苦しい長編小説の制作過程でも、毎日走ることを忘れず、時たま自分の立ち位置を確認するかのようにスケッチを書いていく。

 

なんで、こんなに世の中を切り取るのがうまいのだろう。

 

そんなことを感じながら、夢中になって読みふけってしまった。

毎朝の満員電車の中で、この分厚い単行本を読んでいったのだが、

東京の地下にいても、気分はヨーロッパを旅しているような感じになった。

 

そして、ある一説が胸にひっかかった。

それは著者が毎日の日課にしているランニングについて書かれた本だった。

「旅に出て、その街を走るのは楽しい。時速数十キロ前後というのは風景を見るのに理想的な速度だと僕は思う。車では速すぎて、小さな物を見落としたりする。歩きでは時間がかかりすぎる。それぞれの街にはそれぞれの空気があり、それぞれの走り心地がある」

 

毎日、忙しなく通り過ぎていく風景の数々の中で、きちんとした目で世の中を見つめている姿勢を感じてしまった。

 

世界に行けば、広いと感じるだろうけども、文京区だって、渋谷区だって、見つめ方を変えたら、それぞれの広がりに気がつける。

そんなことが本を読んでいて感じた。

 

人それぞれ、何かを感じる適度な速度というものがあるのだろう。

村上春樹氏はたまたま、走っている時が一番、ちょうどいい魂の速度だったのだと思う。

 

毎日、忙しない日々に翻弄されていくうちに、私はきっと多くの景色を見逃していったのかもしれない。

目が苦しいほどの速度で情報が流れている今の世の中でも、

きちんと自分の距離感と速度でもって、ありふれた日常を見つめていきたい。

 

少し、日常と距離を取って、日常を大切にすること。

そんなことをこのエッセイを読んでいくうちに感じた。

 

普通であることに後ろめたさを感じるけども……

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いつからだろうか。

「普通じゃない」ということに憧れを抱くようになったのは。

 

私はとにかく昔から、心の奥底で、普通じゃない特別な人というものに憧れていたと思う。

 

人と違った何かを持っている。

自分には人と違った感性を持っている。

そう思い、人と違った行動を取って、自分は人と違うと思い込みたかった。

 

自分は普通じゃない。

特別な何かを持っている。

 

そう思い、人と同じ行動を取ることにいつも躊躇していた。

そして、いつも人の事をどこか他人目線で侮辱した目で見ていたのだと思う。

 

小学生の頃からどこかしらそんな他人を侮辱する目というものを持っていた。

やたらと同調意識が熱く、回れ右の環境で勉強をする日本の小学校のあり方に、わりと最初から違和感を覚えていて、

 

「なんでみんなと同じ方向を向いて、座らなきゃいけないの?」

「なんでみんなと同じことをしなければならないの!」

そう思い、机を自分だけ真逆の方向に向けて授業を受けたりと少し変わった行動を取るような子供だった。

 

「授業中は黒板に集中しなさい」

そう先生に言われ、泣く泣く机をもとに戻したのを覚えている・

 

「特別な何かでありたい」

そう思い、いつしか大人になった。

 

就活のときはだいぶ苦労した。

自分はちょっとクリエイティブな素質を持っている。

なにか特別な物を持っている。

 

そう思い込んで、大企業ばかり受けては落ちまくっていた。

社会のレールにうまく乗ることも出来ず、世の中を彷徨い歩いたりした。

 

だけど、いつしか社会に出て、きちんと働くようにはなった。

さすがにもう「自分は特別な何かを持っている」

「特別でありたい」という感情はちょっとずつ薄れていったが、それでも心の奥底では、「普通じゃない」何かに憧れを頂いている自分がいる。

 

 

毎朝、ホームから人が落ちるんじゃないかと思うくらい、

人で溢れている渋谷駅のホームに経つたびに、

就活生や新入社員をみかけるたびに、

昔の自分の面影を探してしまうことがある。

 

自分がいる場所は一体何なのか?

無機質で他人に無関心な大都会の片隅で、異常に胸が苦しくなることがある。

なんだろう、この苦しみ。

どこか「普通じゃない」何かに憧れている自分。

「普通」が何なのか見いだせない自分。

 

常に浮足立っていて、生きている心地があまりしなかった。

 

そんな時、ふとある本を見かけた。

 

「普通を誰も教えてくれない」

 

タイトルに私は惹かれ、本屋で佇んでしまった。

その本は何か私に訴えかけるようにしているかのようだった。

 

この時期に、このタイミングで出会うべき本。

直感的だったけど、そんな気がした。

 

思わず、手にとってしまった。

その本の著者は大阪大学の総長であった鷲田清一氏である。

私はその著者のことは知っていた。

 

