ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

上司との飲み会には絶対参加しなきゃいけないもんだと思っていたけど……

 

「また、飲み会か……」

社会人となるとどうしても金曜日の夜に飲み会が入ってくる率が高くなる。

「花の金曜日」とバブルの時には言われ、金曜日の夜になると、町中に酔っ払った人が溢れ出す。

みんな会社でのストレスなどを発散したいのだろう。

私は飲み会は嫌いではないとは思う。

だけど、心底苦手なのだ。

 

もっと会社のいろんな上司の人たちのことを聞きたい。

もっと仕事のことを聞きたい。

もしくはプライベートの内容を聞きたい。

そんなことを思い、上司から飲み会に誘われたらなるべく参加するようにはしていたが、どうしても心のそこでは「飲み会なんて行きたくない!」と思っている自分がいた。

 

飲み会が大の苦手なのである。

人が集まっているところで、会話が展開されていても、読解力が著しく良くない自分には、会話の流れについていけなくなることが多々ある。

 

みんなが盛り上がっているのに、会話のネタについていけず、いつもうずくまってしまうのだ。

なんで今この話題が面白いんだろう。

なんで目の前の人はこんなにも笑っているのだろう。

 

あまり自分でもいうのもなんだが、私はとにかく人の感情を読み取ることが苦手な人間らしい。世の中ではアスペルガー症候群という。

(医者に行ったことがないから本当かどうかわからないが)

 

アスペルガー自閉症の一種だ。

人の感情の読み取りが著しく苦手で、対人関係が常に不安定であり、一つのことに異常に集中してしまう……

自閉症の一種だが、人とのコミュニケーションが著しく苦手なアスペルガー体質の人たちは、たいていはうつ病を併発してしまうという。

人の気持ちがよくわからず、自分が思ってもいない場面で相手を傷つけてしまう場面が多々にあるのだ。

 

私自身もそんな対人関係に悩むような幼少期を過ごしていた。

友達を作ろうにも、相手の気持ちがわからず、会話がちぐはぐになってしまうのだ。

冗談を言われても、冗談の意図がわからずに、真に受けてしまうことがよくあったのだ。

 

学生時代にはそんな自分に嫌気がさして、家に閉じこもってしまった時期もあった。

 

 

どうして自分は人の気持ちがわからないんだ……

 

対人関係に悩み、人とのコミュニケーションに悩んでいた私は、自分の殻に閉じこもることにした。

 

飲み会に行っても、いつも隅っこでうずくまっているだけだし……

何も面白くないし……

 

そう思った私は大学時代には、ほとんど飲み会というものには行かなかった。

飲み会に誘われて参加しても、いつも後悔してしまうのだ。

あの時、こんなトークで返しておけばよかった。

あの人ともっと話しておけばよかった。

 

会話がちぐはぐになり、行き詰まってしまう場面がよくあった。

そんな度に私は、息を詰まられ、パニックを起こしてしまっていた。

気持ちを整理整頓していっても、飲み会の後に来るのは、妙な罪悪感だけだった。

 

 

飲み会が嫌いというわけではない。

だが、心底苦手なのだ。

人の目線を気にしすぎて、身動きが取れなくなってしまうのだ。

 

飲み会が苦手な自分は人とのコミュニケーションをうまく取ることができない。

そう思っていた。

 

人脈を作る人間は、たいていはみんな飲み会に行きまくっていて、人とのつながりを広げていく人だ。

社内でも優秀な人は、飲み会の席でも優秀である。

上司に気を効かせるのが上手な人は、会社での評価も高い割合が多い。

 

上司の心を読み取って、きちんと気配りができる人間はやはり仕事も優秀なのだ。

 

私はというと、本当にその気配りが異常に苦手なのだ。

もっと意識的にやれよという人もいるかもしれないが、どんなに意識しても相手の感情を読み取って、きちんとコップを注ぐということが心底できない。

 

どのタイミングで、どんなことをして欲しいのか?

いつも上司の心を読み取ろうとしているが、どうしても気配りに気を効かせられない。

 

 

どんな業界でも、社会に出て頭角を現してくるのは、たいてい人脈作りが上手い人だ。

飲み会に積極的に参加し、いろんな業界人と顔見知りな人ほど、キチンした人脈ができている場合が多い気がする。

 

私のように飲み会の席で、いつもうずくまっているような人間には、良い人との縁もないのかもしれない。

 

そう思っていた。

 

 

しかし、ブックライターが書いた本を読んで考えがガラッと変わってしまった。

 

ブックライターとは、フリーランスの職業だ。

編集者から頼まれた仕事を、著者にインタビューし、内容を8万字の本にまとめるという作業だ。

フリーランス契約のためブックライターをやっている人は、とにかく人脈がものをいう。

人とのつながりがないとフリーランスの仕事は務まらないのだと思う。

 

そのブックライターが書いていたとある文章がとても心に響いた。

それは

「飲み会に参加しても人脈は広がらない。営業をしないのが一番の営業だ。

きちんとした仕事ができる人間には、自然と仕事が集まってくる。飲み会に参加する暇があったら、目の前の仕事を死に物狂いで取り組んだほうがいい」

 

 

私は今まで飲み会こそ人脈を作る最良な手段だと思っていた。

しかし、違うのだ。

きちんと目の前の仕事を全力でやっている人には、自然と仕事が集まってくるのだ。

 

無理に飲み会ばかり参加しても時間の無駄なのだ。

目の前の仕事をきちんとこなしていけば、脈の輪が広がってくる。

社内や世の中の評価も変わってくる。

 

私はこれまで飲み会が大の苦手な自分に嫌気がさしていた。

飲み会の前になると、いつも気分が暗くなり、終わった頃には妙な罪悪感に陥っていた。

どう頑張っても飲み会が苦手な私の性格は直りそうにない。

 

会社問わず、人とのつながりを築こうと思ったら、無駄に飲み会に参加するのではなく、目の前の仕事にきちんと向き合っていれば自然と人が集まってくるのではないかと思う。

 

営業をしないことが一番の営業なのだ。

きちんと仕事をこなす人には、自然と信頼が芽生え、人が集まってくるものなのだ。

 

私は上司との飲み会には絶対行かなきゃならないと思っていた。

心の底では上司に気を使ってばかりで、苦痛だと思っていたが、案外飲み会に誘われても無理していかなくてもいいのかもしれない。

 

