「やりたいのにやれない」という思いに苦しむ人がいたら、「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」は特別な薬になるかもしれない
「また、今年もスター・ウォーズか……」
もはや年末恒例の行事にもなっているスター・ウォーズの公開日が迫ってきていた。
子供の頃から映画が好きで、もちろんスター・ウォーズも一通り見ているが、正直言うと今回はあまり期待していなかった。
純粋なファンとして心のそこでは
「もうスター・ウォーズはいいよ」という思いと、
「え? エピソード6の続きが見れるの!」
という期待を込めて公開日を待っている自分がいる。
世界中を熱狂させてきた「スター・ウォーズ」シリーズ。
全作品とまでは言わないが、何シリーズか見たことのなる人も多いはず。
私も純粋なファンとして、「スター・ウォーズ」が公開されると映画館に飛び込むようにしていた。
だけど、エピソード8が公開される時は、正直本当に期待していなかった。
自分の周りを含めて、映画好きの人たちの間ではJJエイブラムスが監督した
「エピソード7」の評判があまり良くなかった上に、あのディズニーが大金を払って続編を作っても「エピソード7」の二の舞になるだけじゃないかと思っていた。
スターウォーズはどちらかというと、初期の監督をやっていたジョージルーカスの人生が反映されている面が多い。
「映画なんて作って何になる!」と父親にバカにされ、家を飛び出していったジョージルーカスの父と子の葛藤がスクリーン上に描かれているからこそ、心にジーンとくるのだ。
当時のルーカス青年は、カリフォルニアの田舎に生まれ、沈みゆく太陽を見ながら、
「自分は一生この地で終わっていくのか」と思いを馳せていたのかもしれない。
映画の中での砂漠の地平線上に沈んでいく夕日を眺めるルーク・スカイウォーカーとルーカス本人の心情が重なって見えて、涙が溢れてくる。
やはり、映画などをはじめとしたあらゆる芸術作品は作り手の思いや熱意がにじみ出ているものが、一番心に響くのだろうと思う。
何万人もの従業員を抱えたディズニー帝国が、大ヒット映画の続編を作っても、
ファンサービス満載のただ見ていて楽しい映画だけで終わってしまう気がしていたのだ。実際、巷の評判では「エピソード7」はそうだった。
公開のスター・ウォーズもディズニー特有のファンサービスで、ただ面白い映画に終わっているんだろうな。
そう思い、全く期待せずに映画館に向かうことにした。
大ヒット映画の「スター・ウォーズ」となると、公開一週間経ってもまだ映画館は混み合っていた。
目の前に広がる巨大なスクリーンを前に、これから始まる銀河系の物語に思いを馳せているうちに、映画が始まっていった。
有名なメインテーマが流れ、映画が始まる。
オープニング3分ぐらいから、妙な胸騒ぎがした。
なんだ、これ。
やけに絵に凝ってないか……
とにかく全てのシーンが美しいのだ。
オープニングから戦闘シーンが始まるのだが、爆発シーンやら宇宙空間を飛び交うX-ウィングの描写がとにかくかっこいい。
そして、登場人物のセリフのテンポが心地良い。
ルーカス本人が作っていたエピソード1〜6ではどちらかというとシリアスでコメディタッチな場面は少なかったが、合間合間に飛び交うジョークが挟まれていて、妙なテンポが生まれている。
あ、これやばい。
これはすごい。
映画を見ているうちに、どんどん私の心は物語の世界に惹き込まれていった。
画面全体の1カット1カットから製作者側の本気度がうかがえるのだ。
これまでのスターウォーズのビジュアルイメージを保ちつつ、新たなものに挑戦していく気合が画面から滲み出ているのだ。
人間、追い込まれた時に発せられる狂ったような熱量が全てのシーンに込められている。
脚本もとにかく新しい概念に挑戦している。
オープニングで全く無名のキャラクターを出したかと思えば、後半でその脇役が大活躍したりする。
映画序盤に繰り広げられる逃走劇もハラハラドキドキの連続である。
映画全体の染み渡る独特なテンポと絶妙なサスペンスが見ていて、
次はどうなるの?
どんな展開になるの? と続きが気になって仕方ない。
そして、全てのキャラクターの物語が最後では絡み合い、ある結論に達する。
私はラスト1カットを見た瞬間、驚いてしまった。
今までにはないエンディングの迎え方だったのだ。
エピソード7と9をつなげるだけの映画では決してない、
監督の思いというか作家性が全面に現れたエンディングの迎え方だったのだ。
オープニングの時には気になっていたが、エンディングを見た瞬間、全てがつながった気がした。
この映画は全くの無名な名もなき人たちが立ち上がっていくまでの物語なのだ。
今までのスターウォーズのように特殊な能力を持った英雄の伝説的な物語ではなく、ごく普通の名もなき人たちが立ち上がり、希望をつなげるまでの物語なのだ。
あのラストシーンを見た瞬間、震える思いがしてしまった。
ディズニーの映画なのに、監督の作家性が全面に押し出されている。
人間追い込まれたらこれほどまでの作品を作り上げるのか!
