ライティング・ハイ

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世界一の興行成績をたたき出した恋愛映画は、実は名もなきウェイトレスが作ったのかもしれない

 

「また来た……」

何度もなんども彼女が働くレストランに現れるとある彼に、いい加減うんざりしていた。

彼は白髮で、まるで妖精みたいな容姿だ。

子供っぽい容姿を残しながら、とても積極的に口説いてくる。

 

「君に惚れてしまったんだ! この感情を抑えきれない」

彼女がレストランでいつものように働いている時、レジの前で唐突にこう言われた時は、困ってしまった。

 

「はい?」

もちろん彼女は断った。

ほとんど初対面でいきなり口説いてくる男は、まともな男ではないと直感的にこれまでの経験でわかっていたのだ。

しかし、女性にとってどんな男であろうと告白されるのは嬉しいものだ。

彼女は、積極的な態度をどこか心のそこで持て余すかのように、彼のことが気になりだしてしまった。

 

「また来たよ……懲りないな」

トラック運転手をしていた彼は、忙しい合間を縫って週に4回もレストランに顔を出したのだ。

レストランへ来るたびに、彼女のことを見つめ、花束を渡してくる。

 

「あんなしつこい男なかなかいないわよね」

同僚たちにもそう言われた。

「なかなかいい男じゃない。一度でいいからデートしてあげたら」

 

あまりにもしつこいので、彼女は一度レストランの外で彼と会うことにした。

一体一で彼を見つめていると、彼の芸術に対する思いの深さに驚いてしまった。

 

彼は大のSF好きだった。

ハイラインの「宇宙の戦士」が大好きで、科学技術と人間の発展を描いた小説が大好きだという。

それに大の映画マニアだ。

先日見たダスティンホフマンの「卒業」を二人で語り、いつしか彼女は、彼の頭の回転の良さ、芸術に対する感受性に惹かれていった。

 

「このままトラック運転手を続けるのは嫌なんだ。芸術に関わる仕事がしたい」

聞くところによると彼は夜間の美術学校に通い、絵のデッサンの勉強もしているらしい。

汚らしいブルーカラーの青年だと思っていたが、芸術や文学に対する愛情が彼の言葉には溢れかえっていた。

いつしか二人は結ばれることになる。

 

 

 

二人とも当時はお金がなかった。

一方はブルーカラー出身のトラック運転手、そして彼女はウェイトレスだ。

貧富の差が激しいアメリカでは、彼女たちのような夫婦は珍しくない。

一度、ブルーカラー層に落ちると、一生這い上がることもできない社会の構図になっている。

 

彼は少ない給料を貯めて、自分の夢のために彼女をデッサンし続けていた。

何度か彼女はヌードモデルにしたこともある。

 

どうしても裸体をデッサンしたい。

そう言われ、モデルを探すお金もないので、仕方なしに、彼女はモデルになることにしたのだ。

「そこに横になって」

ソファの上で寝転び、彼女の曲線を真剣にデッサンしていく彼の目つきは真剣そのものだった。

 

彼の瞳からは子供のような好奇心が目に溢れていた。

真剣な目つきで体の曲線を描いている彼の姿を見て、彼女はいつしか彼の夢を一緒に追いかけたいと思うようになっていた。

 

約二時間ほどで彼女のデッサンは終わった。

左引きの彼は、手を真っ黒にさせ、ニコッと微笑みながら完成したヌードデッサンを持って現れた。

 

少年のように微笑む彼の姿を見ていると、生活に困り果てていることなどすっかり忘れ去ってしまう。

 

「どうしても映画に携わることがしたいんだ」

彼は仕事の合間を縫って、図書館に通い、映画用の特撮フィルムについて研究し始めた。

 

「このままトラック運転手で終わるのは嫌なんだ。どうしても映画に携わる仕事がしたい」

彼は口癖のようにそう呟いていた。

資金をかき集め、自主映画を作るようになり、映画会社に自分を売り込むようになった。

そして、彼の情熱が功を奏したのか最下層の美術スタッフとして彼を雇い入れてくれる場所が現れた。

 

毎日のように続く、徹夜作業にクタクタになりながらも、どこか心のそこで楽しそうに仕事をしている姿を彼女は見つめていた。

 

怒号が飛び交う低予算映画の美術の現場は、過酷そのものだ。

予算がないため、今あるものから美術セットを組み立てなければならない。

 

 

夜まで美術の仕事している傍ら、彼は家に帰っても睡眠不足に耐えながら、脚本を書き綴っていた。

「一度自分でも映画を撮ってみたいんだ」

彼はその頃、口癖のようにそう呟き、家に帰っても脚本を書く日々が続いていた。

いつしか彼と心の距離も離れていってしまった。

 

連日、忙しい毎日をよそに家に帰ってくる日も減ったのだ。

彼女は女の直感で、彼には別の女がいることを感づいていた。

感づいていたが、彼には打ち明けないでいた。

 

真剣に夢を追いかける彼の姿を見ていると、どうしても言えなかったのだ。

 

そして、彼は別の女のところに消えていった。

友人たちは、「なんてひどい酷い人なの」と罵ったが、彼女の裸を真剣にデッサンする彼の姿を思い浮かべていたら、彼女はどうしても悪く思うことができなかった。

 

自分の夢を追いかけて下さい。

そう心のそこで思ったのだ。

 

 

離婚の慰謝料もほとんど取らなかった。

アメリカでは離婚する際、年収の半分を慰謝料として請求できるが、ただでさえ金に困っていた彼の姿を見ていると、そんな慰謝料を請求することなどできなかったのだ。

 

時が経ち、彼女は名前が売れていく彼の姿をいつも追いかけていた。

30歳手前でほぼ自主予算で作ったSF映画が世界的に大ヒットし、いつしか彼は時の人となっていたのだ。

彼が新作映画を作るたびに、彼女は映画館に駆け込んでいた。

 

そして二人が分かれて15年後、彼女の元に一通の手紙が届く。

 

その文面を見た瞬間、彼女は涙が溢れ帰ってきた。

やはり、あの人のこと今でも好きだ。

 

自分の夢を追いかけ、いつしか夢を実現していった彼の姿が15年経った今でも忘れられなかったのだ。

彼女は手紙を持って、彼が作った長編映画をみることにした。

多くの批評家があまりにも制作費がかかりすぎているため、酷評されていた。

しかし、映画が封切りされると批評家の批判の声も消えていっていた。

 

あまりにも映画が完璧すぎるからだ。

彼の全ての財産を注ぎ込んで作られたその映画を見ているうちに彼との思い出が脳裏に浮かんできた。

 

とあるシーンで思わず、声を上げるほど泣いてしまったのだ。

 

 

裸になってデッサンされているのは、昔の私じゃない……

 

絵描きを目指す貧しい青年は、彼の分身そのものだったのだ。

 

 

 

******

 

映画「タイタニック」を撮ったジェームズ・キャメロンは一番初めの奧さんに向けて、この300億円をかけた映画を作ったのかもしれない。

自分の夢を追いかけることを理由に彼女を切り捨てた過去を今でも悔いているような気がするのだ。

 

彼が作り上げた「ターミネーター」のヒロインのサラ・コナーもウェイトレスで、どこかに最初の奧さんの面影を感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの地獄に満ちた就活の日々から、私はバズる記事の書き方を学んでいたのかもしれない

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「テレビ局を選んだ理由? う〜と金だよ」

 

私はずっこけてしまった。

民放キー局に内定した人もこんな入社理由だったのか……

 

「え? もっと大人な感じで喋った方が良かった。まあ、キー局を選んだ理由は給料がいいからだよ。面接ではもちろんそんなこと言えないけどね」

 

とある民放キー局に内定した大学の先輩は、私が会った時、すでに入社3年目だった。

ADからDに降格し、毎日夜のニュースの素材を集めるために走り回っている。

 

私はその時、就活というものをしていた。

遊びまわっていた大学時代も終盤を迎え、周囲の波に飲み込まれるかのように就活というものをしてみることにしたのだ。

私が受けていたのは、基本的にマスコミ関連だった。

広告代理店やテレビ局を受けまくり、ちょっとクリエイティブな仕事に就きたいと思っていたのだ。

 

面接をやるたびに私は違和感を感じていた。

なんで受かる人と受からない人がいるのか?

