ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を見て、昔を懐かしむ人がいたら、東南アジアに飛んでみてと言いたい

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「昔は良かった……」

そんな声を私はよく聞いた。

 

「昔は飲み会の時も翌朝まで飲んだものだ。今の若い者はすぐ家に帰るからな」

「俺たちの頃はスマホなんてなかった。今はググればなんでも出てくるから若い連中は頭を使わない」

 

よく職場の上司にそう注意されては「昔のアナログの時代は良かった」という話を聞かされていた。

よく考えたら平成生まれの自分には、携帯がなかった時代に、待ち合わせをする際、どうやってお互い会っていたのかさっぱりわからない。

人でごった返している渋谷駅で待ち合わせなど神業のように思える。

 

スマホがなかった時代、多くの人は頭を使いながら仕事をしていたのだと思う。

今は、メールを送って一発で待ち合わせ完了だ。

 

小学生の後半に携帯が普及し始め、当たり前のようにスマホやLINEを使ってきた世代には、スマホがない時代のことを想像するのが難しいと思う。

私もスマホがない生活が想像できないのだ。

 

何か仕事上でわからないことがあってもスマホでググればすぐに見つかる。

待ち合わせ場所もLINEで決める。

知らない場所を行くのにもグーグルマップがあれば、地球の裏側でも自分の位置を確認できる。

 

こんなに便利なものがあると、人間は機械に頼りっきりになって、頭を使わなくなるというのもなんだかわかる気がする。

よく上司の人は言っていた。

「頭を使え! 自分の頭で考えろ」

 

確かにそれには一理ある。

どこか心のそこで昭和の世代の人たちを羨ましく思う部分もあるのだ。

スマホが普及していなかった時代。

人々は自宅の電話しかコンタクトを取れるものがなかったため、人とのコミュニケーションが今よりも密接だったと思う。

 

銭湯などに集まって、おじいさんから子供まで、意気揚々と日々の営みを過ごしていた気がするのだ。

どこか「昔は良かった」と嘆く大人がいるのもわかる気がする。

 

スマホが普及しすぎた現代は、人々のコミュニケーションは明らかに希薄化している。

LINEでなんでもコンタクトが取れてしまうため、お互いに面と向かって話す機会も減ってきた。

 

もはや電話すらしなくなった世代だ。

みんなLINEでコミュニケーションをするため、電話がかかってくることに慣れていないため、電話に出れないのだ。

 

この人とのコミュニケーションが無機質なものになった時代に生まれた私は、どこか心のそこで、昔は良かっただろうなという思いがずっとあった。

92年生まれの私は、生まれた頃から日本が不景気だったため、好景気だった時代を全く知らないのだ。

 

高度経済成長を遂げ、世界第2位の経済大国だった頃の日本はどんな風だったのだろうか?

きっと人々の目もキラキラしていて、活気立っていたのだろう。

そんなことを思っていた。

どこか昭和の時代に憧れを持っていた私は映画「ALWAYS 三丁目の夕日」をなんども見て、昭和の姿を仮想イメージしていった。

 

きっと映画の世界観のように頑固オヤジがいて、子供達が意気揚々と駆け回り、人々の営みが東京でも繰り広げられていたのだと思う。

 

もはや今の日本では見られない原風景だ。

平成の不景気の世代でなく、経済成長に心踊り、みんなで明るい未来を描いていた世代に生まれたかったという思いが心の中にあった。

 

昔の日本の姿を見てみたい。

そんな思いに駆られていた。

 

ある時、友人にこんなことを言われた。

「日本より西に行けば、日本の過去の姿が見られるよ」

 

彼は世界中を飛び回るバックパッカーだった。

タイを訪れた時、日本の昔の姿を見られたと言っていた。

 

東南アジアは今、高度経済成長の真っ最中だ。

60年代の東京オリンピックで脇立つ日本の原風景の姿がそこにはあったという。

 

「日本より西の東南アジアに向かえば過去に戻ることができる。逆に東のアメリカに向かえば日本の未来の姿がみれる」

そんなことを言っていた。

 

確かにと思った。

経済成長が行き詰まり、不景気になったアメリカの姿は、日本の10年後の姿なのかもしれない。

 

私は経済成長真っ最中の東南アジアに非常に興味を持った。

一体、今の東南アジアでは何が起こっているのだろうか?

人々はどんな生活をしているのだろうか?

 

私はその時、ほぼフリーターの無職状態だったため、時間だけはあった。

今行くしかない。そう思い立ち、私はバックパックを背負って、タイのスワンナプール国際空港に降り立った。

 

 

空港から出た瞬間、蒸し暑いと思った。

なんだこのジメジメした気候は。

 

東南アジアはスコールが多いという。

常にジメジメした気候なため、洗濯物もキチンと乾かないらしい。

私はひとまず安宿が集まるカオサン・ロードに向かうことにした。

 

そこには世界中から集まってきたバックパッカーが連日お祭り騒ぎをしていた。

夜中まで続くパレード状態に私の耳はうんざりしながらも、私はタイの旅を楽しんでいた。

数日滞在したのちに、バスを使ってタイの中心街に出てみることにした。

 

すると、私は驚いた。

 

日本よりめちゃくちゃ栄えているのだ。

サイアム・スクエアという大型ショッピングモールは、明らか日本のお台場よりも華やかな場所だった。

世界中から観光客が集まり、サイアム・スクエアでショッピングを楽しんでいるのだ。

 

今の東南アジアはこんなに栄えているんだ……

これじゃ日本なんてすぐに抜かれる。

 

そんなことを思いながら、私はサイアム・スクエアを探索した。

ビルの上階には映画館があるのが見えた。

 

そういえば、タイの映画館ってどんなんだろう?

