ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

「魔法少女まどかマギカ」を見て、弱さを抱えた自分のトラウマが、実は最大の武器にもなると気付かされた

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私はこのアニメを舐めてかかっていた。

本当に舐めていた。

始まりは、とある人が書いた文章がきっかけだった。

「大人になってからもまどマギだけは見たほうがいい」

フェイスブックでシェアされていた記事を見たとき、私は何で大の大人が魔法少女もののアニメを見ているのだろう? と思っていた。

 

どう考えてもおかしいだろうと……

しかし、その記事はいろんな人にシェアされ、私のフェイスブックのタイムラインは一時期、まどマギ一色になったのだ。

「本当にまどマギだけは見たほうがいいですよ」

「大人がハマるアニメです」

 

そんなコメントがタイムラインで飛び交っていた。

 

何なんだ……まどかマギカって?

 

私はあまりアニメは得意ではなかった。

特にセカイ系と呼ばれるジャンルのアニメは大の苦手だった。

セカイを変えるだの何だので、話が壮大すぎてついていけなくなるのだ。

これまでにいちよ流行ったアニメは何となく見るようにはしてきた。

涼宮ハルヒの憂鬱」もみたし、「攻殻機動隊」もみた。

どれも面白いと思ったが、物語の展開についていけない自分がいたのだ。

 

どうしてもセカイ系のアニメとなると、難しい展開になって物語についていけなくなるのだ。

それにアニメファンが好きそうなアニメがどうも苦手だった。

画面の中で美少女の絵が出てきて、何だか現実逃避のためにアニメを見ている気がして、どうも違和感があったのだ。

 

日本のアニメは世界的に人気なのは知っていた。

私が以前、東南アジアでバックパッカーの旅をしていた際も

やおい漫画って知ってるか?」

「ナルト面白いよな」

「日本の漫画大好きなんだよ」

などと、タイやベトナムのいろんな人に声をかけられた。

 

タイの中心街、サイアムスクエアには巨大なアニメイトがあり、

欧米から中東まで世界中の人々でごった返していた。

みんなガンダムエヴァンゲリオンのことを知っているのだ。

 

本当に日本のアニメって凄いんだな……

私はそう思った。

 

そんな出来事があったため、私は日本に帰ってきてからもなるべくアニメをチェックするようにはしていた。

日本が誇る世界に通じるコンテンツは、間違いなくアニメである。

君の名は。」も「聲の形」もすごかった。

聲の形」なんて、アニメでこんなに重たい内容を描くなんて凄いと思った。

そして、観客層が皆、若い人からお年寄りの方まで幅広くいることに驚いた。

 

もう、オタクだけがアニメを見る時代じゃないんだ……と思った。

すべての老若男女にアニメは受け入れられているのだ。

 

2016年は日本のアニメの凄さを思い知る年でもあった気がする。

本当に日本のアニメは世界で受け入れられているのだ。

 

それでもだ!

 

それでも魔法少女が何だかよくわからないものと戦う「まどかマギカ」だけは、見る気がしなかった。

プリキュア」や「セーラームーン」みたいな話だと思っていたのだ。

大の大人が魔法少女もののアニメを見て、号泣するなんておかしいと思ったのだ。

芸能界でも、おぎやはぎ東野幸治などがまどマギを大絶賛し、話題になっていた。

 

まどマギは世界に通じるコンテンツです。クリエイターを目指す人なら一度は見なきゃいけない」そうテレビでコメントされていた。

 

まぁ、休みの日に2、3話ぐらいは見てみるかと思って、私はTSUTAYAに行き、

まどマギを2巻分だけレンタルしていった。

どうせ今までみたいに途中で飽きて、投げ出すと思ったのだ。

どんなアニメを見ても、登場人物が繰り広げる世界観に共感できず、挫折してしまっていたのだ。今回もどうせダメだと思ったのだ。

 

DVDデッキのスタートボタンを押し、再生を始めた。

最初の頃は普通の美少女もののアニメだった。

 

なんだかハズレだったかな。

私は正直、そう思った。

初っ端からアニメ独特の世界観に私はついていけなくなってしまったのだ。

前情報によると、どうやら3話目にトンデモナイことが起こるらしい。

3話まで待たなきゃならないのか……私はそう思っていた。

 

 

しかし、1、2話と見ている時、妙な胸騒ぎだけはあった。

なんだこのゾクゾクする感じは。

物語が進むにつれ、このアニメひょっとしたらトンデモナイものなんじゃないか?

美少女もののアニメだけとこれまでとは何かが違うのだ。

なんだこの胸騒ぎは……

 

 

そして、問題の3話になった。

後半のとある展開を見た瞬間、こう叫んでいた。

 

「なんじゃこりゃああぁぁぁ」

私はぶったまげてしまった。

 

なんという斬新な演出なんだろうか。

これ、どう考えても従来の魔法少女アニメとは全く違っていた。

凄い……

斬新すぎる。

 

私は急いで、TSUTAYAにもう一度行き、劇場版を含めて、残りの巻をすべてレンタルし、見ることにした。

 

物語が後半に進むにつれて、少女たちが抱える残酷な運命が明らかとなり、私の胸はチクチクと痛み出した。

魔法少女もののアニメを見ているのに、胸にトゲが刺さるようにチクチクと痛み出すのだ。

何だこの胸の痛みは。

何でこんなにも苦しいんだ。

 

結局、劇場版も含めてあっという間に見てしまったのだ。

こんなに面白いアニメがあったなんて……

私には衝撃的な内容だった。

明らかに傑作中の傑作アニメなのだ。

 

人間誰しもが持つ、心の穢れを描いたものすごく深いアニメなのだ。

昔から伝わる言い伝えには、必ずと言っていいほど、穢れが描かれてきた。

神聖で清らかなものほど、同時に穢れを身にまとっていると考えれてきたのだ。

 

キリスト教の聖書に出てくるマグダラのマリアも売春婦として描かれている。

日本古来から伝わる言い伝えの多くが清らかなものほど、穢れを浄化する存在として崇められてきた。

神社の巫女さんが、風俗嬢の起源と言われているのはそのためだ。

 

そんな人間本来が持つ心の穢れを描いたのが「まどかマギカ」だった。

神聖で清らかな存在だと思っていた魔法少女たちは、実は近いうちに残酷な運命が待っていることが明らかになっていくのだ。

 

なんという斬新なアニメなのだろうか。

中盤から自分たちが信じていた価値観がひっくり返っていくのだ。

 

私はこのアニメが作られた背景がとても気になった。

誰なんだ、この傑作アニメを作った人物は。

どんな人が作ったんだ。

 

アニメーターや監督の人たちが優秀なのだろう。

劇団イヌカレーの空間演出など、新しく斬新で凄かった。

アニメを作り上げたクリエイターの人たちの総力が結集され、あの斬新な演出が作られていったのだ。

 

そんな「まどマギ」を作り上げていった人の中でも私は脚本家の虚淵玄さんに注目してしまった。

あんなに面白い物語を書く人は一体どんな人なんだろうか? と思ったのだ。

 

私は「まどマギ」の脚本家である虚淵玄さんが出演した爆笑問題のラジオをYOUTUBEで聴いて見ることにした。

さすが、ラジオだ。

中々、普段では聞けないような深い話がいろいろ聞けた。

とてもフレンドリーで何でも話してくれる虚淵さんにリスナーの人からこんな声が出てきた。

虚淵さんの作品の本当が、途中まで正義と信じていたものが、実は邪悪な存在だったと価値観が変わるような展開になるのですが、ご自身でも以前に価値観が変わるような経験があったのですか?」

という質問がきたのだ。

 

虚淵さんはこう答えていた。

「実は僕、強い左翼思想を持った父親に育てられたんですよ」

 

え? 左翼?