 

同じ大学を出ていても、内定を取りまくる人と内定を取れない人でくっきりと差が出てくるのだ。

面接で見抜かれるのは人柄か?

個性か? 喋り方なのか?

 

数分間、面接官と喋っただけで、年収1000万を超えてくる人と年収300万の人とが振り分けられてくるのだ。

もちろん学歴フィルターは存在する。

存在するが……企業側は学歴以上に人柄を重視したいとかいうことを言って、学生を集めまくる。

 

 

なんだかよくわからないゲームと化している日本の就活というゲームに、

私はその時、翻弄されていた。

 

どうすれば受かるのか?

私はもちろんのこと、内定が取れない方の学生だったのだ。

 

エントリーシートや面接のコツはOB訪問して、聞くのがいいと思いますよ」

大学のキャリアセンターの人にこう言われ、私は憧れの民放キー局の人に声をかけてみることにした。キャリアセンターに登録されてある昔のメールアドレス当てに、メッセージを送り、OB訪問をさせてくださいという趣旨を伝えていったのだ。

 

返信がくる人もいれば、こない人もいた。

数週間後、とある民法キー局内定者から連絡が来た。

 

「金曜日の夜なら時間取れるよ」

私は意気揚々としていた。

憧れの民法キー局内定者だ。

倍率1000倍を超えるテレビ局就活の最前線で戦い、見事栄光を勝ち取った人物だ。

きっと、人間的にも一枚上で、人格も磨かれた人なのだろうと思っていた。

 

しかし……

 

「テレビ局を受けた理由は給料がいいからだよ。仕事のやりがいは金かな」

 

私が仕事のやりがいを聞いて、こんな返答が来た時は驚いた。

そんな理由で倍率1000倍のテレビ局就活で勝ち上がったのか……

話を聞いたところ、その方は就活の時に、徹底的に面接官に惹かれる喋り方やワードを研究し、就活がはじまる一年も前から準備を始めていたという。

 

何が何でも就活で勝ち上がってやる。

そのために徹底的にOB訪問し、エントリーシートを分析して、面接を極めていったらしいのだ。

 

私は面接で勝ち上がっていくのは、人格がすぐれている人だと思っていた。

しかし、実際の内定者に会ってみると、全員がそんなことはなく、ただ単に、

人にどう伝えるか? ということが上手い人が多かった気がする。

 

「人格なんて関係ない。目の前の面接官にどれほど好かれるかが勝負の分かれ目だ。そのために俺は徹底的に就活というものを分析したんだ。適当に周囲に流されるがままに面接を受けていたら、あっという間に就活は終わってしまうよ」

 

私は、そんなことを言われてしまった。

人格とかは関係ないんだ。目の前の面接官にどれほど好かれるかだ問題なのか……

 

 

私はその日から、徹底的に就活というものを考えるようになった。

無料の面接セミナーにも通い始めた。

 

どうすれば、面接官に好かれる喋り方を手に入れられるかを自分なりに分析していったのだ。

私はもともと喋るのが大の苦手だった。

人前に立つと上がってしまう性格があり、飲み会なども苦手だった。

 

就活のグループ面接などで無双している人は、たいてい合コンなどに行きまくっていた

人が多かった。

興味のある異性にどう惹かれるかというものを考え続けてきた人は、やはり就活でも無双している。

 

私はどうも人前に立つのが苦手な性格があり、この面接というものが大の苦手だった。

どうすればいいんだ……

 

途方に暮れていた時、どこだか忘れてしまったが、とある本を紹介するウェブページを見かけた。

 

「テレビ局就活の極意 パンチラ見せれば通るわよっ!」

私はタイトルを見た瞬間、ぶっ飛んでしまった。

なんだこのタイトルは。

 

その本はもう絶版されてしまい、本屋では手に入らなくなってしまったが、長年、マスコミ就活の最前線で戦う就活生を分析し、内定が出る人と出ない人が醸し出す空気というものを研究し、考え抜かれた究極の就活対策本だという。

 

多くのマスコミ内定者がこの本に書かれてあることを実践してきたのだ。

 

 

私は衝撃的なタイトルに惹かれてしまい、その本をアマゾンで購入し、読んでみることにしてみた。

「私見た目以上にエッチです」

そう自己PRした民放キー局アナウンサーの話や、NHKを受けるのに

「受信料は払っていません」と豪語した人など、普段では聞けることのないマスコミ就活最前線の逸話が盛りだくさんだった。

 

なんだこの本……

めちゃくちゃ面白いじゃないか!

 

私は夢中になりながら「パンチラ見せれば通るわよっ!」

通称「パンチラ」を読んでいった。

 

 

確かにな。

受かる人はこれを実践しているよな。

 

あまりにも面白いので、私はその著者の続編ともいうべき就活対策本も読んでいくことにした。

そこには内定が出る人と出ない人との決定的な差が書かれてあった。

なるほどな……

そりゃ、そうだな。

私はその本に書かれてあったことを見て、妙に納得してしまった。

恋愛においてもここが大きな境目だよな。

受かる人と落ちる人の差はここか……

 

 

私は結局、その境目を乗り越えることができず、就活では惨敗してしまった。

その本に書かれてあったことは理解できたが、実践の場では活かしきれなかったのだ。

就活ではうまくいかなかったが、こうして文章を書くようになってから、その本に書かれてあったことが身に染みてわかるようになった。

 

「2017年は毎日、何かしらの文章を書く!」

そう去年の大晦日に宣言してから、私はとにかく毎日書こうと思い、こうして書き続けてきたのだが、何度か妙にバズった記事があったのだ。

(バズったと言っても大したことない数字だが)

 

自分の身近にいるハイパーなバズを起こすライターさんの文章も読んでみて、やはりバズを起こすような文章にはあるものが滲み出てきているような気がするのだ。

 

文章に込められたその人の人間性や人柄も要因の一つかもしれない。

しかし、自分と違ってバズを連発できるような人はあるものを獲得しているケースが多いのだ。

それは就活で内定を獲得できる人と出来ない人との決定的な差と同じだ。

 

バズを起こせるライターさんは何を持っているのか……

 

それは「余裕」だと思う。

 

 

どこか心のそこで余裕がある人は、人を惹きつけるのだ。

就活の場においても内定を獲得できる人は、心の底では、「余裕」を持っている。

 

「もう一社内定出ているから、この会社に受からなくても別にいいや。

ま、内定くれたらありがたいけどね」

そんな余裕を醸し出している人はどこか人を惹きつけ、面接官から好かれる傾向があるのだ。

逆に一個も内定を獲得できない就活生の共通点は、「余裕」のなさが面接で滲み出ているらしい。

 

「この会社が受からなければ、もう次がない……何が何でも受からなきゃ!」

そんな焦りからくる緊張で、面接では空回りしてしまい、やる気は伝わっても、面接官から引かれてしまうのだ。

 

恋愛でも同じだ。

恋愛上手でいつも異性が周りにいるような人は、どこか心のそこで「余裕」を持っている。

「別にあなたじゃなくても大丈夫だけどね」

そんな心に「余裕」がある人は、異性をなおさら惹きつけるのだ。

 

 

バズを起こせるライターさんが持っているものは何なのか?