目の前の仕事に全力で取り組んでいる人には自然と人が集まってくる。

そう思うのだ。

 

 

世の中に蔓延している椅子取りゲームの外側で生きていくこと

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「人生勝ち組になりたかったら東大に行け!」

私が高校生だった頃、大ブームになっていたとある漫画の決まり文句だった。

 

その頃は、なぜか東大ブームがあって「東大生のノート」「現役で東大に受かる子供の教育法」など、やたらと東大! 東大! というキーワードが本屋に溢れていたと思う。

 

私もそんな東大ブームに乗って、東大生に憧れた一人だった。

 

もちろん東大なんて受かる偏差値もなければ、知能もない。

 

しかし、高校受験の時に、偶然にも都内では有数の進学高に受かってしまい、周囲が高学歴な大学を目指すエリート集団だったため、自分もレベルの高い大学に行けるんじゃないかと舞い上がってしまったのだ。

 

 

完全に自分の実力を自惚れていたのだ。

私のクラスメイトには、親戚に東大生がいる人や、早慶出身の親を持つ生徒がたくさんいた。

やはり、親が高学歴だと子供も自然と高学歴な大学を目指すものだ。

そういった人たちはたいてい幼少期から英才教育をきちんと受けて育った人が多いので、小学校の頃から基礎学力ができている。

 

 

私の一家というと、全くの無名の大学を卒業した父親とパートの母親の家庭だった。

受験に関しては全くの無関心だった。

 

しかし、祖父がやたらと「学問にだけは借金をしてでもきちんと金を出せ!」という方針だったので、その影響か、学歴には無頓着にもかかわらず、息子の教育費にはきちんと金をかけてくれる両親だった。

 

 

「別にレベルの高い学校に行けとは言わないが、私立に行きたいなら金を出す」

そう言ってくれたおかげで私はなんとか、学費が高い私立高校と私立大学で過ごすことになる。

 

 

私立の進学校の3年間は今思うと大変貴重な経験だったと思う。

人生の早い段階で、宇宙人クラスに頭がいい人たちと出会えたのは貴重な体験だった気がするのだ。

模試を受けると偏差値が全国5位以内の人たちがクラスの中にゴロゴロいたのだ。

 

しかし、そんな頭のいい人たちに囲まれて3年間過ごしてしまったため、私は自分の頭の出来の悪さを痛感し、ひねくれてしまっていた。

 

どうもがいてもこいつらには敵わない……

テスト前に自分は約10時間勉強していっても、クラスの中には30分程度教科書を見直すだけで、あっという間に満点を取れるような生徒がゴロゴロいたのだ。

 

私はそんな環境で過ごしていく中で、意地でもこいつらと同じ大学に入ってやろうと思い、東大やら早慶を目指していくことにした。

 

MARCHなんて受けない!

早慶以外は入っても損!

そんなことを思っていたのだ。

 

 

自分の偏差値もわきまえずにそういったハイレベルの大学だけを受験しまくり、結果的にどうなったか……

 

全落ちしたのだ。

 

「学歴が全てだ!」

「大学受験に失敗すると、のちの就活にも響いてきて人生損する」

 

「大学受験で人生が決まる!」

 

周囲からそう言われ、私自身もそう信じていた。

 

 

大学に行くなら早慶以上行かなきゃと自惚れていた私は結局、一年間浪人生活を過ごし、なんとかそこそこのレベルの大学に入れた。

自分は大学受験競争に敗れてしまった……

もうエリートの道は進めないんだ……

 

学歴という看板が全てだと思っていた私は、就活でリベンジを果たすことにした。

民放キー局や電通博報堂といった会社に入って、現役で東大やら早慶に入った人たちを見下すんだ。

 

ブランドのある会社名を手に入れて、人よりも上に立つ人生を歩むんだ。

そんなことを思っていた。

 

自分が作りあげた学歴という名の競争社会に縛られ、私はどんどん身動きが取れなくなってきた。

何が何でもいい会社に入らないと死ぬ。

大学でも会社名でも、きちんとした肩書きを持って人よりも上に立ちたい。

 

そう思い、もがき苦しんでいた。

 

社会の中で蔓延している競争社会に縛られ、私は身動きが取れなくなっていたのだ。

人よりも上に立ちたい。

何者かになりたい。

 

きっとどこかのクリエイティブな誰かが

「君は人よりも感受性が豊かだね」と言ってくれるのを待っていたのだ。

 

何とか内定が出た会社も数ヶ月で辞めてしまった。

仕事がハードすぎて辛かったという部分もあるが、それ以上に競争社会に疲れ果てたのだ。

 

社会というものは不思議で入った会社によって年収も待遇もガランと違ってくる。

就活の時には、何だかよくわからない質問が面接に飛んできて、面接官に「何となくこいつは使えそう」「何となく社風がうちにあっている」というなんとなくで合否が決まっていき、なんとなくで就活生の人生が決まっていく。

 

 

 

企業にとってはなんとなくで採用していても、その就活生にとっては人生をかけた大勝負なのだ。

自分のこれからのキャリアが決まる就活が、ほとんどなんとなくで決まっていく日本の就活はどんなものかと思ったが、社会がそうなっているのだから仕方ない。

 

就活戦争に敗れ、某テレビ局の下請け会社で働いているうちに社会の厳しさをとても目に見える形でわかった。

 

入った会社によってこうも身分が違うのか……

面接で同じだった人が、とある局の正社員として働き、年収1000万で9時には家に帰れるのに、自分は明け方まで働いて、彼らの3分の1の給料である。

 

社会はそういうものだから仕方ないが、

就活の時の面接で選ばれるか? 選ばれないか? 

でこうも後の人生が変わるものなのかと驚いてしまった。

 

社会は椅子取りゲームだ。

どれだけいい椅子に座れるかによってその人の人生が決まってくる。

みんないい椅子に座るために必死こいてセンター試験を受けて、いい大学を目指していく。

 

私もそんな椅子取りゲームに参戦した一人だった。

そして、そのゲームに敗北した。

 

世の中は競争社会で溢れている。

その競争に敗れた自分はもう生きている価値がないと思ってしまった。

 

会社を辞め、世の中をさまよっているうちに、なんとか雇ってくれる中小企業を見つけられはした。

それでも自分には生きて行く価値はあるのか?