という狂ったような熱意がにじみ出ていた。
映画が終わってもしばらく立ち上がれなかった。
圧倒的なものを見せつけられた感じ。
徹底して計算され尽くした脚本と、圧倒的なビジュアルイメージに感化されすぎて、身動きが取れなくなってしまった。
正直言って、今回のスターウォーズは純粋なファンとしてなら、今までの定説を崩すような作りで、満足できない面もあるかもしれない。
それでも監督のライアン・ジョンソンをはじめとした製作者側の新しいものに挑戦する気合がトンデモなく凄かったと思う。
とにかく1カット1カットが凄まじい。
「全ての指揮を監督に任せる」という覚悟を持って、全責任を監督に任せていたのだろう。
通常、ハリウッドのシナリオは20人以上の脚本と共同で書いていくはずだが、
今回のスターウォーズは監督のライアン・ジョンソンが全て一人で書いている。
全責任を一人で負っているのだ。
監督はインタビューでこう答えている。
「まず飛び込むこと。もしも少し距離をとってその責任の巨大さを見たら、おそらく尻込みしてしまう。とにかく飛び込んで、没頭することだ。話はそれからだ」
何を始めるにしても、
「まだ、勝負の時じゃない」
「もっと練習を積んでから勝負したほうがいい」
といつも躊躇している自分がいた。
だけど、細かいことはとにかく飛び込んでから考えればいいのだ。
ルーカス・フィルムとのミーティングで人生を変えるような決断を迫られたライアン・ジョンソン監督の生き様と作家性がにじみ出ていた今回のスター・ウォーズに私は多くのことを学んだ気がする。
何かに熱中することを忘れている大人がいたら、この本は起爆剤になるのかもしれない
「何でこの人はこんなに仕事に熱中できるのか?」
社会人をやるようになって、仕事でいろんなところに営業に出ていると、
何度か異常なほど仕事に熱中している人と出会うことが度々ある。
正直言うと、私はもともとサラリーマンという職業が嫌で仕方がなかった。
会社員となると、特に好きでもないのに、お金のために嫌々会社のいいなりになって、働いている人がほとんどだと思っていた。
実際、満員電車に乗っていると明らかに辛そうな表情をしたまま会社に通勤しているサラリーマンを多く見る。
学生の頃はそんなサラリーマンたちの姿を見て、
絶対自分はサラリーマンなんてやりたくない。
自分の好きなことを仕事にしたい。
そう思っていた。
結局、私は大学を卒業したのちに、海外を放浪するなり、転職するなりして
サラリーマンという道を選ぶことにした。
会社員になんてなりたくなかった。
だけど、実際に営業として飛び込み営業などをしていると、妙に営業と相性が良いことに気付いている自分もいる。
絶対に自分は人としゃべることが苦手だし、人の話を聞き取ることなんて向いてない。そう思っていたが、実際に飛び込み営業などをやってみるとどこへでも飛び込んでいける自分がいる。
学生時代にインドなどを放浪していたせいか、案外怒鳴り散らすような面倒なお客さんと遭遇しても、
「あ、この人怒鳴っているけど、あのインド旅行中にインド人10人に取り囲まれた時の恐怖に比べたら大したことないな」
そう思い、乗り切れる自分がいることに驚く。
なんでも実際にやってみないとわからないもんだな。
そう思い、忙しい毎日を送っているが、どうしても心の中にぽかんと穴が空いている感覚がある。
何か忘れてはいけないはずの感覚。
何だろうか。
子供の頃はずっと心の奥底で燃え上がるようにしてあったあの感覚。
目の前の仕事の山に集中していると、どうしても自分が本来熱中していたものを忘れていってしまう。
自分の会社や営業先の人の中でも異常に自分の仕事を誇りに思い、仕事に熱中して取り組んでいる大人が私の周りには数人いる。
そんな人たちを見ていると私は、
「どうしてもこの人たちには勝てないな」と思ってしまう。
些細なことでも自分の仕事に誇りに思い、働いている人たちがいることで社会が回っていることに最近になって気が付き始めた。
大学の頃は、人よりも上に立ちたい。
多くの人に認めらたいと思って、広告代理店やマスコミなどのちょっとクリエイティブな世界を目指していた。
クリエイティブな人こそ、一番偉いと思っていた。
だけど、世の中には人知れず、些細なことでも誇りに思って、仕事には励んでいる人がいる。
たとえ、駅のゴミ拾いでもきちんと丁寧にゴミを掃いている掃除のおばちゃんを見ると、本当に人として素晴らしいと思ってしまう。
自分は何に熱中できるのだろう?
もちろん、仕事中は仕事に集中して取り組んでいるつもりである。
だけど、どうしても何か心の中にぽかんぽかんと穴が空いていく感覚がある。
何だろう、この感覚。
自分が生涯をかけて熱中できるものは何なのだろうか?
そんなことを思っている頃、この本と出会った。
本屋で見かけたとき、
「何だ、この黒光りしている本は!」と思ってしまった。
黒く光り、中心部分には「ナイキ」のマークが飾られているのだ。
それはナイキの創業者の自伝的なビジネス書「SHOE DOG 靴に全てを」である。
ドラマの「陸王」に興味を持っていたこともあり、私はこの本を手にとって読み始めてみることにした。
最初の5ページを読んだ時には、もうすでに本の物語の世界に熱狂してしまっていた。
何だ、この心が燃え上がる感触は。
そこには一人の若い起業家が「ナイキ」というブランドを世界に羽ばたかせた熱い人間ドラマが描かれているのだ。
数ページ読んだだけで直感的にこの本はしっかりと読まなきゃいけない本だと思った。
すぐに本を買い、毎日の通勤の時間で読むことにした。
暑さが指二本分ほどの分厚い本である。
ビジネス書の中でもだいぶページ数が多い部類に入ると思う。
しかし、本の分厚さなど忘れてしまうのだ。
時間を忘れてしまうくらい良いふけってしまうのだ。
やばい、この本は面白い。
あまりにも「ナイキ」のストーリーに魅了されてしまい、トイレ中でも隠れて読み始めてしまうくらい熱中してこの分厚い本を読んでしまった。
そこには、「ナイキ」というブランドが形成されていくまでのストーリーが書かれてあった。
人間ドラマの小説としても面白いし、起業家たちのビジネス書としても明らかにトップクラスの情報が詰め込まれているのだ。
なんだ、この本は。
なんでこんなにも面白いんだ。
24歳の若き起業家フィル・ナイトがいかにしてオニツカタイガー
(現アシックス)から靴を買い取り、アメリカへの輸入取引を成功に導いたのか。
そして、オニツカから独立し、いかにナイキという独自のブランドを形成していったかが事細かく書かれてある。
何度も何度も著者であり、ナイキの創業者であるフィル・ナイトは繰り返し、成功の秘密を書いている。
若い頃は百科事典の商売は失敗し、やっとの思いで雇われた会社も結局やめてしまい、ようやく天職と思えるシューズを売る仕事に出会えたという。
彼が百科事典の商売がうまくいかず、シューズの商売はうまくいった理由。
この言葉がずっと本全体に浸透するかのように、何度も何度もキーワードとして出てくるのだ。
シューズの商売が成功した理由、それは「信念」があったからだと。
フィル・ナイトは大学時代も陸上を続け、心の奥底から走ることを信じていたという。みんなが毎日数マイルを走れば、世の中はもっと良くなるはずだし、ナイキのシューズを履けばもっと走りが良くなると信じていたのだ。
「信念」こそは揺るがない。
そう何度も本に書かれてあるのだ。
この本を読んでから私は結構考えてしまった。
私は何かに「信念」を持って取り組んでいるのだろうか。
一生涯をかけてやりたいことって一体なんだ?