大学受験の際に、よく国語の試験でこの著者が書いた本が出題されていたのだ。

あまりにもよくこの著者の本の抜粋を見かけたため、私は興味を持って、

著者の本を一冊買って、読んだことがあった。

 

 

あ! あの国語の試験の題材に使われる人だ……

 

私は気がついたら手にとって、本を読みふけってしまった。

最初のはしがきから、この本の著者の世界観というか考え方が興味深く、読みふけってしまった。

 

これは買ったほうがいい本だ。

そう思い、そのままレジに直行し、本を手に入れることにした。

 

毎朝の満員電車の中、人にぎゅうぎゅうづめにされながら、私はこの本を読んでいった。

文庫本にしては結構分厚いサイズである。

少しずつ、少しずつ読んでいった。

 

この本は1990年あたりから2000年あたりの時に書かれた本のため、当時の社会情勢や雰囲気が如実に書かれていた。

今としては少し古い考え方なのかもしれない。

だけど、当時を生きてきた自分にとっては、今なお続く日本の社会のあり方の問題点が鋭く書かれてあった気がした。

 

章を読み進めていくと、ある時代の部分に差し掛かった。

そこには神戸連続殺傷事件が起きた時代背景について深く、深く書かれてあった。

 

たぶん、その事件は著者にとって、とても考えさせられる事件だったのかもしれない。

教育の問題や、都市のあり方について鋭い視点が書かれてあった。

排他的に便利さだけを構築した都市が建設され、人が逃げることができる場がなくなった時、その反動が社会に現れてきた事件だと書かれてあった。

 

人が作り上げた都市は、どこの時代にも逃げ場になる場所、

昔でいうと銭湯であったり、パチンコ屋であったり、風俗街であったり、

どこか穢れがある場も必要であると。

 

コンクリートで囲まれ、穢れを排除した純白な環境だけだと、人はどこかおかしくなってしまう。

そんなことが書かれてあった。

 

この本が書かれた当時よりも、どこか人は逃げ場所を失って、浮足立って彷徨い歩いている気がした。

SNSの影響もあって、すぐに自分と他人とを比べることが出来てしまう時代。

そんな時代だからこそ、「普通に生きることとは何なのか?」とふと考えてしまう部分もある。

 

この本を読んでいくうちに、自分が生きてきた時代の闇というか、

深く傷がつくようなリアルで追い詰められた空気を感じた。

 

皆、生きている実感が欲しいからこそ、他人を傷つけ、自分を傷つけてしまう。

その傷を癒やすことも、また自分を傷つけることでしか、リアルな生の感覚を得ることができない。

 

そんな時代の背景を考えさせられた。

私はこの本を読んでいく中で、とても深く心がえぐられてしまった。

自分が生きていく中で、どうしても見つめなければならないことのような感じがしたのだ。

 

生きている実感がない。

常に浮足立っていて、どっちに向かって歩んでいけばいいのかわからない感覚が少しずつ、少しずつ私の心の中に広がっていっていた。

そのもやもやの答えがこの本の中に書かれてあったのかもしれない。

 

 

この本の最後にこんな一説が書かれてあった。

それは、普通に生きることがわからなくなった時代に、人と簡単に見比べられてしまい、自己の消失が進んでいる時代に生まれた自分には深く突き刺さる言葉だった。

 

「傷からのほどきは、傷を忘れることにあるのではない。自分を傷つけた場所から離れるのではなく、あえてその場所に戻ること。そこにしか開放はおそらくない。傷を舐めるそういう文章を、わたしはこれからも書き続けたい」

 

その一説を読んだ時、はっとしてしまった。

自分に言い聞かせられた気がしたのだ。

 

私はどうも日本に居心地が悪く、いつも逃げてばかりいた気がする。

なんやら時代のせいにして、自分の居場所を追い求めて、海外を旅して回ったりした。

 

結局、どこにも自分の居場所は見つからなかった。

 

自分の居場所や心地よい場所を探して、逃げて回るよりも、

今いる場所でどう生きるのか?

 

傷から逃避するのではなく、傷口を見つめ、えぐり出す文章を書くこと。

そこでしか、何か答えが出ないような気がした。

 

自分はこの著者のようにたいした学歴があるわけでもなく、たいした経歴があるわけでもない。

だけど、こんな風に時代の傷口を鋭く刳りだすような文章を書きたいと思った。

 

自分を傷つけた場所から離れるのではなく、あえてその場所に戻ること。

やはり、そこにしか答えがないのかもしれない。

その答えを見つけるためにも、私は少しずつでもいいから毎日、文章を書いていくつもりだ。

人との境界をあいまいにする    

 

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「人との境界をあいまいにする」

ふと、湧いて出てきた言葉だった。

何か悟りを開くかのように、自然と湧き上がってきた。

 