中小企業なんて小さな会社で働く意味はあるのか?

と正直思ってしまったのだ。

 

そんな時、ある人と出会った。

その人はライターもやっている方で、20代の時には小説家になろうと毎日1万6千字の文章を書いていた人だ。

 

1万6千字って異常な量だろ!

 

誰に読まれるかわからないが、約10年間小説を書き続けたという。

 

そして、今現在、ありとあらゆるプロの肩書きを持ち、テレビや取材などに引っ張りだこだ。

私はそんな人たちを見ていると、自分が歩んできて競争社会がバカバカしく思えてくるのだ。

 

 

特に有名な大学を出ていなくても、こうしてきちんと世の中に名前を出していく人がいる。

 

「いい人生を歩みたかったらいい大学に行け」

「勝ち組になりたければいい会社に入れ」

そう周囲から言われ、自分でもそう思っていたが、その社会に蔓延している競争社会は実は自分が作り上げたものにすぎないのではないかと思う。

 

 

 

実際、今私は名前も知られていない中小企業で働いているが、仕事自体は結構楽しいのだ。小さな会社なので割と自分の裁量で仕事を決められ、自由に動き回り、自分の営業範囲を獲得していけるのだ。

 

大企業だとまず間違いなく、上から流れてきた仕事をさばいていくことになる。

どこかの部署の上司が言った内容どおり、仕事をこなし、7時には家に帰る。

その繰り返しが多い。

 

 

いい大学に入りたかったのも、いい会社に入りたいと思っていたのも、自分が築き上げた幻想だったのかもしれないと最近は思う。

 

就活では全体の3パーセントしかない大企業にほぼすべての学生が殺到していくという。

その少ない大企業という椅子に座るために、みんな死に物狂いでエントリーシートを書き、面接をしていく。

 

実際に社会に出てみると、そんな椅子取りゲームに参戦しなくても、全然面白い仕事なんて死ぬほどあるのだ。

世の中の97パーセントの中小企業に入ってもきちんと活躍している人はいっぱいいるのだ。

 

「大学受験で人生が決まる」

それはある程度は確かなのかもしれない。

学歴によって就ける職業もある程度限られてくるのは事実だ。

 

だけど、人生はそれだけでは決して決まらない。

高卒だろうと中卒だろうと、きちんと仕事をこなし社会の中で頭角を出してきている人はいっぱいいるのだ。

社会に蔓延している競争社会の外側で生きているそんな人たちの目はいつも輝いている。

自分がやりたい仕事を死に物狂いでやっている人たちは、みんな楽しそうに仕事をしている。

私はそんな風な人になりたいと最近は思うようになった。

競争社会の内側で生き、疲れ果ててしまった私は、ようやく外側にある景色を見れるようになった。

 

どう生きるかはすべて自分次第だと思う。

競争社会の外側でもきちんと一生懸命生きている人たちがいる。

 

学歴でコテコテに塗りこまれた人たちよりもそう言った人たちと話している方が、案外楽しかったりするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し前まで、仕事の楽しさは「やりがい」で決まるものだと思っていた

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「仕事をする上でのやりがいは何ですか?」

多くの就活生は、面接の際にそう質問する。

 

「仕事のやりがいですかね? 自分が作った商品を手にとって、喜んでくださるお客様の姿を見た時ですかね……」

などと面接官は人事の人から言われていたカンペを読むようにして、就活生にそう語る。

 

 

私は就活をしている時に、ずっとこんなことを疑問に思っていた。

 

仕事のやりがいって一体なんだ?

 

 

 

自分らしく生きよう。

ありのままの自分でいよう。

 

そんな風潮の中で育っていた自分のようなゆとり世代は、社会に出る時にやたらと仕事にやりがいを求める人が多い気がする。

そういう自分も仕事にやりがいを追い求めていた一人だった。

平凡なサラリーマン家庭に生まれ育ち、上司に文句言われながらも仕事をしていた父親を見ているうちに……

自分は好きなことを仕事にしよう。

やりがいがある仕事に就こうと無意識のうちに思っていたのだ。

 

就活の時には、やりがいがある仕事に就こうと、興味を持っていたマスコミ関連の会社ばかりを受けていた。

 

せっかくの人生だ。

やりがいがある仕事に就かなきゃ損だ!

そう思っていたのだ。

 

仕事にやりがいを求めていたのは私だけでなく他の就活生も同じだった。

「仕事上のやりがいは何ですか?」

「どんな部分が仕事をしていく上で楽しいですか?」

そんな声を多く聞こえたのだ。

 

私は結局、仕事にやりがいを追い求め、自分が好きだった映像制作の道に進み、挫折してしまった。

毎晩、明け方の4時まで続く残業に精神的に追い込まれていき、体調を崩してしまったのだ。

今思えば、もっと続けとけば……とは思う。

しかし、その当時は本当に生きるか死ぬかの瀬戸際だったため、ノイローゼのまま私は会社を辞める決断をした。

 

 

仕事をしている時以上に辞めてからが本当に大変だった。

一度、社会のレールを外れてしまうとこうも世の中は厳しいものなのか……

こんなに社会が厳しいものだとは思わなかったのだ。

 

 

新卒の時は、なんだかんだ言って、企業から青田買いされていくが、

第二新卒となると本当に受からないのだ。書類選考すら通らないのだ。

 

運良く書類選考を通過しても、面接の場において、鋭い質問が飛んでくる。

「なんであなたは前職を辞めたんですか?」

「なんでもっと頑張ろうと思わなかったんですか?」

 

私は面接の度に息苦しさを感じていた。

面接官は自分の苦しみなんてわかっていないんだ。

毎晩、4時まで仕事する苦しさをわからないんだ。

そんなことを思っていた。

 

朝4時まで仕事し、私は一度、強烈なめまいから人身事故を起こしかけたことがある。

その時は本当にびっくりした。

無意識にうちに電車の中に吸い込まれそうになったのだ。

 

自分の苦しさを理解してもらおうにも、社会の中では自分の声を聞いてもらえる人はいなかった。

人身事故を起こしかけるくらい疲労でぶっ倒れていても、書類上は「会社を数ヶ月で辞めた奴」というレッテルが貼られてしまうのだ。

 

自分でその会社を選んだのだから仕方ないと言う人もいるだろう。

確かにその通りだと思う。

だけど、一度選択をミスると、こうも社会は手厳しいものなのかと正直、思った。

 

 

私は、自分が好きなことならいつまでも続けられる。

自分はわがままだから、興味があることしかできない。

だから、自分が好きなことを仕事にしよう。

やりがいがある仕事に就こう。

そんなことを思っていた。

 

しかし、結局、仕事にやりがいを求めた結果、私は挫折してしまう。

 

仕事の楽しさって一体何なのだろうか?