そんな風に思った私は、時間が合う映画を一本みることにした。

 

映画館の中に入り、上映が始まった。

私は周囲が騒がしいなと思っていると、みんな映画を見ながら大興奮しているのだ。

 

私が見たのはとあるハリウッドのホラー映画だったが、みんな恐怖の瞬間に大絶叫して、映画館内でパニック状態だった。

リアクションしすぎだろ……

と正直、思ってしまったが、こんなに映画館内で大興奮しながら映画を見るという習慣は日本じゃ考えられなかった。

日本ではみんなキチンと椅子に座って映画を見るだけだ。

タイの映画館ではみんなで大興奮しながら一本の映画を全力で楽しみながら見ているのだ。

 

そのことが私にとって大きなカルチャーショックだった。

よく考えれば日本の昔の映画館もこんな風景だったのだろうと思う。

角川映画の「セーラー服と機関銃」などが流行っていた頃は、女子高生から大人まで映画館に駆け込んで、薬師丸ひろ子主演の映画をみんなで楽しみながら見ていたのだと思う。

 

私はタイの映画館の中で、懐かしい日本の風景を見た気がした。

 

「日本より西の東南アジアに向かえば、過去に戻ることができる」

友人はそう言っていたが、確かにその通りなのかもしれない。

 

「昔は良かった」

そう嘆く大人がいたら、一度東南アジアを訪れてみるのもいいかもしれない。

きっと日本の原風景がそこには広がっている。

 

経済が行き詰まった日本はこれからどこに向かうのだろう?

 

そんな不安を抱きながら私は日本に帰っていったのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分の軸がない」と悩んでいた私が、TwitterのCEOから学んだこと

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「自分の軸がない……」

それは私の長年の悩みだった。

 

「自分の軸を持とう」

「何がやりたいのかきちんと把握しよう」

そんな風に社会に出る前にきちんとした自分の軸を作ることが大切だという風潮があったと思う。

 

自分の軸って一体なんなのだろうか?

 

就活でキャリアコンサルタントの無料セミナーに行っても、毎回同じことを聞かされていた。

「自己分析を掘り下げて、自分の軸を見極めましょう」

 

自己分析って必要なのか?

私は就活をするときにずっと疑問に思っていた。

 

自分が今までしてきたことを紙に書き込み、自分がやりたいこと、自分の軸となっている出来事を探るという自己分析が就活をする上で鉄板になっていた。

私も2〜3時間スターバックスにこもって自己分析に明け暮れていたものだ。

じっと自分がやってきたことを紙に書き込んでも、

自分は空っぽな人間だなと気づいて虚しくなるだけだった。

自己分析したところで、自分の軸などさっぱりわからなかった。

 

 

自分の軸って一体なんなんだよ!!!!

私はそんなモヤモヤを抱えながら就活をしていたと思う。

 

 

ベンチャー企業を受ける際に、自分の軸というものをとても考えさせられた。

私は毎日のようになだれ込んでくる就活メールに嫌気がさし、どの会社を受けたらいいのかさっぱりわからなかったので、数打ち当たれだと思い、片っ端から受けまくっていたのだが、その中にはハイテクのベンチャー企業もあった。

 

ベンチャー企業となると20代から30代の若手の人が中心になっている会社が多かった。面接や説明会でベンチャー企業を訪れると、大抵そう言った会社はオフィスも階級ごとに区切られていないため、働いている人が一望できるのだ。

 

そこで働く人たちを見て、私は俄然としていた。

みんな自分の軸を持って、輝きながら働いているように見えたのだ。

しっかりとした個性を持ち、自分たちがやりたいことを実現するためにテキパキ働いている人たちがそこにいたのだ。

 

 

私はベンチャー企業を訪れるたびに、自分にはこう言った企業で働くのは無理だ……

と思ってしまった。

 

働いている人たちはみんな強烈な個性を持ち、自分の軸をしっかりと持っている人達だらけだった。

ベンチャーは基本、自分の机もきちんと決まってなく、好きな場所で好きな人と仕事ができるようなオフィスになっていて、自分の軸を持っていないと会社での居場所がなくなってしまう気がしたのだ。

 

私は元来、強烈な人見知りのため、1日のうちで自分一人になれる時間が数分ないと精神的に滅入ってしまうところがある。

ベンチャー企業で働くとなると、オフィスも壁で区切られていないため、会社内で気を休める場所がなくなってしまう気がしたのだ。

 

 

自分の軸を持ちたい。

私はそんなことを思っていた。

やはり若くして自分の軸をしっかりと見極めた人は輝いて見える。

転職をする際も、きちんとした軸を持って面接に挑めるため、すぐに転職先が決定するのだ。

 

私は自分の軸がブレブレだった。

自分が傷つきたくない方向にいつも動いては、逃げてばかりいたと思う。

そんな自分を雇ってくれる会社はどこにもなかった。

新卒では30社以上落ち、転職する際もなかなか決まらなかった。

 

自分の軸を持ちたいと思い、海外を放浪してみたときもあった。

バックパッカーをやっている旅人たちはみんな自分の軸を持っているのだろうと思えたのだ。

しかし、海外に行っても自分がやりたいことなど見つからなかった。

 

海外の安宿に行くと世界中の旅人たちが集まってきていた。

そんな旅人たちは楽しそうにこれまでの旅を語っていたが、私はどこか心のそこで彼らを侮辱している自分がいることに気づいた。

 

この人たち所詮、日本から逃げてきただけなんだな…‥

 

世界一周している人は大抵30歳前に脱サラした人や休学中の学生だった。

楽しそうに旅を語る彼らを見ていても、どうしても納得できない私がいたのだ。

所詮、逃げてきただけじゃん……

そう思っている私も就職が嫌で逃げてきただけだった。

旅人を心の中でバカにしている自分が一番カッコ悪かった。

 

 

 

海外を旅すれば自分の軸が見つかると思っていた。

しかし、そんなことはなかった。

どうしたら自分の軸が見つかるんだろうと悩んでいる時にふとフェイスブック上で

こんな記事を見かけた。

 

「台本のない人生を生きろ」

それはTwitterのCEOが卒業生に贈ったスピーチをまとめたサイトだった。

私はなぜかその記事が目に入った。

 

なんだろう、この記事……

私は読んでいて、驚いてしまった。

Twitterの創立者であるディック・コストロはもともとコメディ俳優を目指して舞台に立っていた人だったのだ。

Twitterのように世界に影響を与えるベンチャー企業を立ち上げた人だから、ハーバード大卒の超エリートだと思っていたが、経歴を見るとそんなことはなかった。

 

20代の大半をコメディ俳優を目指して即興芝居をしていた人だったのだ。

芝居だけでは食っていけないと思い悩んでいる時にインターネットと出会ったという、ちょっと変わった経歴の持ち主だった。

 

私は記事の後半部分を読んで心動かされてしまった。

やはり人よりも変わった人生を歩んできた人たちが選ぶ言葉は多くの人を鷲掴みにする。

 