仕事している時にふと、このフレーズが思いつき、ずっと考え込んでしまった。

「人との境界をあいまいにする」

 

どこか今の自分にとって大切な言葉のような気がした。

きっと、どこかの本の抜粋なのかもしれない。

そう思って、深夜に家の本棚を探り、自分が読んできた本の中でこのような言葉が書かれていないか探してみることにした。

 

しかし、見つからなかった。

もしかしたら数年前に読んだ本にこの言葉が書かれていたのかもしれない。

だけど、自分の心から自然と湧き上がってきた言葉なのかもしれない。

 

 

なんだろう。

 

どうしてもこの言葉の意味をずっと考え込んでしまった。

私はとにかく人との境界をわりと作ってしまうタイプだった。

人と話していてもすぐに壁を作ってしまう。

 

昔からそうだった。

相手と話をしていてもちょっとした仕草が気になってしまい、

ちょっと目線を外しただけで「あ、この人きっと自分に興味がないんだな」と思い込んでしまう。

一旦、そう思い込んでしまうと、自分もそういう態度を取ってしまうのだ。

 

どうしても人と話していると疲れを感じてしまう時があった。

 

飲み会のときもそうだった。

会話が展開されていても、どこでどういう話をしていいかわからなくなるのだ。

普通、飲み会は楽しい場のはずだ。

だけど、自分にとってもわりと精神的にぐさっとくる場所でもあった。

 

 

「きっと今、次の会話の内容を頭で考えているんだろうね」

会社の上司に飲み会に誘われた時だった。

飲み会が始まって1時間以上、じっと黙っている自分を見て、そんなフレーズを発してくれたのだ。

 

相手に合わせて次の内容を考える。

それが本当に出来なかった。

人に興味がない自分も正直いる。

だけど、それ以上に、相手に気を使いすぎて、ぐったりと来てしまう自分もいる。

 

飲み会の席など、楽しそうな会話が続いていくのに、自分からこんな話題が出ないことが苦痛で仕方なく、いつも相手に悪いと思い、自分をがんじがらめにさせてしまう。

 

あ、今日も駄目だった。

そんな感じで飲み会が進んでいく時に、ふと

「相手に合わせるってものすごく大切だよ。酒が飲めなくても、少しでいいからビールを飲む。そうやって少しずつ相手に合わせていくんだ」

いつも自分に気を使ってくれている自分の上司からそんなことを言われる。

 

社会に出て、一年以上経つが、どうしてもまだ自分の殻に閉じこもっている自分がいる。

たぶん、自分は人と接するのが苦手ではある。

だから、毎日同じ場所でおなじような仕事をするのは正直、向いていない部分がある。

 

土日になると、「あ、やばい」と思い、軽くパニックになってしまうことがある。

 

仕事のことをぐるぐる考えてしまい、じっとしていられない自分。

どうしても人と自分とに距離を置く時間が取りたくて、一人で映画館に駆け込む。。

 

映画館に駆け込んで、二時間の間だけでも映画の世界に良い浸る。

その時間が今の自分にとってかけがえのない時間なのかもしれない。

 

一旦、自分と周囲との距離を置く。

そんな時間がとても愛おしく、必要な場所になった。

 

だけど、そんな風じゃいけないと思っている自分もいる。

もっと、人と接しないといけない。

 

どんなに嫌がられても、人と接しいかないといけない。

そう思っている自分もいる。

 

自分は普段、営業の仕事をして、人と話す仕事をしている。

そんな中、人と話すということは本当にキャッチボールに似ているな、

とふと思った。

 

「言葉のキャッチボール」とよく言うが、そのとおりなのだ。

相手に向かって、強い球を投げると、強い球で投げ返される。

愛情のこもった優しい球を投げると、優しい球で投げ返される。

 

営業の仕事をして、いろんな人と接していくうちに、本当にそのことを痛感した。

初対面の相手はどうしても第一印象で「この人はこういう人だ」と頭で考えてしまう。人間、見かけで決めるなというが、どうしても見かけの印象が大きく左右されてしまう。

 

ぱっと見の印象で、この人はギザギザな心を持った人だなと思い、心地なく話していると、相手からもギザギザな形で言葉が帰ってくる。

 

優しいおっちゃんだなと思っていると、自分にも優しい言葉を投げかけてくる。

 

本当に鏡に向かってキャッチボールをしているような感覚になることがある。

 

人との境界をあいまいにする。

見かけや第一印象で、相手のことを決めつけず、人との関係をあいまいにする。

 

ゆるっとふわっとしたあいまいな境界で人と接するようになったら、もっと多くの人とコミュニケーションを取れるようになるのではないか。

 

そんなことを最近はよく考えるようになった。

人に対し、ガチッとした境界を作るのではなく、どんな人でも受け入れられる、

ゆるい境界線……

 