大量のバズも起こせない自分が言うのも恐縮だが、やはり心のそこで「余裕」を持って書いている人はバズを起こせる可能性が高いのだと思う。

 

「余裕」がある文章は人を惹きつけるのだ。

 

就活でも恋愛でもライティングでも、「余裕」というものがキーワードな気がする。

私は結局、就活の時にその「余裕」というものを手に入れることができず、惨敗してしまった。

自分ならもっと上の会社に受かる。

自分はクリエイティブなものを持っている。

 

そんな自意識過剰とも言える意識が邪魔をして、「余裕」がないまま面接を受け……

どこにも内定を獲得することができなかった。

 

 

何で自分はどこにも受からないのか……

面接で落ち続けると自分は社会から必要とされていない存在のように思えてきて、何だか苦しくなってくるものだ。

 

就活と言ったら、私にとって地獄でしかなかった。

 

しかし、今思うとあの地獄に満ちた就活の日々も無駄ではなかったのではと思うことがある。

 

就活の時に、どうすれば人に伝わるのか?

どうしたら目の前の人を楽しませることができるのか? 

を必死に考えたから、こうして毎日何かしらの文章を書けるようになったのかもしれない。

 

才能がない私は多くの人を惹きつける文章を書けるわけではない。

ハイパーなバズを起こせるわけでもない。

 

しかし、就活で学んだことも活かしながら、これからも書き続けるしかないのかもしれない。

書けば見えてくるものがある。

 

その言葉を信じて。

 

 

 

 

 

 

 

「ちゅらさん」の脚本に憧れて……

 

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19歳の終わり、私は大学受験を終え、数少ないギャップイヤーの期間を持て余していた。

ギャップイヤーというのは、高校から大学、大学から就職するまでに空いた期間のことだ。

大学入試は遅くとも2月の後半には終わるので、4月の始業式までの約一ヶ月間、空いた時間ができるのだ。

大学受験戦争を終えた多くの受験生たちは、そのギャップイヤーを利用し、海外旅行に出たり、運転免許を取りに行ったりして過ごしている。

 

今思うと、ギャップイヤーはとても貴重な時間だったと思う。

 

私は一浪して、なんとか無事大学受験を終えることができた。

入学するまでの約一ヶ月間、私は何をやっていたのかというと、教習所に通うのでもなく、海外旅行に出るのでもなく、ひたすら国会図書館にこもって、朝ドラの脚本を読んでいたのだ。

 

朝ドラというのは、ご存知の通り、約半年間、毎朝放送されているテレビドラマだ。

あまちゃん」「とと姉ちゃん」などがそれだ。

 

毎朝放送され、国民のほとんどがヒロインの成長を見守りながら、約半年間楽しめるようになっている。

 

毎朝15分が週に6回。

一週間で90分ドラマ。それが半年間続くのである。

製作陣はとてつもなく大変だと思う。

毎朝15分と思えば、短く感じるが、毎週90分ドラマが約半年間続くと思うと、過酷さがわかると思う。

 

私は大学に入学するギャップイヤーの時、なぜかその朝ドラの脚本をむしり取るようにして読んでいたのだ。

国会図書館に行き、ぶらぶらしていると、なぜか朝ドラの名作と言われている

ちゅらさん」が目に止まり、それを毎週4回は国会図書館に通って読んでいたのである。

 

朝ドラの脚本となると、とんでもなく分厚い本になる。

親指ほどの脚本が6冊分あったと思う。

その分厚い「ちゅらさん」の脚本を約一ヶ月かけて読んでいたのだ。

 

毎週、国会図書館に通っていると、真剣な顔つきで朝ドラの脚本を読んでいた私を見て、図書館のスタッフさんも困惑した表情をしていた。

 

昔から映画は好きだったが、脚本というものを見るのはその時が初めてだった。

昔から作文などを書くのが苦手で、映画を撮ってみたいという思いは昔からあったが、「自分には脚本はかけない」という潜在意識がどこかにあったのだと思う。

 

しかし、実物の脚本を読んでいるうちにその考えが変わってきた。

こんな面白い脚本を書いてみたい!

こんなに人の心に突き刺さる脚本を書きたい!

 

そんなことを思うようになったのだ。

ちゅらさん」の脚本を担当したのは、岡田恵和という売れっ子脚本家の方だ。

昔で行ったら「イグアナの娘」「南くんの恋人」などを担当した脚本家である。

 

ちゅらさん」の脚本を読んでいくうちに、文章からにじみ出る独特のリズム感。

セリフの間にある微妙な間「……」まで、書かれた脚本に私は夢中になってしまったのだ。

 

岡田さんの人柄が脚本にも滲み出ているのだろう。

役者さんが台詞を言いやすいように、一つ一つの台詞が愛情を持って書かれているのだ。

 

私はその「ちゅらさん」の脚本を読んだ後、実際にテレビドラマシリーズをレンタルで借りて、見てみることにした。

 

岡田恵和さんが書かれた文章がそのまま映像となって現れてくるのだ。

独特の台詞まわしも全て、きちんと役者さんに表現してもらっているのだ。

 

私はその時、驚いてしまった。

脚本家の仕事ってこんな風なんだ。

 

自分の頭の中に持っているイメージを、脚本という形にして、現場の人が映像にしていく。

私はものづくりの面白さをとても感じ取った。

 

 

 

私は大学に入ると同時に、猛烈に映画が撮りたくなって、ひたすら図書館にこもり脚本を書く日々を過ごしていた。

 

脚本術の本を読み漁り、実際にアウトプットするために、パソコンを使ってひたすら書いていったのだ。

これまで文章などを書くことはなかったが、自分で作り上げた脚本を、友人を集めて、一本の映画に仕上げていく作業はとても楽しかった。

 

自分の中にあったイメージが、目の前の役者さんを通じて形にされていくのだ。

多くの人と関わりながら一つの映画を作っていくのはとても刺激的だったのだ。

 

 

次はどんなものを描こう?

どんなストーリーを作ろう?

そんなことを毎日考えながら大学時代は過ごしていた。

 

しかし、一つだけずっと苦手意識を抱くことがあった。

それは、自分は他人を全く描けないということだ。

 

実際に小説でも脚本でも、ものを書いてみるとよくあることなのかもしれないが、私はとにかく他人を描くことが苦手だったのだ。

 

他人を主人公にしても、どうしても自分の考え方が入ってきてしまう。

主人公を同性の男にすると、セリフまわしから考え方まで自分とそっくりになってくるのだ。

 

脚本段階ならまだしも、それを実際に映像にしてくると、自分の脚本の下手くそさが手に取るようにしてわかった。

 

70分間の映画を作ろうとしても、全く物語が進まず、退屈な時間だけが生まれてしまうのだ。

どうすれば主人公たちが物語上で前進し、見ている人も飽きない脚本が書けるのだろうか?