どんな環境で生まれ育ったんだ。

 

「父は本気でソ連はパラダイスだと思っていたんです。だけど、80年代後半になり、自分が信じていたソ連が、実は陰では残酷なこともやっていたということが明らかになって、結局、父は左翼的な思想を捨ててしまったんです。

幼少期にそんな父を見ていて、自分が信じたものが、崩れて去っていき、価値観がひっくり返るようなことを目の当たりにしたんです。それが自分の中に深く残っているのかもしれないですね」

 

私は虚淵さんの話を聴いているうちに、やはり傑作アニメを作るようなクリエイターの人たちは、自分の価値観がひっくり返るようなトラウマ的なことを経験しているんだなと思った。

虚淵さんにとって、自分の父親が信じていたものが崩れ去っていく姿は、目を覆いたくなるようなトラウマだったのかもしれない。

しかし、そのトラウマが創作のエネルギーになっているのも事実だ。

 

あの手塚治虫も、ものすごいトラウマを抱えていた持ち主だった。

彼は漫画の神様や天才と言われ、今でも数々の伝説を残す人だ。

連載を8本同時に抱え、タクシーの中だろうが、飛行機の中だろうが、漫画を書き続けていた。

なんで手塚治虫はそれほどまでに圧倒的な創作のエネルギーを持っていたのか?

 

 

それは学生時代に神戸大空襲と遭遇し、自分の目の前で焼夷弾が爆発するという九死に一生を得た経験をしているからだと思う。

 

あと一歩進んでいたら、自分の頭上に焼夷弾が当たり、即死していたのだ。

その経験が手塚治虫の脳裏に焼き付いていたらしい。

 

あの時、私は何かに生かされた……

 

そんな感覚が常に手塚治虫の心の中にあったと言われている。

自分の価値観が変わるような経験だったのだと思う。

それがあるから、あの圧倒的な創作エネルギーなのだ。

ブラックジャック」や「火の鳥」などで描かれる人間の生き死にの様は、

すべて神戸大空襲での経験が大きく影響されているのだと思う。

 

 

私は虚淵さんや手塚先生ほど、自分の価値観がひっくり返るような経験をあまりしてきていない。

しかし、あえて言うなら大学4年の時にした就活が自分の価値観が変わるようなきっかけになったのかもしれない。

私は就活をしていた時、マスコミ中心に30社以上エントリーした。

そして、ほとんどの会社で落ちた。

 

なぜ、私はあの時、選ばれなかったのだろうか……

それが私にとって今でも引きずっているトラウマなのだと思う。

 

就活の時に、もし選ばれたら年収1000万コースの道を進む。

選ばれない人は年収300万コースに進む。

同じ大学を出ても、自分の人生をどこかの他人に振り分けられているような気がして、私はとても違和感を抱えながら就活をしていたと思う。

 

あの時、私は選ばれなかった。

私は結局、テレビ制作会社に入った。

ほぼ徹夜の24時間労働の中、私はテレビ局の食堂で昼ごはんを食べていると、

局員の新入社員たちが楽しそうに昼ごはんを食べている姿を見て、私はとても悔しい思いをしていた。

 

なぜ、同じ新入社員なのに、あの人たちは夜の19時に帰れて、自分は夜中の4時まで仕事をしているのか……

世の中、自分が入った会社によって、これほどまでに待遇も給料も違うとは思わなかったのだ。

 

私にとってその出来事が自分の価値観を変えるようなトラウマ的な体験だったのかもしれない。

私は結局、テレビの世界を諦めてしまった。

世の中をさまよい、なんとかライティングの魅力に気づいて、こうして書くということを始めてみたが、実際に人に見せるようなコンテンツを意識して書くようになると、自分のトラウマ体験が思いの外、役に立っていることに気づいた。

 

自分の弱さを知り、もがいていたトラウマ体験が書くエネルギーになっているのだと思う。

 

もがき苦しんでいたトラウマは、実はエネルギーにもなり得るのだ。

トラウマを抱えるような残酷な思い出は使い道によっては、前に進むためのエネルギーにもなり、自分自身を蝕む猛毒にもなるのだ。

 

 

私は「魔法少女まどかマギカ」を見て、クリエイターたちが抱える創作エネルギーの源を垣間見た気がする。

つらい出来事ほど、使い道によってエネルギーにもなる。

要は自分次第なのだ。

 

本当に「まどかマギカ」はいろんなことを考えさせられた。

大人になってからも一度は見た方がいいアニメなのだと思う。

 

自分の不甲斐なさを呪い、負の感情という猛毒に取り込まれていった少女たちを救うため、走り回ったまどかの存在を私は忘れてはいけないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事にやりがいを求める就活生ほど、一度は「落語」を見た方がいいのかもしれない

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「仕事をやっていく上でのやりがいは何ですか?」

就活生が企業説明会で必ずと言っていいくらいする質問だ。

そんな質問をされた時、人事担当者はいつも困惑しながら

「お客様と一対一で相談に乗れることですかね」

など、マニュアル的なことを言って話題をそらしていた。

 

私が就活をしている時、企業説明会で嫌という程「仕事のやりがいは何ですか?」

という質問をする人を見てきた。

 

大学が発行する就活手帳にも、企業説明会で質問すべきリストで、堂々一位に

「仕事のやりがいを聞く」というものがあった。

 

仕事のやりがいって何なんだろう?

 

私は妙な違和感を覚えながらも、なぜだか企業説明会では誰かが人事に

「仕事のやりがいは何ですか?」と聞かなきゃいけない風潮があったため、

積極的に私も「やりがい」を聞いていたと思う。

 

私は就活時、やりがいや生きがいを求めていた。

それは他の就活生のほとんどに当てはまることだと思う。

 

やりがいがある仕事に就きたい!

自分がのびのびと活躍できる仕事に就きたい!

 

そんなことを思っていたのだ。

 

先日、とある就活イベントに手伝いで参加した際、就活生に

「1社目の企業で3年以上働く予定の人?」という質問したら、

20人近くいたのにも関わらず、誰も手を挙げなかったことに私は驚いた。

 

みんな3年以内に転職する予定なのである。

「1社目は自分のスキルを高めて、スキルアップのために3年経ったら転職するつもりです」

「自分の能力をのびのびと発揮できる会社を探し続けて、3年経ったら転職します」

そんなことを言っている就活生が多かったのだ。

 

3年で辞めるつもりなら、なんで30社以上エントリーして就活してるんだ?

就活なんてする必要がないだろ?