そんなゆるい境界を持つ人でありたい。そう思うようになった。

どうしても負の感情に包まれそうになったら……  

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自分でもわかっているつもりなのだけども、とにかく私はマイナス思考だ。

一つうまくいかないことが出てしまうと、ど〜と溢れ出るようにマイナスな考えが頭に浮かんでくる。

 

きっと、これは駄目だ。次も駄目だ。

あ、あ、あ……

 

そんなところが少なからずある。

人と接する時も同じだった。

とにかく昔から対人恐怖症みたいなところがあって、人前で話すのが大の苦手だ。

 

モゴモゴ喋らないで。

そう何度も注意されてしまう。

 

初対面で会った人でも、ちょっとした仕草で相手の人はこういう人だと思いこんでしまう節があり、身動きが取れなくなってしまうのだ。

仕事で会った人でも、名刺交換の場で、ちらっとよそ見していた人がいたら、

「あ、この人自分に興味がないんだな」

 

「きっと、この人はこういう人なんだな」

そう思い込んでしまい、この人はこういう人だとレッテルを張ってしまう。

 

「お前、思い込みが激しすぎる。あの人は見かけと違ってそんな人じゃないよ」

そんなことをよく上司に注意されてしまう。

 

思い込みが激しすぎる。

確かにそのとおりだった。

 

その思い込みの激しさもあって、いったん負の感情に包まれてしまったら、

深海に一人潜り込んでいくように、ずず〜と負の感情が湧き上がってきてしまうのだ。

 

あ、今日は駄目だ。気分を変えなきゃ駄目だ。

そう思うと、いつもトイレに篭り、深呼吸をしている。

 

なんで、こんなにマイナス思考なのだろう。

そんなことをよく思う。

 

「きっと、今日はうまく行かない日だ」

と思い込むと、案外いい日になり、

 

「今日はきっといい日だ」と思い込む、案外トラブルが起こって、悪い日になる。

 

そんなことを思い込んでいる部分があるのかもしれない。

 

昔から「今日は駄目だ」と思っていたら、案外いいことが起こったりする出来事がよくあったので、いつからかそういう風な思考回路が出来てしまったのだ。

 

だけど、こんなにマイナスの思考で囲まれた私の脳裏はわりと限界が来る。

ずっと、負の感情に包まれて生活していると、人と接したくてもうまく心を通わせることが出来ない自分に嫌気がついて、ある時、心の糸がプツンと切れたことがあった。

 

あ、もう駄目だ。

いったん、自分から距離を取ろうと思い、海外に逃避行の旅に出た。

インドやら東南アジアをぐるっと放浪したりした。

東南アジアは一ヶ月以上旅に出ていた。

 

今思うと、大学4年の頃から社会人になるまでの間に結構な現実逃避の旅に出ていた気がする。たぶん、就活が嫌で仕方なかったのもあるが、負の感情に包まれた自分が嫌で仕方なかったのだ。

 

全部捨ててしまえ。

そう思い、何かにすがるように旅に出ていた。

 

タイ、カンボジアベトナムラオスと東南アジアをぐるっと廻る。

たぶん、死んだ目で歩いていたのだろう。

 

自分は何をしたらいいのかわからなかったのだろう。

 

旅先のゲストハウスには、日本人のバックパッカーがたくさんいた。

ある人は、脱サラをして世界一中の旅に出ていた人がいた。

ある人は、大学生で就職をする前に旅に出ている人がいた。

 

みんな異国の環境の中、楽しそうに話をしている。

 

だけど、自分は「あ、この人結局逃げてきただけでしょ」

そう思っている自分がいた。

自分も逃げて海外に来ただけなのだが、他の人にも同じ感情を出していた。

 

そんなことを思っている自分が一番ださいと思った。

 

海外に出てきても、何も変わらなかった。

感じなかった。

 

結局、逃げてきたはずの海外でも、どうしても自分の居場所を見つけることが出来ず、疲れたように帰ってきた。

 

 

日本に帰って、転職活動などを初めて、なんとか社会人に復帰することが出来た。

きっと、世の中的には第二新卒でなおかつ新卒の会社を数ヶ月で辞めたような私の経歴をみて、雇ってくれる会社は極端に少ないと思う。

だけど、諦めずに転職をしていたら、ようやく転職先を見つけられた。

 

社会人に復帰して、数ヶ月が経った時、ある日こんな人と出会った。

 

「とにかく書いて下さい」

その方は、20代の全部を小説家になるために一日1万2千字書いていたという。

朝から晩まで小説を書くことを10年間続けていたという。

30歳ぐらいで自分には小説家になる才能がないと諦め、今は本屋の経営者をやっている人なのだが、「ま、これでもか!」というくらい熱い人である。

 

 

「とにかく書いて下さい。書けば人生が変わります」

本当にそうなのかと思った。その方がやっているライティングゼミに何度か通い、文章を書くことが面白くなってきたころもずっと不思議だった。

 

書けば人生が変わるのか?