「台本のない人生を生きてください。人生は即興の連続です。

そして、自分が何をするべきかあまり考えないでください。そこには台本などないのです。20年後、皆さんはどんな舞台にいるのでしょうか? どんな人生になろうともその瞬間を全力で楽しむのです」

 

 

私はこれまでずっと、しっかりとした自分の軸を持たなきゃと思っていた。

軸を持たない自分が嫌で仕方がなかった。

 

しかし、しっかりとした自分の軸など持たず、自分が何をするべきかあまり真剣に考えない方がいいのかもしれない。

即興芝居のように、その瞬間だけを全力で感じ、その瞬間に得られるものを全て吸収していくことが大切なのではないかと思えたのだ。

 

「台本のない人生を生きろ」

自分の軸をしっかりと持ち、ある程度の台本を作った方が人生は楽だ。

しかし、自分が何をするべきかあまり考えずに、その場その場を全力で楽しむのも大切なのかもしれない。

 

就活の自己分析で自分の軸などさっぱりわからなかった私は、ようやく答えにたどり着けた気がした。

「自分が何をするべきかあまり考えないでください。台本のない人生を生きてください」

 

そんな言葉を胸に秘めて、今日も即興的にライティングに励んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

就職という椅子取りゲームの果てにあるものとは?

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私は毎朝、とある戦いを目にしている。

いつも上司のいいなりになっていサラリーマンたちが、その時だけは真剣な目つきで取り組み、他を蹴散らす勢いで戦っている。

その勢いを社内の仕事でも使えよと思うが、人間は不思議と組織のためよりも、自分自身に利益になることなら全力で取り組めるようなのだ。

 

私が毎朝目にしている光景……

それは満員電車内で繰り広がられる椅子の取り合いだ。

サラリーマンたちは毎朝、目的地にまでゆっくり休めるか? ということをかけた真剣勝負を繰り広げられているのだ。

 

 

 

人でごった返す電車内に入る時も、あえてすぐに降りそうな人の近くによって、

その人が電車を降りるのを今か今かと待ちわびるのだ。

 

みんな目つきが真剣だ。

どの席が空くのか?

どの人が立ち上がるのか?

電車の中ではサラリーマンたちの心理戦が繰り広げられている。

 

私はというと優柔不断なところがあるため、目の前の人が立ち上がっても、自分が座っていいものか? と甘い考えが浮かんでしまい、いつも隣のおっさんたちに席を取られしまう。

椅子の取り合いになると一瞬で見せた優しさが命取りになるのだ。

 

毎朝、真剣勝負の椅子取りゲームをやっていると、どうしてもあの出来事を思い出してしまう。

 

就活という名の椅子取りゲームをやっていたあの頃を……

 

 

「御社に入社を希望した理由は」

私はその頃、必死になって就活をしていた。

3月解禁に移行され、8月から面接開始となり、私が就活をした代から短期決戦型に変わっていった。

 

3月1日に情報が解禁されると同時に私はパニクっていた。

 

どこの会社を受けたらいいのかさっぱりわからなかったのだ。

 

大量に飛んでくる就活メールに混乱する中、私は昔から憧れていたテレビ局などのマスコミを受けていくことにした。

とりあえずキャリアセンターでじっとしているだけでは意味がない。

大学に保管されている卒業生名簿を見て、私はOB訪問をすることにした。

 

どこの会社の人に話を聞こうかな?

名簿をペラペラ見つめていると、自分のような平凡大学出身でも、高倍率をくぐり抜けてテレビ局や電通博報堂に入っている人が何名かいた。

 

お、この人すごい。

会ってみよう!

 

私は早速、メールを飛ばしてコンタクトを取ることにした。

やはり社会人は忙しいので、返信が来る人もいれば返ってこない人もいた。

とあるテレビ局に勤めている人とコンタクトを取れ、私はOB訪問のアポを入れることに成功したのだった。

 

憧れのテレビ局で働く人だ。

一体どんな人なんだろうと私はワクワクした。

 

数日後、私は待ち合わせ場所を訪れてみた。

そこにいたのは、ぱっと見て、普通のサラリーマンだった。

私は某民放キー局で勤めている人だからもっと華やかで、明らか何か人と違うオーラを持っている人かと思っていたが、案外テレビ局員も普通の人が多いんだなと思った。

 

 

OBの方と就活での悩みなどを相談していった。

「君のエントリーシート、こう変えていった方がいいよ。テレビ局員はいつも面白いネタを求めている人たちだ。だから、相手を笑わせることができれば勝ちではあるよ」

OBの方は私の拙いエントリーシートを見て、真剣に訂正ポイントを教えてくれた。

 

「自分は面接の時、こんな自己PRを喋ってたな」

倍率1000倍を超えるテレビ局就活を勝ち上がった人の自己PRは、とても貴重な情報源だ。

私はその自己PRをしっかりと聞き取り、自分の面接に役立てることにした。

真剣に話を聞いていたら、いつしか1時間近く経っていた。

 

さすがにこれ以上、OBの方を拘束するのは申し訳ない。

私は話を切り上げて帰りの支度を始めた。

 

最後にOBの方は私にこう尋ねた。

「それで、結局君は何がやりたいの?」

 

私は何か弱点を突っつかれた気分になった。

自分は一体何がやりたいのだろうか……

そのことは私自身もよくわかっていなかった。

 

いつの間にか就活の時期が来たので、周りと同じように就活をしているだけだった。

自分が一体何になりたいかなんて真剣に考えたことがなかったのだ。

 

「今の反応を見る限り、この質問が飛ばされてきたら、君はきっと落ちるな。とっさに思いついたことでもいい。しっかりと自分がやりたいと思うことを面接官に伝えるんだよ」

OBの方は最後にそう言って、去っていった。

自分がやりたいことっていったい何なのだろうか?

そんなモヤモヤを抱えたまま、私は帰路についていた。

 

 

私は結局、その後面接で惨敗していった。

30社以上受けてもどこにも受からなかったのだ。

就活がスタートする前から情報を集めて、OB訪問もきちんとしたのに、なぜなんだ?

 

何で自分は受からないんだ!

そう思っては自暴自棄になっていた。

 

就活を終えた今ならわかる。

私はただ就活という名の椅子取りゲームに参戦し、椅子に座ることだけに必死になっていただけなのだ。

 

ちゃんと就活で結果を出す人は、どの椅子に座るか決めてから動くものだ。

私は目の前の椅子に座ることが必死で、周囲を見渡せなかった。

 

30社以上落ち、何とかとある会社に就職することはできても私は不安が残っていた。

いちよ、自分に与えられた椅子に座ることができたが、このままでいいのか?