自分の仕事って一体何なのだろうか?

 

新卒で入った会社を辞め、アルバイトですら働くことが怖くなった私は、もがき苦しみながらも何とか第二新卒としてもう一度雇ってもらえる会社を見つけられ、かろうじて社会に復帰することはできた。

 

ライティングの楽しさも知り、こうして書く楽しさを知るようになった。

あの時、もし一歩でも道を踏み外していたら……

今の会社と出会うことがなかったら……

自分はどうなっていたのだろうか?

そのことを思うと、たまにぞっとする自分がいるのだ。

 

やりがいを追い求めて就職して、挫折した自分はもう一度社会に出て仕事をし始めるとあることに気づき始めた。

 

もしかしたら、仕事上のストレスって、何の仕事をやっているかよりも、

自分の裁量で進められるかに依存しているんじゃないか?

 

 

仕事上の楽しさって、どれもこれも自由さによって決まるのではないか?

そんなことを思うようになったのだ。

 

あいにく今、私が勤めている企業は中小企業で、社員数が少ないせいか、仕事も自分で決めていかなければならないことが多い。

基本的に自分勝手で、自分のやりたいようにやらなきゃ気がすまない自分にとって、わりと心地いい環境なのだ。

 

仕事上のストレスはどれだけ自分の裁量で仕事ができるのかに依存する。

どれだけ自由に仕事ができるのか? がストレスに直結している気がするのだ。

 

残業が多いとかあまり関係がない気がするのだ。

いくら残業が多くても自分の裁量で、自分が好きなように進めれる環境にある時、人は自然と仕事に楽しさを感じるようなものだと思う。

 

 

自分の判断でどれだけ仕事を進められるかが仕事の楽しさに直結しているのだ。

 

 

「働き方改革」「脱ブラック企業」など、やたらと今、働き方を考えようという風潮が世間にはあると思う。

残業40時間を超えたらブラック企業

プレミアムフライデーと称して、金曜は3時に帰る運動が推進されていたりするが、どうもブラック企業の定義がおかしい気がするのだ。

 

残業が多いから仕事が辛いのではなく、人は自分の裁量で仕事ができない時、最も人は辛さを味合うのだと思う。

 

某広告代理店の働き方が問題になったりしていたが、残業が多くて仕事が辛い以上に、社内に上司のクリエイティブな人が残っていたら、部下も社内にいなければいけないという暗黙のルールが一番精神的にくるのだと思う。

 

特にいる必要もないのに、新入社員は夜の会議にも出なければいけない。

上司が朝まで飲んでいたら、一緒に付き合わなければいけない。

 

社員が7000人以上もいる大企業だったら、自分の思い通りに仕事を進めていくことも不可能だろう。

 

自分の裁量で仕事ができない時に一番の苦痛を味わう気がするのだ。

 

 

 

仕事にやりがいを追い求めている人がいたら、ちょっと立ち止まった方がいいのかもしれない。

その人が本当に心のそこで欲望していることは、やりがいではなく、案外、自由さなのかもしれない。

 

私は一度、社会に出ていろんな挫折を味わう中でそう感じるようになった。

 

仕事をする上でのストレスは、自分がどれだけ自由に仕事を進めれれるかによって決まる。

 

ちょっとでも自分の仕事に悩む人にとって参考になる文章であったらと思う。

 

 

 

 

 

「四月は君の嘘」を読んで、その道のプロとアマチュアとの歴然とした差がわかった

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「何かに熱中したい」

その感覚が常にあった。

 

よく考えられば、中学や高校のときは、特に先のことも考えずに目の前のことだけに真剣に取り組んで熱中していた時期もあった気がする。

 

あの頃は、未来のことなど何も考えていなかった。

「青春時代は可能性が開かれた状態だ」

そう、どこかの文化人がテレビで喋っていた気がする。

確かにそれは一理ある。

 

私も中学生だった頃、自分が将来どうなるのか? 

考えたらワクワクしていたものだ。

 

自分はどんな道を歩んでいくんだろう?

何百通りとある選択肢の中から、自分はどんな道を選んでいくのか?

 

その限りなく沢山ある選択肢を前にして、私はただ、自分の可能性に胸をときめかせていたのかもしれない。

 

しかし、高校や大学、社会人となるにつれて、自分の可能性は現実味を帯びてくる。

一個、一個、人生のステップを上がるにつれて、自分がつける職業も限られたものになってくるのだ。

 

 

大学を卒業してしまうと、文系出身の人は理系の研究職の仕事に就くことは困難になる。

20歳過ぎてからプロ野球選手になろうと努力を始めても現実的には厳しいのだ。

 

 

10代の頃か、有り余る選択肢の中から自分が進む道を決めていけた。

しかし、20代、30代と過ぎていくと、どうしても自分の可能性の幅の限界がわかり、何かに熱中することもなくなってくる。

 

自分が将来なれるものの限界を一番初めに痛感したのは就活の時だった。

何万社とある会社から、自分の運命の会社を選び出す就活……

私は苦労した覚えしかなかった。

 

自分は何がしたいのかよくわからなかったのだ。

 

そして、自分が就活情報サイトの中の選択肢から、自分の道を選ばなければならないことに嫌気がさしていた。

 

 

 

歳をとるにつれて、どうしても自分の可能性が減ってくる。

しかし、いつの時も、心のどこかで目の前のことに無我夢中になって熱中できるものがしたいと思っていた。

 

何か目の前のことに熱中したい。

大学時代はアホみたいに映画を撮りまくって、大学に10リットルの血糊をばら撒き、いろんな人に怒られたりしたが、あの時、私は目の前のことに熱中していたのだ。

 

誰かに評価されたいという気持ちよりも、ただ目の前にあるゾンビ映画作りに熱中したい。

その思いだけが私を突き動かしていた。

 

大人になっていき、自分の選択肢の幅を痛感し始めると、どうしても本来自分が望んでいるものが何なのかわからなくなってくる。

 

何か命をかけるほどに熱中できるものが自分にはあるのか?