 

その方はいつもポジティブで、ニコニコと仕事の面白さを語っている。

ポジティブな思考が人を惹きつけるのか、いつも面白い人に囲まれ、クリエイティブな仕事をしている。

 

あ、なんだか楽しそうだなと思った。

 

だけど、時折ふ〜と目が黒くなることがあった。

その一瞬が不思議だった。

なんで、あんなにいつも目をキラキラされて、人と接しているのに、瞬間的にふ〜と目の色が濁る時があるのだろうか。

テレビ取材とかでも笑顔で接しているその方だが、ある時こんなことを言っていた。

 

「今は誰にもわからないと思うのですが、もともと人前で話すのが大の苦手だったんです。人前に出ると、手が震えてきてしまって。だけど、場数でなんとかなりました。人の前で接する機会が増えてくると、少しずつ喋れるようになります」

 

人の前に立っている時、私はその方の手がたまに震えている事に気がついていた。

たぶん、心の奥底には根暗な自分がいるのだろう。

だけど、絶対に人前に根暗な部分を出さないのだ。

 

「書くときは絶対最後はポジティブに終わらせて下さい。ポジティブに終わると、自分の心もポジティブに捉えることができるようになります」

そんなことを言っていた。

 

その日から私は少しずつだけど、文書を書くようになった。

なんだかんだ文書を書くのが好きな自分がいたのだ。

 

書くということはマインドフルネスに似ているかもしれない。

書いて、書いて、書きまくる。

文章の終わりは絶対にポジティブな感情で終わるようにすると、

自分の感情をポジティブに捉えることが出来るようになるのだ。

 

なんだかんだ、自分はライティングを初めて、一年半以上経っている。

今でも、ふと負の感情に包まれてしまう時がある。

 

だけど、そんなときこそ書かなきゃなと思う。

書いて、少しでもポジティブな感情を世に出していると、

ちょっとずつだけもポジティブに世の中を見れるようになるのだと思う。

 

 

 

 

 

どうしても鎖から逃げ出すことができない、この社会    

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「あの方、どうしても会社を辞めたくて苦しんでいるみたいです」

知り合い伝いによくこんなことを聞くことがある。

 

社会人になって2、3年目ですけど会社を辞めたくて仕方がなくて、

だけど辞める勇気もなくてうつ状態な感じで……

 

 

自分は社会人一年目で早速会社を辞め、社会のレールから一度ドロップアウトしてしまった経歴がある。

そんな経歴があるせいか、たまに転職の悩みが自分のところに飛んできたりする。

 

直接お話はしたことがないが、友人伝いに聞くところによると、その方は多分、

相当切迫した状態なのだろう。

 

自分も一度経験したから痛いほどわかるのだが、自分と相性が悪い会社に入ってしまうほどストレスを感じることはない。

 

毎日月曜日の朝から、会議に出て、夜遅くまで仕事する毎日。

たぶん、自分が少しでも興味がある分野なら集中して定時まで耐えられるだろう。

だけど、世の中の半分以上がとくに興味があるわけではないが、なんとかく今の職場にたどり着いた形なのだと思う。

 

合わない上司やムダに長い会議に出席しているうちに精神がボロボロになってくる。

会社を辞めたくても、辞める勇気がない。

辞めたらお金に困ってしまう。そんなことをよく聞く。

 

自分の場合は電車に飛び降りそうになるくらい切羽詰まっていたので、

後先考えずにバサッと鎖をちぎってしまったが、たぶん普通の状態だと無理だと思う。

 

「辛かったら辞めればいいじゃん」

ブラック企業に入ってしまったら、バサッと辞めちゃえばいいじゃん」

そんなことを大学の頃は思っていた。

 

だけど、実際に社会に出て働くようになってから、そんなに物事は単純じゃないことが身にしみてわかってきた気がする。

 

 

「え? こんなに早く帰ってしまうの」

自分は今、営業の仕事をしている。

地方を飛び回り、都内を走り回っているのだが、最近身にしみて感じることがある。

どこの会社もみんな5時過ぎになると帰宅してしまうのだ。

そんなに早く帰って、何かやることがあるのか。

 

不思議なのが課長以上の上司だけでなく、新卒をはじめとした20代の多くも、

定時以降に仕事をすること、残業することに対して厳しくなってきたことだ。

(おそらく大手広告代理店のあの事件がきっかけ)

 

営業の仕事をしていて、5時以降に電話しても

「本日の勤務は終了しました」という着信が出るから驚く。

 