「天職がわからなかったら探せ」
フィル・ナイトは最後のまとめで若い人へ向けてのメッセージを発していた。
自分の天職など未だにわからない。
だけど、この本を読んでから少し心の中の霧が晴れたような感じがする。
今、起業をしている人が読んでみるのもいい。
また、自分のように天職を探してさまよい歩いている人が読むのもいい。
きっと、負け犬としていろんな銀行から叩かれながらも己の信念を捨てず、
ナイキを世界的企業へと成し遂げたフィル・ナイトの生き様に心が揺さぶられるだろう。
自分が心のそこから湧き上がる「信念」、それさえあれば人の心を動かすのだと。
人に選ばれるということ
「どうしてこの人の周りにはいつも人が集まっているのか?」
何度かそう思ってしまう魅力的な人と出会ったことがある。
「どうして人が集まってくるのか?」
「どうしてこの人の近くにいると、また会いたいと思ってしまうのか?」
私は昔からマイナス思考の性格のせいか、常に人が集まってくるような人に憧れを抱いていた。
学生時代もいつもクラスの隅っこにいたせいか、クラスの中心にいる華やかな人にとても憧れていたのだ。
「なんでこんなにも人が集まってくるんだろう?」
学生時代にインタビュー記事を書くアルバイトをしていた頃もずっとそんな思いがあった。
インタビューする相手は大概が会社の経営者の人であったり、著名な方だった。
社会的にもある程度認められ、地位があるような人ほど、魅力的な人が多かった。
いつも笑顔を絶やさず、ニコニコとしていて、学生だった自分の主張もしっかりと聞いてくれる。
私は拙いながらもインタビューをして、相手の考えを必死に聞き取り、言葉にまとめていった。
インタビューで録音していたテープを起こしていると、いつもこう思ってしまう。
「なんでこの人はこんなに魅力的なんだろう?」
「なんで、また会いたいと思ってしまうのだろう?」
人に選ばれ、人から好かれる人に私は猛烈に憧れていたこともあり、
このインタビュー記事を書くアルバイトはだいぶ自分のためはなっていたのかもしれない。
自分も魅力的な人間でありたい。
人から好かれる人でありたい。
だけど、そんな考えもむなしく、人を小馬鹿にしている自分もいた。
私は就活の時には惨敗した。
その当時の私は、
自分には何か人と違ったクリエイティブな才能を持っている……
学生時代には自主映画も作ってきたし、マスコミでアルバイトもしてきた。
だから、電通や博報堂みたいなちょっとクリエイティブな職業の人たちなら、
自分の魅力を気づいてくれる。
そう思っていた。
特に何かやりたいわけでもなかったのに、クリエイティブっぽい業界を探しては、受けては落とされまくっていた。
マスコミ用の何万字にも及ぶエントリーシートを書き、誰かに認めてもらえることに必死だったのだ。
何であの当時の私はあんなにも「誰かに認めてもらう」ことに必死だったのだろうか?
今思うと不思議だが、就活をしていた当時の自分は、人よりも上に立つ職業に就かなきゃと必死になっていた。
がむしゃらに就活をしては、同じ就活生を侮辱していた。
マスコミなどを受けていると、テレビ局などには全国を行脚している就活生が多数いる。
大きなスーツケースを持って、全国のテレビ局を受けまくるのだ。
民放キー局に入るため、みんな必死だ。
目の前の面接官にどうすれば認めれらるのだろうか?
どうしたら自己PRで周囲と差をつけられるのか?
私はそんな就活生を横から見ては、傍観者の目線を持っていたのだと思う。
こんなにがむしゃらになっても、倍率が1000倍だから受からないだろう……
自分もとことん落とされまくっていたのに、自分ならどこかの誰かが認めてくれると思って、傍観者の目線でマスコミ就活を眺めていた。
結局、そんなどこか他人事の目線を持っていた自分を雇ってくれる企業はなかった。
どうして誰も自分を認めてくれないのか。
就活をしていた頃、大量のお祈りメール(不採用通知)が飛んできた時は、そう思っていた。
誰か自分を認めてよ。
自分の中で承認欲求が膨れ上がり、私は身動きが取れなくなっていた。
月日が経ち、就活の恨みも消えてくると、
あの当時の苦しみは一体何だったのか? とふと思うことがある。
あの頃はとにかく私は人に認められることに必死だった。
人に認められることって一体何なのだろうか?
人からまた会いたいと思われるような魅力的な人って一体何なのだろうか?