そんなことを思ってしまうのだ。

 

その時、私はこの漫画と出会った。

あの天才漫画家尾田栄一郎先生が読んだ瞬間「嫉妬した!」とコメントするほど、多くの天才クリエイターに影響を与えている漫画だ。

 

どうやら尾田先生曰く、読んだ瞬間、漫画なのに「音」が聞こえてきたという。

全身から鳥肌が立つほど、漫画が最も苦手とする「音」の描写がうまいらしいのだ。

 

 

なんだ? この尾田先生ですら「嫉妬した!」と言わしめた漫画は……?

私はずっとこの漫画のことが気になっていたが、どうも手に取る機会がなかったのだ。

いつか読もうと思っていても先延ばしにしてしまっていた。

 

そんな時、ふとTSUTAYAのコミックコーナーでこの漫画を見かけた。

 

ずっと読もうと思っていた漫画だ。

この機会にちょっと手に取ってみるかと思った。

 

 

 

読み始めた瞬間止まらなくなった。

 

何なんだこの漫画は!

 

圧倒的な描写力と、絵からくる臨場感に私は度肝抜かれてしまった。

本当に漫画なのに紙の上から「音」が聞こえてくるのだ。

まるで、目の前にヴァイオリニストがいるかのように「音」が耳に入ってくるのだ。

 

私はその漫画の世界観に圧倒されてしまい、レンタルするはずが、思わずその場でAmazonのコミック全巻セットを買ってしまった。

あまりにも面白すぎて、無意識のうちに速攻で買ってしまったのだ。

 

 

家に届いた瞬間、無我夢中になって私はその漫画を読み漁った。

すごい……

何なんだろうこの世界観は。

 

全11巻あるコミックでも、あまりにも面白すぎて一晩で読んでしまった。

残り2巻となるあたりから、

この世界から抜け出したくない……

もっとこの漫画の世界の中にいたい……と思ってしまった。

 

11巻のラストページを読んだ瞬間、あまりにも美しすぎる結末に、私はそれから3日間はこの漫画の世界観に酔い浸ってしまっていたと思う。

 

 

それはあるものに熱中する中学生達の物語だった。

 

何か目の前にあるものに熱中していく人はいつも輝いているものだ。

 

私も目の前のものにがむしゃらになって熱中していた時期もあったのだろう……

しかし、時が過ぎ、大人になっていくにつれて、その感覚は無くなってきてしまうものだ。

何かに熱中すること。

その感覚が再び私の心の中に湧き上がっていたのだ。

 

 

この漫画を読んでいてふと思ったことがあった。

それは大人になってからも熱中できる人は、何かのプロになっているということだった。

 

プロとアマチュアの差は小さいようで、大きい気がする。

その道で食べていく人と、副業や趣味でやっている人では覚悟の差が大きいのだ。

 

たぶん、村上春樹より面白い小説を書ける人なんて、世の中にはいっぱいいる。

最年少で直木賞を取った朝井リョウよりも文才がある人も世の中にはいっぱいいるかもしれない。

しかし、朝井リョウ村上春樹はプロの小説家で、ほとんどの人がアマチュアの小説家なのだ。

 

プロとアマチュアの差は一体何なのか?

何でめちゃくちゃ面白い小説を書ける人でもプロになれる人となれない人がいるのか?

ただの運と偶然に過ぎないのか?

そんなことをずっと疑問に思っていた。

 

この漫画を読んで少し、その疑問の答えが少しわかった気がする。

プロになれる人はみんな、どんな暗闇の中に入っても、目の前のことに無我夢中に熱中できるのだ。

プロの小説家や漫画家の人でも、多くの人が長い長い下積み期間を経験しているという。

誰にも評価されることなく、ただひたすら机の前で、白い紙の上で書きまくっていたのだ。

 

誰にも見られることがないかもしれない。

しかし、いつか誰かの目に届くと信じて書き続けていたのだ。

 

 

人は本当に変わろうと思った時、大きな不幸な出来事が必要になるという。

誰かが亡くなったり、借金を背負ったり、何か不幸な出来事があってはじめて人は大きく変わろうとするのだ。

しかし、ほとんどの人にはそんな不幸を擬似的に起こすのは無理だ。

 

 

何か本気でなりたいものがある時、その本人が無我夢中になって目の前のことに熱中していくしかないのだ。

 

誰かに評価されるかわからない。

誰に見られるわけでもないかもしれない。

 

それでもひたすら書き続けていく人が10年、20年かかっても何らかの形で世に出てくるのかもしれない。

 

自分にはこんな風になれる可能性がある。

そうわかっていないと人はどうしてもやる気が起きないものだ。

 

しかし、プロになる人は暗闇の中でもひたすら自分の可能性を信じて書き続けているのだ。

その一個一個、熱中して書いてきたものが、点と点を繋ぐように実りあるものへと生まれ変わっていくのだと思う。

 

後先のことを考えずに、目の前のことに熱中していくこと。

その大切さを「四月は君の嘘」から学んだ気がする。

 

何かに熱中したい。

そう思う人には、ガソリンのように全身からエネルギーが脇立つ漫画なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの苦悩に満ちた就活の日々も、実は毎日ブログを書く上で役に立っていたと気付いた

 

「なんで自分は選ばれないのか?」

私はずっと就活中に思っていた。

 

「私の長所は〇〇です」

「私は学生時代に〇〇をしていたました」

など必死こいてスターバックスにこもって書いていたと思う。

 

就活を終えた今でも、電車の中で就活生を見かけると、あの苦悩に満ちた就活の日々を思い出していた。

あの時、自分は一体何をやっていたのだろうか?

