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年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

社会のレールに乗っかることを拒否している人がいたら……

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「自分は好きなことで生きて行く」

高校時代はそんなことを思っていたと思う。

教師との進路面談の時も私は生意気なことを言っていた。

 

「私は好きな芸術の道で生きて行きたいです。だから、美大受験を考えてます」

確か、私は教師にそう言っていたと思う。

 

教師はこう答えていた。

「好きなことで食べていくのは大変だぞ。世の中の大半の人が自分の好きなことと仕事を折り合いをつけて働いている。好きなことを仕事にできる人は少ないんだ」

 

私は教師の話を聞きながら頭ではこう考えていた。

なんで世の中の大半の人は、自分が好きなことを仕事にしないのだろうか?

好きなことを仕事にした方が楽しいはずなのに……

そんな生意気なことを思っていたのだ。

 

当時の私は(今でも同じだが)、社会のレールの沿って歩くのが嫌で仕方がなかった。

私は高校は進学校に通っていたが、生徒皆、学歴が高い大学を目指し一生懸命勉強している環境に違和感を感じていたのだと思う。

 

なぜ、みんな同じように早稲田大学慶應義塾大学を目指すのか?

もっと他に道はないのか?

 

学歴があればバラ色の人生が待っている。

勝ち組になりたければ、早慶や東大一橋に入らなければならない。

そんな強迫観念に駆られていたのだと思う。

 

私はというとそんな進学高の中で、落ちこぼれに所属する生徒の一人だった。

とにかく勉強ができなかったのだ。

「こいつらには勉強では勝てない。芸術の分野なら勝てるかもしれない」

そんなことを思った私は、絵が描けないくせに生意気にも美大受験を考えるようになったのだ。

 

結局、美大は私立大学の倍の学費がかかるため、親の反対もあって断念することにした。

私は一浪してなんとか一般の私立大学に受かり、多摩の山奥でキャンパスライフを送ることになったが、大学生になっても普通の生き方は嫌だというモヤモヤをずっと抱えて生きていた。

 

なんでみんな社会のレールにはまることができるのか?

 

基本的に拘束されるのが嫌いな私は、社会のレールに沿って生きて行くやり方がどうしても違和感を感じていて納得できなかったのだ。

 

社会というのは椅子取りゲームみたいな部分があると思う。

早慶などの有名大学のプレミアチケットを持っている人は、優先的にいい椅子に座ることができ、それ以下の大学のチケットはちょっと外れの椅子に座る権利を得ていく。

私がいた進学高では、ほとんどに人が親も東大やら早慶を出ている人なので、その息子も自然と高学歴の大学を目指すのもわかる。

 

しかし、椅子取りゲームに勝つために必死こいて勉強している同級生を見ていて、どうしても違和感を拭えなかったのだ。

 

私は結局、偏差値も中くらいの私立大学に入った。

それなので、自然と早慶や東大一橋よりもいい椅子に配分される確率も低くなる。

浪人時代に自分が必死こいて頑張って勉強した結果だからその大学に入ったことには後悔はなかった。

しかし、大学名だけでその人を判断されることにどうしても違和感があったのだと思う。

 

 

私は社会の椅子取りゲームに参加することが嫌で仕方がなく、好きだった映像の道に進もうと思い、プロの撮影や現場を度々訪れていた。

映像のプロフェッショナルは好きなことで食っていく人達だらけだ。

 

驚いたことにその人たちも大概同じようなことを言っていた。

「好きなことで生きていくのは大変だ」

どこか現実を見据えた辛そうな目をしていたのだ。

 

日本のクリエイティブな産業はとにかく過酷だ。

度重なる残業と低賃金、30時間労働は当たり前の過酷な労働環境でも

スポンサーたちは

「あなたたち好きでやっているんでしょ」

と無理難題な予算を組んでくる。

 

現場で働いている人たちは倒れそうになりながらも死に物狂いで作品を作っていく人たちばかりだった。

 

 

好きを仕事にするのはこんなにも大変なのか。

私はそう痛感した。

 

就活の時期が来て、あれほど社会のレールにはまるのが嫌だと思っていた私だったが、フリーランスとして生きて行く自信もなく、結局流されるかのように就活していった。

 

あなたはこの会社。

あなたの年収はこれくらい。

そう割り振れられていく社会の仕組みに違和感を感じつつ、自分一人で生きて行く自信もなかったため、私は社会のレールに乗っかることを選んだのだ。

 

いろいろあって転職などをして、新しい会社で働きだしたが、ふとあることを私は思った。

 

それは……

 

結局どの会社に入り、どんな人生を歩むかは全て自分自身の問題なんだなということだった。

 

私はこれまでずっと社会の仕組みがおかしい。

社会のレールに乗っかる生き方なんて嫌だ。

日本の就活はおかしい!

そんな風にいつも社会のせいにして逃げていたと思う。

 

しかし、どの会社に入ろうが、どの道に進もうが、全て自分が決めたことなのだ。

どの椅子に座るかを決めるのはいつも自分自身なのだと思う。

 

ある程度は学歴という名のチケットによって座れる椅子の範囲も限られてくるとは思う。

しかし、どの椅子に座るかを最終決定するのはいつも自分自身なのだ。

フリーで働くのもいい、会社に所属して働くのもいい。

全て自分で選んだ選択だったのだ。

 

私は実際に働き始めて、これまで社会のせいにして逃げてばかりいた自分自身に気づけた。

同じようにいつも社会のせいにして目の前の仕事にやる気を持てない人がいたら、周囲のせいにするのではなくそれは自分自身の決定でしかないということを伝えたいと思う。

 

社会のレールにはまるのは辛い部分もある。

しかし、そんなレールにはまる生き方をしたのは自分自身なのだ。

ひとまず自分で選んだ選択に後悔しないためにも目の前の仕事に真剣になって取り組むのが大切なのではないか?

 

そんなことを思いながら、私は今日も満員電車の中に飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個性を追い求めていた私が、最年少で直木賞を取った朝井リョウが描く「個性」を知った時……

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「あなたお名前は何でしたっけ?」

私は昔から、一度あったことある人にもよくそう聞かれる。

二ヶ月前にあったじゃん!

フェイスブックも友達申請してあるじゃん!

 

そう心の中で唱えるも再び名刺交換に応じる。

私は本当に昔から人に名前と顔を覚えてもらえることが少なかった。

それだけ自分は印象薄い人間なのか……

 

何で自分はこんなにも印象に残らない人間なのか?