そんなことを思っている時、この本と出会った。
NHKの朝ドラで話題になった「暮らしの手帖」の元編集長である松浦弥太郎さんが書いたエッセイ「センス入門」である。
本屋さんでこの本を見かけた時、ふと帯に書かれた言葉に目がいってしまった。
「仕事も人生も、ある程度先へ行くには「センス」が必要だ。
確かになと思った。
写真も文章も、または会社経営でも、
ある程度数をこなしていくと、どうしても本人の「センス」というものが出てくる。この「センス」というものが一番の差になってくるのだと思う。。
もはや、才能というか「センス」を磨こうとしてもなかなかできるものではない。
生まれつき写真が上手い人がいる一方、会社経営が得意な人がいる。
昔から周囲に認められる人は、人が常に集まってくる「センス」というものが体に染みついているのかもしれない。
私はふと、この帯が気になって読みふけってしまった。
読んでいるうちに心がじんわりときた。
ずっとずっと自分が悩んでいた「人に認められること」について
書かれていたのだ。
人から選ばれることのコツ……
それは人を認めることです。
大概人から選ばれない人は、人を認めていないケースが多いという。
自分はこう思うから、この考えは正しい。
相手と自分の考え方は違うと雁字搦めになり、人の考えを聞かないのだ。
つまり、人から選ばれたいと思っている人ほど、人に選ばれないという。
私はハッとしてしまった。
確かにその通りだと思った。
私は人から選ばれたいと思い、自分の邪魔なプライドに雁字搦めになり、私は身動きが取れなくなっていたのだ。
人と会う時も相手の悪い面ばかりを見て、この人とは気が合わないと思い、すぐに関係を自分の方から絶っていた。
人から認められ、周囲から愛される人ほど、相手の良い面を見つめている。
相手の良い面を見つめて、相手を認めているのだ。
就活をしてから2年近く経ち、あの頃の苦しみを思い出すたびに、
当時の自分は何事もわかっていなかったなと思う。
ちょっとずつ、社会に出てはいろんな挫折を味わっていくうちに、心の奥底にあった「何者かになりたい」という気持ちも消えていった。
だけど、この「何者かになりたい」という感情が消えたおかげで、自分にとって大切なものが少しずつだけども見えてきた気がする。
人に好かれたかったら、人を認めること。
就活をしていた当時の自分には到底わからなかったことだ。
これからはどんな人に会う時もなるべく相手のいい面を見つめていきたいと思っている。
人間関係に悩んでいた私が、ポートレート写真を通じて見えてきた世界
「人間関係のストライクゾーンが狭すぎる」
大学時代から仲良くしていた友人からこんなことを言われたことがある。
私はただ呆然としながら、友人の話を聞いていた。
「周囲の人の可能性を捨てないほうがいいよ。あまり気が合わないなと思うような人でもきちんと話をすれば、きっと自分と共感するようなところが一つや二つ出てくる」
その友人はどうも人脈の作り方を本能的に心得ているらしく、いつも周囲には人が集まってきていた。
彼の周りにいるといつもわくわくする上、笑いが絶えないのだ。
「どんな人間関係でもいい具合に壁を作らない方がいい」
そんなことを面と向かって飲み会の時に言われた。
私は彼の言い分がごもっともすぎて何も言い返せなかったのを覚えている。
確かに……その通りだ。
私は昔からハイパーネガティブな性格のためか、人と話しているとぐったりと疲れてしまうことがある。
ちょっとした目線の動きを気にして
「あ! この人言葉ではこう言っているけど、本心ではこう思っているな」
「目線を今外したから、この人自分にあまり興味ないな」
特に考えなくてもいいことを頭の中でぐるぐる考えてしまう性格からか、
飲み会の席ではいつもぐったりとしてしまっていた。
人がいっぱい集まり、話をしている飲み会がどうも苦手なのだ。
飲み会は楽しい場のはずなのに、昔から終わった後には異常な後悔と焦燥感に見舞われる。
「あの時、こんな話題を振られたのに、何も答えられなかった」
人とコミュニケーションを取るのが、昔から大の苦手なため、
どうしても飲み会というものに苦手意識があり、あまり参加をする方ではなかった。
いっそ、自分の殻に閉じこもってしまえ。
そう思い、家にこもっていた時期もあった。
ちょっと話をしただけで、目線の動きを見ただけで、この人はきっとこう言う人なんだと決めつける癖があり、身動きが取れなくなってしまったのだ。
今思うと、自分のプライドが高すぎるため、他人を侮辱してなんとか自分を保っていたのだと思う。
高すぎるプライドと自尊心が邪魔をし、私の心はズタズタになっていた。
大学時代の友人で、いつも周囲に笑いが絶えない彼は、とにかく人間が好きだったのだと思う。
人が好きでたまらなく、どんな人でもコミュニケーションが取れるのだ。
そんな彼を羨ましく思うと同時に、大の人間嫌いだった私にはどんな人ともコミュニケーションを取るのは無理なんだと諦める気持ちもあった。
どうしたら人を好きになれるのだろう。
どうしたら人とうまくコミュニケーションを取れるようになるのだろう。
そう悩んでいる時、ふとある人からこんなことを言われた。
「カメラを始めたらコミュ力を鍛えられますよ。とにかくモテますよ」
え? そうなの。カメラってコミュ力を鍛えられるの。
私は不思議だった。
カメラ=コミュニケーション能力がどうも結びつかなかったのだ。
プロのカメラマンであるその人はこう言っていた。
「モデルさんを目の前にして、いい表情を引き出そうと思ったら、一番必要な能力はコミュ力です。毎日、モデルさんのいい表情を引き出そうと悪戦苦闘していると自然とコミュニケーション能力がつきますよ」
私は驚いてしまった。
昔から大の映画好きで、カメラには昔から興味があった。
カメラは好きだったが、モデルさんを撮影するようなことはあまり触れる機会がなかった。
社会に出て、いろんな挫折を味わっていく中で、気がついたら写真を始めたくて、始めたくて仕方がなくなってしまった。
「カメラを始めれば世の中の景色が変わってくる」
そんな言葉を信じて、約8ヶ月かけてお金を貯めて、念願の一眼カメラを買った。
カメラを始めてから、カメラなしの生活ができなくなってしまった。
毎日通勤のために駅に向かっていると、朝日が差し込むこぼれ日があまりにも美しく、シャッターを切らずにはいられなくなった。
世の中にはこんなに光が溢れているのか。
ありふれた日常がとても愛おしく思えてくるのだ。
カメラを持ち始めて、数ヶ月が経った頃、周囲に「カメラが好きだ、好きだ」と叫んでいたおかげて、土日の時にモデルさんを撮る簡単なアルバイトをするようになった。
大の人間嫌いだった私が、モデルさんを撮るようになるとは自分でも驚きである。
とにかくカメラが好きで、写真が好きで、撮りまくっていると気がついたら自分の周りにはカメラ好きの人が集まってきた。
どうしたらいい表情を引き出せるのか?
どうすれば人の心に響く写真が撮れるのか?