と言う人もいるかもしれない。

 

しかし、ゆとり世代の自分には「3年で辞める!」と言う就活生たちの気持ちも嫌という程、理解できる。

みんな仕事に生きがいを求めるのだ。

自分の能力がのびのびと発揮できる場所を探し求めているのだ。

 

私も就活をやっていた時はそうだった。

自分がやりたいことや理想を追い求め、なんかカッコイイという理由でマスコミばかり受けていた。

親の世代の人たちは皆、「仕事にやりがいなんてないよ」と言っていた。

確かにそうなのかもしれない。

企業説明会では「就活生に仕事のやりがいを聞かれた時の対象法」に沿って、人事は、会社で働く上でのやりがいをマニュアル通りに言っているだけなのかもしれない。

 

それでも私はきっと自分が働く上でのやりがいがあるはずだと思って就活をしていた。

自分がのびのびと働ける環境があるはずだと思っていたのだ。

 

そして、失敗した。

30社以上落ちたのだ。

 

なんとか制作会社に内定をもらい就活を終えることができた。

私は大学時代に自主映画を撮っていたため、制作会社ならなんとかやっていけるのではと思っていた。

多くの人と関わりながら一本の映画を作る映像制作はとても好きだった。

自分のやりがいはこれだと思ったのだ。

 

しかし、自分の好きなことを仕事にしてみて、私は後悔した。

好きだからこそ、自分の理想とのギャップに苦しいのだ。

毎晩4時過ぎまで続く作業に、毎日寝不足になり、意識が朦朧としたまま会社をさまよっていた。

明け方の4時まで作業して、翌朝の6時から別の仕事が始まるような生活が毎日続いていた。私はどんどんノイローゼになっていった。

同期は次々と辞めていった。

 

こんなはずじゃなかった。

私はそう思った。

 

私は一度無意識にも人身事故を起こしそうになり、さすがにヤバイと自分でも思い、仕事を辞めてしまった。上司に辞めると言った記憶がないほど精神的におかしくなっていた。

 

会社を辞めて、家に引きこもっていた。

なぜ、私はこんなにも弱い人間なのだろうか?

自分は生きる意味があるのだろうか?

 

大学の同級生は定期的に集まって仕事の愚痴などを発散していた。

そんな姿をSNSで見かけ、私はSNSを見れなくなってしまった。

同級生は今も仕事を頑張ってやっている。

それなのに私はなんで会社を辞め、家で引きこもっているのか?

私はそんな罪悪感に苦しんでいた。

 

 

そんな時に立川談志師匠の落語と出会った。

ネットか何かで師匠が語る落語論のページを見たのだ。

私はそのページを見た瞬間、驚いた。

自分が悩み、もがいていたことが落語で全て表現されていたのだ。

 

「落語とは人間の業の肯定である」

談志師匠はいたるところで、落語についてこう語っていた。

 

「人間は寝たい時には寝ちゃダメだとわかってても、つい寝てしまう。酒を飲みたい時には、いけないとわかっていてもついつい飲んでしまう。宿題を早くやればいいものも、ついサボってしまう。先生は努力が大切だというが、努力しても皆偉くなるなら誰も苦労しない。落語はそんな弱い人間を認めてあげるんだ。

落語とは、人間の業の肯定である。覚えときな!」

 

 

 

 

世の中には努力ではどうにもならないことがある。

一生懸命努力したって勝てない人がいる。

学校の先生は清く正しく、生きがいを持って生きることが大切だというが、実際のところ、そう上手くいかない。

 

「そんな自分でもいいんだよ」

と言ってくれるものが人間には必要なのだと思う。

 

私はその落語の「人間の業の肯定」と言うものの奥深さを知り、感動してしまった。

それだ!

こういうことを言ってもらいたかったんだ!

そう思ったのだ。

 

そこから私は談志師匠の本をむさぼるかのように読んでいった。

 

「働くなんぞ、大したことじゃない。人生に意義なんぞもつとろくなことはない」

談志師匠は著者でもこう語っている。

 

その通りなのかもしれない。

自分の人生に生きがいを求めても、大した意味がないのかもしれない。

人間なんて究極のところ、生まれて、食って、子供産んで、あとは死ぬだけである。

 

芸能の世界で活躍しているビートたけし立川談志は、やりがいを求めて芸の道に進んでいったというよりかは、目の前にあった自分が好きな芸の道をやっていたら、気づいたらテレビに出るようになっていたというだけなのだ。

 

生きがいや人生の意義を求めても時間の無駄なのかもしれない。

そんなことを考える暇があったら、とりあえず目の前のことにがむしゃらに向かっていればいいのでは? と最近は思うようになった。

 

大学を卒業し、社会に出ても私は今だに自分が何をしたいのかわからない。

自分の生きがいって何なのか? と思う。

 

しかし、目の前のことをコツコツやっていけばいいのではないか。

コツコツ積み重ねてきたことが蓄積され、いつか実りあるものになるではないか。

仕事や人生にやりがいを求める時間があったら、とにかく今、自分が好きなライティングということに向き合おう。

そんなことを思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

もし、あなたが「生きづらさ」を抱え、いつも自分の殻にこもりがちなら、クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」だけは観た方がいいのかもしれない

 

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「なんで人と同じ行動ができないんだろう」

子供の頃からこのような悩みを持っていた。

私はとにかく団体行動が苦手な子供だったのだ。

 

クラスの中でも常に浮いた存在だったと思う。

友達も割と少なかった。

昔からしゃべることが苦手で、人と面と向かって話すと、いつもどもる癖があった。

それが嫌で嫌で、学校の教室の中では、なるべく人と話さないで済むようなポジションを常に探していたと思う。

しゃべることが苦手だったこともあり、私は自分の世界に閉じこもりがちになった。

友達も少なかったこともあり、家では映画ばかり見て過ごしていたと思う。

 

なんで自分は人と同じに喋れないのだろう。

人と同じ行動が取れないのだろう。

そんな悩みを持ちながら、小学生時代は過ごしていた。

 

中学や高校に進んでもその悩みは続いた。

部活動に入れなかったのだ。

 

人とコミュニケーションを取ることが苦手なこともあり、とにかく団体行動のスポーツができなかった。団体で行動していると、どこか束縛されている感じがして、辛くなってきてしまうのだ。

 

だから、私はチームワークが必要だったバレーボールやサッカー、野球は辛くて出来なかった。

中学の時は、単体競技の陸上部に所属していた。

陸上は自分には合っていたのかもしれない。

練習は団体で行うが、競技は自分一人の力ですべて決まるため、団体行動が苦手な自分には居心地が良かったと思う。

 

 

日本のゆとり教育では「個性を尊ぶ」ということを大切にしていたが、人とうまくコミュニケーションを取れなかった私のような人間には、その教育方針は辛かったのかもしれない。

一人一人の個性を尊ぶと行っても、日本は集団行動を良しとするムラ社会が根幹的にある。集団で行動できない私のような人は異物のようにつまはじきになってしまうのだ。

 

私はそんな日本社会に生きづらさを抱えながら、ずっと生きてきたと思う。

心のそこで、どこか違和感を感じ、生きづらさを抱えていたのだ。

 

 

大学生や社会人になっても同じような生きづらさを常に抱えていた。

飲み会の場でも、私は周囲の話題にそってしゃべるということがとにかく出来なかった。

なんで今この話題なんだ? 

この時、どういった反応返せばいいんだ?

 

人とのトークの流れがまったくつかめないのだ。

私は楽しいはずの飲み会が終わると同時に、毎回、後悔の念に苛まれていた。

なんで、あの時喋れなかったのだろう……

そんなことを考え、悩んでしまうのだ。

 

私はどんどん自分の世界にこもるようになっていった。

人と話しても、会話がギクシャクして、変な目で見るだけだ。

それなら初めから話さないで済む方がいい。

そうやって、大好きだった映画ばかり見て、自分の世界にどんどん酔っていった。

 

常に日本社会に違和感を感じていたと思う。

なんで自分は団体行動が取れないのか?