私は昔からずっと思っていた。

小学校の頃から、クラスのみんなと馴染めず、常に隅っこでうずくまっているような子供だったので、いつもクラスの中心的人物に憧れを抱いていた。

 

私もあんな風に個性を出して、華のある人になりたいと思っていたのだ。

一度、私は勇気を出してクラスの中心的な人に声をかけてみたことがあった。

「ねぇ、今度、ディエルマスターズカードの交換しない?」

確かその頃、爆発的にはやっていたカードゲームを話題にして、友達の輪に入れてもらおうとしていたのだと思う。

 

クラスの中心的な人物はぼけっとした顔をして

「あれ? お前誰だっけ?」

そう言われた。

 

え? 二年間も同じクラスにいたじゃん。

何で名前すら覚えてないの!

私は相当ショックだった。

そんなにも私は印象薄い人間なのか……

2年も同じクラスにいて名前すら覚えてくれないのか……

そう思って私はショックを受けたのを覚えている。

 

何で自分には個性がないのか……

人の記憶にも残らないような印象薄い人間なのか……

私は小学生の頃からそのことをずっと悩んでいた。

 

クラスの中でも個性的で、人を惹きつけていくような人にずっと憧れを抱いていた。

私もあんな風な個性を身に付けたい。

ずっとそう思っていた。

 

そんな思いが爆発してか、大学生になった頃には個性を追い求めて、

私はとにかく人と違うことをやりたがっていた。

 

個性的でありたい。

人と違う人間でありたい。

 

そう思い、一人でインドに行ったり、京都の寺にこもってお坊さんになる修行をしたりしていた。(なんでお坊さんになろうと思ったのかは話せば長く成るので割愛する)

 

私はずっと個性というものを追い求めていたと思う。

そのためか、映画「桐島、部活やめるってよ」を見て私はやたらと感化してしまったのだ。

 

映画の中に登場する人たちみたいにゾンビ映画を作ってみたい。

映画の中に登場する神木隆之介くんみたいに「こいつらみんな喰い殺せ!」

というセリフを言ってみたい。

 

そう思った私は、夜な夜な大学に忍び込んでは血糊をばら撒き、ゾンビ映画を作っていった。

いろんなところに声をかけ、いろんな人に迷惑をかけた。

総勢40人以上の人にお世話になったと思う。

ゾンビエキストラだけで20人以上だ。

毎日、血まみれになりながらも撮影していった。

 

個性的なことをしたい。

人と違うことがしたいと思った私は、とにかく人と違う行動を取ることだけを考えて大学生活を過ごしていたのかもしれない。

 

「自分は就活なんかしないっしょ!」

そんな生意気なことを言っていたのだと思う。

しかし、時が経ち、就活の時期が来た。

周りは突然、黒いスーツを着るようになり、個性を消滅させて、自分を着飾りながら

就活に挑んでいた。

私もなんだかんだ言いながらフリーランスという生き方もノウハウもなかったので、周りに流されるように就活の荒波に巻き込まれていったと思う。

 

こんなんでいいのかな?

私はずっとそう思っていた。

自分の行く道はこのままでいいのか?

そう悩みながら、自分の軸をしっかり持たず、浮足立つようにして就活を続けていた。

 

そんな時、とあるマスコミ関係の就活イベントで若手のテレビプロデューサーたちが

一堂に集まるイベントに参加する機会があった。

 

私は基本的に人見知りのため、イベント会場に隅っこでうずくまっていた。

すると、とある若い女性が私に話しかけてきた。

「マスコミ関係を目指しているんですか?」

その人はテレビ業界にこんな綺麗な人がいるのか? というくらい綺麗な女性だった。

どうやらまだ20代でテレビ関係のプロデュース職をしているらしい。

 

「どんな番組をプロデュースしてきたんですか?」

私はそう聞いてみることにした。

すると、驚いた。

その綺麗な女性は映画「桐島、部活やめるってよ」のプロデューサーだったのだ。

 

え? 桐島のプロデューサー?

てか、若すぎないか!

 

そう思った私は質問攻めにしてしまったと思う。

どうやらその女性は26歳の時に、死に物狂いで書いた「桐島、部活やめるってよ」の企画書が会議で通り、若くして映画のプロデューサーになったという。

超スピード出世だ。

 

なんだこの人、めちゃくちゃ凄い人じゃん。

私はそう思って、やたらと映画のことを質問攻めにしてしまった。

 

「あのラストシーンの意味は何なんですか?」

「優等生のヒロキくんは何を悩んでいたんですか?」

その女性はいろいろ答えてくれた。

 

 

よく考えたらそのプロデューサーの女性自体が普通じゃない人だった。

桐島、部活やめるってよ」は学校の中心的人物である桐島が突然、部活をやめることでスクールカーストが崩壊していく青春映画だったが、その女性自体、桐島のような存在に思えてきてしまったのだ。

 

26歳の若さにしてスピード出世し、世の中で話題になるような映画を作り上げたその女性はまるで映画の中の桐島である。

私のようなスクールカーストの最下層にいた人間にとっては雲の上にいるような存在だった。

 

私もこんな風にして、人にきちんと認められるようなものを作り上げたい。

そんなことを思った。

 

その日から私は何が何でもマスコミに受かろうと悪戦苦闘していた。

若くして「桐島、部活やめるってよ」のプロデューサーになったあの女性のようになりたいと思ったのか、アホみたいにテレビ局やら電通やら、華やかな世界を受けまくっていた。

 

夜中までエントリーシートを書き、採用担当者は読んでくれているのかわからないが、応募しまくっていた。

 

そして、案の定落ちまくった。

なぜだ。

なぜ、自分は選ばれないんだ。

 

そう思った私は自暴自棄になっていた。

今思うと、私は当時、自分は何か持っている。

人と違ってクリエイティブな何かを持っていると思い込んで、周囲の就活生を上から見下ろし、傍観者の目線で就活に挑んでいたのだと思う。

 

そんな上から目線で生意気な就活生と一緒に仕事したいと思う企業があるはずがない。

私は容赦なく落とされた。

 

何で自分は選ばれないのか?

そのことで自暴自棄になった時もあった。

 

私は昔から、人に名前を全く覚えてもらえなかった。

普通の顔、普通の容姿、普通の考えを持っている自分に嫌気がさし、個性的であろうと努力してきた。

就活の面接でも、他の人とは違うことを言おうと思い、一生懸命考えて、印象に残るような自己PRを考えていった。

 

面接官の印象に残るようにすればどうすればいいのか?