そんなことを思い、悪戦苦闘しながら写真を撮っているとある時、こんなことに気がついた。
「これって自分が相手をどう見ているのかによって、出来上がる写真も違ってくるんじゃないか?」
初対面であった人に「この人は優しそうだな」と思ったら、気がついたら優しそうな写真になっているのだ。
印象が「ちょっと暗そうな人だな」と思ったら、気がついたら写真も暗い印象のものになるのだ。
自分が相手をどう見ているのかが出来上がった写真にも影響されてくる。
よく考えれば、自分が今までに出会ったプロのフォトグラファーさんは皆、とにかく心が純粋で綺麗な人が多かった。
きっと、初めて会うような人でも、人の悪い部分ではなく、良い部分を見つめようとして、良い部分だけを切り取るのだ。
とにかくポジティブな部分を切り取って、写真という形にしていくのだ。
所詮、人とのコミュニケーションって自分が相手をどう見るかの問題なのだと思う。
相手を「きっと陰で悪口を言う人だ」とマイナスの面を見れば、その相手はそう見えてしまうだけなのだ。
「きっとこの人はこんな素晴らしい一面を持っている」
とポジティブな部分を見つけようとする人は、素晴らしい表情を写真に切り取っていくし、世の中も社会もプラスの部分を切り取っていくのだ。
写真を始めてからそのことにようやく気がつけた。
私は今まで人と話していても悪い部分を気にしてしまい、うまく人とコミュニケーションを取ることができなかった。
だけど、やっぱり人を惹きつけるような人は、一生懸命人の良い部分を見つけようとするのだ。
どんな人でも良い部分を持っていることを知っているのだ。
満員電車に乗っていて、目の前には疲れた表情のサラリーマンが座っていても、
最近は「このサラリーマン、辛そうに仕事しているな」と愚痴るのではなく、
「家族のために毎晩遅くまで仕事しているんだな」と良い面を見つけるようになってきた。
世の中も切り取り方次第で、どうにでも変わるのかもしれない。
どんな人でも物事をどう見るかによって、見方も生き方も変わってくるのだ。
社会はつまらないと思っている人にとって、社会はそういうものでしかないのだと思う。
たとえ汚い掃除の仕事でも、「人のためになる仕事だ」と思っている人にとって、その仕事はやりがいのある立派な仕事になるのだ。
悪戦苦闘しながらもポートレート写真を撮っているうちに、私は多くのことを学んでいたのかもしれない。
「努力しない人間は嫌いだ」……ある人に言われたこの言葉が脳裏に焼き付いて離れない
ガタン、ゴトン。
金曜日の夜遅く、いつものように疲れた表情で満員電車に乗っていると、疲れた顔をしたサラリーマンが目に入る。
明らかに疲れているんだろうな。
パッと見ても明らかに目の色が暗く、疲れた表情の人たちが目に映ってくる。
自分も周囲からこんな風に見えているのだろうか。
今自分が就いている会社はカメラを扱う会社で、カメラ好きの私にとっては夢のような職場だ。
あまり、仕事に不満はない。
だけど、疲れた体で電車に乗っていると、どうしても心が濁ってきてしまう。
目の前にはストレスが溜まっているのか、何かとブツブツと仕事上の不満をつぶやいているおじさんがいる。
何で心が濁っている時は、世の中の負の部分ばかり目に入ってしまうのだろうか。
人混みに流され、めまいがしそうな時は
「あ、やばい」と自分でも気がつくようになってきた。
もともとハイパーマイナス志向な私は一度、ストレスが限界点まで達して、
駅で軽くパニック障害になったことがある。
その経験があってか、頭が真っ白になって脳がパニックになる時が自分でもわかるようになってきた。
「あっ、今日ちょっとやばいな」
そう思う時は、仕事に遅れそうになっても、駅のベンチで一休みすることにしている。
そうしないと、世の中の雑音ばかりが目に入ってきて、頭がパンクしてしまう。
仕事を始めて半年以上が経ち、ちょっとずつ満員電車に慣れてきた頃、同期の人がまた一人と辞めていった。
自分も一度会社を辞めて、転職した身のため、会社を辞める人の気持ちは痛いほどわかる。
自分は環境を変えて、なんとか自分なりに働ける職場にたどり着いた経験があるので、自分と合わない環境だったらすぐに次の場所に移動した方が個人的にはいいかとは思っている。
転職するにしても3年は続けなければいけないという風潮はある。
もちろんすぐに仕事がつまらないという理由で会社を辞めるのはどうかと思う。
だけど、どうしても職場が合わなく、辛い環境にいるなら、
そんな人が3年もその職場にいると、本当に死んでしまう。
夜遅くの満員電車に乗っていると、本当に仕事って不思議だなと思うようになった。
朝早くから夜遅くまで営業の仕事で飛び回っているが、自分でも驚くほど自分は営業の仕事にフィットしていた。
絶対サラリーマンなんて向いていないと学生時代の頃は思っていたが、実際に社会人をやるようになると、こんなにも社会って広いのかと思い、想像していた以上に仕事が楽しいのだ。
自分でもこんなに仕事にのめりこむ事になるとは思わなかった。
悪戦苦闘しながらも自分なりに何とかやっている。
疲れた体を抱えて、夜の電車の車窓を眺めているとどうしても脳裏から離れない景色があった。
心の奥底であの人に言われた言葉を今でも鮮明に思い出す……
「え? 24時間もかかるの」
ベトナムのハノイにある偽物の旅行代理店で、私は騙されながらもラオス行きの国際バスのチケットを買った。
出発は夜の6時だが到着時刻が明らかにおかしい。
移動時間が24hと書かれている。
「今日の夜に出発して、明日の夜に着くの?」
「そうだよ! ラオスまで24時間かかるよ」
会社を辞めてしまい、無一文だった当時の私はベトナムからラオスに移動するための飛行機代を買う金など持っていなかった。
全財産2万円で残りの旅を続けなければならず、一泊3ドル(300円)の安宿を泊まり歩く旅を続けていた。
今思うと猿岩石も顔負けの超貧乏旅行である。
無論、飛行機代を買う金がなく、国際バスで移動することになったが、
とにかくこのバスが曲者である。
24時間かけてラオスの山道をひたすら突き進むのだ。
道中、何度も途中下車してはラオス人が何事もなかったかのように丸太や機材を持ってバスの中に乗り込んでくる。
トイレ休憩は森の中で済ませと言われるはで、24時間ラオスの山道を駆け上る地獄のバス移動である。