人とうまくコミュニケーションを取れないのか?

 

 

留学した帰国子女の意気揚々とした姿を見て、私は海外に行けば、自分を変えられるのかもしれないと思った。自由気ままに生きている外国人の中なら、自分の居場所を見つけられるのかもしれない。そう思ったのだ。

 

アメリカやインド、東南アジアなどを旅してみた。

欧米の人は皆、自由気ままに生きていた。

日本人のように、毎日嫌々会社に通っているわけではなく、自分の好きな仕事を好きなだけやっている人が多かった。

東南アジアなどを旅していると、インターネット関係の仕事をしながら、自由気ままに旅を続けている若い同世代の人を多く見かけた。

彼らは本当に毎日楽しそうだった。

自由気ままでいいなと思っていた。

 

しかし、私はそんな外国でも人とのコミュニケーションをとることに違和感を感じ、引きこもりがちだったのだ。ゲストハウスの中でも、なるべく人と話さないで済むようにベットの中でずっとひきこもっていたのだ。

 

なんで海外に来ても自分はこうなのだ?

どこに行ってもどうして自分の世界に入り込んでしまうのだ。

他者との世界の中に入っていけなかった。

 

日本に帰ってきてからも、人との輪に入れない自分に嫌気がさし、私はどんどんノイローゼ状態になってきた。

いっそのこと、人としゃべらずに済む、山奥にでも引きこもろうかと思ったくらい精神的におかしくなっていたのかもしれない。

 

そんな時だった。

渡辺謙が出演していた「インセプション」を観たのは。

公開当時から「インセプション」は日本でも話題になっていた。

世界の渡辺謙レオナルド・ディカプリオと共演している本作は、ハリウッド中でも評価はめちゃくちゃ高かった。

どうやら人間の深層心理の深くまで潜り込んでいくストーリーらしいのだ。

 

私は大の映画好きだったが、劇場では「インセプション」は見ていなかった。

毎週のように通っていたTSUTAYAのDVD棚に「インセプション」を見かけ、

そういえばまだ見てないやと思って、借りてみることにした。

 

クリストファー・ノーラン監督の映画は大好きだった。

ダークナイト」も夢中になって見ていた。

めちゃくちゃ面白かった。濃厚な人間ドラマ、犯罪心理学などを駆使した奥深い物語に私は痺れてしまった。

 

しかし、この監督の映画はどれも濃厚で小難しい物語が多く、見るのに少し躊躇している自分がいた。

インセプション」も心理学の専門用語が連発してくるような難しい映画のように思っていたのだ。

 

それでもきっと、そこそこ面白いんだろうなと思って「インセプション」をレンタルして私は見てみることにした。

 

デッキにDVDを入れ、再生を始めた。

オープニングから驚いた。

 

なんだこの映像美は!

どうなってるんだこの世界観は!!!!

 

それは明らかに世界でもトップクラスのIQを持っているクリストファー・ノーラン監督だから描ける世界観がそこにはあった。

明らかに普通の人間が描けるものじゃないのだ。

ものすごく複雑で濃厚で、時間軸もバラバラなのにうまく絡み合い、絶妙にまとまっているのだ。

無重力状態を走りまわるジョセフ・ゴードン=レヴィットのシーンなど必見である。

こんな映像表現があるのかと驚いてしまった。

 

私はどんどん自分の深層心理の奥深くに入っていく主人公に私は感情移入してみてしまったと思う。自分の世界に引きこもり、心理状態の奥深くに逃げ込む主人公が見たものは、荒涼とした世界だった。

 

そして、目の前で見たものは夢か現実なのかわからないまま映画は終わる。

 

なんだこの余韻を残すラストシーンは!

 

私は「インセプション」を見終わった後、数日間あのラストシーンについて自分なりに考えてみてみた。

なんであんなラストになったのだろうか?

監督は何が言いたかったのだろうか?

 

映画を見て、数年経った今でも「インセプション」のあのラストシーンが私の脳裏にこびりついていた。

クリストファー・ノーラン監督はその後も「インターステラー」という傑作SF映画と撮っていた。私は大のSF好きということもあって、この映画は映画館のスクリーンで見た。

大興奮しながら、惑星間を旅するこのSF映画を見ていたと思う。

私は映画を見終わった後、映画評論家の町山智浩さんのラジオを聞いてみた。

 

クリストファー・ノーラン監督に直接インタビューしたことがある町山さんだからこそ言える解説がそこにはあった。

そして「インセプション」のラストの意味もわかったのだ。

 

クリストファー・ノーラン監督はどの映画でも

「心の内側に入ってばかりいては人間は前には進めない」

というメッセージを暗示させているという。

 

インセプション」でも、自分の深層心理の奥深くに逃げ込む主人公が見た景色は荒涼としたものだった。

「自分の世界に引きこもってもつらいだけだよ」ということを暗示させているのだ。

 

インターステラー」もスマホをいじり、下ばかり見るようになった人類に、

「もっと上を見上げれば壮大な宇宙が広がっているじゃないか。上を見て進まないと人類は進化しないぞ!」というメッセージが込められているのだ。

 

私は人とのコミュニケーションが苦手だということもあり、昔から自分の世界に引きこもりがちだったと思う。団体行動も本当に苦手で、いつも自分の殻に閉じこもっていた。

 

しかし、それではいけないのだ。

自分の殻に閉じこもってばかりではいけない。

前を向いて進んでいかなきゃいけない。

そんなことをクリストファー・ノーラン監督の映画から私は学んだと思う。

 

私は今でも「インセプション」と「インターステラー」だけは、よく見直している。

自分にとって生きる指針にもなっている映画なのだ。

 

自分の殻にこもってばかりではいけない。

そう思って、私はこうして文章を書くようになった。

 

もし、昔の自分のようにどこか「生きづらさ」を抱え、自分の世界に引きこもりがちな人がいたら、ぜひ「インセプション」だけは観た方がいいのかもしれない。

 

自分の心の内側に引きこもっていった主人公の成れの果ての姿が見えてくる。

 

自分の世界に引きこもってばかりではいけない。

そんなことを教えてくれるのだ。

 

 

 

 

 

kiku9.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文章も、脳の右側で書け!

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「なんだこれ」

私はとある本屋さんで、この本を手に取っていた。

それは絵が下手くそな人でも描けるようになるコツを伝授してくれる本らしい。

店員さんは「この本めちゃくちゃ面白いですよ」と意気揚々と喋っていた。

 

私は帯に書かれている文章に目がいった。

「絵を描くのに必要なのは、特別な才能ではなく、適切な指導です」

 

私は絵が苦手だった。

美術の成績は割といい方だったが、どうも絵には苦手意識があった。

高校時代も美大予備校に通おうと思い、体験授業も受けたが、金銭的にしんどい理由と周囲のデッサンのクオリティーに驚き、高校の美術の時間で満足していた私には無理だとわかったのだ。

 

小学生の頃などは、漫画に憧れ、自分で漫画を描いていた時もあったが、絵が下手くそという理由ですぐに断念した。

 

絵だけはセンスが必要だ。

そうずっと思っていたのだ。

 

絵が上手い人は生まれつき絵が上手い。

ただ、それだけだと……

 

私が絵を描くことの重要性に気づいたのは、大学時代に自主映画を作っていた時だった。

カメラをセッティングして、撮影を始めていくと、どうしてもカメラマンや監督の絵のセンスが問われることがある。

カメラをどう配置し、役者の顔をどう捉えるかなど、写真という名の一枚の絵が2時間に蓄積されたものが映画なのだと思う。

 

カメラをどう配置し、どう描くか?