そう悩んでは就活本を読みあさり、考えていった。

 

それでも自分の努力もむなしく、ほぼ全ての企業に落っこちた。

やはり、私は何も持ってない人間なんだ。

特に面接官の印象にも残らないつまらない人間なんだ。

 

私は社会から自分が必要とされてないかのように思えてきて、ノイローゼ状態になっていた。

なんとか滑り込むかのように入ったテレビ関係の制作会社でも何度も上司に同じことを言われた。

「キャラが立ってない」

マスコミの世界では個性的な人が生き残っていくらしい。

みんなキャラが立つ人ばかりだった。

それに比べ、私は全く個性のかけらもない役立たずの人間だったのだと思う。

 

「キャラを持て!」

何度も上司にそう言われ続けていた。

今思うと、それは上司なりの愛情だった。

会社内で私のキャラをもたせてあげて、馴染ませてあげたかったのだ。

 

しかし、度重なる徹夜でノイローゼ状態の私には「キャラがない!」というのはただの精神的な圧迫だったのだ。

何で自分はキャラがないのか?

何で個性というものがないのか?

 

そう思って仕方がなかった。

ずっとずっと個性というものを追い求めて、華やかなマスコミの世界にも入っていった私だが、そんなマスコミの世界でも個性というものを探し求めて、疲れ果てていた。

 

結局、私はテレビの世界を諦めてしまう。

さすがに二ヶ月ほどで8キロも痩せ、人身事故を起こしそうになるくらい精神的に滅入っていて、このままでは死ぬと思ったのだ。

 

家で動けなくなり、世の中をさまよい歩いているうちに、私は個性というものにすがりついていた自分に嫌気がさしてきた。

派遣のアルバイトなどをして、食いつないでいるうちに、個性的であろうとしていた自分も忘れていった。

日々の生活費を稼ぐだけで一生懸命になり生きている人たちを間近で見ているうちに、

私は個性という呪いにすがりついて自分が情けなくなってきたのだ。

 

この人たちは毎日の暮らしを必死に生きている。

それに比べ、私は訳も分からない個性というものを追いかけて、個性的であろうと空回りしてきた。

そんな自分が嫌になってきてしまった。

 

 

このまま派遣ばかりしていてはダメだと思い、必死に転職活動をするようになった。

もちろん新卒で入った会社を数ヶ月で辞めた奴を雇ってくれる会社はほとんどゼロだった。

それでも生きていくために私は何度も転職活動を繰り返していった。

なんとか奇跡的に雇ってくれる会社を見つけることができた。

 

4月からその会社で働くことになったのだが、ふと先日とある一冊の本を電車の中で読んだ。

その本はずっと家に放置されていたが、なぜか今の拍子で読もうと思ったのだ。

それは私にゾンビ映画を作るきっかけにもなった「桐島、部活やめるってよ」の作者

朝井リョウが書いた小説だった。

 

「もういちど生まれる」というタイトルだった。

私は何気なく読んでいったと思う。

本当に何気なく読んだのだ。

 

しかし、小説の中の主人公が自分のように思えてきて、満員電車の中で涙が溢れそうになってきた。

 

それは5人の男女が繰り広げる青春群像劇だった。

20歳を目の前にした19歳の若者の日常を鋭く描いた作品だ。

誰もが一度は経験したことがある若さ特有のイタイ部分をついた傑作だった。

 

10代の頃は、可能性の広がりを感じ、無邪気に目の前のことに飛び込むことができていたが、20代を目の前にして、どんどん現実の世界を知るようになり、自分の持つ可能性の範囲も限定されてくる。

その無邪気に物事を見ることができた世界から、大人の世界に入り込む若者たちの悲痛な叫び声のようなものが作品の中に散らばっていた。

 

私は読んでいくうちに自分に言い聞かせられているような気分になってきた。

無邪気にその瞬間を楽しめる時代はもう終わったのだ。

もう大人の世界に入ってきて、自分の可能性というものの現実を知らなきゃいけない時期なのだ。

 

悪戦苦闘する主人公たちの物語を読んでいるうちにある一節が脳裏にこびりついた。

それは高校時代に才能あふれる画家だった兄に向けたとある妹が語った言葉だった。

 

「高校時代は他の人とは違うことをすごいと思っていた。だけど、同じことの繰り返しの日々の中に楽しさを見出したり、日常に根ざしている才能をすごいと感じられるのはもっともっと後のことなんだ」

 

私はずっと個性的であろうとしていた。

しかし、こうして社会に出て、いろいろ社会に厳しさを痛感するようになってきて、日々の日常を生きているだけでも相当すごいということをとても痛感した。

 

普通に家賃払って生きていくだけでもこんなにも大変だとは……

普通のサラリーマンをやりつつ、給料をもらって日々暮らしていくだけでもこんなにも大変だとは思わなかったのだ。

世の中の9割以上が平凡なサラリーマンだ。

そんな中でも日々の仕事を楽しそうにイキイキとしている人たちこそ、本当に尊敬すべき人なんだなと思う。

テレビに出てくるような何か特別なものを持っている人よりも、日々のありふれた暮らしの中を懸命に楽しく生きている人の方がそほど尊い存在なのではないか?

 

そんな風に感じるようになったのだ。

 

あえて個性的であるよりも、平凡な出来事でも目の前のことをいかに楽しでできるか? そのことの方がよほど大切だったのだと思う。

 

個性というものを追いかけて、雁字搦めになっていた私はようやくそのことに気づけた。

痛々しい青春の輝きを放つこの短編小説は多くの人の心にも響き渡ると思う。

何か個性というものにすがりつき、雁字搦めになっている人こそ読んでみてほしい小説だ。

 

 

 

紹介したい本

「もういちど生まれる」 幻冬舎文庫   朝井リョウ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が成長できる環境を追い求める就活生ほど、このDeNA社長の本は読んだ方がいいかもしれない

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「自分が成長できる環境に身を置きたいと思います!」

身にしみてないスーツを着て、ビシッと心構えている就活生がそう言った。

私はそんな真剣な眼差しで語る就活生たちを見て、自分も昔はこうだったのか……

と思い、感慨にふけっていた。

 

私は就活に失敗した人間だった。

受けた企業も30社以上落ちた。

 

新卒で内定をいただけた会社も度重なる睡眠不足で、頭がおかしくなり辞めてしまった人間だった。

短期間で新卒と第二新卒の就活を経験したのだ。

 

そんな私はどこか就活にコンプレックスを抱いていた。

なぜ、あの時私は選ばれなかったのだろうか?

そんな思いがずっとあったのだ。

 

新卒と第二新卒を経験した私だからこそ、喋れることもあるのではないか? 