この椅子に座り続けることが正解なのか?

 

そんなことを思ってしまうのだ。

 

 

このままでいいのかな?

と仕事に悩んでいる時に、ふと満員電車で私が愛読書にしている本を読んでみることにした。

悩みがある時はいつもこの本を読むことにしていたのだ。

 

「傷口からの人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった」

 

初めて読んだ時は、衝撃的だった。

著者は就活中にパニック障害になり、就活をやめてしまい、無内定もまま大学を卒業していった。その著者が抱えていた就活の悩みや生き方が自分と重なって見えたのだ。

 

私はやっと就職という椅子に座れたのに、今だに心にモヤモヤを抱えている自分が嫌で、この本をふと読み返してみようと思ったのだ。

働きながら本を読もうと思ったら、毎朝の通勤の時にしかない。

人でごった返す電車内で私は本を開いていった。

その日だけはイス取り合戦に参戦することなく、私は出口付近で本を読み始めた。

 

やはりこの本は、何度読んでも新しい感じ方があるものだ。

はじめは就活で失敗し、自分の弱さに憂いていた時に涙を流しながら読んでいたが、自分が座るべき椅子を手に入れ、就職した今読み返しても新たな発見があるのだ。

 

 

私は10回は読み返しているんじゃないか? というくらいこの本を愛読しているのだが、就職した今読み返してみると、今まで何も感じなかった一行が強烈に印象に残った。

 

それは著者が自分探しの旅に出て、スペインの巡礼旅に出た時のエピソードだった。

就活をドロップアウトし、社会のレールの上を歩けなかった著者は、旅に出ている途中で、ある宿の管理人のおばさんに

「今までの人生で一度も誰かに与えたいなんて思ったことないの。そんな自分でも社会に出て働けると思う?」と悩みを相談したという。

 

おばさんはしっかりと著者を見つめながら答えてくれた。

 

おばさんは52年間カリフォルニアから外に出たことがなかったが、子供を育て上げ、やっと自分の時間が持てるようになった時、この巡礼の道と出会ったという。道を歩いているうちに、自分と同じ巡礼者たちに自分が受け取った人生の恩恵を返すことがやるべきことだと気付いたらしい。

 

「使命感とか言う大げさなものじゃないけど、バスケットボールのパスが飛んでくるように自分の役回りが飛んできたの。人に何かを与える方法はたくさんあると思うわ。だけど、その人にしかできない与え方があるのよ。たとえ今は与えられるだけだとしても、いつか必ず、それに気づいてアクションを起こす時が来るのよ。それが大学を卒業する前の、たった一年の間に起きるなんて、一体誰が決めたの」

 

この文章を読み返した時、心の中のモヤモヤが取れていくかのように感じた。

私は今でも自分が何をやりたいのかはっきりとわからない。

何とか自分の目の前に転がってきた椅子に座ることができたが、社会に出ても自分が何をするべきで何がしたいのかわからないのだ。

 

しかし、そんな自分でもいいのかもしれないと思えた。

いつかバスケットの試合のように、自分のところにパスが飛んでくるのだ。

たかが24年生きただけで、そのパスに飛んでくるとは限らないのだ。

 

 

自分が人に何を与えられるかなんてわからない。

目の前の椅子取りゲームに必死になって、自分が何をしたいかなんて考える余裕がなかった。

 

だけど、いつか自分しかできない与え方に気づいて行動を起こす時が来るのかもしれない……

そう思えたらなんだか気分が楽になったのだ。

 

今日もまた、東京都内の電車は人でごった返し、サラリーマンたちの椅子取りゲームが繰り広げられているだろう。

それでも飛び込んでいくしかない。

そう思いながら、私は満員電車の中に飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

儚く散るソメイヨシノを見ていると、東野圭吾の「分身」を思い出す

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「桜の写真を見せてくれない?」

私が海外を旅していた頃、とあるレストランで仲良くなった外国人の二人組からそう頼まれた。

 

「桜の写真?」

私は突然の要求に驚いてしまった。

幸いにもなぜか私は、桜が満開の時に写真を撮っていたことを思い出し、二人組に桜の写真を見せてあげることにした。

 

「わぁ、きれい!」

ニュージーランドから来たその二人組は桜を見るのが初めてだったらしく、とても感動しているようだった。

 

桜は英語で「cherry blossom」という。

英語が苦手で「cherry」しか聞き取れず、さくらんぼが見たいのか? 

と思ってしまったが、なんとか「桜の写真が見たいんだ」ということに気づき、二人組を喜ばせることができた。

 

二人組はどうして桜が満開のタイミングで日本に行きたいと言っていた。

桜が見たくて仕方がないのだ。

 

「桜が満開のタイミングっていつなの?」

私は二人組にそう尋ねられた。

日本人である私も、桜の開花するタイミングを詳しく知らなかった。

 

「3月の終わりから4月の初めまでかな」

そんな曖昧な返答しかできなかった。

「わずか二週間ぐらいしか咲かないから、そのタイミングで日本に行かなきゃならないのよ。どうしても桜をこの目で見てみたいの」

その二人組の外国人は目を輝かせながら桜について語っていた。

 

「桜は日本が誇る美しい花だわ。私たちの国には桜ほどきれいな花はないのよ。あなたたち日本人が羨ましいわ」

 

どうやら外国人の間でも日本というのは人気の観光都市のようだ。

私は外国人が抱く美しい日本像を知り、日本人であることを少し誇りに思えた。

4月に美しくも儚く散る桜を見れる日本という国。

どうやら日本人が思っている以上に、外国人には日本という国は憧れの存在のようだった。

 

桜の美しさは万国共通なんだな。

そう思うと同時に、なんだか後ろめたい気持ちにもなってきた。

 

日本に植えられている桜の正体を私は知っていたのだ。

 

あの美しい桜は実を言うと……

 

 

 

その後ろめたい気持ちはベストセラー作家、東野圭吾さんの小説を読んだ時にも同じように感じた。私は昔から東野圭吾さんの大ファンである。「容疑者Xの献身」も読んだし、「流星からの絆」も読んだ。「白夜行」など寝るのを忘れるくらい夢中になって読みふけった。

誰もが納得する日本を代表するミステリー作家である。

私は子供の頃から東野圭吾さんの大ファンであったが、この小説だけはまだ読んでいなかった。

その時は無職のフリーターをしていて本を買うお金もあまりなかったため、よく古本屋で100円の本を大量に買い漁っていたのが、古本屋の奥の方にある棚で、私はその本を見つけたのだった。

 

タイトルは「分身」という。

 

昔、wowowでドラマになっていたらしいが、私はタイトルすら知らなかった。

どんな小説なんだろう?