そんなことをずっと思い悩んでいた。

 

書いては撮って、書いては撮ってを繰り返しているうちに、いつしか就職活動の時期がきてしまう。

私は結局、自分には才能がないと思い、いつしか会社員になるという選択をしてしまった。

 

書いては撮って、書いては撮ってを繰り返し、映画祭に応募してみたが、どこにも通らなかった。

自分でもダメな部分はわかっているつもりだが、とにかく他人を書くのが苦手なのだ。

 

脚本家となると赤の他人である役者さんが喋るであろう台詞を書くのがメインの仕事になる。

小説は主人公たちの考えや状況描写を細かく書けるが、脚本となると人のセリフまわしがメインになってくる。

 

元来、人嫌いな私が、他人を描くことなんてできないと思ってしまったのだ。

結局、私は脚本を書き、映画監督になるという夢を諦めてしまう。

 

社会に出て、いろんな挫折を味わい、会社員を続けながらも、こうして毎日何かしらの文章を書いているということは、私はとにかく書くということが好きなのかもしれない。

 

書くのは好きだが、どうしても他人を描くフィクションとなると昔の思い出がよみがえり、躊躇してしまう自分がいるのだ。

 

自分には才能がない。

フィクションは書けない。

そう思っていた。

 

しかし、ずっと心の中であの高校から大学までのギャップイヤーの時に読んだ「ちゅらさん」のような脚本を書けるようになりたいという思いがあった。

 

 

そんな時、家の本棚にあったとある漫画の表紙が目に入った。

なぜか8年以上家の本棚に置いてある漫画だ。

 

落ちこぼれの高校生たちが東大合格を目指す大ヒットした漫画だ。

私はもちろん、東大などに入る学力もなくセンター試験の段階で見事弾かれたが、なぜかこの漫画は面白く受験勉強の合間に読んでいたのだ。

 

私は数年ぶりに見かけたその漫画の表紙を見て、なぜか心うたれてしまった。

受験当時は全く感じもしなかったところにピンと反応してしまったのだ。

 

そこにはこう書かれてあった。

「当たり前のことを当たり前にできるようになる。そうなるだけでも、相当な努力が必要だと思え!」

 

他人を描けず、脚本を書くのを諦めてしまった私は、ただ単に努力が足りなかっただけなのかもしれない。

 

自分を描くよりも他人を描く方が苦手なことはわかっている。

しかし、人の心に突き刺さるように脚本を書いてみたい。

それを映像にしてみたいという思いがずっとあった。

 

尊敬してやまない、とあるライターさんは、若い時は小説家を目指して、毎日1万6千字を書いていたという。原稿用紙40枚分だ。

半端ない量だ。

誰が読むわけでもなく、ただひたすらに自分の夢に向かって書き続けたという。

そこまでしても、夢が叶うかどうかもわからない世界だ。

 

「当たり前のことを当たり前にできる。そうなるだけでも相当な努力が必要」

呼吸するかのようにす〜とフィクションを書けるようになるにも、それ相応の努力が必要なのだろう。

私は大の人間嫌いということもあり、「他人が描けない」という自己嫌悪から、書くことをやめてしまったが、ただ単に努力が足りてなかっただけなのだ。

 

毎日、書いて、フィクションもしっかりと書けるようになりたい。

そうするにはとにかく量を書くしかないのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも人と見比べてばかりいた私が、とあるテレビディレクターから学んだこと

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「あいつは自分より下だ」

そんな醜い感情を私は抱いていた。

自分は勉強ができる人間だ。もっと上に行かなきゃ。

 

私は中学三年生の時、とある高校受験対策の塾に通っていた。

それまで全くと言って勉強してこなかった私だが、塾の体験授業に出席した際、

「勉強できるうちに勉強しておけ。知らないということは恥なんだ!」

 

塾の講師にそう言われ、

知らないということは恥なのか……と衝撃を受けたのを覚えている。

全く勉強してこなかった上、いつもテレビを見て、ぐ〜たら過ごしてきた私だったが、その一言がきっかけで勉強をするようになった。

 

漢字を知らなくても、授業中に笑われることがあった。

自分はバカなんだから仕方ない。

そうやっていつも諦めている自分がいた。

 

しかし、知らないということは恥なのだ。

漢字や英単語一つとっても、きちんと知っておかなきゃならないんだ。

そう思い、その次の日から私は必死に勉強をするようになった。

 

毎日、塾にこもり、人の倍の英単語を書いていくうちに、少しずつだが成績は伸びていった。本当にちょっとずつだ。

それでも私には随分な進歩だった。

これまでペンすら持ったことのない人間だ。

少しずつ物事を知るということの楽しさに気づき始めたのだ。

 

勉強をしていくうちにとある醜い感情が自分の中に現れていることに気がついた。

学校のクラスにいると、思いたくなくてもどうしても考えてしまう感情があったのだ。

 

それは、自分はこいつらより勉強ができるという優越感だった。

 

どうやら私のやる気は周囲の環境に相当影響されるらしいのだ。

周囲に自分より劣っているとやる気になり、自分より上の人間がいると劣等感を感じ、やる気を失ってしまうのだ。

 

私は自分より偏差値の低い人を見て、こいつよりも自分の方が上だという優越感に浸り、なおさら勉強に力を入れるようになっていた。

 

結局、私は都内でも有数の進学校に合格することになる。

全くのノー勉から、よく1年間で偏差値70までもっていけたなと今でも思う。

しかし、その当時の私を突き動かしていたのは、周囲と見比べて上に立てているという優越感だった。

 

 

いつも人と見比べて、自分の立ち位置を確認する癖があった私は、進学校に行くとどうなったのか?

 

落ちこぼれたのだ。

進学校となると周囲には宇宙人レベルに勉強ができる人がゴロゴロいた。

そんな宇宙人クラスに勉強できる人たちは、小学校の頃から英才教育を受け、きちんと教育をされてきた人たちが多かった。

多分、親御さんも東大やら一橋出身の人が多いのだろう。

 

私はというと、たった1年間のがむしゃらな努力の末、なんとか新学校に滑り込めた身分だ。

授業のレベルに全く追いつけなくなった。

 

いくらテスト対策に勉強しても、平均点以下の点数しか取れないのだ。

いつしか私は勉強をサボるようになってしまった。

 

働きアリの法則ってこういうことなのか。

自分でも驚いた。

人間の社会には働きアリの法則というものがあるという。

どんな集団でも7割のアリはしっかりと働き、3割のアリは怠けるようになるのだ。

これは東大生の集団でも言えることらしい。

東大のようにトップクラスに頭がいい人たちが集まっても、その中で劣等感を感じる人も増えていき、怠ける人が現れるのだ。

 

 

まさか自分が高校時代にこの働きアリの法則に引っかかるとは思わなかった。

完全に周囲の人たちの実力と見比べて、劣っている自分を感じ、やる気を出すことができなった。

 

私は周囲に自分が上に立てたときに、その高揚感からやる気を出すという性格らしい。自分より下の人間がいるとやる気になるのだ。

なんて醜い性格なのだろうと思う。

 