と思い、とある就活イベントの手伝いをして、悩んでいる就活生相手に色々語らせてもらった。

 

3月の時点で、就活のイベントにくるような学生は基本的に真面目な人が多い。

たぶん、解禁される前から動いていたのだろう……

3月の時点で内定をいただけて、余裕を持って就活を続けている人も多かった。

 

「もっと自分が成長できる環境があるのではないか? そう思えてきて不安なんです」

一社から内定をもらえている就活生はそう語っていた。

 

 

就活生に「入社した会社で3年以上働く予定の人?」と聞くと、

驚くことに誰一人手を挙げていないことには驚いた。

皆、一社目は自分を成長させる土台にして、ある程度スキルを身につけたら転職するつもりなのだ。

 

「自分を成長させてくれる環境に身を置きたい」

「一社目はスキルアップを重視して、自分一人でも生きていける力を身に付けたい」

そんなことを言っている人が多かった。

 

自分が成長できる環境に身を置くのは全然いいと思う。

厳しい環境に身を置く方が圧倒的に人間は成長できると思うからだ。

だから、今の就活生の多くが、経営は安定していないが、一人一人の裁量が試されるベンチャー企業を受けるのだろう。

 

厳しい環境に身を置いて、自分自身を成長させるのは全然いい。

しかし、そんな環境を追い求めて就活を続けている人を見て、なんだか私は違和感を感じてしまった。

 

自分が成長できる環境……?

なんだろうこの違和感は。

 

私は自身、「自分が成長できる環境があるはずだ!」と思い、就活をしていたと思う。

数あるベンチャー企業も受けたし、マスコミ中心とした大手企業も受けた。

どこか自分を認めてくれる環境があるはずだと思えて仕方がなかったのだ。

 

急成長しているベンチャー企業で働く人たちは皆すごかった。

とにかくポテンシャルが高いのだ。

皆ビシッとしたスーツを着て、仕事上のパフォーマンスが向上できるように日々の生活から重視している人も多かった。

 

そんなベンチャー企業の面接に来る学生もポテンシャルが高い人が多い。

学生時代に自分で会社を起こした人もいた。

しかし、そんなベンチャー企業でも受けてくる学生には2パターンの人がいた。

 

自分が成長するためにがむしゃらに努力する人と、自分のようにただ闇雲に成長できる環境を追い求めている人だ。

 

ある程度中規模のベンチャー企業になると、努力もしてこなかったのに、

自分を認め、成長させてくれる環境を追い求めて、面接に来る人も多かったと思う。

 

私自身もそんな就活生の一人だった。

 

ただ単に、ベンチャー企業はスマートでかっこいい。

上司のめんどくさい指示に従わなくても、自分自身の判断で事業を展開できて面白そう。そんなことを思って、就活していたのだと思う

自分自身たいした努力もしてこなかったのにもかかわらず、自分を成長させてくれる環境ばかりを追い求めていたのだ。

 

そんな就活生を雇ってくれる会社はどこにもなかった。

私はほぼ全ての受けた会社から不採用通知が来た。

 

なんで自分は選ばれないのか?

その時は自暴自棄になっていたと思う。

 

時が経ち、転職をしたりして社会の厳しさを痛感した頃、私はとある本と出会うことになった。

それは起業に挑戦した同級生が教えてくれた本だった。

「起業の厳しさをこの本から学んだ!」

そう彼は言っていた。

 

不格好経営

それはDeNAの元社長が書いた自伝的な物語だった。

 

DeNAと言ったら圧倒的な成長力を誇るベンチャー企業だ。

優秀な人も集まっているのだろう。

起業当初から順調に成長を続けている企業だと思っていたが、この本を読んでいくうちにそれは私の幻想にすぎないことがわかった。

 

社長はとんでもなく苦労しながら、一歩づつ会社を成長させていったのだ。

プログラミングのコードを発注したら、一週間前に何一つコードが書かれてないと発覚して、投資家たちに頭を下げに行った時もあったという。

 

起業することはこんなにも大変なのか……

私はそう思いながらこの本を読んでいった。

 

そして、ある一節がとても頭にこびりついた。

それはゼロからベンチャー企業を立ち上げ、会社を成長させていった社長にしか言えない言葉だった。

 

「自分の成長への意識はほどほどにしといた方がいい。成長はあくまでも結果である。

給料を取りながらプロとして職場についた以上、自分の成長に意識を集中するのではなく、仕事と向き合ってほしい。そして、皮肉にも、自分への成長だへちまだなどと言う余裕がなくなるほど必死に仕事に食らいついている人ほど、結果が出せる人材に急成長する」

 

この一節を読んだ時ハッとしてしまった。

私は常に自分が成長できる環境を追い求めていたのだと思う。

しかし、そんな奴は何一つ成長しない。成長していく人は自分自身がいる環境の中で、がむしゃらに努力を続けている人なのだと思う。

目の前の仕事にきちんと食らいついていける人なのだ。

 

特に努力をしてこなかったのに、カッコイイからという理由でベンチャー起業などを受けている昔の自分のような就活生がいたら是非、一度は読んでみてもいいかもしれない。

社会に出る上で、戦い続けてきたDeNAの社長の言葉はとても身にしみてくる。

 

環境のせいにして逃げるのではなく、目の前の仕事にきちんと向き合うことの大切さを私はこの本から身にしみるほど学んだ。

 

今日も大量の仕事が待っているだろう。

それでも必死に喰らいつかねば。

そう思って私は満員電車の中に飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書くことに悩んでいる人がいた私は、美味しいラーメン屋から書くヒントを得た

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私は昔から浮足立っていた。

毎日のように満員電車に乗って、学校に通い、往復する毎日だ。

東京の満員電車は大変だ。

電車の中に詰め込まれ、身動きが取れないまま、ひたすら黙って耐えるしかない。

ウォークマンを聞いたり、本を読んだり、大半の人はスマホをいじって過ごしている。

 

満員電車に乗っている人はどこか暗い顔したおじさんが多かった。

高校生だった私は、将来自分もこうなるのか……と憂いてばかりいた。

 

先日とあるイベントで、ある人はこう言っていた。

「自分は田舎出身だけど、東京育ちの人は他者からの承認でしか生きている実感を得られてないから可哀想だと思う時がある」

私はその言葉を聞いた途端ハッとした。

 

確かにその通りなのだ。

私は東京生まれ東京育ちの一人だ。

幼い頃から毎日人身事故が起きている中央線を見て、殺伐としたコンクリートジャングルの中で生まれ育ち、なんだか常に浮足立っていて、生きている実感が得られなかった。

 