ふと、気になってしまい表紙の裏にある物語のあらすじを読んでみることにした。

ある一行が私はとても気になってしまった。

 

「現代医学の危険な領域を描くミステリー長篇!」

 

現代医学の危険な領域?

 

何だか興味がそそられる一行だった。

東野圭吾さんは理系出身の方だ。もともとシステムエンジニアをやっていたらしく、理系の知識が存分に作品の中にも込められている。

 

探偵ガリレオ」も大学で物理学を学んだ東野圭吾さんだからこそ書ける内容だし、「白夜行」も主人公の男性がクレジット会社のデータを盗んでいく描写など、システムエンジニアをしていた東野圭吾さんだからこそ書ける内容だった。

 

日本を代表するベストセラー作家が売れっ子になる前にどんな作品を書いたのか私は気になってしまったのだ。

 

処女作には作家の全てが反映されてあるという。

東野さんが売れっ子作家になる前の1996年の段階で一体どんな小説を書いていたのだろうか?

 

そう思った私はなけなしの金をはたいて、小説「分身」を買って読んでみることにした。

読み始めて私は唸ってしまった。

なんだか頭に文章が入ってこないのだ。

今でいうと第ベストセラー作家である東野圭吾さんだが、処女作の頃はまだ小説慣れしていないらしく、長編となるとどうしても前後の文脈がずれてきて、頭の中で物語を整理整頓するのが難しく思えてしまった。

たぶん、私の読解力が少ないということもあるのだろう。

それでも私は読み進めていると、中盤からとあることが判明していき、一気に面白くなっていった。

前半100ページを超えたあたりからいつもの東野圭吾さんらしいミステリー作家性が全開でグイグイ話にのめり込んでしまった。

 

結果的に500ページ近くの分量にもかかわらず、2〜3日で読み終えてしまった。

その小説は現代医学の危険な領域も描く傑作ミステリーだった。

 

生命工学が発達したことであるものを生み出すことに成功した研究者たちとその周辺にいる女性たちの苦悩を描いた傑作小説だ。

 

生命工学の発展は私たちに多くのことをもたらしてくれた。

私たちが日頃食べている大豆や野菜も生命工学の研究で、栽培されたものも数多くある。

しかし、科学の発展は人々の生活を豊かにすると同時に、倫理的な弊害も生み出してしまうことがある。

代理母の出産は日本では認められているが、キリスト教圏の国の多くでは認められてはいない。生命倫理的に人の命を科学技術の力を使って弄ぶことを非難する人たちも多くいる。

 

そんな危険な生命工学の領域まで入り込んでしまったとある研究者の悲劇とその研究によって生み出されてしまった女性たちがたどった物語がその本の中にはあったのだ。

 

 

私はこの小説を読んでいるうちに、儚く散るソメイヨシノのことを思い出してしまった。

ソメイヨシノは主な桜の品種として有名だが、実は人工的に作られたものだ。

 

よく考えたら桜が同じ時期に、同じタイミングで満開になるのはおかしなことだ。

普通の花だったら開花の時期がずれてもおかしくないと思う。

しかし、全国に植えられた桜は時期はある程度違っていても、同じ地域では一斉に同じタイミングで開花することになる。

 

 

それは人間が生み出した生命工学の技術が存分に使われているからだと言われている、

 

全国に散らばっている桜は実はいうと……〇〇である。

 

 

私は儚く散る桜を見ていると、どうしても複雑な心境になってしまうのだ。

 

人間の手が入ったことで、観賞用のエンターテイメントとして桜を見ることができるようになった。

しかし、自然界にはもともと桜は一斉に開花することなどありえなかったのだ。

同じ遺伝子を持っているため、一斉に同じタイミングで開花することができるようになったのだ。

 

人の力によって自然を弄んでいいのか?

生命を弄んでいいのか?

そんなことを美しくも儚く散る桜を見ているとどうしても感じてしまう自分がいた。

小説「分身」はそんな生命工学の問題点を描いた傑作ミステリーだった。

 

生命工学は桜のように私たちの暮らしを色鮮やかいしてくれた。

しかし、それによって失われてしまった日本の風景があるのかもしれない。

小説「分身」を読んでいる時、私はいろいろ考えさせられてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肩書きに縛られている人がいたら、ぜひ東大生と社会的な弱者との心の交流を描いたこの本を読んでみてほしい

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私はずっとコンプレックスを抱えていた。

運動神経があまり良くない自分。

何をやってもうまくいかない自分。

 

私は何をやるにしても人の倍は時間がかかるような子供だったと思う。

中学の頃などもクラスメイトとうまくコミュニケーションが取れなかった。

いつもクラスの隅っこにいて、じっとうずくまっているような生徒だったのだ。

 

クラスの中心的な人物で華のある人を見ては憧れを抱くと同時に、

「自分はこいつらとは違う」……と思って見下している自分がいた。

 

自分は何か持っているはずだ。

こんな公立の中学にいる場合じゃない。

そんなことを思っていたのだと思う。

 

どこか心の底でずっと人を見下す視線を持っていた。

人を見下すことで自分という存在を保っている自分が嫌で嫌で仕方がなかった。

運動神経もあまり良くなく、クラスでもうまく馴染めないような陰キャラの生徒はどういった末路を辿るのか……

それは勉強に逃げるのだ。

 

私は中学3年の時、猛烈に勉強をしていた。

 

中学2年の終わりまで全く勉強というものをしてこなかった。

しかし、高校受験を前にこれではダメだと思って、塾に通い始めると勉強の楽しさに気づき、私は猛烈に勉強していった。

中学生にして小学3年生レベルの漢字がわからないという無知の状態なので、吸収率は早かったのだと思う。

知らない状態から物事を知るという楽しさを知っていったのだ。

 

何の取り柄もなく、今までずっとクラスの隅っこにいるようなパッとしない生徒だった私は「進学校に入った優秀な生徒」という肩書き欲しさに、死ぬほど勉強していった。

 

1日9時間以上は勉強していたと思う。

私の成績は急上昇していった。

成績が上がるとともに、また私の心の中で人を見下す視線が芽生えてきた。

塾にいても「自分はこいつらよりもできる人間だ」

と心のそこでそんな目線を持っていたのだと思う。

 

なんとか進学校に合格できた。

しかし、心のそこではモヤモヤがずっと大きくなっていた。

 

 

 

なんで自分は勉強してきたんだろう?