絵のセンスがものすごく必要とされるのだ。

スピルバーグ監督など、相当絵にこだわる人で、優秀な撮影監督と一緒にミーティングしながら、ゴッホターナーの絵について話し合い、カメラワークや照明の当て方などを研究していくという。

 

よく考えれば、有名な映画監督はみんな、もともと画家志望の人が多かった。

世界の黒澤明だって元々画家である。

ヒッチコックも画家志望だった。

 

1020年代のトーキー映画の時代では、絵では食っていけないからという理由で、

映画の世界に入って来た人が、意外と多いのである。

 

私は美大を目指しても、絵が描けないという理由で諦めた人間である。

どこか絵が描けないということにコンプレックスを抱いている自分がいた。

 

本当に絵が描けるようになるのかと疑いながら、気になって仕方がなかったので、

その本を手にとって読んでみることにした。

 

本のタイトルは「脳の右側で描け」である。

脳の右側? 右脳で描けということか?

 

私はなんだかよくわからない本を買ってしまった。

金の無駄遣いかなと思いながら、本を読んでいった。

 

読み始めて驚いた。

これはデッサンについてがメインの本ではないからだ。

 

脳科学の本だったのだ。

 

 

 

本当に驚いた。

人間が絵を描く際、脳のどの部分を使い、どう描いているのかがまとめられて書いてあったのだ。

 

作者は長年の経験上、絵が描けないという人は才能ではなく言語をつかさどる左脳に支配されているからだという。

絵などをはじめとした人間の創造性の根幹は、すべて右脳で行われるのだ。

左脳の働きを止め、右脳のリミッター解除をする方法が本の中で詳しく紹介されてあった。

 

私はこの本に書かれてあった右脳のリミッター解除をする方法で、簡単なデッサンを描いてみることにした。

すると、驚いた。

明らかに上手くなっているのだ。

 

どうなってんだ? と思った。

たった、これだけのコツで絵が飛躍的に上手くなるものなのか?

 

私は人間の脳の仕組みもまとめられているこの本を夢中になって読んでいった。

スティーブ・ジョブズアインシュタインなど歴史上の偉人はすべて右脳のリミッター解除の達人だったという。

人類を前進させた天才たちは皆、右脳の使い方が人一倍上手いらしいのだ。

 

人間が創造性を発揮する場面では、必ず右脳のリミッター解除が行われている。

理屈でどうこう考えるのではなく、直感的に物事を決め、前進していくのだ。

 

絵が下手くそな人の原因はそこにあった。

デッサンしている時も「ここはこうで〜顔の輪郭はこうで」など、

言葉に置き換えて描いてしまうのだ。

 

絵が上手い人は、右脳の直感的な働きを駆使して、デッサンする対象を言語ではなく、直感的に捉えてデッサンしていくのだ。

 

私はこの本に書かれてあった右脳のリミッター解除の話を知り、ライティングを思い出していた。

私は文章を書く際、10本に1回くらいに何も考えずにす〜と書ける時があった。

普段は「タイトルはこうして〜ここはこうで」など、いろいろ考えながら書いてしまうのだが、割と評判がいい記事は、何も考えず、即興に任せて、す〜と書けた記事なのだ。

 

理屈どうこう関係なく、ただ直感に任せて書いた記事の方がバズってたりする。

もしかして、その時、私は無意識にも右脳モードに切り替わっていたのかもしれない。

無意識のうちに構成などを考え、右脳の中でまとめているのだ。

 

 

この本の中では、とある方法を使って、左脳の働きを止め、右脳のリミッターを解除する方法が書かれてあった。

 

そして、日本人が昔からやっていた右脳のリミッター解除の方法は座禅なのだと思う。

座禅や瞑想は脳みそを空っぽにして、直感力を研ぎ澄ませる働きがある。

その直感的な部分で物事を捉え、京都の寺の庭園などが作られて行ったのだ。

 

実は日本の書道や庭園などは、右脳の力を最大限に発揮されて作られたものだった。

欧米人が日本のものに興味を持つ部分もそこらしい。

論理的な解釈で物事を捉える欧米人には、日本の直感な概念や芸術作品にとても興味が惹かれるらしいのだ。

 

私はまさかデッサンについて書かれた本で、ここまで深い解釈ができるとは思わなかった。

人間が創造性を発揮する場面は一体どこなのか? そのことがこれでもかと詳しくまとめられてあったのだ。

 

クリエイティブな仕事についている人なら一度は読んでみてほしい本だと思った。

物を作っている時、人間は無意識にも右脳をフル活用しているのだ。

空っぽの脳みその中から湧き上がる右脳の直感と即興力を駆使して、クリエイティブな活動をしている。

 

文章を書くコツも「脳の右側で書け」なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラ・ラ・ランド」に心動かなかった人も、このミュージカル映画を見ればきっと、思わず音楽に合わせて指を鳴らしてしまうだろう

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「本当に深い感情は時空も現実も物理法則も超える。ミュージカルで人が突然踊り出すのはそれなんだ」

映画「ラ・ラ・ランド」のチャゼル監督がインタビューで答えていたものだ。

 

私は学生時代に350本以上の映画を見ていた。

今思うと、だいぶおかしい。

その中でも、数本……100本の1本の割合で、私の脳みそを感化させ、深い感情にダイレクトに突き刺さるような映画があった。

 

最近だと「この世界の片隅に」という映画だ。

見終わった後、ただ呆然としてしまうのだ。

人間はあまりにも感化されるようなものを見たとき、理解の範囲を超えて、ただ呆然と立ち尽くしてしまうのだと思う。

 

自分の人生観にも刺激を与え、深く感情に突き刺さるような映画。

人はそれを名作と呼んでいる。

 

もちろん、人によって感じ方は違うだろう。

過去の名作映画を今の人が見ても、時代の違いからあまり共感が持てず、感化されることもないかもしれない。

 

しかし、過去に大ヒットした映画は、その当時の人々の心を鷲掴みにしたのは事実なのだ。そこから学べることも多いはずだ。

私はとにかく1950年代から1960年代初頭のハリウッド全盛期の映画が大好きだった。

アラビアのロレンス、裏窓、捜索者、アパートの鍵貸します……

など名作といわれるものが勢ぞろいだ。

 

その当時は、ハリウッドも全盛期で、映画撮影所が「夢の工場」とも呼ばれていたらしい。当時に作られた映画は、人々の夢が詰まった宝石箱のように斬新な映画が多かったのだ。

監督の作家性が溢れ出ているのだ。

1960年代後半のベトナム戦争が始まり、カウンターカルチャーの風潮が強まるまで、ハリウッド映画にはヘイズ・コードという規制があった。

セックスやドラッグ、殺人などの描写は映画で一切表現してはいけなかったのだ。

映画作家たちは、この規制の中でも、ありとあらゆる手段を使って、人間の深い感情を表現してきた。

 

名作「アパートの鍵を貸します」など、よく見たら上司の浮気を手伝う話である。

性的な描写があった途端、規制に引っかかってしまうので、ロマンチックコメディーとして演出でうまくごまかしているのだ。

 

私は、ありとあらゆる規制の中、もがき苦しみながら、自分の映画を模索していた1950年代から1960年代のハリウッドの映画監督がとにかく好きだった。

 