イベントでその人はこうも言っていた。

「親が自営業で、畑をやっていたから、人間大地に立って野菜を食っていけばなんとかなると言う精神が幼い頃から身についていたのかもしれない。東京に出てきて就職して、上司に怒鳴られたりしても、心のそこで大地の野菜だけ食べていけば生きていけると言う自信があるから仕事も耐えられる」

 

私は田舎から上京してきた人にずっと憧れを抱いていた。

田舎で生まれ育った人は、みんな大地にどっしりと立って、きちんと生きている感じがするのだ。

私はと言うと、常に周りの目線を気にしては常に浮足立って生きている心地がしなかった。

 

なんで自分はこうも空っぽなのだろう。

そう思えて仕方がなかったのだ。

 

去年の末からライティングを始め、こうして毎日記事を書く習慣をつけて行ったが、書くときも空っぽな自分を痛感していた。

書くということはその人の人生観や生き方が反映されてくるものだ。

今日見た景色や、今までに得た経験などから記事のネタが生まれてくることが多い。

 

書いては書くほど、空っぽな自分に嫌気がさしてきたしまったのだ。

 

やはり、面白くてバズるような記事を書く人は、人生経験も豊富だ。

いろんな挫折や窮地を乗り越えてきた人が書いた文章は重みがあって、多くの人の心に届く。

大地にしっかりと立ち、毎日を必死に生きている人が書いた文章はやはり面白いのだ。

 

私はそんな面白い記事を書いているライターさんを見ては、自分の文章の浅はかさを痛感し、劣等感を感じるようになった。

なんで自分は空っぽな人間なのだろうか。

 

昔から浮足立って周囲に流されて生きてきた私が書いた文章など面白いはずがない。

そう思えて仕方がなかった。

 

私が書くことに悩んでいた時、仕事終わりにとあるラーメン屋さんに立ち寄ることがあった。

そのラーメン屋さんとは最近出会い、お金に余裕があったらよく訪れていた。

 

「はい、いらっしゃいませ」

笑顔で店員さんは迎えてくれた。

 

私は券売機でいつものように中華そばを注文し、席に着いた。

5分くらい待ってからラーメンがやってきた。

湯気が立ち、麺とスープが絡み合った濃厚な味わいだ。

私はいつものように麺をすすりながらラーメンを食べていった。

そして、ふとあることに気づいた。

 

なんでこのラーメン屋さんの店主は毎回、美味しいラーメンというコンテンツを提供できるのか?

どんな時に来ても100発100中で美味しいのだ。

それって当たり前であるようで凄いことなのでは? と思ったのだ。

 

私のようにライティング習いたての人が記事を書くと、どうしても記事自体にクロリティの差が出てきてしまうものだ。

ある時は強烈にバズって評判が良くても、ある時は全く面白くない文章を書いてしまう時があったのだ。

その時は面白いはずだと思って書いていても、後から見返すとスカスカで内容がない文章なことに気づかされるのだ。

 

このラーメン屋さんの店主のように、毎回濃厚で美味しいコンテンツを提供できるのは凄いことだと私は思った。

 

ある程度ラーメンのレシピというものはある。

しかし、そのレシピがあるにしても、なんでこうも毎回美味しいラーメンというコンテンツを提供できるのか?

そう思って私はラーメンを茹でている店主の顔をじっと見つめた。

とても真剣な目つきが店主はラーメンを茹でていた。

 

聞いた話によるとプロ中のプロのラーメン屋さんは、ちょっとした湿度や気温の変化に合わせてラーメンを茹でる温度を調整しているらしい。

そうしないと麺の茹で加減にアラが出てきて、時によって硬かったり柔らかかったりするのだ。

私の行きつけだったそのラーメン屋さんは麺の茹で加減に全くアラがなかった。

どんな時に来ても、毎回同じ茹で加減で、ビシッとした麺が濃厚なスープに絡み合っているのだ。

 

私は真剣な眼差しでラーメンを茹でている店主を見て、やはり熟練の技はすごいなと思った。何年も修行したのだろう。

 

私の目の前のお客さんが席を立った。

「ありがとうございました」

それはそれはとびっきりの笑顔で店主はお客さんを見送っていた。

 

その時、私は思った。

たぶん、この店主さんは目の前の人をどう楽しませるか? しか考えてないのだ。

 

真剣な眼差しで麺を茹でているのも、待っているお客さんに美味しいラーメンを提供したいという一心なのだ。

ただ単に目の前にいるお客さんを楽しませたいのだ。

 

その店主の思いが濃厚なスープににじみ出ているのだと思う。

料理もその作り手の心が反映されてくるのかもしれない。

 

私は自分のプライドに突き動かされ書いていた節もあったと思う。

しかし、一番大切なことだったのは、いかにして目の前の人を楽しませるか?

ということだったのだ。

 

毎日をポジティブに生き、どんなに辛いことがあっても乗り切り、目の前の人を楽しませようというその人の心が、記事にも反映されてくるのだ。

 

私は無駄なプライドに突き動かされて記事を書くのではなく、

一番大切だったのは目の前の人をどう楽しませるかということだったのだ。

 

どうやって楽しませようか? 

こんなネタは面白いかな? などと目の前の人をいかに楽しませるかという視点を考えながら記事を書くようになると、不思議とネタも増えてきて、書くことが楽になったのだ。

 

私はまだまだ未熟だと思う。

だけども、美味しいラーメン屋さんのように、毎回濃厚なコンテンツを提供できるようになりたい。

そう思いながら私は今日もライティングに励んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の武器を捨てて、弱さを認めよ

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「なんで自分は弱いのか……」

私は半ばパニック障害になりながら、その時電車に乗っていた。

怪物の口が開くかのように満員電車のドアは開いていた。

なだれ込むかのようにその口の中に入っていく人々。

 

私は電車に乗っていく人々を前にして硬直していた。

会社に行きたくない……

 

私はその時、完全に頭がおかしくなっていたと思う。

新卒で入った会社はテレビ制作会社だった。ADとして死ぬほど働いた。

朝の4時までロケテープを取り込み、早朝6時には次のロケのために準備を始める。

収録などが立て込み、超絶忙しい時となると、一日平均睡眠時間が30分ほどだった時もあった。

 

私は立て続く睡眠不足に頭がおかしくなった。

よく考えたら、自分で選んで映像制作の道だ。

好きで選んだはずだった……

 

しかし、好きなことだからこそ、仕事にすると辛いこともある。

私は理想と現実のギャップに苦しみ、もがいていた。

 