え? 世の中って普通5時過ぎになるとみんな帰ってしまうのか。

今現在、自分は毎日23時過ぎ仕事をするのか当たり前の環境なので、

世の中の変化に驚いてしまった。

 

というか、むしろ早く帰るのが働き方的にはいいのか。

 

だけど、新卒で入社したての人が、17時になったから「お疲れ様でした」

と勝手に帰ってしまうのも、なんだかいいのか悪いのかよくわからない。

 

働き方改革」が叫ばれるようになってから、

死に物狂いで働きまくるベンチャー企業と中小企業タイプと、

定時になったら綺麗さっぱりオフィスから人が消えていく大企業タイプの2つで、

働き方が完全に二極化されていっている気がする。

 

どちらも正解で、どちらも正しい働き方なのかもしれない。

だけど、どうも違和感があった。

 

いま日本で叫ばれている「働き方改革」。

それって本当に若い人が定時で帰れることが正解なのだろうか。

 

自分が今勤めている会社がブラック企業なのかはよくわからない。

(たぶん、世の中の基準的にはそこそこな黒?)

 

以前にいたテレビ制作の現場はだいぶ過酷だった。

だけど、どんなにブラックな会社でも、その働いている本人が苦しくなかったら、

ブラック企業とは呼べない気がするし、どんな働き方が正解なのかは本人にしかわからない。

 

だけど、以前から感じていた違和感があった。

ずっとずっと感じていた違和感。

 

実は会社から逃げ出せるのに逃げ出せないという仕組み……

それが日本の仕事に対するあり方の根本にある問題なのかもしれない。

 

相談を受けたその方も「会社を辞めたい」ことに悩んでいるのではなく、

「会社を辞めたいのに、辞めづらい」ことに悩んでいた気がするのだ。

 

 

自分は中小企業に勤めている身である。

 

正直、大手企業に勤めたことがないから現状はよくわからないのだが、

日本のほぼすべての中小企業って、一人が抜けると自然と他の人に負担が増えるような仕組みになっていると思う。

 

 

私が以前に努めていたテレビ制作の現場も、自分の前に、一人のADが疾走してしまったため、その人がやっていた仕事が自分に押し寄せるような形になってしまった。

(その結果、5日以上寝れない日々が続いて、ぶっ倒れるという事態に)

 

 

誰か一人が抜けると、その分、誰かの負担が倍増するような仕組み。

そのような労働環境があるため、心優しい人は辞めたくても、上司や部下のことを思って、辞めづらくなる。

 

 

自分の会社にも一人そんな方がいた。

精神的に病んでしまい、しばらく入院していたが、結局会社に戻ってきていた。

 

正直、病んでしまうなら、今すぐに転職すればいいと思ってしまった。

だけど、優しい人のため、会社に戻っていろいろ後輩のための指導を行ってくれている。

その優しさを見るたびに、逆に胸が苦しくなる。

 

働き方改革の正体……

 

それって、若手が仕事で過労死しないように定時に帰宅させることではなく、

ある一人の社員が抜けても、仕事に代替が効くような、あらゆる働き方が認められた

労働環境のことではないのか。

 

いくら、定時に帰える習慣を作っても、職場を辞めることが出来ない精神的な鎖を生み出す企業があるかぎり、日本人の働き方って変わることはないのだろうと思う。

 

なんだか、ずいぶん生意気でエグいことを書いてしまって申し訳ない。

 

社会に出てもまだ2年近くしか経っていない自分が言うのもなんだが、

やたらと定時に帰宅する大学の同期を見ていくうちにそんなことを感じてしまった。

 

 

 

 

 

 

全然愛情がこもってないんですけど    

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「え? 全然愛情がこもってないんですけど」

それは自分が撮った写真を会社の人に見せたときのことだった。

ずばり、自分が感じていたことを指摘されたのだ。

 

篠山紀信って知ってる? その人が宮崎美子を見つけた時の話なんだけど」

その写真家なら自分は知っていた。

もしろん宮崎美子のことも。

 

宮崎美子ミノルタのCMに選ばれた理由なんだけど、当時付き合っていた彼氏が撮った素朴で愛らしい写真が篠山紀信の目についてCMガールに選ばれたんだ。たぶん、その彼が撮った彼氏の前でしか見せない素顔が審査員の心に響いたんだろうね。何が言いたいかというと写真って人のこころを直接写しているっていうこと」

 

ふだん、カメラの話とか特にしてこなかったが、ごもっともなことを言われた。

 

私はカメラを始めてから、ちょこちょこと人を撮る機会が増えてきた。

「カメラが好きだ!」といろんなところで叫び散らしているせいか、

撮ってもらいたいと言われる機会も増えてきたのだ。

 

だけど、どうしても心の奥底では感じていることがあったのだ。

「自分は相手にきちんと向き合っているのか?」

そんなことを感じることが度々あったのだ。

 

自分が普段、写真を撮って感じていたことを、直接会社の人から言われてしまった。

 

 

「写真って人のこころを写すから、その人が相手をどう見ているのかが一枚の写真から滲み出てしまうからね」

 

愛情を持って、人と接しているのか?