「し、死ぬ……」
ベトナムを出て3時間ほど経ち、私はすでに乗り物酔いを起こしていた。
バスに慣れているラオス人ですら、嘔吐する人がいるという。
24時間かけてジェットコースターに乗っているような感覚だ。
なんとか地獄のバス移動を耐え抜き、私がたどり着いたのはルアンパパーンという都市だった。
正直、ラオスって何があるのか知らなかった。
日本にいた頃はラオスっていう国がどこにあるのかも知らなかった。
何もかも捨ててバックパック一つでタイに飛び、そこからカンボジア、ベトナムを横断していると気がついたらその先にラオスという国があったから、訪れた国である。
フラフラになりながらもルアンパパーンからラオスを南に向かって旅を続け、首都でありビエンチャンという都市にたどり着いた。
私はいつものように安宿を探して、バス停近くにあるバックパッカーの宿を歩き回っていると、街で最下層の宿をなんとか見つけることができた。
シングルルームに泊まる金がなく、いつものようにドミトリーに泊まることにした。
ドミトリーに泊まると、世界中の旅人と同じ宿に泊まることになる。
6人一部屋のため、自分のスペースはないが、世界中の旅人と話ができるのは楽しい。
だけど、どうしてもドミトリーにもハズレがあり、たまに面倒くさい旅行客が泊まっていることがある。
今回は、どんな人と同じ宿なのか。
少し緊張しながら部屋に入り、荷物をベッドの下に置いていると、隣に怪しいおっちゃんがひょこんと話しかけてきた。
昼間から明らか酒に酔っている。
顔が真っ赤なまま、ニコッと汚い歯を見せながら私に話しかけてきた。
「アッ……アッ」
紙を見せながら、唸り声を上げている。
なんだこのおっちゃん。
おっちゃんが見せてきた紙を見てみると「Where are you from」と書かれていた。
私は「Japan」と紙に書くと、おっちゃんはニコッとして
「自分は昔、日本に住んでいた」と今度は日本語で紙に書いてきた。
このおっちゃん、英語と日本がわかるのか。
正直、驚いた。
それに明らか耳が聞こえていない。それなのに紙を使って、見事に意思疎通を取ってくるのだ。
おっちゃんと話していると不思議に思うことが度々あった。
紙に書いていないのに、私がつぶやいたことを理解し、紙に書いてコミュニケーションを取るのだ。
まさかこのおっちゃん……人の口の動きを読んで、話している内容を読み取っているんじゃ。
聞いてみると、ニコッとしながら「そうだ」と答えていた。
宿にいる他のバックパッカーとも仲良く話しているが、相手の口の動きを読みとって、コミュニケーションをしているのだ。
おっちゃんと話をしていると、今までどんな人生を歩んできたかをこと細かく教えてくれた。
おっちゃんは在日韓国人として生まれ、幼い頃に日本で育ち、子供の頃に病気で耳が聞こえなくなったという。しかし、死に物狂いの努力の末、独学で日本語と英語を学びに、アメリカに留学したという。
耳が不自由なのに、口の動きだけで日本語と英語を学んだのか。
中学から英語を学んだのに、未だにろくに英語を話せない自分が恥ずかしく思えた。
汚い歯を見せながらゲラゲラと笑い、今までおっちゃんが旅してきた国のことを教えてくれた。
韓国で焼き肉店を経営したのち、リタイアして、今は自由気ままに外国を旅して巡っているという。
「この国の風俗は良かった」
「タイの女にろくな奴はいない! ラオスの女は最高だ!」
基本的に風俗の話しかしないおっちゃんだが、どうも人間臭い人で
宿に来ていた世界中のバックパッカーと仲良く下ネタを話して盛り上がっていた。
タイ行きのバスのチケット買い、ラオス滞在が最終日となった夜。
私はおっちゃんに呼び出され、コンビニで缶ビールを飲むことになった。
同じ宿に泊まっていた日本人の旅人仲間とおっちゃんとの3人でゲラゲラと話しながら飲んでいると、目の前に物乞いをしている40歳ぐらいのおばさんが現れた。
あ、また物乞いか。
普段、旅をしている間、物乞いと遭遇してもスルーしていた。
シカトしているといつしか消えていくからだ。
ゲラゲラと風俗などの下ネタを話して盛り上がっていたおっちゃんだが、
物乞いを見た瞬間、目つきがギロッとして、物乞いを睨めつけ、
「あっちへ行け!」と手を振り払った。
私はそんなおっちゃんの姿を見て、驚いてしまった。
いつもニコニコと下ネタばかり話していたおっちゃんだったが、この時は異様な目つきで物乞いを睨めつけていたのだ。
物乞いを追い払い、ボソッと紙に書いて私に示してきた。
「努力をしない人間は嫌いだ」
おっちゃんは書きなぐるようにして、こう書いていた。
「あの人たちは努力すれば仕事にありつける環境にいたのに、努力することを諦めて人から金をもらう物乞いになった。貧しさのせいにして、自分で物乞いの道を選んだんだ。人一倍努力すれば、どんな仕事にもありつけるのに。
私は耳が不自由に生まれたけど、人一倍努力してきた。努力しない人間を見るのは嫌いだ」
私はハッとしてしまった。
自分に言われた気がしたのだ。
仕事が辛いなどと言い訳をして、会社を辞め、海外に旅に出てきた。
だけど、結局私は逃げてきただけなのだ。
おっちゃんのように死に物狂いに努力もせず、逃げて逃げて、海外まで逃げてきただけなのだ。
次の日にはおっちゃんたちと別れを告げ、私はタイに向かった。
タイ、バンコクに数日滞在して日本行きの飛行機に乗った。
日本に帰り、なんとか悪戦苦闘しつつも転職活動を始めた。
新卒の時はあれだけちやほやされたのに、第二新卒の就活となるとこんなにも世間の目は厳しいものだとは思わなかった。
どこの会社を受けても
「なぜ会社を1年以内で辞めたのですか?」
「次の職場に行っても続けられるのですか?」
一度社会のレールから外れると「会社を数ヶ月で辞めた奴」というレッテルを貼られてしまい、相当苦しい思いをした。
しかし、ラオスのおっちゃんに言われた言葉を思い出し、なんとか転職先である今の会社を見つけることができた。
私は今、平日は毎晩遅くまで働き、満員電車に乗って家に帰っている。
真っ暗な車窓に映る東京の明かりを見ていると、時々あの言葉を思い出すことがある。
「努力しない人間は嫌いだ」
正直、「今日はやる気が起きないな〜」と思う時はある。
だけど、そんな時でもラオスの山奥で言われた言葉が脳裏に焼き付いて離れない。
「努力しない人間は嫌いだ」