半ばノイローゼ状態のまま、朝の満員電車のホームに降り立っていたと思う。

今でも覚えている。

「4番線に各駅停車〜新宿行き〜」

ホームにこだまする駅員さんの声に連れられ、私はホームの中に吸い込まれそうになった。

 

電車はホームになだれ込むかのように入ってきた。

大きなクラクションを鳴らしながら、駅のホームに入ってくる。

「ブォォォォ」

 

私は思考停止した脳みその中で、電車のクラクションがこだまし、ふと我に返った。

目の前数センチのところを電車が通過していった。

 

そのまましゃがみ込んだ。

私は驚いた。

本当に無意識だ。

電車が入ってくる線路の中に吸い込まれそうになったのだ。

 

連続する睡眠不足が続いて、ノイローゼ状態の私の脳でも

「さすがにやばい」ということはわかった。

このままではさすがに死ぬ。

 

私はその日、会社を辞める決断をした。

上司に辞めるといった記憶すらない。

なんだかよくわからないうちに会社を辞めることになっていたのだ。

 

私はその日から動けなくなった。

じっと家に閉じこもり、外の世界との情報を遮断していった。

大学や高校の同級生は必死こいて働いているのに、自分はわずか数ヶ月で会社を辞めてしまったのだ。

自分の弱さを痛感し、私は身動きが取れなくなってしまった。

 

SNSを見てみたら、会社の愚痴を呟きながらも月一ほどで飲み会を開いている同級生の姿も見かけた。

私はそんな同級生を見ているうちに、吐きそうになった。

強烈な劣等感を感じ、SNSも見れなくなったのだ。

 

そんな風にして世の中をさまよっているうちに、私はとある一本の記事と出会った。

それは東京のとあるライティングゼミに通う生徒さんが書いた記事だったと思う。

どこのサイトだったか覚えてないが、ネットをいじっているうちに、

どこかからか私の前に現れたのだ。

 

何だこの記事は!

 

その時、ただ呆然としながらその記事を読んでいたと思う。

私はもともと、文書を書くことは好きだった。学生時代も自主映画をアホみたいに撮っていた関係で脚本を書くことには慣れていた。

脚本を書くことは楽しかった。自分の脳みその中にある絵を文章の形にして吐き出していくのだ。

自分が書いた脚本を人に見せ「この話、面白い!」と言ってもらえるのは死ぬほど嬉しかった。

 

私はそのネット上で見かけたライティングゼミ生が書いた記事を読んだ時、無我夢中になって取り組んで脚本を書いていた日々を思い出していた。

 

私もこんな記事を書きたい!

そう思った私はそのライティングゼミに通うことを決意した。

 

プロのライターさんから人を動かす文章術を学んでいくうちに、

私は文章を書くことにのめり込んでいった。

 

毎日のように記事を書き、書いて書いて書きまくった。

ライティングは不思議なものだ。

文章もポジティブな終わり方をすると、自然と身の回り方ポジティブな情報が目に入ってくるようになるのだ。

ありふれた日常が愛おしく思える。

 

書いては吐き出してを繰り返し、私はいつしか月日が経った。

プロのライターさんとして食っている人にも多く出会った。

一般の専業主婦をしながらライティングに励んでいる人にも出会った。

そんな人たちと出会いながらもいつも、私はどこか自分の弱さに後ろめたい気持ちがあった。

 

私は弱い人間だ。入った会社も数ヶ月で辞めてしまったのだ。

破壊的なバズを起こすような記事を書いている人は、自分の芯がどっしりとしていて、濃厚な記事を書いていた。

私はそんな記事を読んでは、自分の文章の浅はかさを痛感していた。

なんで自分の書いたものはこんなにも中身が空っぽなのか。

 

自分がやっと見つけたライティングという場面でも自分の弱さに嫌気がさしていた。

 

自分は弱い人間だ。

そんな人間が書いた文章など面白くない……

そう思えて仕方がなかった。

 

 

そんな時、ふと本屋さんでこの本を見かけた。

私は目にした瞬間、帯に書かれてあった言葉に惹きつけられてしまった。

 

そこにはこうあった。

「自分の弱点を認めた人間は強い」

 

それは大ヒット漫画「暗殺教室」の作者松井優征と世界的なデザイナー佐藤オオキが

対談したインタビュー集だった。

私はその帯に書かれてあった文章に引き寄せられるかのようにして、その本と出会った。

早速、本を購入し、家にこもって読んでいった。

 

そこには弱さを抱えた弱者が、いかにして少ない武器で強者に勝っていくかという戦法が書かれてあった。

 

「自分の弱点を一回認めた人間は強い」

そう切り返し本では書かれてあった。

 

「漫画やデザイナーの世界では、自分より絵が上手い人がゴロゴロいる。そんな中、自分の才能のなさを一度認めた人間は強い。クリエイティブな世界でいかにして戦っていくかを必死に考え、戦うために他の人が手を出していない分野を磨いていく。そうこうしていくうちに自分にしかできない表現が身についてくる。

一番大切なことは自分の弱点を認めてあげることだ」

 

少ない武器でいかにして強敵を倒していったか?

まるでドラクエの世界をゲームしているような仕事術がそこには書かれてあった。

 

私は特別、何かの才能があるわけでもない。

一度入った会社も数ヶ月で辞めてしまった人間だ。

だけど、そんな弱さを抱えて自分でもできることがあるのではないかと思えてきた。

 

きちんと自分の弱点を認め、いかにして強者と向きあっていくか?

それが大切なのだと思う。

 

プロのライターに混じっても、きっと自分にしか書けないものがあるはず。

そう思えてきたのだ。

 

私は今日からまた再び社会人として働き出す。

一度挫折してしまった私のような人間でも、自分の弱点を認めることで、やれることがきっとあるのではないか。

そう思って私は早朝混み合っている満員電車の中に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同世代で活躍している人を見て嫉妬心を感じてしまう、あなたへ

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私はその日、テレビを見ることができなかった。

いつもお世話になっている同世代のライターさんが注目されて、30分間の特集番組が放送される日のことだった。

番組の詳細が公開されると同時に私の周りにはいろんな反応があった。

「おめでとう」

「すごい!!!」

「絶対見るね」

私ももちろん、おめでたいことだと思った。

その人も私と同い年で24歳だ。

24歳の若さでテレビで30分間の密着ドキュメンタリーを組んでもらえることなんて、まずないだろう。

本当に才能がある方なのだ。

 