何だったんだ、あの就活の日々は。

そんなことをたまに思うのだ。

 

ちなみに私は就活を2年連続でやっている。

一回目は大学4年生の時、二回目は卒業したのちに新卒で入った会社を辞め、転職活動した時だった。

 

新卒の就活をしていた時は、とにかく必死だった。

周りの人と差をつけるために、あえて個性的な自分を見繕ったり、自分がしてきた出来事をちょっと盛って喋ったりと自分なりに必死に努力していた。

とにかく会社の人に認められたい一心で自己PRをしていたんだと思う。

 

それで、結局30社以上ほぼ全て落っこちた。

なんでだ。

なんで人よりも努力してきたのに、自分は内定が出ないんだ。

大学の同級生は次々と内定を獲得していった。

私はといえば7月まで内定ゼロだったのだ。

 

 

就活が解禁される1月くらいから少しずつ、大学のキャリアセンターに通い、就活対策を始めていた。

自分が就活をした時は、3月解禁に移行される時だったので、早めに準備を始めなきゃいけないという風潮があったのだ。

大学のキャリアセンターにも口が酸っぱくなるほど、

「早めに就活の準備を! 業界研究を早めにしてください」

と言っていた。

 

私はどちらかというクソ真面目な性格なので、冬休みを使って、山奥にある大学のキャンパスのキャリアセンターに通っていたのを覚えている。

図書館に通っては、自分なりに自己PRをまとめ、エントリーシートを採点してもらっていた。

面接対策の本も読んだ。

私は今思うと、ただ自分は人とはちょっと違っている。

人と違うクリエイティブなものを持っていると信じ込みたかったのかもしれない。

 

電通博報堂のクリエイティブな人なら自分のことを認めてくれるはずだ。

そう思って、他の就活生を見下していたのだ。

同じ黒いスーツを着て、同じような顔つきで面接に挑む就活生に混じり、私はどこか常に傍観者でいたのだ。

 

自分はちょっと人と違うものを持っている。

そんな意味のない自尊心を持って面接に挑んでいた。

 

今ならわかる。

そんな自意識過剰なやつを企業側も雇いたくない。

私は結局、マスコミ中心に受け、30社以上落ちた。

エントリーシートなど50枚以上書き、ほぼ全て蹴落とされた。

 

なんで自分は選ばれないの……

大学の同期が次々と内定を獲得していく中で常にそう思っていた。

 

どうしたらいいんだ。

私は自分なりに今までやっていた自己PRや喋り方を改善していった。

就活対策やコミュニケーションについての本を読みあさり、人を惹きつける喋りについて研究していった。

 

私はとにかく喋ることが苦手だった。

昔から人見知りのことがあり、コミュニケーションをとることに苦手意識があったのだ。

就活で勝つのは基本的にこのコミュニケーション能力が長けている人たちだ。

集団面接の場面でも、自分がどれだけ目立てるか? 

どれだけ議論をまとめることができるのか?

そんなコミュニケーション能力が一番評価の対象になるのだ。

 

「いい大学に入れれば、いい人生を歩める」

今まで私はずっとそう言われてきて育った気がする。

 

勉強すればいい人生が歩める。

いい学校に入れれば勝ち組になれる。

そんな風に思っていた。それは自分以外の人も共通しているのかもしれない。

 

今の公立の小学校に通う小学生のほとんどが私立中学を受験するという。

親御さんも私立のほうが受験対策が充実しているので、子供のためになると思ってのことだろう。

私は中学まで公立に通っていたが、高校受験の際に進学高を受験することにした。

いい大学に入れれば、いい人生を歩める。

勝ち組になれると思っていたのだ。

なんとか苦労しながらも浪人し、大学に入ることはできた。

 

しかし、就活の際に、私は衝撃を受けた。

 

同じ大学を出ても、大企業に入れる人もいれば、どこも受からない人がいるのだ。

 

就活は今までの経歴の逆転が可能であることも確かだと思う。

 

なんだかよくわからないまま、企業の面接官と会話をして

「こいつはうちの社風にあっているな」

と面接官に思われれば、たとえ日東駒専の人でも早稲田卒の人に勝てるのだ。

 

私の学歴はそんなに大したことがない。

決して早稲田卒のエリートであるわけではない。

しかし、同じ面接を受けていた早稲田の人は嘆いていた。

「高学歴になれたら簡単に大手企業に入れると思っていたのに……」

 

確かに同じ早稲田卒でも、倍率1000倍のテレビ局に内定をもらえる人もいれば、どこにも受からない人がいる。

今まで勝ち組になりたければいい大学に入ればいいと思っていたが、実際、世の中そんなに甘くはないのだ。

 

私は今までの苦労は一体何だったんだと思ってしまった。

必死こいて勉強したセンター試験は一体何だったのか?

 

私は就活の時にそんなカルチャーショックを受けていた。

くよくよ憂いていても仕方ない。

世の中そういうものだから仕方ないんだ……

そう思って私は、泣きながらも就活対策の本を読み漁っては、自宅で自己紹介の練習をしていった。

 

結果から言うと、私は就活負け組だ。

30社以上落ちた。

そして、新卒で入った会社もすぐに辞めた。

 

センター試験を必死こいて勉強してきた日々……

そして、あの苦悩に満ちた就活の日々は一体何だったんだろうか?

そんなことをたまに思う。

 

しかし、毎日こうしてライティングに励む習慣をつけてから身にしみて感じたのだが、

あの無意味にしか思えなかった自己紹介も、エントリーシートを書くために必死こいて自己PRを考えていた時間も無駄ではなかったのだと思う。

 

就活をやっている時に、面接対策で私がやっていたことは、

自分の身の回りにあった面白い出来事を切り取って、目の前の人に伝えることだった。

 

書く上でやっているのも基本同じだ。

普段生活している上で、何かを感じ、面白い出来事をうまく切り取って記事という形で相手に伝えることだ。

 

毎日こうしてブログを書くようになってから、就活の時に私はライティングのスキルも無意識のうちに一緒に学んでいたんだなと思った。

 

あの無意味としか思えなかった就活も実は無駄ではなかったのだ。

「点と点はいつか繋がる」

そう、とある世界的な経営者が言っていた。

確かにそうなのかもしれない。

どんなに無意味とした思えないことでも点と点が繋がっていつか実りあるものになる時が来るのだ。

 

そう思えたらどんなに辛い出来事も楽しく思えてきた。

点と点は繋がる。

そう思って私は日々の日常を過ごしている。

 

 

 

 

 

人を愛することで自分が傷つくのを恐れている人こそ、映画「メッセージ」は見た方がいいかもしれない

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「余命1年です」

医者の言葉を、ポールは呆然としながら聞いていた。

隣では妻が泣いている。

 