大学に行ってもそんな醜い感情が私を支配していた。

その時、自主映画サークルに所属していたのだが、大学のサークルなど、ほぼ飲み会をするための母集団みたいなところがある。

私は程よいくらいに映画を撮るやる気のある集団に入り、自分より授業をサボって、くっちゃべっている人たちを見て、

「俺はこいつらとは違う。もっと上に行くんだ」

そんな醜い感情を抱いていた。

自主映画を撮りまくって、あたかも一介の映画人になったつもりになっていたのだ。

 

周囲が就活で染まっているうちに、いつも飲み歩いていた人たちもいつしかリクルートスーツを着るようになっていた。

 

どこかのクリエイティブな人間は、自分の凄さに気づいてくれる。

そんな根拠もない自信に満ち溢れ、大手企業ばかり受けていた。

 

「君は人と違う何かを持っている。人と違った面白い感覚がある」

そんなことを誰かが言ってくれるのを待っていたのだ。

 

そんな自意識過剰な人間を雇おうとしてくれる会社はどこにもなかった。

次々と周囲が内定を獲得していく中、私は内定ゼロだった。

 

なんとかとある制作会社に内定をいただけた。

そこで働けるようになったが、ずっと心にモヤモヤを抱えていた。

 

このままでいいのだろうか?

よく考えれば、いつも私を突き動かしていたのは、周囲と見比べて自分が優勢に立てているという優越感だった。

 

就活の時も、周囲の人と見比べて、ただ単に会社名を自慢したいがために大手企業ばかりを受けていた。

ただ、大学の同期の人に「俺、〇〇っているテレビ局受かったんだよ」と自慢したかったのだ。

 

自分を突き動かしていた、醜い感情……

それがある時、限界がきた。

 

私は結局、内定が出た制作会社に働くようになるのだが、そこはとにかくハードワークだった。

テレビ制作というと、ブラックなイメージが強いと思うが、本当に苛酷な環境だった。

毎朝4時まで続く作業……

月一度も休めなかった。

苛酷な仕事だったが、上司のディレクターたちの深夜の会話についていき、なんだかんだ毎晩楽しく仕事していたと思う。

 

毎朝、寝不足で会社に通い、フラフラだったが、なんとか会社に辿りついていた。

しかし、私の精神は限界に来ていた。

苛酷なハードワークもその原因だったが、それ以上に私の心にダメージを与えていたのは、同期の存在だった。

 

私が入った制作会社は、新入社員を何個かのチームに分けて、育てていくという方式だったが、私と偶然同じチームに配属された人が、ま〜とにかく仕事ができる人だった。

 

資料をまとめるのも早い。

ロケの段取りを決めるのも早い。

トップクラスに仕事ができる人だったのだ。

それに加えて、いつもニコニコしていて、先輩ディレクターに愛された存在だった。

 

私はというと何をやっても仕事ができなかった。

電話の取り次ぎ一つ、全くできないのだ。

いつも暗そうにしていて、どう考えても人が寄ってきそうにない。

 

次第に会社内でも私とその同期の人とで見比べられるようになってきた。

仕事が回ってくる量も片方に集中してくるのだ。

 

私はその同期と比べて、全く仕事ができない自分に嫌気がさし、会社内でも、なるべく仕事が回ってこないようなポジションを探し歩いていたと思う。

 

仕事をサボっては深夜に上司の怒られる。

そんな毎日が続いていた。

 

自分なんか必要ないじゃん。

同期の人が全部回せるんだから、仕事はそいつだけに任せればいいじゃん。

そう思っては精神的に病んで、おかしくなってきたのだ。

 

毎晩、4時頃まで続く作業に私はノイローゼ状態になってきてしまい、同期と比べて仕事が全くできない自分にも嫌気がさしてきた。

そして、私は結局、会社を辞めることにした。

上司に辞めると言った覚えがないほど、精神的におかしくなっていたのだ。

 

最後の一週間はずっとノイローゼ状態だった。

早くこの環境から抜け出したい。

そんな思いがずっとあった。

最後の日の直前、私はとある上司に呼び出された。

 

また怒られるのかな? と思っていたら、

「お前、兄妹何人いる?」

など、なぜか私に関する話題ばかりフレられた。

 

その上司のディレクターはその道30年以上のベテランディレクターだ。

とある朝の情報番組でチーフディレクターをやっていたほどの大ベテランだ。

日本の朝のニュースはその人が支えていたのではないか? というほどの凄い人だった。

 

テレビの優秀なディレクターは、私の個人的な感想だが、とにかく人の心を見抜くのがうまいのだ。

長年、取材をしてきた感で、この人はこういう環境で生まれ育ち、こういう性格になったんだなとある程度、見抜けるらしいのだ。

 

 

私が会社を辞める最後の週に、そのディレクターと雑談しているうちに、どうやらその人は私の根本的な性格の問題を見抜いていったらしい。

 

 

「お前、いつも人と見比べているな」

私はそう言われてドキッとした。

 

「優秀な妹と比べられ、いつも家でも劣等感を抱えてきてたな」

ずっと、自分が心の中で抱えていた感情を言い当てられたのだ。

 

私は呆然としながら先輩ディレクターの言葉を一つ一つ聞いていた。

「お前が今回失敗したのは、仕事がつらかったからじゃない。人と見比べすぎたからだ。優秀な同期と見比べられて、いつも辛かっただろう。ずっと人と見比べながら生きてきたんだろう、お前!」

 

そんなことを言い当てられたのだ。

 

確かにその通りだ。

私はいつも他人と見比べながら生きてきた。

自分より劣っている人を見かけると優越感に浸り、自分より優秀な人を見かけるとやる気を失ってきていた。

いつもいつも他人と見比べて、優越感に浸れる場所を探し歩いていたのだ。

自分より上の人間がいると、いつも逃げてばかりだった。

そんな卑怯で醜い感情を持った自分が嫌で仕方がなかった。

 

「他人と見比べるな。一番大切なものは自分自信だ。自分をもっと大切にしろ!」

そう上司に投げかけられた。

私はその言葉を聞いて、泣きそうになってしまった。

 

お前が今回失敗したのは、他人と見比べすぎたからだ……

確かにその通りだった。

仕事が辛いということを言い訳にして、根本的な自分の問題から逃げていたのだ。

私は会社を辞めるという選択肢をした自分を後ろめたく思った。

 

結局、私は会社を辞めてしまったが、上司のディレクターから言われたこの言葉が今でも頭にこびりついている。

 

ノイローゼになりながらも、なんとか転職活動をし、とある本屋さんとの出会いでライティングの魅力にも気づけた。

なんとかこうして頑張れているのも、その上司から言われた言葉が胸にあるからだと思う。

 

こうして毎日書いているのだが、正直、こんな毎朝書いて、何の意味があるのだと思う時がある。

ライティングは楽しい……

だけど、自分より面白い記事を書く人なんて何人もいる。

必死に書いていく中で、面白い記事を連発され、作家デビューをした人も知っている。

そんな人たちを見ていると、自分が毎日書いている意味なんてないんじゃないかとも思えてくる。

 

自分には才能がない。

そんなことはわかっている。

 

それでも私は毎日書き続けている。

 

「他人と見比べるな。大切なことは自分自身だ」

最近、よく上司から言われた言葉を思い出す。

 