規制と戦いながら、自分の映画を模索し、全身全力で映画を作っている熱意が、スクリーンから溢れ出てくるのだ。

監督から裏方のスタッフに及ぶ、一人一人の熱意がこもった映画が多いのだ。

 

チャゼル監督も50年代から60年代の映画が好きだったようで、「ラ・ラ・ランド」をよく見てみると、過去の名作へのオマージュがてんこ盛りである。

雨に唄えば」「シェルプールの雨傘」「81/2」「巴里のアメリカ人」など名作ミューッジカル映画など……名作映画への愛が溢れていた。

 

「理由なき反抗」など、思いっきり映画の中で登場していた。

ロサンゼルスに住む人は、大概のデートスポットがグリフィス天文台なので「ラ・ラ・ランド」のあのシーンを見ると、涙が止まらなくなってしまうらしい。

 

私はある程度、この時代の映画を見ていたので、「ラ・ラ・ランド」を見ていた時は、

「あ! このシーンはあの映画だ」「あ! もしかしてこの映画じゃないか?」

など、懐かしい映画を見ているようで、興奮しながら見てしまった。

 

個人的に、自分も「夢追い人」なところがあるので、夢を追いかける「ラ・ラ・ランド」の主人公を見ていると、自分と重なって見えてしまい、ラストシーンには泣きそうになってしまった。

 

しかしだ。

 

明らかに映画館にいた他の観客の反応が微妙だったのだ。

上映開始から一週間を過ぎると、映画館に入る人も少なくなってきたような気がしていた。

 

この映画を見た妹の感想は

「突然、踊り出すからストーリーの展開がごっちゃになって、よくわからなかった」

と言っていた。

 

確かに……

それはミュージカル映画を苦手とする人が多い理由だと思う。

物語の重要なポイントを歌と踊りで表現するため、主人公たちに感情移入できなくなるのだ。

「なんでここで踊り出すの?」

と思ってしまうのだ。

ましてやミュージカルなど一生で一度、見るか見ないかという日本人には、ミュージカル慣れしていないので、歌と踊りで表現されてもポカンとしてしまうのだと思う。

 

私も正直いうと、ミュージカル映画は苦手なジャンルだった。

年間350本以上映画を見ていても、ミュージカル映画だけは苦手だったのだ。

やはり、登場人物たちに感情移入しづらい。

苦戦してしまうのだ。

 

「ラ・ラ・ランド」は名作だと思う。

ハリウッドの人たちに絶賛されるのもわかる。

本当に泣ける名作だ。夢を追いかける人なら絶対見た方がいい映画だと思う。

 

しかし、ミュージカルの世界についていけず、物語の展開を追いかけることに苦戦した人も多いのが、事実だと思う。

どうしてもミュージカル映画だとそうなってしまうのだ。

 

過去の映画監督もミュージカル映画に挑戦して失敗していった人が多い。

フランシス・フォード・コッポラ監督も「ゴッドファーザー」の成功後、ミュージカル映画に挑戦したが、興行的に大失敗し、映画が撮れなくなってしまった時期があった。

 

最近「沈黙」が公開され、話題になったマーティン・スコセッシ監督も「ニューヨーク・ニューヨーク」というミュージカル映画が大コケし、大変な目にあっている。

 

 

 

これまで数多くのクリエイターが挑戦し、あえなく散っていったのがミュージカル映画というジャンルなのだ。

そう考えれば、「ラ・ラ・ランド」のヒットが奇跡的だというのもわかる。

 

私は「ラ・ラ・ランド」を見てから、ミュージカル映画をきちんと見てみようと思い、いつものようにTSUTAYAに足を運び、映画をレンタルしようと思った。

 

案の定、「ラ・ラ・ランド」特集コーナーがあった。

「シェルプールの雨傘」など、チャゼル監督に影響を与えた名作ミュージカル映画が勢ぞろいだ。

普段、ミュージカル映画などレンタルされることがないのに、「ラ・ラ・ランド」のヒットのこともあり、空になっているDVDケースが多かった。

 

私は重度のTSUTAYAユーザである。全盛期は週4くらいでTSUTAYAに通っていた。

そんな自分がこれまでミュージカル映画がレンタルされているのを見てこなかったので、今ミュージカル映画が注目されていることにちょっと違和感があった。

 

私はいつものように映画の棚を見ていった。

すると、ある一本が気になった。

「この映画……そういえば見たことないな」

 

私は直感的にその映画のDVDケースを手に取っていた。

それは名作中の名作と言われているミュージカル映画だった。

私はミュージカル映画に苦手意識を持っていたので、その映画を見ることはなかったのだ。

いつか見た方がいいだろうなとは思っていたが、苦手意識があったので、手に取ることはなかった。

 

そのミュージカル映画は「ラ・ラ・ランド」特集コーナーには置いてなかった。

私は何かに導かれるかのようにこの映画のDVDケースを手に取り、レンタルしてみることにしてみた。

 

私はやはりミュージカル映画は苦手である。

一週間したはいいが、いつまでたっても見る気が起きなかった。

返却予定日が明日に迫ると、さすがに見なきゃなと思い、仕方なくDVDをデッキに入れ、再生し始めた。

ミュージカルなので、飽きたら途中で止めようと思っていた。

 

2時間30分もある映画なので、飽きたら止めよう……そんな前提で見ていったと思う。

 

オープニングが始まった。

古い映画特有の前説のようなものが始まった。

昔は映画が始まるまでに、館内に音楽が鳴り響き、上映開始まで5分ほど時間がかかったのだ。

 

 

私はオープニングを見ている時、

「なんだこれは? 」

と思った。

画面によくわからない棒が点在してあったのだ。

 

昔のラテン系の音楽に合わせ、チカチカと点滅していった。

そして、次のカットでその棒の正体がわかる。

 

 

あ!!!!

それはマンハッタン島の姿だった。

私も学生時代にそこを訪れたことがあった。

「世界の中心を見てみよう」と思い、金を貯めて、ニューヨークまで行ったのだ。

 

なんという斬新な演出なんだ。

私は感極まってしまった。

 

すごい! 

すごすぎる!

 

そして、次のカットで若者たちが映される。

「カッ! カッ! カッ! カッ!」と曲に合わせてフィンガースナップを決めている。

 

カッコイイ。

とにかくオープニングがカッコイイのだ。

こんなにカッコイイ映画のオープニングは見たことなかった。

 

私はこの映画の世界に入りこんでしまった。

マンハッタン島にある、とある箇所を舞台にしたその映画は、差別の問題や若者の反抗を描いた傑作映画だった。

 

まるで現代に甦った「ロミオとジュリエット」のようにわかりやすい構造をしているので、ミュージカルに苦手意識を持つ私でも、十分に物語の展開についていける映画だった。

 

なんでこれまでこの映画を見なかったのだろうか?