どんな環境に行っても、どんな職場に行っても、その生き方を選んだのは自分自身なのかもしれない。
与えられた環境で、死に物狂いで努力してきたら、きっと見えてくる景色もあるのだろう。
満員電車の車窓を眺めていくうちに、時々私はそんなことを思う。
人に発したものは自分に返ってくる
「人に発したものは自分に返ってくる」
PCの画面に打ち込まれている文字を読み、私はしばらく考え込んでしまった。
私が読んだのは、とある写真家が書いた文章だった。
「言葉であれ、態度であれ、人から発せられたあらゆる要素は壁に投げたボールのようにして、いつか必ず自分に返ってくる」
その方は26歳の写真家の方で、ポカリスエットなどの広告写真で有名な方だ。
写真家、奥山由之さん。
私は彼の写真展に行った際、あまりにも写真から湧き出てくる「生」のエネルギーに圧倒され、感化されすぎて体調が悪くなるくらい、いろんなものを吸収してしまった。
とにかく生きていくエネルギーが写真から滲み出てきているのだ。
写真に圧倒され、帰りの電車の中でも奥山さんのホームページに掲載されている写真を眺めていると、写真展の紹介の部分にこんな言葉が書かれてあった。
「人に発したものは自分に返ってくる」
私は呆然としながら彼が書いた文章を眺めていた。
とてもとても深く、感受性に潤いを与えるような優しい言葉で綴られていたのだ。
私は子供の頃からとにかくマイナスでしか世界を見れなかった。
人と話をしていても
「この人はこうで、こんな考え方をしているから自分とは合わない」
「この人は表ではこう言っているけど、裏ではきっとこんな風に思っている」
人と会話をしていても、ちょっとした言葉遣いや仕草から相手の感情の裏側を想定してしまい、身動きが取れなくなってしまうのだ。
「きっとこの人はこう思っているはずだ」
「一瞬目の動きがずれたから、この人は本心で喋ってない」
とにかく極度にまで人の目を気にしてしまうため、普通に生きているだけでも精神的にぐったりとしてしまう時が度々ある。
「あっ、やばい」
満員電車の中でふとそう思った時は、急いで途中下車して深呼吸をするようにしている。
もう誰とも話したくない。
そう思って、ずっと部屋に引きこもって自分の世界に閉じこもった時期もあった。
いつしか大学を卒業して社会人になっても、自分のマイナスでしか世界を見れない性格は治らなかった。
どうして自分はモノクロでしか世界を見れないのだろうか。
どうして人と同じように会話ができないのだろうか。
そう思い悩んでいる時期がずっと続き、ある日パチンと頭の中が鳴るようにして、電車の中に吸い込まれそうになった。
その時は過酷なテレビ制作の仕事をしていて、結構精神的に滅入っていたのかもしれない。
一旦全て捨ててしまおう。
そう思って、仕事も全部捨て、海外に旅に出た。
海外に旅に出れば、全てが変わる。
いつも人見知りで、世の中のマイナスの部分しか見れなかった自分のひねくれた性格を変えられる。
そう思っていた。
だけど、一ヶ月近く海外を放浪しても自分の中では何も変わらなかった。
いろんな刺激的な人と出会った。
ラオスの山奥で耳が不自由なのに英語と日本語と韓国語を理解するおっちゃん。
カメラの魅力を教えてくれた旅人。
タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスと回っているうちにいろんな刺激的な人と出会った。
その出会いは自分にとっては宝物のような存在だ。
だけど、自分の中の何かが変わったという感触はどうしても得られなかった。
日本に戻り、アルバイトから始めて少しずつ社会復帰していったが、
目が死んだまま仕事している自分を見て、社員の人にこう言われた。
「君は海外を旅してきたっているけど、海外で何を得てきたの?」
私は何も返答出来なかった。
全てを捨ててまで旅に出たのに、何も変わらなかった。
外に刺激を求めているだけじゃいけないのか。
そう思っている時、ふとしたきっかけでライティングというものに出会った。
きっかけは単純なものだった。
友人から「面白い本屋があるから行ってみなよ」と言われ、ほぼニートだった私は暇つぶしもあって、その本屋へとたどり着いたのだ。
自分のライティングの師匠と呼べるその人に本屋で初めて会った時に言われた言葉がとても印象に残っている。
「とにかく書いてください。書けば人生が変わります。結論は書け! です」
書けば人生が変わるってどういうことだ?
その時は半信半疑だった。
常にマイナス志向で負のオーラを周囲に撒き散らしていた私は、特に何も考えずに書くということをはじめてみた。
はじめは一週間で2000字を書くのがやっとだった。
もともと映画が大好きで学生時代には死ぬほど映画を見たため、
頭の中の映像を文字にしていくことが意外と自分にはしっくりときていたのか、
とにかく書くのが楽しくて仕方がなかった。
もっと書きたいと思った。
自分の中にある感情を何かの形で人に伝えたい。
そう思い、去年の今頃は何かに取り憑かれたかのように書きまくっていた。
人に読んでもらう文章だから、無理にでもポジティブに終わられなきゃ。
そう思い、ハイパーネガティブ思考な性格の私だったが、ポジティブな素材を世の中から探していった。
毎日、毎日書いていると常にポジティブに世の中を見ようとする癖がついたのか、自分の周りに見える景色も変わって見えてきた。
「いつも文章読んでますよ」
「あっ。今度一緒に飲みましょうよ」
そんなことを少しずつ周囲から言われるようになっていった。
今までの自分の人生からすると大きな変化だった。
なぜか自分の周囲にポジティブな要素が滲み出てくるようになったのだ。
そして、ライティングというものに出会って一年が経った今、自分の周りに見える景色もだいぶ変化していった。
あ、やっぱり人に発したものは自分に返ってくるのか。
「言葉であれ、態度であれ、人から発せられたあらゆる要素は壁に投げたボールのようにして、いつか必ず自分に返ってくる」
去年の今頃、死んだ目をしていた当時の自分が、
この写真家の文章を読んでも意味がわからなかっただろう。
まだライティングを初めて1年しか経ってないが、この1年間私はポジティブな要素をなるべく世界から汲み取ろうと努力していた。
そして、ポジティブなものをなるべく周囲に発するようにしていたのだと思う。