自分のこころを映し出す鏡となって、一枚の写真に出てきてしまう。

 

そんなことを痛烈に感じている時に言われた一言だった。

なんかガツンと感じてしまった。

 

自分はどうも昔から人と接するのが苦手だった。

人混みに入っていると、どうしても息がつまり、ノイローゼ状態になってしまう。

飲み会がどうしても苦手で、人が喋っているときの会話の流れについていけず、いつも口を閉ざして、ただ時間が過ぎるのを待っていた。

飲み会の席は本来楽しい場所のはずなのに、自分にとってはどうしても耐え難い時間という部分もあった。

 

これじゃいけない。

もっと人と関わるようにならなくちゃ。

そう思った時に手にしたのがカメラだった。

 

カメラを通じたら人とコミュニケーションが取れる。

そう思い、カメラを買ったのだ。

 

だけど、どうしてもカメラのファインダー越しに相手を見ていても、

少し距離を置いてしまう自分がいた。

 

あ、やっぱり自分の性格って写真に現れるんだ。

もっと、相手のことをよく知らなきゃ。

 

そんなことを感じて始めていた。

 

人から愛されたい。

人ともっと接したい。

 

そう思い、自分の中でもやもやが広がっていた。

 

どうしたら人ともっと関われるようになるのだろう。

人の心を突くような写真が撮れるようになるのだろう。

 

「とにかく量を撮るしかないよ。もっと写真を撮ればうまくなる」

そんなことを会社の人から言われた。

 

確かに量かもしれない。

だけど、性格ってなかなか治らない。

 

自分の中でモヤモヤが広がっていたこの頃。

ふと、思い出した。

 

「人を愛するということを大切にして下さい」

 

どこで聞いたのかよく覚えていないが、ラジオでYUKIが語っていたことだった。

 


「多くの人は、自分は幸せになりたいというけれども、自分の幸せを願うよりも、相手の幸せを願ってください」

 

人は愛されたいと思ったりする生き物だけど、まずは自分が人を愛するということを学んで下さい……そうすれば自然と自分のことを愛してくれる人が現れてくるとラジオで語っていたのだ。

 

それって写真において、ものすごく重要なことなのだと思う。

眼の前の被写体になってくれている人に対し、愛情を持って接することができるのか?

 

それが否が応でも、出来上がった一枚の写真に現れてくるのだ。

 

やっぱり人のこころに響くような写真を撮る人って、相手のことを優しい目線で見つめている人だと思う。

 

写真を撮るようになるまで、そのことに気がつけなかった。

 

相手のことを好きになる。

人を愛するようになる。

 

その気持を忘れないためにも、やっぱりより多くの写真を撮るしかないのだとふと思った。

 

人を好きになる努力。

それがいちばん大切なことなのかもしれない。

枠を取っ払ってしまえば、きっと、そこには。

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「よく一年間社会人やってこれたね」

仕事の帰り道にふと、上司にこんなことを言われた。

正直、驚いてしまった。

 

あまり、自分は職場でプライベートなことは話していない。

どこか仕事と私生活に一線を置いている節がある。

 

自分が今勤めている会社はとてもフレンドリーな雰囲気が職場にあふれていて、

休日も社員同士集まって、どこか遊びに行っていたりする。

 

自分は昔から人付き合いが苦手という部分もあって、休日は会社と一旦距離を置いていたりする。

仕事以外の話は正直、会社の人と話してこなかった。

 

「いや、君を見ていると、本当に社会にうまく馴染めてない感じがしててね、

正直、そんなに仕事続かないと思っていたよ」

 

とある仕事帰りの日、上司と帰り道が一緒になった時にふとこんな話をされた。

 

「え? そうなんですか!」

自分って周囲からみるとあまり会社とか社会に溶け込んでないやつなんですか?