「この病気は現代医療では治療方法がありません……残念です」

「嘘だ……」

ポールは医者に向かって怒鳴り散らした。

 

嘘だ……

嘘に決まっている。

 

彼の妻と出会ったのは、つい1年ほど前だった。

職場で出会い、彼が一目惚れしたのだ。

つい先日、結婚を決意したのに、まさか……

 

ポールは医者の言葉を聞くことができず、泣いているばかりだった。

 

妻はゆっくりと言葉を発した。

「あと一年しか生きられないんですね……」

重たい口で医者はこう言った。

 

 

「残念ながら……そうです」

 

この医者はヤブ医者に決まっている。

妻があと一年しか生きられないなんて信じられない。

この医者は今まで何人に「死」を宣告してきたのだろうか。

自分には関係がないという客観的な目で妻の「死」を語る医者がどうしても許せなかった。

 

 

重たい足取りでポールは病院の駐車場に停めてある車に乗った。

車に乗ると同時に、感情がこみ上げてくる。

 

なんで妻なんだ……

人間の運命の残酷さを痛感し、彼はただひたすら涙を流していた。

 

 

医者から「死」を宣告されてからも、妻はごく普通を装いながら過ごしていた。

きっと彼を悲しませたくなかったのだろう。

懸命に普通を装う妻の姿を見ているとポールは悲しみを堪えきれなくなった。

 

自分が結婚することなんてないと思っていた。

結婚しても、どうせ長続きしない。

人を好きになることがどうしても苦手だったのだ。

 

価値観が全く違うもの同士、お互いを知り尽くしても、最終的にはお互いを傷つけることになる。

人を愛することなんてしないほうがいい。

 

そう信じていた彼だったが、妻と会った瞬間、全てが変わってしまった。

妻がいるだけで、ここまで世界が鮮やかに見えるなんて。

彼の全てを変えてしまうほど、妻の存在は彼の中では大きかったのだ。

 

どんなに仕事でつらいことがあっても、妻の笑顔が全てを忘れさせてくれた。

そんな妻があと一年で死ぬという。

 

彼はどうしてもやりきれない気持ちでいっぱいだった。

自分は妻のために何かしてやれたのだろうか。

この世に何か残してやることはできないだろうか?

 

そんな時、妻はこう言った。

「私の命は一年しかもたない……だけど、子供を産みたいの」

 

彼との間にはまだ子供がいなかった。

仕事が落ち着いてきたら作ろうと話し合っていたのだ。

彼は言葉を失った。

「子供を産もうと言っても、あと一年しか……」

「お願い。私が生きた証をこの世に残したい」

 

妻の真剣な目つきを見て、彼はどうしても言葉が出なかった。

 

 

 

その日から、余命との競争が始まった。

命が尽きるのが先か、子供ができるのが先か?

 

周囲の人間は彼を非難していった。

「生まれてくる子供がかわいそうじゃないか! なんでそんな無責任なことをするんだ」

確かにその通りだ。

万が一、子供を授かったとしても、その子供の母親はすぐにこの世から去ってしまうのだ。

残酷な運命に翻弄されるも、妻はポールの前では、決して泣くことはなかった。

「生まれてくる子は大丈夫。たとえ私がいなくなっても、一生懸命生きてくれる」

 

2ヶ月後、妻の妊娠が発覚した。

医者によると、妻の命が尽きるまでに子供を産むことができるのか、ギリギリの時間だという。

妻の寿命を延ばすことを考えたら、子供は諦めたほうがいいと言われた。

「絶対に私は産みます」

妻は頑として医者の忠告を聞かなかった。

ポールは妻の命をつなぎたい思いを受けて、懸命に妻の看病をした。

 

余命が宣告されてから11ヶ月がたった。

妻の寿命はもう尽きてしまう。

命が尽きるのが先か、子供を授かるのが先か。

その競争の結末がもうじきわかる。

 

分娩室に入っていく妻を見た後、落ち着かない時間を過ごした。

中からは妻の悲鳴が聞こえてくる。

どうか神様。最後に妻の望みを聞いてやってください。

新しい命を授けてください。

 

「おぎゃー」

分娩室から聞こえてくる子供の泣き声を聞いた時、彼は思わず泣き崩れてしまった。

看護師に呼ばれて、分娩室の中に入っていくと、小さな小さな命を抱えた妻の姿がそこにあった。

 

「間に合ってよかった……」

生まれ来た新しい命を前にして、彼女はそうつぶやいた。

 

ポールは小さな命を手に取っていると、涙が溢れ出して止まらなくなった。

子供を優しい目で見つめる妻を見て、彼は思った。

 

これからこの子はきっと楽しい経験もつらい経験もしていくだろう。

だけど、母親の愛情を一身に受けて、この世界に生まれてきたのだから、きっと大丈夫だ。

 

妻は子供の笑顔を見送るとそっと目を閉じた。

 

 

 

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これは映画「メッセージ」の原作者が、物語を書く前に参考にしたという、とある売れない俳優とその妻の物語だ。

 

余命一年と宣告され、残酷な運命に翻弄されつつも懸命に生きた夫婦の姿に、原作者は感銘を受けたのだろう。

映画の中では、その出来事が染み渡るようにして反映されていたと思う。

 

 

SF映画「メッセージ」はとても難解で、「2時間は長い!」

「こんなのSF映画じゃない!」という人もいるという。

 

実際、私もこの映画を見たときには、頭を抱えてしまった。

時間が何重にもループし、内容がとても難解なのだ。

 

だけど、この映画の背景には

「結末がわかっていたとしても、人はどう生きるのか?」という意味が込められていると思う。

 

実際、原作のタイトルは「あなたの人生の物語」だ。

残酷な運命が目の前にあったとしても、人はどう生きていくのか?