私も単純に「凄い! おめでとうございます」と驚きが隠せないと同時に、心の奥底でモヤモヤしたものを感じていたのかもしれない。

放送当日になり、私は前もって夜の予定を空けていたので、リアルタイムで番組を見れるようにしたいた。

録画予約もしておいた。

 

時刻を見たら、放送予定の23時だ。

テレビをつけよう。

 

最初の4分しか見れなかった……

見ていて辛くなってしまったのだ。

 

この人は注目されていて、力強いのに、何で私はこんなにも弱いのだろうか。

私は劣等感に苛まれて、結局テレビを見ることができなかった。

その人がものすごい努力をしてきているのは知っている。

誰よりも文章を書いて、いろんなことに挑戦しているのは知っている。

テレビ局の人から注目されるのもわかる。

だけど私はテレビをつけることができなかった。

 

なぜ、同じ年に生まれたのに、こんなにも差がついてしまったのだろう。

私はその時、フリーターのプー太郎だった。

大学受験も失敗し、浪人してかろうじて大学には入れた。

就活も失敗し、逃げるようにテレビ制作会社に入った。

しかし、あまりにもブラックな環境のため、結局私は逃げ出してしまった。

 

私は今、24歳だ。24歳にもかかわらず社会人経験がほとんどない。

中学の同級生など、ストレートで進学していたら社会人歴2年〜6年以上になるはずだ。

しかし、私は今だにアルバイト経験しかほとんどない。

 

同い年でも自分はフリーターのプー太郎で、一方テレビに注目されている人もいる。

私はそんな人を見て、焦っていた。

 

何で自分は何をやってもうまくいかないのだろうか。

同世代で活躍している人を見ると、劣等感に苛まれ、私は後ろめたい気持ちになってしまった。

 

自分はもっと凄い人間のはずだ。

誰か認めてくれる人がいるはずだ。

そんなことを思っていたのかもしれない。

今思うと、私は嫉妬心を抱え込んでいたのだと思う。

 

私は、劣等感と嫉妬心に苛まれてテレビをつけることができなかったのだ。

 

会社を辞め、世の中をさまよっているうちにこうして文章を書くようになったのだが、それでも常に劣等感と嫉妬心が心の奥底ではあった。

 

あれだけ頑張って書いているのに何で自分の記事はPV数が伸びないのか?

自分よりバズっている記事を見ては私は後ろめたい気持ちになっていた。

 

自分の記事の方が面白いはずだ。

他人の記事を見て、私は心の奥底でそう思っていたのだと思う。

 

何で自分の記事はバズらないのか。

 

会社を辞め、同級生とも会わせる顔がなくなってしまった私は、書くことだけは大切にしようと思っていた。

しかし、書くことでさえも「自分は何を書いてもダメなんだ」と思ってしまった時期もあった。

 

他人の記事なんかよりも自分の記事の方が面白い。

そう心の奥底でそんなことを思っていたのだと思う。

私はその時、独りよがりの文章ばかりを書いていた。

同世代で活躍する人をSNSで見かけては劣等感を抱え、その嫉妬心のはけ口に文章を書いては書きまくっていたのだ。

 

そんな時、ふとこの本と出会った。

立川談春師匠の「赤めだか」だ。

 

私は会社を辞めて、世の中をさまよい歩いている時に落語に興味を持った。

「落語とは人間の業の肯定である」

立川流の創始者である立川談志はいたるところでこう語っている。

 

「人間は寝たい時には寝ちゃダメだとわかってても、つい寝てしまう。酒を飲みたい時には、いけないとわかっていてもついつい飲んでしまう。宿題を早くやればいいものも、ついサボってしまう。先生は努力が大切だというが、努力しても皆偉くなるなら誰も苦労しない。落語はそんな弱い人間を認めてあげるんだ。

落語とは、人間の業の肯定である。覚えときな!」

 

私は好きなことを仕事にしようと思い、映像制作の道に進んでいったが、結局辞めてしまった。自分の弱さを痛感し、家に閉じこもり身動きが取れなくなった時期もあった。

 

そんな時、どこのサイトか覚えてないが、ネットでこの文章の記事を読んだ。

私は涙が溢れそうになった。

 

清く正しく生きることが大切だ。

と先生は言うが……世の中そう甘くはない。

 

努力ではどうにもならないものを目の前にした時に、

「そんな自分でもいいんだよ」と教えてくれるものが必要なのだろう。

 

私はその時、この言葉にとても救われたような気がした。

 

私は遅くなったが、師匠のこの言葉が書かれた「赤めだか」を読んでみることにしてみた。

それは談志師匠の弟子である立川談春が書いたエッセイ集のようなものだ。

 

文章も落語家さんが書いたものだからだろうか。

どこか落語的でとても読みやすく、面白い。

もう本当にグイグイ読めるのだ。

 

私は夢中になって読んでいった。

そして、ある一節がグッと私の心に突き刺さった。

それは師匠が弟子の談春に嫉妬というものを教えてやる場面だ。

 

「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬というんです。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。よく覚えておけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない」

 

私はハッとした。

自分に言い聞かされているような気がしたのだ。

私が同世代で活躍している人をテレビで見ることができなかった理由はそこにあったのだ。

私は理由を口で言うだけで、相手に並び抜くための行動を送っていなかったのだ。

 

自分にはこれが向いている。

これはできない……

様々な理由を並べていつも逃げているだけで、相手よりも無我夢中になって自分が好きなものと向き合っていなかったのだ。

自分は相手よりも努力してなかった。ただ、それだけなのだ。

 

同世代の人で活躍している人を見て、愚痴を言っている暇があったら、とにかく目の前のことに夢中になろう。

とにかく書こう。

そんなことを思った。

 

それから私は毎日、記事を書いたりして今までの倍は文章を書くということに向き合うようにしていった。

そうすると不思議なことに、嫉妬を感じずに、その録画しておいたテレビ番組を見ることができるようになったのだ。

 

やはり同世代で活躍し、テレビに映るような人たちは、自分なんかよりも1000倍努力しているのだろうと思う。

 

そんな人たちにも顔向けできるように、今はとにかく書きまくろう。

それしかないのだと思う。

 

 

 

 

kiku9.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わずか4館で公開された映画が、270館まで拡大されアカデミー賞候補にもなった理由

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この映画はなぜか私の前に現れた。

 

その日は夜予定が空いていたので、いつものように家で映画を見ようと思い、DVDデッキを再生し始めた。

それは、有名な俳優が怪演をしたと言われる映画だ。

アカデミー賞脚色賞にも選ばれ、70年代のアメリカに根づいていたマイノリティーの差別を描いた傑作映画だ。

 

面白くないわけがない。

普通に感動した。そして、心動かされた。

映画が終わった後も余韻に浸っていると、ふと予告編に流れていた一本の映画が気になったのだ。

 

何だったんだろ……あの映画?