 

周囲から自分がどう思われているのかなんてわからないため、正直ただ困惑してしまった。

確かに、満員電車が大嫌いで、どこか組織に入るのが嫌で嫌で仕方ない自分がいるのは確かだが、会社に来るときはきちんとメリハリを付けて仕事に取り組んでいるつもりだった。

 

「いや、君って、一つの場所にじっとしてられない性格でしょ。いつも長期休みのたび、一人でふらっと海外に行っているじゃん」

 

確かに私は休みのたびに海外に行っていた。

今年のゴールデンウィークも無理やり有給を使って、周囲に

「僕は休み中は仕事はしません!」と宣言し、香港にバックパックひとつで飛んでいってしまった。

 

大学生の時も一人でインドに行ったり、東南アジアを放浪していたりしたせいか、会社の中で「休みのたびにバックパックを背負って、いつも一人でどこかに飛んでいってしまう奴」というレッテルが貼られているらしい。

 

ま、事実だから仕方ない。

 

「いや、本当に君は落ち着きがなくて、いつも一人でふらっと単独行動してしまう性格だから、きっと会社勤め続かないと思っていたよ。正直、社会人やるの結構辛いでしょ?」

なかなか、ズサっと心に突き刺さることを言われてしまった。

 

自分の中では今勤めている会社の雰囲気がわりと性に合っていて、仕事内容も割と面白いなと思っている。

だけど、もっと自由にいろんな価値観の人と出会って、いろんな仕事に触れてみたいと思っている自分がいるのも正直なところだ。

 

 まさか、会社の上司から「社会人やるの結構辛いでしょ?」

と言われるとは思わなかった。

 

自分は昔からどうも周囲にうまく馴染めなかった。

学生の時も、全員が同じ向きに座って、同じ講義を受けているのがどうしても許せなかった。

なぜ、皆が同じ方向に向かって座っているのか?

そのことが疑問で仕方なく、クラスに居る時も常に落ち着きがなかった気がする。

 

ずっと、どこかモヤモヤとしたものを抱えて過ごしてきた。

そのモヤモヤがピークに達したのが、就活のときだったと思う。

皆が同じ色のスーツを着て、同じような自己紹介を始める。

 

同じような顔立ちで、同じような内容の自己PRを語り、なんだかよくわからない理由で、企業に内定が出る人と出ない人が別れていく。

 

 

その違和感が堪えきれず、どうしても憤りを感じていた。

マジョリティに染まらなくてはならない自分。

なんだかよくわからない社会のレールから飛び出していく勇気も持てない自分が嫌で仕方なく、意味もなく海外を彷徨い、歩いたりしていた。

 

 

結局、自分は一体、何がしたいのだろうか。

 

そのことがわからないまま、大学生活も終わりに近づいていた。

たしかその時期だったと思う。

この映画を観て、妙に感動したのだ。

イントゥ・ザ・ワイルド

 

監督は盟友のショーン・ペンである。

最初に見たときは正直、途中で眠くなってしまった。

 

だけど、大学を卒業して社会人になり、いろいろあって、会社を辞めたり、

海外に失踪したりした経験もあって、改めて見直してみるといろいろ考えさせられることがあった。

 

何かの拍子で今週、久々にこの映画を見直してみた。

 

物語が後半に向かうに連れて、心にじわじわと突き刺さるものがあった。

 

あ、もしかしたら自分ってこの映画から少なからず影響を受けていたんじゃないか?

ふと、そんなことを考えてしまった。

 

何不自由なく裕福な家庭で生まれ育ち、優秀な成績で大学を卒業した主人公。

しかし、大学を卒業すると同時に、全ての私財を捨てて、放浪の旅に出る。

 

それは自分を見つめる旅かもしれないし、文明社会からの逃避だったのかもしれない。

二年近くの放浪の後、アラスカの荒野に消えていった彼は、幸せな人生を歩めたのだろうか? そんなことをふと考えてしまった。

 

大学生の頃に見たときは正直、そんなにいい映画だとは感じなかった。

しかし、改めて見直してみると、心に響く言葉だらけで、目がじわじわと来てしまう。

 

物に支配されるのは嫌だ。

全てを捨て、荒野に旅に出た彼はどんなことを思いながら、アラスカで最後の時を迎えたのだろうか。

 

「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合う時だ」

アラスカの荒野で一人、孤独に死の瞬間を迎える時、彼が書き残した言葉だ。

 

どんなことを思いながら、死の時を迎えたのだろうか。

 

自分は旅行好きということもあるが、全ての捨ててまで、二年以上放浪する勇気もなければ、力もないだろう。

だけど、心の奥底ではきっと、飛び出してみたいと思っているのかもしれない。

社会人になって、いろんなことに責任を負う立場になってきた。

昔のように、気ままに飛び出すわけも行かないのかもしれない。

 

だけど、この映画の主人公のように、「外の世界を見てみたい」という

純粋な気持ちはいつまで経っても忘れてはいけないのだと思う。

 

社会の枠にうまく染められない人がいるのかもしれない。

毎日の満員電車に心が疲弊してしまった人がいるのかもしれない。

 

そんな人達に荒野に一人彷徨い歩いた青年の物語が心に染み渡るだろう。

映画「イントゥ・ザ・ワイルド」。

 

たぶん、自分にとって一生忘れられない映画になったと思う。

きっと、今後道に迷った時にも見直す映画だ。