 

何の取り柄もなかった自分……

そんな自分が嫌で優秀な生徒という肩書き欲しさに頑張ってきたが、目標が達成されても何だか腑に落ちない気がしていたのだ。

 

一体自分は何をやりたかったのか……

 

私は高校3年間で、都内でもそこそこ有名な進学校に通っていた。

公立中学校では、簡単に上位の成績をキープできたが、都内から英才教育を受けた生徒が集まる進学校ではそうはいかなかった。

周りには宇宙人レベルに勉強ができる生徒がいたのだ。

 

自分はこいつらには勝てない……

そんな後ろめたさを感じ、身動きが取れなくなってしまった。

何をやっても人よりも劣っていた自分。

勉強というツールを使って、何とか人を見下すことで自分を保っていた私は、劣等感の塊のような存在になっていった。

 

 

大学に入るも私の心の中で芽生えていた学歴コンプレックスは大きくなっていた。

浪人してそこそこの大学に入れはしたものの、上には早稲田、慶応といった高学歴集団がいるものだ。

 

他大学の人と交流する場でも、どこか心のそこで学歴で人を判断している自分がいるのが後ろめたかった。

 

この人は早慶の人だから勉強ができるはずだ。

そんな先入観を持って人と接していた気がする。

 

 

 

学歴って一体なんなのだろうか?

 

社会人からしたら、学歴は一つの指標になるのもわかる。

偏差値50の大学生よりも偏差値70を超えた東大生を自分の会社に入れたほうが、誰だってしっかりと働いてくれる気がするだろう。

 

 

何万通というエントリーシートの中から短期間で、本当に優秀な生徒を選び取るのは不可能に近い。

大手企業は、学歴フィルターがないとはいうが……

 

学歴で面接する人を判別していくのもしかないと思う。

短期間で、何万人という人を面接するのは不可能だ。

高学歴な人ほど、大手企業に入社できる可能性があるのはそのためだ。

 

あの地獄に満ちた大学受験競争に勝った人たちだ。

高学歴というプレミアチケットを持った人が、いい会社、いい人生を歩むのもなんだかわかる気がする。

 

しかし、学歴だけでその人を判断してしまう社会があるのは、なんだか腑に落ちない気がしていた。

 

学歴って一体何なのだろう?

私の心で肥大化した学歴コンプレックスを後ろめたく感じている時に、ふとこの本と出会った。

 

 

「障害者のリアル✖️東大生のリアル」

フェイスブックのページでとあるライターさんが書いた書評に私はクギ付けになリ、すぐに本屋に駆け込んで行った。

 

東大生というレッテルを貼られた人たちと、障害者というレッテルを貼られた人たち。

社会的な勝ち組と弱者との交流を描いた本だった。

 

私は本を読んでいくうちに、東大生という肩書きに苦しむ学生たちが、心を素っ裸にして障害を持っても懸命に生きている人たちとの交流を描いた文章に夢中になってしまった。

 

「障害者のリアル」という東大のゼミに参加した東大生による感想文形式の文章が綴られてあった。

どの東大生が書いた文章も、今まで悩んでいた肩書きや障害を持った人たちと出会った時に感じたことが赤裸々に書かれてあり、私は無我夢中になってこの本を読んでいった。

 

私はもちろん、東大に入る頭脳もなければ、高学歴という肩書きも持っていない。

それでも、東大生が持っているコンプレックスにどこか共感出来るものがあった。

東大生は世間的に見たら勝ち組だ。

これまでほとんど挫折など経験したことがないかもしれない。

 

しかし、

「弱くてもいいことを認めたくないがために、肩書きを求めて必死に努力していた。

そして、どんどん孤独になっていった」

という東大生の声は、どこか一般の人にも共感出来る部分があるのだと思う。

 

勉強ができる奴というレッテルを貼られるとともに勉強しかできない奴というレッテルが貼られるのだ。

そんな周囲の目線に苦しんでいる東大生の苦悩が赤裸々に綴られてあった。

 

「どうしても生きる意味が見出せないんです……」

とある東大生は、ゼミに来ていた盲ろうの福島先生にこう尋ねたという。

 

福島先生は幼い頃に両目の視力を失い、18歳の時に耳の聴力を失った。

目も見えない、耳も聞こえないという状態なので、常に真っ暗闇に宇宙の中を漂っているようなものだ。他者とのつながりを把握できるのは手から来る触覚だけだ。

それでも必死に点字を勉強して大学教授にもなった人だった。

 

福島先生の方はこう言ったという。

「まぁ、どうしてもあなたが死にたいという私は止めません。でも、他の人には迷惑にならないように死んでくださいね」

 

たぶん、冗談半分で言った言葉だと思う。

だけど、盲ろうの福島先生が言うその言葉はどこか重みが違う。

 

視力を失い、聴力を失なって失望の中でも必死に生きてきた福島先生だからこそ言える言葉だったと思う。

ただの健全者が「死にたいなら、勝手に死んでくれ!」というのとはわけが違う。

永遠の孤独という真っ暗闇の中をひたすら走り続けた福島先生だからこそ、言える言葉だったのだ。

 

福島先生からその言葉をもらった東大生は

「生きるのをなめるなよ」と言われた気がしたと本の中で綴ってあった。

 

私はずっと肩書き欲しさに、いい大学に入るために勉強し、人に自慢したいがために、大手企業やマスコミを受けてはもがいていたと思う。

 

今までずっと、人よりも一歩上に立つための肩書きを追い求め、肩書きを持った人に憧れていた。

肩書きで人を判断する目線もあったと思う。

 

しかし、そんな肩書きは一体何の役に立つのか? 