プラスな要素を周囲に発するようにしていると、少しずつ少しずつだが、
ポジティブな気を発する人が周囲に集まってきたのだ。
常にマイナスでしか世界を見れず、負のオーラを周囲に発していた昔の私には信じられないことだった。
きっと当時の私は負を発していたため、海外で刺激的な人と出会ってもマイナスなものしか受け取れなかったのだ。
「人に発したものは自分に返ってくる」
そのことに気がつくまでに一年がかかってしまった。
きっとあの日言われた言葉がなかったら自分はどうなっていたんだろうかと思う。
「書けば人生が変わる」
少しずつだが、最近そのことがわかり始めてきた。
下記も参考に
「何かに消費されている」と感じる人こそ、写真家奥山由之さんの写真展には行った方がいいのかもしれない
「なんだこの写真は……」
電車の壁にプリントされた一枚の広告写真を見て、私は思わず立ちすくんでしまった。
青空の下で一本のポカリスエットが宙を舞っている写真。
フィルム特有の色合いで描かれた一枚の写真に私は度肝抜かれた。
とにかく写真を見ただけで、心にドシンと何か重たいものがのしかかってきたのだ。
電車のつり革を見ていると、その写真以外にもポカリスエットの写真が多くプリントされていた。
ポカリスエットの広告である「潜在能力を引き出せ」というキャッチコピーを聞いたことがある方は多いかもしれない。
渋谷の駅前で展示されていた青く塗られた高校生たちの写真を一度は目にした人も多いと思う。
写真家、奥山由之さん。
現在26歳の若手写真家だ。
私が今25歳だから、同世代でこんなにすごい人がいるのかと驚いてしまった。
彼の写真を初めて目にした頃、相当私の精神状態は病んでいたらしく、電車に乗っている時も目がまばらな状態で生きているのか死んでいるのかわかならい状態だった。
新卒で入った会社を数ヶ月で辞め、海外を放浪しては日本に帰ってきて、何を目標にして、どっちの方向を向いて走っていけばいいのかわからなかった。
会社を数ヶ月で辞めたという強烈な劣等感からか、同級生たちが投稿しているSNSなども見れなくなった。
何かに消費されている。
ずっと心の奥底でそんな感覚があったと思う。
消費社会が進み、皆同じような服を着て、ツイッターやインスタグラムにアップするために、あえて人と違った行動を取る。
バブルが崩壊して、消費社会の成れの果てに人の欲求は「生き方」が商品になったという。
自分らしく生きよう。自分らしさを発揮できる仕事に就こう。
私が92年生まれのゆとり教育にどっぷりと浸かっていた世代の世界、何かやたらと「自分らしく生きよう」というフレーズを耳にするようになった気がする。
自分らしさって一体なんだ?
私も「人と違ってこんなことができる」
「自分にはこんな才能がある」と思い込みたかっただけなのかもしれない。
誰かに「君には少し違った素質を持っている」と言って欲しかったのだろうか。
就活ではどこかクリエイティブでかっこいい雰囲気のある広告代理店やマスコミ関係の会社を受けまくっていた。
結局全て落ちたが。
ゆとり世代に生まれて、どうしてもこの「自分らしさ」という呪縛に苛まれ、
私はどうも身動きが取れなくなってしまったらしい。
会社を数ヶ月で辞めたという劣等感も重なって、去年は相当精神的に滅入っていた。
そんな時、青空のもとに舞い上がったポカリスエットの写真を見かけた。
普段、写真などあまり見たことがなかったのに、なぜか強烈にその写真に私は惹かれた。
青いプールを舞う高校生たちが強烈に「今を生きている」ように感じたのだ。
普段、呼吸をして生きている感情など忘れてしまいがちだが、この写真を見たときだけは強烈に「今を生きている」という感覚が蘇る。
あの写真との出会いから一年が経った今、私は今でもその写真がずっと心に残っていた。
転職先で毎日忙しい日々を送っていても、ずっと頭の片隅でその日に見た青空のポカリスエットの写真が脳裏に焼き付いて離れなかった。
そんな時、奥山さんが個展を開くという話を聞いた。
これは行くしかない。
そう思い、浜松町で行なわれている奥山さんの写真展に足を運ぶことにした。
エレベーターで展示会の階にあがった瞬間、驚いた。
ものすごい人混みなのだ。
写真展といったら、人がまばらに入場しているだけだと思っていたが、
とにかく人で溢れかえっているのだ。
しかも、男性女性、お年寄りの方から学生まで、いろんな層の人で混み合っていた。
え? 奥山さんって今26歳だよね。
自分とほとんど変わらない年齢でここまですごい個展を開く人がいるとは……
人で混み合っている中、展示されている写真を一つ一つ見ていった。
奥山さんが得意とする広告用の写真とは別に、田舎の田園風景を撮った写真、プールで泳いでいるスーツ姿の人、赤と街灯が印象に残るカフェの椅子。
写真一枚一枚を見ていくうちに「今、この瞬間を生きている」という感覚が蘇ってきた。
ただただ、私は圧倒されてしまった。
とてつもないものを見せつけられた感覚。
頭の中の感受性が過剰反応したのか、なんだか体調が悪くなってしまい、椅子に座って休むくらいだった。
ただただ、圧倒されてしまった。
26歳というほぼ私と同い年の人にこんなにも心を動かされるなんて……
呆然としたまま一時間近く写真展の椅子に座っていると、少しずつ気分が落ち着いてきた。
こんなに写真を見ただけで心が動かされたのは初めてだった。
自分がポカリスエットの写真に心底惹かれていた理由。
それは強烈に「今、この瞬間を生きる」という瞬間を切り取られていたからだと思う。
SNSの台頭で消費社会が進み、
どうしても自分が「何かに消費されている」という感覚がどこかにあった。
地面に浮き足立って歩いていて、生きている感覚が持てずにいる自分がいた気がする。
そんな中で奥山さんの写真を見ていると強烈に「今、この瞬間を生きている」という感覚が蘇ってくるのだ。
毎日の仕事に疲れはて、何のために自分の時間を使っているのかわからなくなった人が見に行くのもいい。
自分らしさを追い求め、SNSで自分の居場所を探している人が行くのもいい。
きっと26歳という若さで強烈な「生」を表現している奥山さんの写真を見れば、
どこか心の響くものがあるのだと思う。
最後に帰り道にトイレに入ったら、ばったり奥山さんと遭遇したけども、
ものすごく忙しそうにしていて声をかけられなかったのが心残りだ。