他人と見比べるのではなく、自分自身と戦うこと。

それが一番、大切な気がするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校一の落ちこぼれだった少年が、世界一の映画監督になれた理由

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昔、アメリカのオハイオ州に一人の小柄な少年がいた。

子供の頃から身長が低く、いつもクラスの隅っこにいるような生徒だったという。

彼はよくいじめっ子の標的にされていた。

 

「お前の家変わってんな!」

「ここはお前の来る場所じゃない」

自分のロッカーに置いていた教科書にいたずら書きをされることなど日常茶判事だった。

 

彼の家は厳格なユダヤ教徒の家だ。

物心ついた時から薄々気がついていたが、自分の家は少し他と違うということに彼はいつも頭を悩まされていた。

「なんでうちだけ、クリスマスを祝わないの?」

彼は一度、母親にそう尋ねたこともあった。

 

学校のクラスメイトはみんな、クリスマスが来るのを心待ちにしていた。

しかし、厳格なユダヤ教徒であった両親は、決してクリスマスを華やかにお祝いするようなことはしなかった。

 

 

ユダヤ教徒ということもあり、近所から浮いた存在で、彼は学校ではいつもいじめられてばかりいた。

 

それに彼は全く勉強ができない子供だった。

文字の読み書きができないのだ。

 

本を読むにも普通の人の倍の時間がかかってしまい、学校の先生が言っていることを理解することができなかったのだ。

テストのたびにいつも彼は落ち込んでいた。

自分は何をやってもダメなんだ。

 

今ならディスレクシアという学習障害が知られるようになっているが、その当時はそんな障害のことは誰にも知られていなかった。

 

ただ単に勉強ができない生徒としか思われなかったのだ。

文字の読み書きができないため勉強もできず、ユダヤ人というだけでクラスではいじめられ、彼には居場所がなかった。

 

彼が唯一心を許せたのは映画館だった。

父親に連れられてみた「地上最大のショー」を見て、衝撃が走り、毎週のように映画館に通っていた。

映画を見ているうちに自分でも映画を作りたくなってきた。

 

「ね? 8ミリカメラを買ってくれない」

父親に何度もねだり、ようやく13歳の時、彼は8ミリカメラを手に入れる。

そこから毎週のように撮影の日々が始まった。

父親を連れて飛行場で戦争映画を作ってみたりした。

 

銃で撃たれるシーンは、地面に隠していある、まな板を踏むことで土ほこりを立たせ、スナイパーに打たれてるように見せかけたりと、子供ながらに奇想天外な発想で映画作りを楽しんでいた。

 

空から未知の円盤がやってきて、宇宙人と交流する映画も作ってみた。

 

その短編として作られた映画を、街の市民会館で上映してみたりもしてみた。

チケットは3ドルほどだ。

利益はほとんどなかったが、13歳の段階で彼はもう商業映画を作っていたのだ。

 

映画作りにのめり込む彼だったが、とある転機を迎える。

両親が離婚してしまったのだ。

父親に連れられ、毎週のように一緒に撮影した日々……

そんな日々がもろくも崩れてしまったのだ。

 

母親との口論が絶えなくなり、彼は幼い妹を抱えて、耳をふさぎながらじっと耐えていた。

結局、両親は離婚することになり、父親は家を出て行くことになる。

あの優しかった父親が家を出て行ってしまったことは相当ショックだったらしい。

 

両親の離婚というものが彼の心に長年深い傷を作ることになる。

父親が出て行き、彼はオハイオからアリゾナへと引っ越すことになった。

 

学校の授業にもついていけず、両親は離婚してしまい、どん底の時期を過ごしていた彼にとって、もはや生きる意味なんてなかった。

毎日、暗い表情で通学する毎日だ。

 

そんな時、母親の勧めでユニバーサルのスタジオツアーに参加することになった。

広大な撮影所を回る、スタジオツアーだ。

彼はスクリーンの中で見ては憧れていた夢の工場に興奮していた。

 

あまりにも興奮してスタジオを走り回るので、ツアーをほっぽり出して、一人でスタジオ内をウロウロしてしまった。

 

「こら、何やってんだ!」

警備員の一人に怒られてしまう。

 

彼は自分は映画が好きで、スタジオツアーだけじゃ物足りない。

もっと映画のことを知りたいという趣旨を警備員に伝えた。

 

すると、「それならこれをあげるよ」

と通行証をくれた。

 

彼は大はしゃぎだった。

スタジオツアーを抜け出し、その通行証を使って、3日間も出入りしているうちに、スタジオ内の人と顔見知りになり、いつしか顔パスで中に入れるようになっていた。

 

「あの小僧何やってんだ?」

スタジオのスタッフ内で彼はそこそこ知られた存在になった。

彼は顔パスで撮影所内に入ると同時にありとあらゆる映画監督の撮影現場を見学することになる。

ヒッチコックの撮影現場も見た。

ジョン・フォードの撮影現場を見た。

 

家にも学校にも居場所がなかった彼にとって、ユニバーサルの撮影現場はまるで夢のような場所だったのだ。

いつしか、彼は撮影所に居ついてしまい、空いている倉庫を使って、勝手に自分のオフィスを作ってしまった。

 

そこで自分に出資してくれる人を探しては、自主的に映画を作ったりしていた。

 

スタジオに潜り込むようになってから数年後、彼の映画がとあるプロデューサーの目にとまることになる。

 

「この自主映画を作った人間は誰だ?」

そんなことがささやかれ、倉庫に居候していた小柄なユダヤ系の青年に注目が集まったのだ。

彼はもう大学生になっていた。

勉強ができなかったため、上位の大学には入れなかったものの、毎日のように映画を作っては、映画のことばかり考えている日々を過ごしていた。

 

彼の家に電話がかかってきて、ユニバーサルの重役にこう言われた。

「うちで働いてみないか?」

彼は有頂天だった。

夢にまで見た映画作りの現場だ。

しかし、彼は思い悩んでいた。

大学生も後半になり、目の前に就職が控えていたのだ。

 

「大学を卒業するまで待ってくれないか?」

彼は素直にその重役に伝えた。

 

すると……

「君は何になりたいんだね? 映画監督になりたいんじゃないのか」

そう言われてしまう。

結局、彼は大学を辞め、映画の世界に飛び込むことにした。

 

その時は、大学を辞めてしまうことは怖かった。

しかし、数年後、それが最良の判断だったと思うことになる。

 

21歳の最年少の監督である。

撮影現場ではめちゃくちゃいじめられていた。

「カメラ好きな変なガキ」という評判が立ち、ドラマの現場では、自分より年上のスタッフは言うことを聞いてくれなかった。

 

彼のストレスは限界に来ていた。

自分は何をやってもダメだ……

 

しかし、彼にはもう映画を作るしかなかった。

家にも居場所がなく、学校では常にいじめられていた彼にとって映画が唯一の救いだった。

彼はめげずに撮影の現場を指揮していった。

24歳の時に撮った、とあるテレビ映画がヒットし、業界では徐々に名の知れた存在にはなってきていた。

それは殺人トラックに平凡なサラリーマンが執拗に追いかけられ、命を狙われるというサスペンス映画だった。

 

スタジオ側から「10日が撮れ!」と言われ、少しオーバーしたが、12日間でこのテレビ映画を撮り終えたのだ。

 