 

私は基本的にDVDで映画を見るときは、予告編を見ない。

すぐに本編に入ってしまうタイプだ。

まあ、それもそうだろう。

DVDはボタンひとつで早送りできるので、わざわざ好き好んで映画の予告編をじっと見る人もいないと思う。

 

しかし、なぜかその日はじっと予告編を見てしまったのだ。

DVDを再生しはじめ、いつもならその予告編をすっ飛ばして本編に入るところを、予告編をじっと見てしまった。

 

なんだこの映画……

 

それはわずか4館のみで公開されたにもかかわらず、270館まで拡大されロングランしたとある一本の映画だった。

私はその映画のことを知らなかった。

グーグルで調べてみてもほとんど情報が載っていない。

 

尊敬してやまない町山智浩さんならラジオで解説しているだろうと、調べてみても何も情報が出てこなかった。

 

私はその時、何か予兆めいたある種の野生の直感を働かせた。

何か気になるなこの映画。

どんな映画なんだ?

 

基本的に見る映画は、町山智浩さんのラジオまたは、TSUTAYAを1時間ほど徘徊し、直感的に棚にあるDVDパッケージを選んでいく私には初めて体験だった。

 

いつも流し見していた映画の予告編で心動かされてしまったのだ。

なぜかその映画を見なければならない。

そう感じたのだ。

 

私は早速、TSUTAYAに駆け込み、その映画を探してみることにした。

検索デッキで調べてみると、案外簡単に見つかった。

棚の隅っこにその映画があった。

 

そこそこ話題にもなっていたはずなのに、それは棚の隅っこにあった。

本当に面白い映画だったらTSUTAYAさんなら特集コーナーを作って、隠れた名作を宣伝していくはずなのに、全くの手付かずでその映画は棚に放置されている。

どう見ても私の前に1年以上レンタルされた痕跡がない。

 

パッケージのタイトルを見て、私は正直大した映画には思えなかった。

何かとてもダサい邦題なのだ。

 

この映画以外に特に見たいものも見つからなかったし、仕方なくその映画を私はレンタルすることにした。

本当に仕方なくだ。

全く期待してなかった。

 

家でDVDを再生していく。

オープニングショットを見た瞬間も、あぁ、この映画ダメだと思った。

大した映画じゃないと思えてしまったのだ。

 

映画も小説もあらゆるコンテンツはオープニングがすべてだと言われている。

オープニングからかっ飛ばして面白くないと後半まで観客の集中力を持たせて見続けるのは難しくなってくる。

 

私も数多くの映画を見てきた経験(年間350本)から、この映画のオープニングショットを見ただけで、どうしても後半面白くなるとは思えなかった。

 

途中で再生を止めて他の映画を見た方がいいのではとも思えた。

だけど、せっかく借りたのだから、最後まで見なければもったいない。

そう思い、黙ってみることにしてみた。

 

前半10分に差し掛かった頃、キーインシデントと呼ばれるターニングポイントがあった。

日本語の起承転結でいうと、承の部分だ。

その承の部分が面白いか、面白くないかで、その後の物語の展開が決まっていく。

キーインシデントと呼ばれる承の部分が物語の根幹を支えていると言って過言ではないと思う。

登場人物たちがとある展開に巻き込まれることで、中盤以降の物語の展開が決まってくるのだ。

 

その映画のキーインシデントを見た瞬間、私は「あれ?」と思った。

 

何だこのゾクゾクとくる感じは。何だこの感覚は。

中盤以降、とある黒人の移民が母国から持ってきたコンガのミュージックがこの物語の根幹を支えているのだが、この移民たちの音楽がまたいい。

 

まるで、音楽と生活が密着しているニューヨークの人々の暮らしがその映画には溢れていた。

私は以前にニューヨークに行ったことがある。

本当に現地の人たちはアートと生活が密着しているのだ。

道を歩いていたら、突然歌い出す人もいれば、地下鉄で演奏を始める人もいる。

 

私はこの映画を見ていうと、そんなニューヨークで音楽ともにくらす人々のことを思い浮かべてしまった。

 

何だこの独特のテンポ感は。

 

そして、物語も後半にさしかかり、登場人物たちはある問題と直面する。

マンハッタン島を走り回り、友を救おうとする老人の姿を見ていると私は涙が溢れてきた。

 

私はいつしか、家のDVDデッキの前で、真剣な眼差しで映画の展開を見つめていた。

 

 

それは9.11以降、閉ざされてしまったニューヨークを象徴する傑作中の傑作映画だった。

今のアメリカが抱えている移民問題をここまで丁寧に描ききった映画は他にはないのではなかろうか?

 

 

私も実際にニューヨークに行ってみてわかったのだが、本当に「人種のるつぼ」と呼ばれている場所なのだ。

 

3ブロック歩いたら、別の移民街になる。

イタリア系、アイルランド系、中国系、アラブ系、イスラム系……

世界中の全ての人種が小さなマンハッタン島に集まっているのだ。

 

 

そんな「人種のるつぼ」と呼ばれる場所なので、自然と差別や偏見が生まれてきてしまうのだろう。

肌の色の違いから差別し、元からいた白人は移民を恐れている風潮がある。

9.11以降、その差別が加速して何人にも及ぶ移民が不法逮捕されていった。

 

映画の登場したとある白人の大学教授は、不法逮捕され強制送還された友人を目の前にして、政府の役人にこう投げかけていた。

 

「人をこんな風に扱っていいのか! あんなにいい人を虫けら同然に扱っていいのか。

我々は何て無力なんだ……」

 

この映画がわずか4館で公開されたにもかかわらず、270館まで拡大されロングランした理由……それは現代のアメリカ、ニューヨークが抱えている問題がすべて詰まっているからだと思う。

 

本当のニューヨークの姿が画面の中に詰め込まれているのだ。

 

この映画はアメリカに特に関心がない人が見ても損がない映画だと思う。

 

テレビを見ながら、今アメリカで起こっている人種差別運動を批判するのは簡単だ。

しかし、実際に差別されている移民たちの現状を知らないと何も事態は変わらないのだと思う。

 

本当のニューヨークの姿を知りたければ、是非、映画「扉とたたく人」は見て欲しい。

何でこんなダサい邦題なのかわからない。

 

原題は「The Visitor」……

「人種のるつぼ」と言われているマンハッタン島を訪れた人々という意味だ。