私はもっと早くにこの映画の魅力に気づけばよかったと思った。

 

映画を見ていくうちに、私はもはやミュージカルに苦手意識を持っていたことすら忘れていた。もっと踊ってくれ。もっと踊りを見せてくれと思ってしまった。

 

そして、「ロミオとジュリエット」のような余韻を残す悲しい結末で映画は終わった。

映画が終わっても、その後もすごかった。

 

エンドクレジットもこだわり抜いて作られているのだ。

ここまでやるのかというくらい、クリエイターの意地が画面に溢れているのだ。

 

マンハッタン島に点在する道路標識を模したエンドクレジットには、最後に「right」という標識が画面に映される。

日本語では「右」という意味だが、英語では「正しい」という意味にもなる。

 

マンハッタン島のとある箇所にたむろする不良グループに向けたメッセージがそこにはあった。

「道を誤るな」そう伝えているのだ。

 

私はこの映画を作った製作陣の熱意がエンドクレジットからも伝わって、鳥肌が立ってしまった。私の脳細胞が刺激され、映画が終わってもしばらく立ち上がることができかった。

 

 

「本当に深い感情は時空も現実も物理法則も超える。ミュージカルで人が突然踊り出すのはそれなんだ」

私はこの言葉を思い出していた。

この映画こそ、この言葉が最も当てはまると思ってしまった。

 

 

ここまで突き詰めて、ありとあらゆるカット割りから構成を考えて作られた映画が他にあっただろうか?

この映画が作られた1960年代はヘイズ・コードがまだあった時代だ。

それなのに若者による不良問題や「人種のるつぼ」と呼ばれるマンハッタン島に蔓延る移民問題差別意識を如実に表現されているのだ。

 

差別や暴力では決して問題は解決しない。

「道を誤るな」

そう伝えているのだ。

 

私は映画を見ている時に、なんかこのシーンどこかで見たことあるなとずっと思っていた。ダンスシーンがどこかでパロディーで使われていたような。

「Beat It」というセリフもどこかで聞いたことがあるような……

 

私は気になってグーグルで調べてみると、すぐにわかった。

マイケル・ジャクソンである。

彼は相当この映画が好きだったようで、ミュージックビデオで踊りの参考にしていたのだ。彼のミュージックビデオの数本はこの映画のオマージになっているのだ。

あの手足が長いことを駆使したマイケル・ジャクソンの踊りの元祖はこの映画にあったのか……そう思ってしまった。

 

この映画はありとあらゆるクリエイターに今でも影響を与え続けている。

漫画家の石ノ森章太郎先生も、相当この映画の影響を受けていたらしく、「サイボーグ009」など、絵の作風が映画の主人公たちとそっくりである。

 

宮藤官九郎の「池袋ウエストゲートパーク」もどこかしらこの映画から影響を受けていると思う。対立する2つの不良グループが警察を巻き込んで、抗争していく展開などがそっくりだ。

 

 

差別や暴力では解決しないことを訴え、スタジオの中で撮られた偽りのマンハッタンではなく、落書きだらけで犯罪が蔓延っていた当時のマンハッタン島のそのままを写したこの映画は今でも多くの人を魅了する。

そして、ありとあらゆるクリエイターに影響を与えてきたことがわかると思う。

 

ミュージカル映画に苦手意識を持つ人でもニューヨークのウエスト・サイドを舞台にした、この映画だけは一度は見てみてほしい。

 

とにかくオープニングが、斬新でカッコイイのだ。

 

 

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私にとってトラウマである就活に挑んでいる学生を見て、浦沢直樹「MONSTER」を思い出す

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就職活動……

それは私にとって最大のトラウマでもある。

 

「なんで私は選ばれないの……」

就活中にずっと思い悩んでいた。

 

私はマスコミ中心に30社以上受けていたと思う。

テレビ局から広告代理店など、なんか受かったらカッコイイ会社を中心に受けていた。

「自分にはクリエイティブな何かを持っている」

「人とちょっと違った素質を持っている」

そう信じ込んでいたのだ。

 

テレビ局なんて倍率1000倍の世界である。

15人ほどの採用枠に1万エントリーがあるのだ。

宝くじを引くような倍率なので、普通だったら落ちて当たり前だと思うが、

マスコミ中心に受けて、周りにいる必死の就活生を見ていて、私は常に傍観者でいたと思う。

 

「こいつらは落ちても、自分は受かるだろう」

くらいに思っていたのだ。

 

そんな上から目線の人間を雇ってくれる会社はなかった。

私は30社以上ほぼ全て落ちた。

 

「なんでこの世界は選ばれる人と選ばれない人がいるんだ」

私はずっとそう悩んでいた。

 

同じ大学を出ても、年収1000万を超える人もいる一方で、年収300万で終わる人がいる。

 

その違いって一体何なのだろう?

 

「自己紹介をお願いします」と言われて、

サークルで何々をして〜などの自己PRを言い、見た目と雰囲気からくる印象で、

内定を出すかどうか判断される。

 

何で、このよくわかない就職活動というもので、自分の人生が振り分けられていくのか? 

そのことに当時の私はものすごく違和感を感じていた。

 

入社した後もその違和感がずっと残っていた。

深夜、会社の窓から六本木ヒルズの夜景を眺めているうちに、何で自分はここにいるのだろうと思ってしまった。

六本木ヒルズで働くような選ばれた人がいる一方、自分のように選ばれず、ひたすら地面に頭を下げて下働きをしている人がいる。

 

たった5分の面接でその人の人生が決まってしまうのだ。

 

自分は選ばれなかった。

 

結局、度重なる睡眠不足とノイローゼ状態になり、会社を辞めてしまった。

意識が朦朧としたまま、海外を放浪し、渡り歩いた。

 

なんとか日本に帰ってきて、第二新卒で雇ってくれる会社を見つけられることはできた。

しかし、一年以上経った今でも、3月になり、就活解禁の季節になると、就活でもがき苦しんでいた自分を思い出し、胸が苦しくなってきた。

 

皆同じスーツを着て、同じような自己紹介をして、同じように面接官による天秤にかけられていく。

その姿を映し出したニュースを見ていると、何だか感慨深い感じがしてきた。

 

就活は一度やった人ならわかると思うが、学生側にとんでもなく負担がかかってくるものだ。

3月に解禁され、早くも受ける会社を決め、4月上旬締め切りのエントリーシートをひたすら書くのだ。

自己紹介、入社希望、学生時代に頑張ったことなど、400字以上埋めなければならない。

 

そのエントリーシートを大量に書いても、面接官は読んでくれているとは限らない。

1万エントリーもあるような大企業は、エントリーシートを読んでいる暇などあるはずがない。

 

それでも読んでくれているかわからないエントリーシートを就活生はみんな必死こいて書くしかないのだ。

 

不採用通知がガンガン飛んでくると自分は社会に必要とされてない人間のように思えてくるものだ。

 

一年以上経った今でも、就活に後ろめたさを感じている自分がいた。

そんな就活にトラウマを抱えていた私だったが、先日、就活生を応援するイベントに参加する機会があった。

 

就活に失敗し、第二新卒も経験した自分にしか喋れないことがあるのではないか?