クタクタに疲れ、自分のオフィスに帰ってきた彼は、重役の人に呼び出された。

殺人トラックを見事に演出した彼の腕を見て、とある映画の監督に抜擢されたのだ。

 

「殺人トラックを演出できたんだから、人喰いザメも描けるだろう」

重役が手に持っていた台本は「ジョーズ」というタイトルだった。

 

小柄でいつも落ちおこぼれだった少年の名前はスティーブン・スピルバーグという。

「映画が好きだ」という理由だけで、撮影所に潜り込むという大胆な行動を取った少年は、のちにユニバーサルに何100億円という利益をもたらす世界一のヒットメーカーになっていった。

 

「好きこそ物の上手なれ」とは、こういうことを言うのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月病の人こそ、銭湯に行った方がいい理由

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「またか……」

彼女は人身事故が起きた線路を前にして途方に暮れていた。

駅の改札口に着いた時から、人がホームに溢れかえり、おかしいな? とは思っていたが、やはり人身事故だったのか。

 

「各路線で振替輸送をしています。復旧は1時間後の予定です」

復旧作業に1時間もかかるとなると、事故を起こした本人は……

 

彼女はそんな想像をすると胸が痛くなった。

 

周囲を見回していると「ちっ……またかよ」と舌打ちする人。

「すいません。〇〇で人身事故があって、会社に遅れます」

スマホ片手に会社に連絡を始める人がいっぱいいた。

 

ホームとその改札周辺には約400人ぐらいの人で溢れかえっていたが、誰一人としてある人の悲しみを受け止めていない現実に彼女は毎回うんざりしていた。

 

新潟から上京してきた当時、まず驚いたのが、東京の人たちの他者への無関心さだった。電車に乗っていても誰一人として周囲と喋らず、黙々とスマホをいじっている。

事故が起こって、誰かが亡くなっても、ごく当たり前のように日常が流れていく。

 

彼女は他人に無関心なコンクリートジャングルの中、かれこれ3年は過ごしてきたが、今、目の前で広がる悲しみ一つ一つにどうしても無関心ではいられない自分がいた。

 

今、この瞬間誰かが亡くなったんだよ。

なんでみんなスマホをいじってられるの。

 

東京で毎日のように起こる悲劇に無関心を装う人にはなりたくない。

そうな思いが彼女の小さな胸の中にはあった。

 

復旧作業が終わり、ようやく電車が動き出す頃には、ホームにいた人はバスやタクシーで会社に向かっていったようで、あまり人がいなかった。

 

彼女はゆっくり電車のシートに座り、今日の仕事で送らなければいけないメールを考えていた。

まず、出社したらこのメールを送信して、部長にこれを報告して……

 

ふと、彼女は思った。

私、何しているんだっけ?

 

なんで、こんなに今日やらなきゃいけない仕事について考えているのだろう。

 

目の前には同じように人身事故に巻き込まれた関係で出社が遅れてしまったOLやサラリーマンがいた。

彼らもまたスマホをいじってメールを書いていたりしている。

出社が遅くなり、少し仕事をサボれることを嬉しがっている人もいるだろう。

朝仕事ができなくなり、残業確定になった人もいるだろう。

 

彼女はそんな人混みで溢れかえる電車内の中で、ふと全てがどうでもよくなってしまった。

私、いったい何しに東京に来たんだっけ?

 

5月になると5月病というものが流行るとは聞いていたけど、まさか私がかかるなんて。

何をしても全くやる気が起きない。

やたらと朝眠い。

そんな状態が5月になってからずっと続いていた。

東京で今の仕事を見つけて早3年が経つ。

どうしても正社員になれなかったという現実に嫌気がさしてきているのは事実だ。

しかし、少ない給料ながらもひっそりと暮らしていける分の貯金はしてある。

 

とくにやりたいこともなかった。

ただ、周囲に流されて就職し、なんとなく憧れの東京に来ただけだった。

ごく平凡な人生なのはわかっている。

それなのに、なぜか今の現状に満足できないでいる自分がいる。

 

彼女はふと、めまいがしてきた。

あっ、会社に遅れるという連絡をしていない。

 

そう思い立った瞬間、彼女はある考えを思いついた。

 

このまま、会社サボってしまおう……

 

大丈夫、3年間無欠席だから、一回ぐらい大丈夫でしょ。

 

気がついたら、彼女は会社の上司に体調が悪いので休ませていただくという連絡を済ませていた。

 

このまま家に帰ろうかな。

そう思っていたが、せっかくできた臨時の休みだ。

どこかに行こうと思い、新宿で乗り換えもせず、そのまま電車の中に乗っていった。

 

たどり着いたのは清澄白河駅という場所だった。

とくにこの地に思い入れがあるわけではない。

電車の案内板を見たときに、ふと清澄白河という地名に親しみを感じ、気がついたらホームに降り立ってしまっただけだった。

 

駅の改札口を抜け、地上に出てみると、そこには昔ながらの町が広がっていた。

あれ、この街どこかで見たことある。

彼女は記憶を探ってみた。

昔、テレビで見たことがあるのかな。

よく考えてみたら、この昔ながらの町並みの風景は彼女の生まれ故郷の新潟に似ていたのだった。

 

落ち着いた雰囲気がある町並みを歩いていくうちに、彼女は故郷に降り立った気分になっていた。都会の騒音から一時隔離されたその街を歩いていくうちに、ふと彼女の目に銭湯の看板が見えた。

それは、昭和の香りが漂う銭湯だった。

 

煙突からはもくもくと煙が漂い、営業中であることを伝えていた。

彼女はゆっくりと中に入っていった。

 

女湯の前に、スーツを着たまま銭湯に来てしまった自分がおかしくなってきた。

まさか会社に出社せず、そのまま銭湯に来るなんて。

 

いつも上司の言われた通りにきちんと働いていた彼女にとっては初めての体験だった。

 

服を脱ぎ、銭湯の中に入る。

さすがに朝の銭湯にはそれほどまで人がいなかった。

おばあちゃんから昨日始発で帰ったであろう大学生の女の子がちらほらいた。

 

湯船につかり、ゆっくりと体を伸ばす。

彼女はボ〜としながら湯船に浸かっていると、銭湯で見られる毎日の営みに思いを馳せてきた。

 

そうか、みんなここを軸にして生活しているんだ。

 

毎日、家と会社の往復でしかなかった自分の人生に、この銭湯にいる時のような空白の時間が必要なのかもしれないと、彼女はふと思った。

銭湯にいると、なぜか不思議なことに知らない人も他者とは思えない自分がいたのだ。

 

いつも自分の殻の中に閉じこもっていた自分。

会社と家との往復でしか築きあげられなかった自分の中の価値観。

そんな価値観が銭湯にいるときだけは、少しずつ崩れていく。

 

そうだ、この銭湯を基準にしてもう一度自分の生活のリズムを作っていこう。

毎日、忙しい毎日に翻弄されて、身動きが取れなくなってしまっていたんだ。

 

ゆっくりと湯船の中に浸かっていると、ふと気持ちが楽になってきた。

 

 

5月になると毎年、電車の遅れが多くなる。

そんな時、いつも彼女は悲しみに暮れていた。

多くの人と同様、無関心であればいいのに、無関心でいる自分が嫌で仕方がなかった。

 