 

東大生というレッテル、障害者というレッテル。

人は相手を判断するためにやたらとレッテルを貼りたがる。

しかし、福島先生のように絶望の中でも必死にもがきながら生きてきた人たちはそんなレッテル気にしてさえもいないのだと思う。

 

「生きるのをなめるなよ」

私はこの本を通じて、猛烈にこの言葉が深く心の奥底に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やたらとライフワークバランスを主張する新入社員がこの本を読んだら……

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「仕事だから仕方ない」

多くの社会人はそう言う。

 

家族を養うためだから仕方ない……

食っていくためだから仕方ない……

 

私はそんな社会人の先輩を見ていて、失礼ながらも

よく好きでもないのにそんな仕事できるな……と思っていた。

 

嫌でやっているわけではなくても、ほぼ社会に出て働いている人の実に97パーセント以上が「仕事だから仕方ない」と思いながら毎日の仕事をしている気がする。

 

満員電車の中に乗っていても、なんだか辛そうにしている人が多いのだ。

仕事が始まる月曜日になると、なおさら疲れた顔のサラリーマンを多く見かける。

 

ゆとり世代で世間知らずな私が言うのは、社会人の先輩に恐縮なのだが、

「仕事だから仕方ない」と言っている人を見るとなんだか悲しくなってしまうのだ。

 

社会人ってこういうものなのか……

仕事ってこんなにもつまらないものなのか……

そんなことを思ってしまうのだ。

 

そう言う私も仕事に対し、生活するために糧とし思っていなかった。

どれだけ労働時間を短くし、多くの給料をもらい、あとはいかにして休日を楽しむか? そんなことばかりを考えていたのだ。

 

労働はあくまで必要悪のような風潮が世の中には漂っている気がする。

やたらとライフワークバランスが主張され、働き方改革が起こっている。

もちろん、元ブラック企業に勤めた経験がある私には、働き方改革で残業に苦しんでいる人が減るのはいいことだとは思う。

しかし、「ライフワークバランスを大切にしましょう」

「仕事ではなく、趣味を充実させましょう」とやたらめったら叫ぶのは何か変な気がしてならなかった。

 

 

昔、webサイトでとあるインタビュー記事を書いていた頃……

出版社の社長がこう言っていた。

「私はライフワークバランスという言葉が大っ嫌いなの!」

仕事と趣味を分ける働き方がどうしても納得できないようなのだ。

 

「本当に上に向かって行く人は仕事が好きで、趣味と仕事を混合させているもの。出版社が休みの日でも、映画を見たりして自分が担当している本に活かしていく」

そんなことを言っていた。

 

 

ライフワークバランスって何なのだろう?

私自身も休日のために働いている感覚がどこかしらにある気がする。

社会人として日々の生活のために仕事している感覚が拭いきれないのだ。

 

 

「ライフワークバランス! ライフワークバランス!」

と主張しているのは、どうも私の周りだけではないらしい。

 

こないだ朝のニュースで新生活を始める社会人についての特集を見ていた時、興味深いものを見た。

 

新入社員の会社選びの基準の第1位が「休日がいかに充実しているか?」なのだ。

自分をはじめ、今の若い人は会社に対し、どんな仕事をしているかよりも、どれだけ休日を取れて、自分の趣味に没頭できるかの方が大切らしいのだ。

 

92年生まれのゆとり世代の私は、「わかる〜」と思うと同時に、何だか納得しきれない妙な感覚に陥っていた。

ちなみに30年前の新入社員の会社選び第1位は「仕事の内容」である。

 

どんな仕事内容なのか? 

仕事を通じて、どれだけ自己表現できるか? 

が最も大切にしていたことらしいのだ。

 

それに比べ、自分をはじめとしたゆとり世代の会社選びは

「どれだけ休日が取れるか?」である。

 

私自身もそんな感じで会社選びをしていたのだろう……

なんだか後ろめたい気持ちになってしまった。

 

 

ライフワークバランスって一体何なんだ?

働き方改革って一体何なんだ?

そんなことを思っていた頃、この本と出会った。

ベストセラーとして有名な稲盛和夫著の「生き方」である。

 

本屋さんの棚に輝くようにして置いてあるこの本を手にし、人生の先輩は働くということをどう考えているのかとても興味深く思ったのだ。

 

私は稲盛和夫という偉大な経営者の存在を知らなかった。

KDDI(今のau)を作ったとてつもない人物らしいのだ。

 

著者はどうやら仏教にとても傾倒しているらしく、仏教用語が本の中でよく書かれてあった。京都の寺でお坊さんになる称号ももらったことがあるらしいのだ。

 

 

仏教に傾倒し、日々鍛錬を重ねている偉大な経営者の言葉は私のような打たれ弱く、ライフワークバランスばかり求めているゆとり世代の心にとても響き渡る。

 

 

労働を通じて、人は人らしくあることが何度も書かれているのだ。

毎日の労働をど真面目にこなし、目の前のことをきちんとやっている人には運もついてくるものだ。

 

「労働には、欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性を作っていくという効果がある。人間としての価値を高めてくれるものでもある。日々の仕事を魂こめて一生懸命に行っていくことが最も大切で、それこそが魂を磨き、心を高めるための尊い「修行」となるのです」

 

労働を修行の場ととらえ、目の前にあった仕事をど真面目に取り組んできたからこそ、著者は人一倍偉大な仕事を達成できたと考えているみたいだ。

自分には特別な才能などなかったという。

ただ、目の前の仕事をど真面目にやっていたら、一歩ずつ点と点が繋がっていき、京セラやKDDIという日本を代表する会社を作り上げることができたのだ。

 

 

私はこの本を読んでから、やたらとライフワークバランスを主張していた自分が恥ずかしくなってしまった。

目の前の仕事にど真面目に取り組むこと。それが結果的に自分の人生に彩りを与えてくれる。

 

誰よりも仕事に対しど真面目に取り組んできた人生の先輩が語る言葉はとても重みが深かった。自分と同じく悩む新入社員の方がいたら、一度は一読してもいい本だと思う。

 

今日も満員電車の中は混み合っているだろう。

だけど、この本に書かれていた言葉を思い出し、私は会社に向かって歩いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アカデミー賞を取った映画「ムーンライト」を見て、人生に多大な影響を与えているバタフライ効果を思い出さずにはいられなかった

 

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正直言うと、私はこの映画のことは全くのノーマークでした。

学生時代は年間350〜400本の映画を狂ったように見て、自称映画オタク

(たぶん、大学生の中では日本一映画を見てたかもしれない)を名乗っている私は、社会人になってもなるべく話題になっている映画はチェックするようにしていました。

 