そんなメッセージが込められているのだ。

 

自分が傷つくのを恐れ、人を愛することをやめてしまうのか。

自分が傷つくとわかっていても、人を愛する道を選ぶのか。

 

どちらが正解なのかはわからない。

だけど、映画「メッセージ」の中ではその答えがあると思う。

 

 

自分を傷つけ、抜き差しならない状態の人がいるのかもしれない。

そんな人にとっては、映画「メッセージ」は心を癒す薬のような映画かもしれない。

 

ブレードランナー2」の監督にも抜擢されて、ハリウッドで今一番注目されている、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の最新作……「メッセージ」。

 

自分の人生について今一度考えさせられる素敵な映画だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしかしたら「普通」こそ、一番の天才なのかもしれない

 

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「どうやったら面白いものが書けるのか?」

大学生だった頃の私は、図書館に立てこもり、ひたすら面白いコンテンツを探しまくっていた。

 

その頃は、本気で映画の世界に入りたくて、貪り尽くすように脚本や有名な本をインプットしては、大学のパソコンの前でひたすら誰が読むかもわからないストーリーを書きまくっていたのだ。

 

大学時代に頭角を現す!

そんな自意識過剰でイタイ大学生だった。

 

自分なら何者かになれる。

自分ならクリエイティブな素質がある。

そう思っては、ひたすら映画を見たり、大量の脚本を読みあさったりしていた。

 

邦画を観てもダメだ。

エンターテイメントの最前線を行く、ハリウッドを研究しなくては!

 

洋画を見るだけでなく、スクリーンプレイのサイトから英語を読めもしないのに、ハリウッドで出回っていた英語のシナリオを読んだりしていた。

 

自分なりに映画を研究しては、毎日ちょっとずつ脚本を書いていった。

だけど、書けば書くほど、書くのがつらくなる自分がいた。

 

 

どうすれば人を動かせるような脚本をかけるのだ。

そう頭を抱えて、インスピレーションが湧いてくるのを待つふりをして、家の近所を歩き回ったりしていた。

(今思うとだいぶ大物作家気どりである)

 

どうすればいいコンテンツが作れるのか?

それは私が抱えていた最大の悩みだったりする。

 

 

 

若くして頭角を出してくるようなクリエイターの方々は、どこか人と違う感覚を持っていて、特殊な才能があるんだ。

 

何も持っていない自分には努力で、天才を上回るしかない。

そう思って、アホみたいに映画を見まくって、アホみたいに脚本を書きまくっていた。

 

そして、大学4年生になり、就活の時期が来てしまった。

 

結局、自分は何者にもなれなかった。

 

ひたすら人を感動させられるようなクリエイティブな何かを作りたいと思い、ただ闇雲に努力らしきものをしてきたが、何の役にも立たなかった。

 

結局、普通のサラリーマンをやるようになったが、どこかでモヤモヤを抱えているのだろう。

こうして毎日文章を書く癖をつけてきたが、まだ、人を魅了するコンテンツって何だろうという思いがずっとあった。

 

やはり、天才肌の人には自分は勝てないんだ。

だったら、天才肌の人たちの倍の努力をしなければいけない。

 

そう思って、毎日書いてきたが、やはり自分のような才能がない人間が、すごいバズを起こせるようなライターさんの人に勝てる気がどうもしない。

 

特に意識して気合いを入れてなくてもあっという間に10万PVを超える文章を書ける人が世の中にいるものだ。

 

私の周りにもそんな人を惹きつける文章を書ける人が何人かいるが、そういった人たちを見るたびに自分の才能のなさを痛感し、苦しくなってくる。

 

自分のような才能のない人間が書く意味があるのか……

そんなことを思ってしまうのだ。

 

 

「ああすればこうなる」

「こんな書く方をすれば面白い脚本が書ける」

そんなことを求めて、私はシナリオライターの本を読みあさったりしていた。

今でもたまに面白い文章が書けるようになる本を読んだりすることがある。

 

「ああすればこうなれる」

 

そんなことを追い求めても結局、クリエイティブなインスピレーションは湧いてくることはなかった。

 

やはり、自分には才能がないんだ。

面白い記事を書けるような人たちは、何か特別な個性を持っていて、凡人には到達できない領域にいるんだ。

そう思っていた。

 

 

よく考えれば自分を突き動かしていたエネルギーになっているものは、この「特別になりたい」という承認欲求だったような気がする。

 

人と違う自分を表現したい。

人と違って特徴ある人間でいたい。

 

もっと人と違うことをしなきゃいけない。

そう思って、なぜか一人インドに行ったりとぶっ飛んだことをして、人と違って個性的な自分をアピールできるようにしていただけなのだ。

 

無理に個性的であろうとするほど、私の中にある心は悲鳴をあげてきた。

もっと他人から承認されたい。

もっと人に認められたい。

その思いに突き動かされて、私はずっと空回りしていただけのような気がする。

 

書いていく中でも、どうしても苦しいと思うこともある。

 

そんな時、ふとこの言葉と出会った。

世界の歌姫、宇多田ヒカルが語っていた言葉だ。

15歳でデビューしてあっという間に大物歌手になっていった宇多田ヒカルは、世間から天才とよく言われていた。

周囲から天才だからすごいねと言われて10代を過ごし、休養期間を得て、しっかりと自分の芯を確立できたのだろうか……

何かこの言葉にすごい人生の集約があるような気がしていた。

 

宇多田ヒカルが語っていた言葉。

それは‥……

 

 

「天才とか凡人とか……そんな分けるものじゃない。すごい頭がいいとか、すごい才能がある人こそ、その自分の中に万人の共感するものをわかっていたり……すごい普通の人間の感覚があると思う」

 

 

いつも何者かになりたいと承認欲求に振り回されていた私は、この言葉にとてもズカーんときた。

 

天才肌と世の中で称されている人は、特別な個性があるわけではないのだ。

万人に共感できるものをつかめるアンテナの張り方が上手いのだ。

 

 

よく考えたら、何十万PVというバズを起こしていくライターさんは、恐ろしく普通の感覚を持った人たちだ。

 

特に個性というものを押し付けているわけでなく、いたって普通の感覚を大切にしながら文章を書いているような気がする。

 

私はずっと、「ああすればこうなれる」というものを探して求めていた。

他人に承認されたいという思いに、突き動かされ、空回りしていた。

 

一番大切なのは「普通」の感覚なのかもしれない。

特別な出来事を探さなくてもいいのだ。

 

そう思えたらなんだか生きるのか楽になってきた気がする。

 

ありふれた日常を切り取って、そこに埋まっていた普通の感覚を一つ一つ大切にしていく人たちが人を惹きつけるコンテンツを作っていく。

 

その普通の感覚こそ、一番大切なのだと思う。