東京は無機質で、他人を押しのけるかのように満員電車に詰め込まれていく。

他者とのつながりなんて、あるようで全くない。

 

そんな毎日に嫌気がさしたら銭湯に行こう。

もう一度、他者とのつながりを再確認でき、その空白の時間から自分の生活を組み立て直すのだ。

 

明日から、また仕事だ。

だけど、今度は頑張って仕事を乗り切れそうな気がしてきた。

 

 

 

(すべてフィクションです)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大の読書嫌いだった私が、「村上隆の五百羅漢図展」に行って読書に目覚めた理由

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「本を読みなさい!」

子供の頃、私はよく母親にそう怒られていた。

 

本を読む子は頭がいい。

ゲームをする暇があったら本を読もう。

そんな迷信が小学校には蔓延っていたと思う。

 

「みんな本を読もう」

そうどこかのお偉いさんの主張に流され、小学校では毎日、朝読書という時間が設けられていた。

本を読んで、読破したページを紙に書いて、先生に提出するのだ。

読書量が少ないと先生から注意された。

 

私はこの朝読書という時間が嫌で嫌で仕方なく、いつも適当にページ数を偽って、紙を提出していた。

子供の頃、私は全く本が読めない子供だったのだ。

文字の読み書きがどうも苦手で、文章を読んでいるとなんだか頭が痛くなってくるのだ。

それに加え、親や学校の先生から「本を読め!」と圧力がかかると……

ひねくれ者の私は「なんで言いなりになって本を読まなきゃならんのだ!」

と反抗的な態度をとり、頑として本を読もうとしなかった。

 

小学生の頃は、年に一冊本をかろうじて読むくらいだったと思う。

そんな読書嫌いだった私だが、中学生の頃になるとさすがに「本を読まなきゃまずい」と思うようになった。

それは、中学2年生にして小学生レベルの漢字が読めなかったからだ。

 

国語の時間が苦痛でしかなかった。

先生に当てられ、教科書の文を読み上げるときには、いつも隣の人に漢字を聞いて、ふりがなを書いていたものだ。

 

漢字を読み間違えると、クラスの中で失笑が起き、私は恥ずかしい思いをしていた。

 

もっと、本を読んでおけばよかった……

中学になって、私はようやく本を読んでこなかったことに後悔し始めていた。

 

 

しかし、もう時はすでに遅かった。

 

小学生の頃から読書のストックがある人は、やはり勉強もできていた。

ほぼ読書歴0年の私にはそんな読書経験がある人に勝てる余地はなかったのだ。

 

私だって過去の名作を一度は読んでみたいと思ったりしたことがある。

しかし、全く読書経験がない私にとって、そう言った古典的な名作の文章は頭に頭痛が走り、どうしても読破することができなかったのだ。

 

私はずっと読書できる人に憧れを抱いていた。

しかし、漢字や本を読むことにどうしても抵抗があり、長らく本を読むことを半ば諦めていた。

 

どうせ本を読まなくても生きていけるし。

代わりに映画をみればいいや!

そう思い、私は高校から大学の頃は、映画ばかり見まくっていた。

 

映画なら映像だけでシーンを表現してくれるので、大の読書嫌いの私でも頭の中に物語がす〜と入ってくることができた。

 

もう本を読むことはないんだろうな……

本を読まなくても生きていけるし。

心の中でそう思っていたのだと思う。

 

ずっと、読書だけはどうしても好きになれなかったのだ。

 

そんな私だったが、大学生の終わりに転機が訪れた。

 

村上隆の絵画展?」

 

私はフェイスブックに流れてきたその投稿を見て、村上隆が作り上げた絵画の世界にとても興味が湧いてきていた。

 

その世界的な芸術家の名前は知っていた。

アニメやフィギュアの世界観を海外で広め、世界的にも名前が知られている芸術家だ。

テレビでよくインタビューされているのを見たことがあった。

 

私はその頃、やたらと絵画というものに憧れていて、貧乏学生の身分にもかかわらず、六本木にあるレインブラントの絵画展や、岡本太郎の絵画展に何度か足を運んでいた。

 

村上隆の絵画展か……一度は見てみたいな。

そう思った私は六本木で開催されていた「村上隆の五百羅漢図展」に行ってみることにした。

 

入り口から驚きの連続だった。

まず、入場して目に入ったのは、これだった。

 

 

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なんだこれは……

やはり、芸術家は変な人が多いのか……

 

私は村上隆の世界観に圧倒されながらも、会場を回って行った。

そこには仏教や禅の境地が表現されている世界が広がっていた。

 

アニメや日本の仏教が合わさり、独特な世界観に圧倒されながらも私は一つ一つの作品を眺めて行った。

 

すごい……

私は世界的な芸術家村上隆の世界観に圧倒されつつ、約2時間近く、椅子に座って全長15メートル近くある五百羅漢図展を眺めていた。

 

そこには仏教とアニメ文化が合わさった世界観があった。

周囲には外国人の観光客も大勢いて、とても独特な雰囲気が醸し出されている。

 

私はその巨大な絵を描いた村上隆のエネルギーに圧倒されてしまった。

この絵を描くのに、何日間かかったのだろう?

 

 

出口付近には絵画展に向けた打ち合わせ風景や、創作秘話がまとめられたスペースがあった。

そこを見て、私は驚いてしまった。

この絵画展に提出する絵を描くのに集めた膨大な量の資料が展示されてあったのだ。

日本画の資料や、禅についての本、日本古来から伝わる神話。

 

ありとあらゆる資料や本が展示されてあったのだ。

村上隆本人は、この絵画展に向けて、スタッフとともに、日本全国から仏教日本画の資料を集め、そのインプットをもとにあの巨大な絵を描いていったらしいのだ。

 

 

一枚の絵を描くのにも、その背景にはこれだけのインプット量が必要なのか……

 

 

絵といったら、芸術家の感性や個性がにじみ出ていて、好き勝手に描いていると思っていたが、そうではなかったのだ。

村上隆ほどの世界的な芸術家となると、絵をひとつ描くのにもその背景に膨大な資料や本のインプット量があるのだ。

 

そのインプットの土壌から、あのような海外の人をも魅了する作品を作り上げていっているのだと思う。

 

画家にも読書が必要なのか。

世界的なクリエイターはみんな読書しているんだ。

 

ダークナイト」や「インセプション」で有名なクリストファー・ノーラン監督は、一つの映画を作るのに1000冊ぐらいの本を読むという。

それだけのインプット量がないと人を魅了する映画を作ることができないのだ。

 

私は村上隆の五百羅漢図展に行って、読書の大切さを身にしみて感じた。

一つの絵を描くのにも、その背景には膨大な読書とインプット量があるのだ。

 

絵画、映画、ビジネスマン……どんな道に進もうが、その分野でトップになる人は読書をしている。

給料の1割は本に費やせという教えがある通り、

年収1000万クラスの人でも、年に100万円分の本を読まないと、その年収分のパフォーマンスができていないという。

30代やら40代でその業界で頭角を現し始めるのは、みんな10代から20代で膨大な読書というインプット量をこなしてきた人たちなのだと思う。

 

やはり、どんな道に行こうが、結局読書というものが大切なのだ。

 

私は、いつか多くの人を魅了するクリエイターになりたいと思う。

そのためにも今は読書をしなければならない……

そんなことを感じながら、絵画展を後にしたのだった。