攻殻機動隊など公開初日に見て、アニメファンで賑わう新宿の映画館の中、ひっそりと見ていました。ほとんどスカーレット・ヨハンソンの胸ばかりみてましたが……

 

話題になっている映画は基本的に見るようにしているのですが、いかんせん社会人は時間がない。土日に映画館に駆け込んでは、大混雑している映画館で興味ある映画を選ばなければなりません。

 

もし、この選択をミスると、せっかくの休日が丸一日無駄になってしまうんですね。

だから、もう映画選びは必死です。

ありとあらゆる情報をチェックしてから映画館で見る映画を選択しています。

尊敬してやまない映画評論家の町山智浩さんのラジオをチェックしたりして、良い映画選びを心がけているのですが、その日だけはなぜか事前の映画選びをしませんでした。

 

というかやる時間がなかった。

 

今日は何を見ようかな? と思い映画館の公開ラインナップを見ていると、この映画のことを私はすっかり忘れていることに気がついたのです。

映画「ムーンライト」……

 

タイトルだけは知っていました。

 

アカデミー賞の会場で「ラ・ラ・ランド」と間違えられ作品賞を受賞した映画だったので、間違えられた映画として世界的に有名になっていました。

 

私はその時、予告編すら見ていませんでした。

アカデミー賞で間違えられた映画としか認識がなかったのです。

 

まぁ、何も事前知識を持たずに映画館に飛び込むのもたまには悪くない。

そんなことを思って、他に見たい映画もなかったので、私は仕方がなくその映画を見ることにしてみました。

 

私にとって土日に見る映画選びは自分の休日をかけた大きな選択です。

全くのノーマークだった映画を見るのは大きな賭けなんですね。

 

映画館の中は人で溢れかえっていました。

やはり土日の新宿周辺の映画館はどこも混雑しています。

私は隅っこの席に座って上映が始まるのを待機していました。

 

どんな映画なのだろうか?

もしつまらない映画だったら時間を返してくれ!

私はそんなことを思っていたのです。

 

 

映画が始まります。

静まる会場の中で私一人だけ頭をひねっていました。

 

この映画、テーマが重たい……

 

差別に苦しむ黒人たちのとある男の子がひたすらいじめに苦しむ描写が続くんです。

親にも見捨てられ自分の居場所を見つけられない男の子はどう生きていくのか?

そんな重たいテーマを扱った内容です。

アメリカの負の部分を真正面から捉えた映画なんです。

 

ものすごい良い映画なのはわかるけど、画面に酔う……

 

私は揺れ動くカメラに酔ってしまいました。

監督はたぶん、ものすごい気合を入れて長回しのショットを連続で使っているのですが、いかんせん手持ちカメラでぐるぐると回る描写が続くので、酔ってしまいました。

 

あぁ、この映画しんどい……

正直言うと、はじめの30分はずっとそう思っていました。

 

しかし、不思議なことに後半になってくると画面の揺れに目が慣れたせいか映画全体の暗いトーンが心地よく思えてくるんです。

 

月明かりに照らされて青色く輝いている黒人の肌が美しく見えるんです。

とにかくこの映画は今までの映画の常識とは違った色使いをしている映画なんですね。

全体を覆い被せている暗いトーンの上に、鮮やかでカラフルな色のトーンを覆い被せているんです。

カラーコーディネートをしている人が、あえて挑戦的なことをやっているんだと思います。

黒人たちの黒い肌にあえてカラフルな色を当て、光沢をつけて輝かせています。

それがまたとにかく美しい。

 

 

映画にうるさいアカデミー会員の人たちが、この映画を作品賞に選んだのもなんとかくわかる気がしました。撮影技術的にはとても革新的なことをやっている映画なんです。

 

私は映画全体に彩られたカラフルな色のトーンに良い浸っていると、心地よく感じてきました。

とにかくこの映画は内容は暗いです。

しかし、その暗い内容を覆いかぶされるかのようにカラフルな色のトーンが続き、見ていて不思議と心地よくなるんです。

 

この映画は黒人をはじめとしたマイノリティーに生きる苦悩を描いた重たい内容で日本人の私たちには関係ないと思われるかもしれませんが、テーマにしている部分がもっと深いんです。

 

ずっと苦悩を続ける黒人の青年を通じて、「自分は何者かのか? 何になるのか?」という誰もが共通する悩みをテーマにして描いています。

 

私は高校時代に進路選択に悩んでいた時期を思い出していました。

大学に進むべきか? どういった道を歩むべきか?

 

誰もが一度は自分の進路選択に悩んだ経験があると思います。

私はこの映画を見ているうちにバタフライ効果のことをふと考えました。

 

 

カオス理論でよく言われるバタフライ効果は「ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を引き起こす」と言われるように、些細な出来事がのちに大きな変化をもたらすということを説明した理論です。

 

 

人生にもそんな変化があるのだと思います。

あの日、あの人と出会わなければどうなっていたのだろうか?

就活であの会社から内定が出ていたら自分の人生は大きく変わっていたのだろうか?

 

誰しもが些細な変化の影響を受けて、のちの人生が大きく変わってしまうような経験が気がつかないうちにあると思うんです。

 

ちょっとした些細な出来事が積み重なって、今の自分が生まれているんだと思います。

 

映画「ムーンライト」もそんな些細な変化がのちの人生を狂わせるということを見る人に伝えています。

 

もし、あの時主人公の心の叫びに声をかける人がいたら、あのような出来事が起こらなかったはず……

 

ある出来事がきっかけで、主人公の人生が大きく狂ってしまうんです。

 

映画の中である人はこう言っています。

「自分が何になるかは自分で決めろ。絶対に他人に決めさせるな!」

 

人生の岐路において、どう選択するかでのちに大きな差が生まれてしまいます。

その些細な変化の積み重ねで、自分の人生が決まってくるのです。

 

自分が何になるかは自分で決めるしかない。

くれぐれも選択を間違えるな。

そんなことを伝えている映画でもあったと思います。

 

私は今だに自分の人生に自信を持てません。

しかし、この映画を見てから少し自信を持って前を見て行こうと思えるようになりました。

 

「自分が何になるかは自分で決めろ。絶対に他人に決めさせるな!」

 

この言葉を胸にしまって、日々生きていく中での些細な変化も大切にしながら自分の

人生に彩りを与えていけたらなと思います。