そう思ったのだ。

 

3月の時期から就活のイベントに来るような人たちは皆、優秀な人だらけだった。

ハキハキと自己PRを言い、自分の考えを正確にまとめてきちんと相手に伝えていた。

私はそんな就活生を見ていると、自分も昔はこんな感じに就活していたんだなと思ってしまった。

 

皆必死なのだ。

自分が選ばれたくて必死なのだ。

みんなとても一生懸命だった。

 

そして、そんな就活生の姿を見ているとあることに気づいた。

自分は以前ほど、就活に憂いていなかったのだ。

 

浦沢直樹「MONSTER」の最終巻にこんな一節がある。

幼少期のトラウマで怪物となってしまったヨハンのニュースはヨーロッパ中を震撼させていた。

しかし、時が経つにつれて新聞で取り上げられるページ数も少なくなっていく。

 

「悲しみはどんどん薄れていって、楽しかった思い出ばかりが残っていく。人間は都合よくできているのよ」

 

本当にそうなのかもしれない。

人間はつらい出来事ほど、記憶から消えていくようにできているのだ。

 

私は就活にとてつもなくトラウマを感じていたと思う。

しかし、時が経つにつれ、そのトラウマも忘れていったのかもしれない。

 

私のように弱い人間は就活生に対し、

「就活なんてやめてもいい」なんて言えない。

 

しかし、就活という意味がわからない行事も時が経つにつれ、

「そんなこともやっていたな」くらいに思うものだ。

 

就活なんてそんなもんである。

 

 

日本の就活が理不尽なのはわかっている。

選ばれた人がいる一方、選ばれなかった人がいる。

入った会社によって、年収も待遇もガラリと変わってくる。

死ぬほどエントリーシートを書いても、容赦なく落とされる。

 

就活に嫌気がさす人もいっぱいいるだろう。

それでも、とことん戦い抜いてみてほしいと思う。

 

今思えば、私は30社以上落ちたが、とことん就活に向き合っていたと思う。

きちんと戦ったから、先日の就活イベントにも参加できるようになったのかもしれない。

 

自分のようなプー太郎がどうこう言えることではないが、きちんと就活に向えば、なんだかんだ言って、いい選択をすることができるのかもしれない。

そんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が、TSUTAYAから年賀状が届くほど、狂ったように年間350本以上の映画を見続けていた理由

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私は狂ったように映画を見続けていた時期があった。

それは大学時代だった。

 

毎日のようにTSUTAYAに通い、毎回10本以上の映画をレンタルしていた。

本数で行ったら年間350本以上だった。

浴びるように映画を見ていたのだ。

休みの日などは朝6時に起きて、夜中の1時までノンストップで映画を見ていた。

1日に6本は映画を見ていたと思う。

 

今思うと、だいぶ頭がおかしい。

 

TSUTAYAから年賀状が届いてしまうくらい、映画を見ていたのだ。

おかげで、今TSUTAYAに行っても借りるものがなくて困っている。

洋画はア行からワ行まで、ほとんどの棚のDVDは見尽くしてしまったのだ。

 

 

 

大学を卒業した今、当時のように情熱をかけて映画を見れなくなってしまった自分に気がついた。

なぜ、当時の私はそれだけ狂ったように映画を見続けていたのか?

浴びるように映画を見ていたのか?

 

それは映画を見た分だけ、映画を作っていたからだと思う。

映画をインプットした分、自分の脳みそにある映画の知識を吐き出しまくっていたのだ。

 

 

 

「大学に入ったら好きなことをやろう」

そう思っていた私は、大学に入って早々、自主映画作りにのめり込んでいった。

自主映画と言っても、カメラ、照明、音声などいろんな人たちの協力が欠かせない。

5分の短編を作るのにも、最低5人以上の協力が必要になってくる。

 

私はいろんな人と関わりながら映画を作っていく過程が死ぬほど楽しかったのだ。

学生時代に7本は映画を作ったと思う。

 

映画を作って、編集をしているうちにある先輩にこう言われた。

「編集はどれだけ映画を見てきたかというストックが大切だ」

 

映画を編集する際には、カット割りのセンスが必要になってくる。

 

二人がテーブルで話しているシーンでも、どこで切って、どう繋げるかは編集する人のセンスがとても必要になるのだ。

そのセンスは、今までどれだけの量の映画を見ていたかに比例するらしい。

 

映画を作ろうと思ったら、きちんと映画を見るようにしなきゃいけないんだな。

私はそう痛感した。

 

私はその日から狂ったように映画を見始めた。

今までも映画は見てきた方だが、量が倍以上に増えた。

常に家には10本以上のレンタルDVDが置いてあり、暇さえあれば、わんこそばのように映画を見ては、TSUTAYAに返却してを繰り返していたのだ。

 

私は特にサスペンス映画が好きだった。

スピルバーグヒッチコックの映画が好きで、「激突!」と「裏窓」は月に2回は見直していた。

 

サスペンス特有の緊張感がたまらなく好きだったのだ。

私もスピルバーグヒッチコックのように、人々をハラハラドキドキさせるような映画を作りたいと思うようになった。

 

そして、私はなんとかサスペンス映画を作れないかと考え始めた。

 

そうだ! ゾンビ映画を作ろう。

とある時、思い立った。

 

自分が好きなサスペンスの醍醐味と、パニックものの面白さを合体させるような映画が作れるかもしれない。

そんなことを思ったのだ。

 

私はそれから脚本作りにのめり込んでいった。

学生映画でホラーは難しいと言われている。

まず、血糊をばらまく場所がない。

それに雰囲気を作るため、夜間の撮影しかできない。

 

私は自分なりに早撮りできる方法を考えていった。

偉大な映像作家たちはどうやってサスペンスを作ってきたのか? 

スタジオ側の予算などの制約がある中で、どうやって早撮りで映画を撮り切ったのか? そんなことも考えて映画を見ていった。

 

私はゾンビ映画を作るために、浴びるようにサスペンス映画を見ていたと思う。

ヒッチコックの映画はほぼ全て見尽くした。

映画の教科書とも言われている「定本 映画術 ヒッチコック トリュフォー」も読んだ。

親指の厚さほどのクソぶ厚い本だったが、私は夢中になって読んでいた。

 

サスペンスの巨匠ヒッチコックが作り上げたサスペンスの定義が、見事に載っていたのだ。

そこから学んだサスペンスの知識を自分の映画作りに利用していった。

 

私は映画を作るために、浴びるように映画を見ていた。

ガンガン映画を作って吐き出すために、浴びるように映画を頭にインプットしていったのだ。

 

いつか役に立つかもしれないからヒッチコックの映画を見ようという発想で映画を見ていなかった。

 

ひとまず、映画を作るから、その参考になる映画を探して行ったのだ。

10リットルの血糊をばら撒きながら、夢中になってゾンビ映画を作っていると、否が応でもアイデアのインプットが枯渇してくるものだ。

その枯渇した脳みそを潤わせるためにも、浴びるように映画を脳みそにインプットしていたのだと思う。

 

そのインプットもあったおかげで、なんとか4ヶ月以上かけて約40分のゾンビ映画を作り上げることができた。

 

今思うと、その経験は何に役立ったのかよくわからない。

浴びるように映画を見て、私の脳みそは余計な映画の知識でいっぱいになってしまった。

あの4年間、家に引きこもって映画ばかり見ていないで、もっと他のことに夢中になればよかったと思う時もある。

 

しかし、ライティングの魅力に気づき、書くことの楽しさを知った今、浴びるように映画を見ていた経験が役に立つこともあった。

 

タイトルで惹きつけて、5000字の文章をいかにして最後まで飽きさせずに読ませるか? というライターが抱える課題は、自分にとってサスペンス映画を作っているような感覚だった。

 

ここはあえて隠して、読者の想像に任せよう……など、何となくサスペンス映画を作っている感覚でいつも書いている感じがする。

 

学生時代にアホみたいにヒッチコックスピルバーグの映画を見ていた経験がまさかライティングをする際にも役に立つとは思わなかった。

 

私は結局、映像の世界に進むのを諦めてしまった。

 しかし、浴びるように映画を見て、映画を作っていた経験が、今とても役立っている気がする。

何事も夢中になって取り組んでいたことは、何10年後かには、点と点が繋がるように役に立つ時がくるのだと思う。